37 囚われのヴァンパイア
象でも捕えられるだろう巨大な鎖を両手足に付けられた女がガシャンガシャンと激しく鎖を鳴らして抗議している。
彼女の戒めは石造りの壁へと取り付けられており、時折その激しさに建物全体が軋んで悲鳴を上げているような気がして、小男はハラハラしていた。
窓もない、ドアもない、三方を石で囲まれた部屋の前面は強固な鉄格子がある。
部屋全体を腐った血の饐えたような臭いが充満していた。
まるで洞窟の中に造られた牢獄のようだが、ここはフランスのとある村にある屋敷の地下である。
彼女の世話をしているのは最前から格子の前でオロオロしている小男のみ。
血の臭いが鼻を突くわりには囚われの女に怪我はない。
怪我をさせてもすぐに治り、食べ物もさほど必要なく、ごくたまに小男が差し出す僅かな血を啜らせるくらいしか手間はかからないので、逃げ出さないように見張っているだけで、あまり世話をする人は必要ないのだ。
さきほど女の衰弱が激しかったように見えたので、小男は主から言われてもないのに己の血を少々分け与えたばかりだった。
さっきまでぐったりと力なく項垂れていたのに、赤く瞳を光らせて急激に暴れだしたので、小男は恐怖でひぃ、と小さく叫んでしまった。
これが人間ではないこと、映画でしか知らなかった吸血鬼というものだろうか、という疑問が小男の頭にべったりと蔓延ってはいるが、己の主のほうが恐ろしくて、知らぬふりをし続けている。
よいか、生かしておくことがなにより優先される。どうせ何をしても死にはせん。逃げられるのは厄介だから、ほどよく生かし、閉じ込めておくのだよ。
そう厳命されているから、少しだけ血も飲ませている。
逃がさないように、ここで寝泊まりもしている。
だけど、この化け物が暴れだし、逃げ出したとき、自分にどうこうできる存在ではないことも重々承知している。
だからこそ小男はこの地下入り口に警護のものを付けてもらっていた。
何かあれば彼らが駆け付けてくれるはずだ、それだけが小男の命綱だった。
何日かに一度、主はこの地下に降りてくる。
そして牢の中の女の意識を奪う。
どうやっているのか、小男には理解できないのだが、どうやらそれは魔術らしい、ということだけはわかっていた。
眠らせた女から幾分かの血を抜き取って、主は一言もなく去っていく。
今では彼女が目覚めるまでの数分が小男にとって唯一の息抜きができる時間だった。
ここへ連れてこられた当時の彼女は美しく気高く、そしておしゃべりだった。
小男相手に何時間でも話していた。
ときどきふらりと彼女の言葉に乗って、格子の鍵を開けそうになっていた自分に戦慄を覚えたが、それ以外はいつも女性に蔑まれていた小男にとっては楽しい時間だった。
蠱惑的な声音と独特な言葉のリズムが催眠のように小男を恍惚とさせて、この世の中で自分ほど価値のある男は実はいないのではないか、と錯覚してしまうほど幸せな時間を、彼女は与えてくれていた。
けれど、それもひと月経ち、ふた月経つと部屋の不潔さが増すのと反比例して彼女の魅力的な唇から洩れる音は少なくなっていった。
いまではもう、言葉は話さず、発する音は唸り声だけになった。
あとはひたすら抗議を示した、鎖を鳴らす激しい音だけ。
小男は仕方のないことだと諦めながらも、彼女と話した輝くばかりの時間を懐かしんだ。
できればもう一度、彼女と話してみたい、そして自分もほかの人たちのような素晴らしい人なのだと意識したい、と願うが、主の、階段を下りてくる足音を聞くだけで、今生きている人生すら諦めてしまっていた。
心の中では美しかった彼女を想い、慰め、慈しみ、求めているのに。
情けない…
でもそれが僕なんだ……
そう結論付けて、そっとため息を漏らした。




