45 エックハルト、秘密を打ち明ける
淡いブルーのシルクのシャツに濃紺のフレンチリネンのスラックスを合わせたヴィクトーは客人の待つ応接室のドアをノックした。
中から艶やかに響く低い声が、どうぞ、と応えたので、僅かに紫色を帯びて光る瞳とのコントラストが華やかなヴィクトーは静かに部屋に入っていった。
「突然の訪問にもかかわらず、会ってくださったこと、礼を言う」
数度、顔を合わせたことがある程度の知り合いだったヴィクトーはどっしりとした一人掛け用のソファに腰を下ろしたままのエックハルト・アイスラーを興味深く観察した。
さすがはヴァンパイアというべきか、屋敷の主が来たのに立ち上がる気もないらしい態度に、不遜にならない程度には笑顔を浮かべ、不愉快を伝える程度には眼に険を湛えて見据えた。
「こちらこそ大したもてなしも出来ずにすみません」
ちらりとテーブルの上に視線をやれば、最低限のもてなししか用意されていなかった。
市販のどこにでもあるようなチョコレート菓子とよくあるブランドのカップに入った珈琲だけ。
最上級の客に出されるカップはマイセンのアンティークだと決めている屋敷の使用人がウエッジウッドの最近購入されたものを出している時点で、クレモンがこの客人を不快だと認識したということか、とヴィクトーは判断した。
「急に来たのだから、それはこちらの不手際というもの、気にしないでもらいたい」
と敢えて言うからにはエックハルト自身も招かれざる客だという認識はあるらしい。それならばどのような話し合いがあるとしてもお互いに戦意はないことは確かだろう、と思ったヴィクトーは幾分気を和らげて、エックハルトの向かい側のソファに浅く座った。
「それで、このように来訪されたのはどのような話があってのことでしょうか?」
すでに温くなった珈琲を一口飲みながら切り出したヴィクトーにヴァンパイアはふふふ、と笑った。
「ヴィクトー殿は御年いくつになられる?」
「はい?」
「私の記憶ではもうすでに100を軽く超えているかと思っていたが、存外にお若いのでな、人の身でその姿なのだから興味を持つのが普通であろう?」
「…今年で128になります」
見た目30歳前の青年ともいえる姿のまま、ヴィクトーは感情もなく告げる。わざとらしく眼を丸く驚いたフリをしたエックハルトは鷹揚に頷いた。
「であろう、さすがは魔術会のトップを長年務められただけのことはある。それも今年、後進に譲り、引退を表明したと伺ったが?」
エックハルトの話の方向が読めないヴィクトーは少しの苛立ちを眉根に現し、小さく首を傾げた。それをみたエックハルトはカップに残った珈琲を一気に飲み干した。
「魔術会への影響力はそのままに退くというからにはなにかしらの理由があろう、と推察したまで。そしてもしかしてそのことに関して私がなにかの役に立つのではないかと思って、こうして迷惑を承知で来てみたのだよ」
「つまりお互いにメリットのある話なら協力関係を申し出る、ということでしょうか?」
謀にかけては右に出るものがいないヴァンヘイデン一族とは違うアイスラー家だ。決して裏のあるような面倒なことはしない。軍事に長けていることが猪突猛進だとまでは言わないが、あまり複雑に遠謀深慮を張り巡らすことが苦手なのは今までを見てきてもわかっている。
ヴィクトーはあっさりと言って、相手の反応を伺った。
「ヴィクトー殿はヴァンパイアの古の言い伝えをご存じであろうか?」
ちらりとエックハルトは澄ました顔で自分の前に飄々と座っている男に鋭く視線を送った。
「聖女の如き血のことだが…」
様々な逸話や言い伝え、そして情報を扱うヴィクトーでさえ、耳にしたことのない単語を聞いて、ふいに眼を眇めた。
「なるほど、ご存じなかったか。それもそのはず、ヴァンパイアでさえその存在を信じるものなどいないからな。かくいう私もつい先日まで存在そのものが意識になかったくらいだから」
「その聖女の如き血、とは?」
「わからん。それがなにかはわからん。ただひとつ言えるのは特別な血を持った人間がいて、その血を得ればヴァンパイアは進化する、ということだけ」
聞いたヴィクトーの瞳が菫色に強く光り、ゆっくりと大きく見開かれていく。
「最近、ヴィクトー殿はヴァンパイアの血を集めておられるだろう。なに、胡麻化さなくともよい、本部に言う気もない。もちろんヴァンヘイデン一族にもな。アイスラー家が狙われたわけでもない、私はそのあたりはどうでもいいのだ」
言葉とは裏腹にねめつけるようにヴィクトーをみたエックハルトが不敵な笑みを口元に浮かべ、ドアの横に立っていた給仕に珈琲のおかわりを求めるようにカップを上げてみせた。
その意を汲んで、ヴィクトーが給仕に頷いてみせると、すぐに彼はポットを持ってカップへと珈琲を注いだ。
「敢えて古い血のヴァンヘイデン一族を狩るからには理由があろう、なに、その理由までは聞こうとは思っていない。私は魔術師如きがヴァンパイアを捉えることができることに驚嘆しているのだよ。そしてそれを見越して協力したいと思っている」
給仕が壁際に戻ると話を再開したエックハルトは優雅に珈琲に口を付けた。所作まで美しい男はその仕草一つひとつがまるで絵画のようだった。
「魔術師如き、とはなかなか手厳しいおっしゃりようですね」
にこやかに笑ってヴィクトーは髪をかき上げた。内心の動揺が微かに震える指先に出ていて、老獪なヴァンパイアを目の前にこのままではいけない、と深く息を吸った。
「お話があちこちに飛んでしまわれるので私の理解が及ばないのですが、聖女の如き血の話に戻っていただいても?」
ただでさえ現在最強種とも思われるヴァンパイアがさらなる進化を遂げる血があること、それは情報として是非とも手にしておかなくてはならない。
今、最も己が欲している力かもしれない、そう思うだけでヴィクトーは喉が干上がりそうなほど興奮した。
「そうであったな、私の悪い癖だ、許してくれよ」
背もたれに預けていた身体をぐっと起こし、エックハルトが顔を寄せてきた。
「なんとその奇跡の血をあのサー・ウィリアムが手にしてしまったのだよ」
あまりの衝撃にヴィクトーは眩暈を起こし、片手で眼を覆った。
それは今、一番必要で、けれどなにより耳にしたくない情報だった。




