53 エックハルト、二度目のこんにちは
「負けないって、きみがどうやって戦うんだい?ダンカンを守るって、どうやって?」
嘲笑。
醜く歪んだ表情。
ラボで見せてくれていた、あのキラキラとしたジョシュアはここにはいなかった。
「できることで」
「所詮、人のきみにできることなんてない。ヴァンパイア相手になす術もない。頼みのダンカンだってこの通り。ここできみは死ぬんだ」
淡々と言い募る。
長い間で歪んでしまったジョシュアの心はもう主を慕っていた彼ではないのだろう。
きっと敬愛する主はそんな彼を見るに忍びないと思っているに違いないが、それを口にしたいとも俺は思わなかった。
したところでまったく意味を成さないだろうから。
彼はすでにだれのためでもなく、彼の復讐心だけで生きている。
「話は終わっただろうか?」
良く響く心地よい声がして、ドアからエックハルトが入ってきた。
ダンカンがさらに大きく暴れだす。それに視線をやってから、瞳を眇めておとなしくしているように、俺は願った。
「さて、私は私の目的のために、大輔くんとの時間を楽しもうと思うが、いいかな?ジョシュア」
それに対して恭しく一礼を返し
「お望みのままに。僕は席を外しますので」
と颯爽と去っていった。
残されたダンカンは唸り声をあげて、エックハルトを牽制していたが、当の本人は意に介した様子も見せず、無遠慮にベッドに腰かけた。
「きみがサー・ウィリアムの伴侶であることはわかっているよ。そして彼がすでに聖女の如き血を得たことも。けれどいま、私のもとにきみがいる。これで私もサー・ウィリアムと同じようにヴァンパイアとしてひとつ上に登れるよ」
俺の髪を掻き揚げ、そのまま頭を掴むと無理やり傾けて、首筋を露にした。
急な動きで首が痛み、思わず顔を顰める。
ゆっくりと指で俺の首を摩る。何度も何度も何度も。
それが気持ち悪くて、俺はもよおす吐き気を堪えるので必死だった。
「実に楽しみだ、早く飲みたいような、もう少し焦らしたいような、まったく不思議な気分になるね」
ふふふと笑い、唇で触れてきた。
ぞわりと嫌悪感が唇の当てられた首筋から全身に広がる。
そのとき夢で言われた、だれのものにもならない、という言葉がふいに理解できた。
科学的根拠のない話だと、以前した晃との会話を思い出す。哲司がそれに対して、
「身体って不思議な作用があるからな、わりとそういうことが大事だったりするんじゃん?じゃなかったら繁殖行為そのものがなくなるかもしんないよ」
普段から性的なことを、面倒だ、と一言で片づけている哲司らしい、と晃と揶揄った思い出が頭の中で巡る。
『あなたはすでに血の一滴までウィリアム様のもの。決してだれにも手に入れられる人ではない』
そうだったのか、だから俺の血は逸朗だけのものなんだ。
だったら俺は戦える。
ダンカンを守って、逸朗のことも守れるかもしれない。
ただ…
思って、すでに遅いか、とも考える。
逸朗の嫉妬心が燃え上がるだけの行為はされている。
今更、多少の乱暴があったとしても、俺の心が壊れなければ、あとはなんとかなるはずだ。
そう思って、俺は小さく笑った。
それを不審に思ったエックハルトが俺から離れて、様子を伺ってきた。
さぁ、攻撃開始だ。
誘惑するようにエックハルトに視線を送り、俺は彼に甘く囁いた。
「あなたは男を抱いたこと、ありますか?」
唐突なセリフにエックハルトは身動きできなくなる。俺の髪を指に強く絡ませたまま、ふいに自分に訪れた不安で瞳を暗くしていた。
「知ってます?女性が妊娠しやすいのってエッチのときに快感を得られるか、どうかにかかってるって。気持ち良ければ良いほど、精子の受け入れをスムーズにして、受精しやすくするって説があるんですよ。科学的根拠の薄い、民間伝承みたいな話ですけどね」
「それが、なんだ、いま、必要な話なのか?」
訝しげに問う声。
けれど、なにかが心に引っかかるらしく、続く俺の言葉を待つ姿勢をみせる。
「とても大切なことでしょ?俺が逸朗の伴侶だって、わかってるんでしょ。ヴァンパイアなら人と伴侶になるルールも知ってるはず。俺は逸朗に愛されて、その証に血を与えた」
挑戦的に俺はエックハルトを見つめてやった。
髪に絡まる指から力が抜けて、俺の肩へと落ちる。
「だから?」
「俺は満足して、幸せいっぱいで彼に抱かれたんですよ、わかります?そのとき俺の身体の中でどんな化学変化が起きたでしょうね?面白いと思いませんか?」
思いっきり彼を笑い飛ばしてやる。
「今、俺は嫌悪感でいっぱいですよ」
次の瞬間、身体が吹き飛ぶほどの力が俺の頬を目掛けて飛んできた。痛みを感じることすらなく、ベッドの反対側へ落ちる。
目の前にちかちかと星が飛んだ。
殴られたとわかったときには口の中が血の味で充満していた。
気付けばダンカンが素早く傍まで這ってきて、俺を背中に庇うようにしてエックハルトを睨みつけていた。
このときになって、やっと顔全体が歪んでしまったのではないかと思うほどの痛みが襲ってきた。
「なにが言いたい?私がおまえごときの血を啜ろうともあいつと同じようにはならないと言いたいのか!」
あれほど余裕のあった麗しい声がひび割れて、端正な顔が醜く歪み、怒りが撒き散らされる。
勝った!と俺は確信した。
「ええ、俺ごときの血ですから、逸朗と同じにはなれないですよ」
口の中を切ったせいか、うまく言葉が発音できないが、焚きつけるように余裕をかまして嘲笑ってやれば、目前の敵は低い唸りから咆哮へ。
そしてさらなる怒りを爆発させた。
このまま、このままいけば逃げる隙をつけるかもしれない…
そう希望を持った瞬間、急にエックハルトがくつくつと笑いだした。
恐怖が俺を包み込み、喉が詰まったように呼吸をとめてしまう。
「なるほど、快感を得るからこその妊娠、か。なかなか面白い話を聞いた。では私がおまえにサー・ウィリアムと同等の思いをさせれば、おまえごときの血が奇跡の血へと変わる、ということなんだな」
さも可笑しそうに喉で笑う男をみて、俺は震えが止まらなくなる。
ダンカンがそれを感じたのか、さらに俺に身を寄せてきた。
「つまり手段は問わない、ということでもいいわけだ。おまえは知っているか?ヴァンパイアの唾液には幻覚作用があるらしい。常習性の高い、麻薬のようなものだな、人にとっては。常の唾液ではなく、己の意識で分泌させるものなんだよ、知らないだろう?伴侶には使わないのが普通だから、どれほどの快楽を得られるだろうね、楽しみだろう?」
エックハルトの瞳が怪しく深紅に光る。
逸朗のそれとは違う、深く闇い紅。
虚ろな表情とは裏腹に、唇は艶々と輝き、爛々とした瞳は獲物を前にした獣のそれだった。
ちょっと挑発しすぎたかな…
今更、思っても遅い反省を心の中でしつつ、どう回避しようか俺の頭がフル回転を始めた。




