48 大輔、データから考察する
「ヴィクトーはフランス出身で、歴代の中でも魔術の天才の名を欲しいままにしてきたほどの実力を持つ、現時点で最高齢かつ最高位の魔術師だ。そしてかなりの高齢にもかかわらず、その容姿は衰えることを知らず、もう100年近くを魔術会のトップとして君臨し続けてきた人物でもある」
風呂上がりの俺が逸朗のベッドに潜り込んで実験結果のレポートを読んでいたとき、2階で行われていた作戦会議を終えた逸朗が部屋に戻ってきた。
おかえりのキスを交わしてから、俺がヴィクトーのことを聞いて、返ってきた答えである。
「でも前に魔術師はただの人だって言ってたよね?」
「そうだ。でもなぜか魔術師は長命だし、一様に年よりは若く保っているな」
「そういう魔術があるってこと?」
「そうじゃないのか?そのあたりのことはわからないが…」
疲れたように息を軽く吐いてから、着替えもせずにベッドに横になった逸朗はまだ濡れている俺の髪を優しく漉いていく。
「今年に入って、突然の引退宣言をして、今度の定例会には新しいトップが出てくるという通達があったから、彼も老境に入ってとうとう怪しくなったのかと思っていたが、あの声を聴く限り、若さも身体も問題なさそうだしな。どうやら本来の仕事以外のことに集中したくなって引退を決意した、というところだな」
「逸朗の血を得ること?」
嫌そうに眉を顰めてから、彼は小さく頷いた。
「まぁ、そうだろう。私の血を得てどうしたいのかもわからないが」
「それなんだけどさ」
くるりと体を捻って起きると、俺はさっきまで読んでいたレポートを差し出した。
「ちょっと面白いことが分かってさ。はっきり言えばDNAに人もヴァンパイアも違いはないんだよね。ヴァンパイアも同じ人ってことなんだけど、結論から言えば。ただねテロメアがさ、ヴァンパイアは異常に長いことが分ったんだ。おそらく長命の理由はそこにあるんじゃないかって思ってる。しかも合成ごとに長くなっていく感じで、長く生きているヴァンパイアほどテロメアは長かったんだ。ただ傷の修復作用やウイルスに関してはまだなにもわかってない感じ。つまりさ、逸朗もヘンリーもDNAレベルでは違いがない、ってことだから、もしも俺の血で進化を遂げたとしたならその進化はウイルスの進化だと思う」
パラパラとレポートを流し読みしている逸朗を確認してから
「ただ今日、ちょっと実験で失敗して、俺の血の上にローガンの血を落としちゃったんだよね。そしたらさ、俺の血に変化があって、ヴァンパイア化したわけではないんだけど、なんか妙な動きをしたわけ。俺一人でやってた実験だから、だれにも見られてなくって、だから俺の立てた仮説を試してみたくって、協力してくれない?」
レポートに視線を注いだまま彼がなにをだ?と聞いてきたので
「逸朗の血が欲しい」
と答えた。
ちょっとの間、固まった逸朗がぎこちなく視線を上げ、俺を見たので、ベッドサイドテーブルに用意していたペーパーナイフで自分の腕を切りつけた。
すぱりと切れた傷口がぱっくりと口を開け、躊躇うようにじくじくと血を流し始めた。
逸朗が驚いて、俺の腕をおさえて止血しようとするので、それを制止して、逸朗にもう一度頼んだ。
「お願い、逸朗の血を、ここにちょうだい」
甘い血の匂いが周囲に漂い、逸朗は酔ったように陶酔した瞳を揺らして俺の腕に見入っていたが、すぐ我に返ると自分の指を噛んで血を俺の傷口に垂らしてくれた。
鋭い痛みが俺を貫くように走ったあと、ふいに腕が軽くなった気がした。
恐る恐る自分の腕を確認して、俺は仮説が証明できたことに歓喜の叫びを上げた。
すっぱりと切れていたはずの腕には傷などどこにもなかった。
うっすらとした傷跡すらも残さず、完治していたのだ。
「ほらね!やっぱりそうだ!」
俺の腕を掴んで、まじまじと見ていた逸朗が掠れた声で呟いた。
「どういうことなんだ?これは、いったい…」
「ヴァンパイアウイルスは空気に触れると感染できない、でもなぜか修復能力だけは残るみたいなんだよね。たぶん、ヴィクトーはこの作用に気付いて、なにかに応用しようとしてるんじゃないかって、俺は思っちゃったわけよ」
得意満面の笑みを浮かべていたんだと思う。
逸朗がこんなときなのに、とても愛おしそうに眼を細めて俺を見てから、身体の奥が疼くほどの深いキスをする。
受け入れそうになる自分を必死に振り払って、精いっぱいの力で圧し掛かる逸朗を押しのけた。
「俺が思うに、このウイルスって長く分裂したいけど、増殖したいんじゃないんだと思うんだ。ウイルスに意思があると仮定して、だけど」
押しのけられたことが不満な逸朗は不機嫌を隠さず、俺をねめつけた。
俺はそれを軽く無視する。
「つまりさ、ウイルスにとっての宿主の条件がいろいろと難しいんじゃないかと思うわけ。だから増殖するよりは適性のあった宿主を長く生かすことを生き残り戦略として採用した特殊なウイルスなんじゃないかと仮定したんだ。そのために修復能力に特化したのかなって」
だんだんと興奮してきた俺は鼻息も荒く言葉を続けた。
「一晩で遺伝子書き換えをしたって、前に逸朗が言ってたけど、たぶん、それは違う。書き換えたんじゃなくてゲノムに書き込んだ、のが正しい気がする。必要になったときに発現できるよう、かなり自由度の高い遺伝子発現する仕組みになってるんじゃないかって、俺は思ってる。DNAでの比較しかしてないけど、たぶんゲノムでみたら、ヴァンパイアのは異常なくらい長いんじゃないかな、って思う。もしくは染色体数が多いか、とにかくウイルスの中にそれだけのRNA情報が入ってたんじゃないか、って。てことは、ウイルス自体もかなりの大きさになるはずで、もしも同定することができたから、これはもう、世紀の大発見って感じだよね!」
おそらくゲノムのなかに答えはあるはず。
宿主の適正も、感染の選択性も、ヴァンパイアの質の低下に関しても、すべての答えはゲノムにあるんだろう。
いま、発現しているDNAで比較しても違いがないのは、ヴァンパイアとしての行動が少ないから。修復時に人の血液が要るのは、ヴァンパイアに流れている血液中にはすでにウイルスが必要とするエネルギーが枯渇しているから。
ヴァンパイアの能力を生かしきっているときにDNAを採取すれば、きっと恐ろしいほどの遺伝子が発現しているだろう。
考えただけで、全身に震えがくるほど高揚する。
「大輔…」
低く、耳に響く声で俺はふいに現実に戻ってきた。
「面白いのはわかるが、これ以上の研究はやめてくれないか?」
「…やっぱり、秘密に触れることになるから?」
「というか、大輔を守るのが難しくなりそうだ。この研究内容を本部が知ったら、大輔をどのように扱うのか、私にはわからない」
「本部?」
いつも耳にしていた本部、という単語。
一族というものとはどうやら別であり、逸朗にとって敵でも味方でもない組織だと認識していたが、この際だからはっきり聞いておきたい気がした。




