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35 逸朗、熱を出す

俺が気を失ったのは束の間だったようだ。

気付いたときには自分の部屋のベッドで寝ていた。ご丁寧にガウンを着せられて。

すぐそばには困ったような表情をしたヘンリーがいた。

目を開けたことにホッとしたように笑って


「無事でよかった」


とだけ呟いた。


「逸朗さんは…?」


掠れた声で聞けば、眉を下げたままヘンリーが首を振った。


「熱が出て、寝たままだ。ゴードンがそばにいるが、かなり怒ってる」


大事な坊ちゃんだもんねえ、と思いながらあとでどれほどの嫌味を言われるのか、仕方ないから覚悟する。


「それってやっぱり俺の血のせい?」


「だろうな、ヴァンパイアは病気しないはずだから、原因があるならそれしか考えられないだろ。俺だってヴァンパイアになってから熱なんて出たことないもんなぁ」


「大丈夫、かな?」


「わからん。ただ、戻ってきたら、きっとウィルは俺らとは違うヴァンパイアになってるんだと、覚悟はしてる」


少し切なそうに、そしてどこか誇らしげにヘンリーは言った。

そこに羨望が混じる気がした俺は、もしかしてヘンリーも逸朗と同じヴァンパイアに成ってみたいのかと一瞬間考えた。


「ヘンリーさんも、俺の血、飲みたい?」


俺の言葉を咀嚼するように時間を掛けて聞いた後、ヘンリーは嫌悪もあらわに強く否定した。


「あり得ない。そしてそんなことは二度とヴァンパイアに言ってはならない。もう大輔はウィルのものだ、だれも侵すことはできない」


珍しくきつい物言いに俺が驚いていると、苦笑を漏らしながら


「それから、ヘンリー、でいい。さんは付けるな。もう俺は大輔の騎士でもある」


とだけ告げて、部屋から出て行った。





窓もカーテンも開けられたウィルの部屋。

籠っていた空気を換気して、甘ったるい匂いが幾分か薄れている。


ベッドサイドに珍しく不安そうにしたゴードンが、気忙し気にウィルの様子を伺っていた。

部屋に入っていった俺に視線を向けることすらしない。


「ウィルの様子は変わりないか?」


「大輔さまのご様子はいかがでしたか?ヘンリー」


質問に質問で返す、いつものゴードンの癖。

それは答えたくないことがあるときに限る。


「起きたよ、とくに問題はなさそうだ。俺にまで血を飲ませようとしやがったくらいだから、まったく自分の価値ってのを知らないらしい」


思い出して、俺はくつくつと笑った。

無邪気にもほどがある、と。


それを聞いたゴードンはやはりあからさまな侮蔑を示して


「まったく大輔さまには困ったものです。今現在のご自分の価値を理解していただかなければ坊ちゃんに迷惑が掛かります。いまですらこの状況で、忌々しい思いをしておりますのに!」


額の上においてあったタオルを取り上げ、冷やしてからまたのせる。

ほんのりと熱で頬が赤い。ウィルのこんな顔を見るのははじめてで、妙に色っぽい男だな、と不謹慎な感想が胸に浮かんだ。

ひんやりとした空気が肌を撫でたので、いい加減、換気もできただろう、と俺は窓を閉めた。窓の外はゆっくりと陽の上る気配がして、夜中に降った雨の名残をそこここに残していた。

ロンドンの夏はよく雨が降る。

夜に降り、朝には晴れる。

どうやらいつもと同じように朝が来るのだろう。


ふと、向かい側の部屋で音がした。

小百合が起きたのだろう、軽やかな足音がして、ノックが響く。


「坊ちゃまは面会謝絶でございます」


ドアを開ける素振りもなくゴードンが告げたので、俺は苦笑を漏らしつつ廊下へ出た。


「ヘンリー、どうなの?」


伺うような瞳の動きに、ウィルの体調を心配しているのではないことがわかり、俺は背筋を伸ばし、小百合に対峙した。


「見た目の変化はない。いまは熱が出て意識もない。体内の急激な変化に耐えられるかどうか、その瀬戸際ではないかと思ってる」


「そう、じゃ、やっぱり、大輔は守られるべき対象なわけね」


「大輔さま、だ」


若い人狼を取り戻した対価として己の身をウィルへ捧げた小百合はすでに騎士だ。

ウィルの騎士であるならば、その伴侶はもっとも敬うべき対象でもある。

呼び捨てをすべき礼儀はない。


「そうだったわ、大輔、さまよね。ごめんなさい」


失言を詫び、口元を軽く覆いながらくすりと笑った。

どうせ俺が礼儀うんぬんを口にすることを面白がっているのだろう。それがわかるから、ムッとした表情を隠さない。


「日本で交渉してるときから、わかってたんだろ、どうせ」


「そうね、ウィルさまが交渉に応じなくても、無用な諍いを起こさないためにも私は彼を保護したと思うわ」


さま、を強調しながら言った小百合は不敵な笑みをふいに漏らして


「もしくは私が頂いて、殺したわ」


と囁いた。

決してウィルに聞かれてはならないセリフをこうまで平然と口にする小百合に、俺は戦慄を覚えながらも、なんていい女なんだと、狼に軽く嫉妬した。


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