50 大輔、研究ストップする
実験の中止と、単位取得のためのマウスを使ったDNAマッピングのレポート作成継続の知らせをするために4階のラボまで行った俺はオリヴァーに声をかけた。
本来ならこれからオリヴァーに成分分析とウイルス同定をお願いする流れになっていたので、そのこと自体が中止されたことを伝えなければならなかった。
「ウィリアム様がそう判断されたなら仕方ないですね。こちらの研究もありますから、引き揚げて古巣に戻ることにしますよ」
そう言って彼は髪をくしゃくしゃに乱しながら片づけを始めた。オックスフォードに帰ってしまうらしい。
ぺこりと一礼してから、俺はレオのところに行った。
「俺のレポート、手伝ってもらってもいいですか?解析ソフトの使い方とか、いまひとつわかんなくって…」
「もちろん!いつでも声をかけてください」
にっこりと微笑んで快諾してもらったことで、ホッとした俺は実験室のジョシュアから呼ばれたので、レオに一礼してから踵を返した。
「呼んだ?」
「うん、大輔さま。ウィリアム様から聞いたよ。一緒に過ごす時間を僕に取られて嫌なんだってね。それで実験中止って伴侶の力は凄いよねぇ」
にたにたと笑うジョシュアに眉根を顰めて唇を尖らせてみせた。
もうずっと彼とは実験をしてきたから、妙に気安い関係になっていた。ジョシュアは優しくて楽しくて、頼りがいのある、俺にとって兄のような存在だと思っていた。
彼といるとふいに晃を思い出すこともある。
そういうときは本当に近しく感じてるんだな、と実感する。
実験中止で、これから一緒には仕事ができないことが無性に寂しい、と感じるほどに俺はジョシュアを好きになっていた。
「僕には伴侶がいないから、全然理解できないんだけど、僕の造り手がやっぱり伴侶で身を持ち崩した人だから、どれほどの激情なのかはわかってたつもりなんだけどね。でも今までのウィリアム様をみてきて、やっぱり想像はできなかったな」
ジョシュアはアラン一族のものではない、途絶えた血筋のものだ、という逸朗の言葉が頭に蘇った。自分の実験机に広げたノートを眺めている彼に視線を定めた俺は躊躇いつつも口を開いた。
「ジョシュアの造り手ってどんな人だったんですか?」
聞かれた彼は片眉をぴくりと上げたあと、瞳を潤ませた。
そして薔薇が咲き誇るかのような美しい笑顔を向けて、目の前のノートをぱたんと閉じた。
「300年くらい前になるかな、一国一城の主で、領民想いのとても素晴らしい領主だったよ。少し顔が怖いことが玉に瑕くらいの、欠点のない人だった」
懐かしむように、はるか遠くに視線をやって、ジョシュアが語り始めた。
けれど彼の造り手は犯してはならない罪を犯して、逸朗に刑を執行された人物のはず。
ジョシュアの語る為人からは想像もつかない。
「領地も領民もよく治まっていたころ、主は伴侶に出会ったんだよ。それはもう見事な美人でね、村長の一人娘で、快活で少しお転婆で、気立てのいい人間だったんだ」
その女性にジョシュアも心惹かれていたのだろうか、頬を薔薇色に染めている。ハシバミ色の瞳をキラキラと瞬かせ、語る唇はほのかに開いていた。
「すぐに婚約が成立して、結婚されたんだけど、あいにく近隣で戦争が続いている時期で、遠乗りの際に流れ矢に当たって亡くなってしまったんだ」
「…!」
「主はそれで気が狂ったんだよ。来る日も来る日も泣きわめき続けて、ある日突然感情を失ったと思ったら、あれほど慈しんでいた領民を虐げ始めたんだ。いくら僕たちが諫めても聞く耳も持ってもらえなくって、挙句に城下のみならず近隣の住民までを巻き込んでの大虐殺に走ったんだよ」
その数、数万とも言われ、それを主ひとりでヴァンパイアの持てる能力すべてを注ぎ込んで行われたという。その虐殺は1週間も続いた、とぽつりぽつりと囁くように語られた。
おそらく今、俺が死ねば、逸朗が同じような状態に陥るかもしれない、と感じた。
なにも不思議はない。
ヴァンパイアにとっての伴侶とはそういう生き物だと身をもって理解しているから。
だからこそ、ぽろぽろと涙が流れるのを止められなかった。
頬に光る涙の跡をうっとりと眺めたジョシュアはふふふ、と笑った。
「泣いてくれるんだね。大輔さまは、優しいんだ」
「すみません…」
「謝ることなんかないよ。嬉しいくらいだ」
ほぅと息を吐いた彼はノートの表紙を握りつぶしていた手元に視線を落とした。
「もちろんヴァンパイアが犯した虐殺はほかのヴァンパイアへの迫害につながると判断されて、本部から死刑執行命令が出たんだ。執行人はウィリアム様だった。慈悲のある、素早い執行で、たぶん主は苦しむことなく逝ったと思う。僕は感謝したんだ。本来僕らが止めなければならなかった主の愚行をウィリアム様が止めてくださった。それどころか、こうして庇護のもとに置いて今でも守ってくれているんだから」
ジョシュアはメンバーの誰よりも逸朗に従順な態度だった。
そして誰よりも尊敬の眼差しを向けていたことを思い出す。
「お茶でもしようか、喉が渇いたよ」
引き出しから紙コップとステンレス製の携帯マグを出した彼はこぽこぽと珈琲を注ぎ、ひとつを俺に手渡した。
とてもいい匂いで、喉がゴクリと鳴った。
「フランスの豆で、フルーティな味わいのブルボン種なんだよ、飲んでごらん」
言われて口に含めば、芳醇な珈琲の香りとは別に、ほんのりフルーティで鮮烈な味わいが鼻を抜けていった。苦味よりコクが強く、あっさりと喉を流れていく。
「美味しい…」
でしょ、と自慢げに俺を見てから、にっこりと笑ってごめんね、とジョシュアが呟いた。
その瞬間、俺はいとも容易く意識を手放した。




