33 大輔、誘惑する
逸朗の書斎に通された俺は勧められるままに、彼の向かい側の椅子に座った。
ゴードンが素早くコーヒーを用意して、テーブルの上に置いていく。
その間、だれも言葉を発さなかった。重苦しい空気がぴんと書斎に張り詰めている。
ゴードンがワゴンを押して去っていくのを確認してから、逸朗は悩まし気にため息をついた。それはとても長いため息で、嫌でも俺は緊張を強いられた。
「どのくらいのヴァンパイアが気付いたのか、私しか気付いてないのか、わからなかったから様子を見ていたんだが、あの調子だとヘンリーも気付いていたようだし…」
呟いて、コーヒーを一口含んだ。
「大輔、私はお前を大事にしたい、嫌われたくない、と伴侶とするのを大輔の気持ちがしっかり固まるまで待つ気でいた。いまだって出来るならそうしたい。こんなことで流されるように伴侶にしたいとは思っていない」
「うん、ありがとう」
「大輔は特別なんだ。私にとって、という意味でなく、ヴァンパイアにとって、貴重な存在なんだと私は思っている」
「?」
「私が大輔にこれほどまで執着するのはもちろんかつての伴侶の魂をみたからだといえる。だが、どうもそれだけではないような気がしていた。今の世を生きている限り、戦などの特別に能力を最大限に使わなくてはならない事態に合うことはないので、いままであまり血を求めることはなかった」
切々と語る瞳は不安を抱えていた。その不安がどこからくるのか、なんとなくわかった気がした。おそらく今から語られることによって俺が彼を嫌うのではないか、と懸念しているのだろう。そんなことはない、となにがあっても俺の中にあるこの気持ちが変わることはない、と逸朗に理解してほしくて、しっかりと見つめて頷いてみせた。
「けれど大輔は違うんだ。大輔を求めるのとは違う欲求で私は大輔の血が欲しい。それは愛してるから、束縛したいからだと思い込もうとしていたが…」
両手で顔を覆う逸朗の肩が大きく震えていた。
「そうじゃなかった、完全にヴァンパイアとしての本能だ」
しばらく嗚咽が漏れた。
そばに駆け寄って抱きしめたいのを必死で我慢する。
「今回のことでわかった。大輔の血は特別だ。おそらくその血を飲むことでヴァンパイアとしてひとつ進化したものになれる、ものでは、ないか、と」
「進化?」
「ヴァンパイアに残された言い伝えがある。聖女の如き血を得ればすべての頂に上ることができるだろう、というものだ。だれもそんなものがあるとは思ってもいなかったし、実際そのような血と巡り合ったものもいないくらい、古い古い話で、私も知ってはいても信じたことなどなかった」
自嘲気味に笑う。
「べつに頂に立ちたいとも思ってないから、求める気もなかったが」
そして顔を上げて、しっかりと俺に視線を合わせた。その瞳には断固とした守護の感情が表れていた。
「私は出会い、手に入れようとしているのだと思う。聖女の如き血を」
「……俺?」
「おそらく。そしてその匂いをエックハルト・アイスラーは嗅ぎ取ったのだろう」
「俺が聖女?」
「聖女というのではない。あくまでそう言い伝えられているだけで、ヴァンパイアウイルスをより強化する特別な血、ということだろう」
エックハルト・アイスラーという男に掴まれた手首に目を落とす。
そこに流れている青い血脈に、別段変わったところなど、見出せるはずものないのに。
「ヘンリーもおそらくそれに気付いていたのだろう。ああ見えてあれはなかなか忠義のもの、己も欲する気持ちがあるからこそ、伴侶とするように何度も忠告していたのだ。ヴァンパイアの伴侶には他のヴァンパイアは手出しできない、それが絶対的ルールとしてある。犯せば刑罰だ。だからこそ伴侶にしておく必要性をヘンリーは訴えていたが、私としてはその危険を犯してでも大輔の血を飲むことを選択するものも出てくると思う。理から抜きんでたものになるのであれば、ヴァンパイアの掟など怖くもないだろう。だからといって大輔を伴侶にしない理由もない。おそらく私の匂いがあれば、おおよそのヴァンパイアを遠ざけておくことはできる…が……」
俺が逸朗の伴侶となれば、なっていない場合よりも安全が確保される、ということなのか。
俺を手に入れる僥倖と逸朗を相手にする危険、それはセットなのだから。
運よく俺が手に入ればよし、入る前に逸朗を相手に戦うことになれば、おそらくそれは死を意味する。
勝てる見込みがなければ、危険を冒すこともないだろう。
「だったら逸朗さんが俺の血を飲めばいいじゃん。そしたら進化して、しかも伴侶にもできるんでしょ?なにを躊躇うの?」
一番の解決法だろう。
俺はもう逸朗以外を想うつもりはない。
どうせヴァンパイアに狙われて、血を飲まれるくらいなら喜んで彼に捧げる。彼以外に捧げたくはない。まぁ、強化目的でヘンリーとゴードンとダンカンには飲んでもらってもいいけど、なんてちょっと危ないことも考えてみる。
黙った逸朗を不審に思い、考え事から現実へと戻った俺は視線を上げた。
目を見開きすぎて目玉が落ちそうな顔をした逸朗が固まっていた。
「え、どしたの?」
「いや、大輔、それは、つまり、伴侶に……?」
言い淀む彼に、俺はにっこりと微笑んだ。
「俺は構わないよ。いますぐ、でも全然。もう覚悟はしてたもん」
いやいやするように頭を振った逸朗は、大きく息を吐いて肩を落とした。
そして悲しそうに俺をねめつける。
「私はね、大輔。ちゃんとした場所と時と心構えで迎えたかったんだ。ロマンティックにね。なのに、こんな強制的な状況で伴侶にするのは……哀しい」
俺は笑った。
大きな声を上げて笑った。
乙女じゃあるまい、こんなもんは勢いでいかないと。
いつまでたってもタイミングなんて来ない。
「俺は男だよ、逸朗さん。女の子と違ってそんなシチュエーションなんて気にしない。ほしいものはほしい、俺はいまがいい。しかも逸朗さんじゃなきゃ嫌だ。大事にするっていうなら、俺をいますぐ伴侶にして、ほかのヴァンパイアから守ってくれればいい」
立ち上がり、やっと彼の横に座れた。
そしていつもしてもらうように彼の腰を抱きしめた。
「だから、俺を、いますぐ、抱いて」
逸朗の身体から炎が燃え上がるのを見た気がした。




