26 逸朗、狼と話す
逸朗はすやすやと穏やかな寝息を漏らし始めた大輔を眺めながら、もう少しそばにいたい気持ちを抑えて部屋をあとにした。
足音をほとんど立てることなく階下へと降りてから、ゴードンを呼び、運転手であるダンカンを大輔の部屋の前で警護させるように伝えた。
ダンカンは今回のイギリスだけでなく、日本に帰国後も大輔の護衛としてそばにつけておく予定の男だった。
ヴァンパイアとしてはまだ年若いが、逸朗に忠実なことと、なにより逸朗にとってかなり大きな利点があった。大輔を任せるに足るだけの実力と、絶対に間違いを犯さないだろうと思われる性格を持ち合わせているのだ。
つまり極度の女好きなのである。
ゴードンから言われて、面倒そうに3階へ向かっていくダンカンの背中を見やってから、逸朗はヘンリーの前に立つ。
ヘンリーはにたにたした笑顔をひっこめてから、立ち上がり、逸朗が座るのを待った。
それを満足げに見て、おもむろに逸朗は椅子へと座って、ヘンリーに座るように促す。
ヘンリーが座ると今度は、小百合が立ち上がった。スカートの裾をつまんで、華麗な礼をしてから、また同じ椅子に座る。狼はそれを興味深そうにただ眺めていた。
「では忌憚なく話し合おう」
逸朗の言葉を受けて、狼が鷹揚に頷いた。
「ほとんどのことは知っているかと思っているけどね、いま人狼は種の存続が危ぶまれている状態でね」
狼がテーブルに肘をつき、組んだ両手の上に顎を乗せて、にっこりと笑った。
「原因はわからないんだけど、とにかく子供ができない。できても死産、もしくは1年を超えられるほどには生きられないんだ。血が濃くなりすぎたのかもしれないから、と他部族のものと交配してもダメだった。私の子たちは生まれ育っているけれど、これからはそれもないだろ?」
言って小百合と視線を交わす。
ねっとりと熱い視線に、逸朗もヘンリーも言わんとしていることを理解する。
小百合が伴侶を得た、その相手は狼だと。
人狼に一夫一妻の認識はない。
番の認識もない。
発情期に気に入ったもの同士で交尾する。
いつも同じ相手であるものもいれば常に違う相手を選ぶ場合もある。
けれど狼は小百合に選ばれてしまった。
もうほかのメスとの交尾はない。
すれば小百合が相手を殺して歩く悲劇が起きるだけだ。
そしてヴァンパイアは子を成さない。
「古い血は子孫を残す力があるみたいだけど、若い子たちはどうも難しいようでね。ほとほと困っていたところに、どうやら魔術師がその問題を解決するという甘言があったらしいんだ」
小百合が狼の長く伸びた髪に指を這わせている。
それに合わせて狼の耳がぴくぴくと動いていた。
「返してもらった子の背中のここにね」
狼が小百合の左右の肩甲骨の間を指さす。
「小さなタトゥーがあって、よく見ると魔法陣だったんだよね」
「それがなにか、わかるか?」
気色ばんだ逸朗が低く問う。
「いや、わからない。魔術師に聞くのもちょっと、ね。君が荒らした山小屋に置き去りにされていた遺体の背中も確認したんだけど、その子たちにもあったんだよ」
笑顔のままちらりと狼がヘンリーをねめつけながら発した絶妙な嫌味を散らした言葉をヴァンパイアはするりと聞き流す。
「それで、どんなやつだったか、写真とかないのか?」
「ないよ。だって私は魔術師に喧嘩を売るつもりはないもの」
ふふふ、と目を細めて小さく笑う狼に合わせるように小百合も微笑んだ。
「ヴァンパイアとしてもまだ魔術会と事を構える気はないでしょ?ウィル」
言われて逸朗は頷いた。
「今はまだ、時期尚早すぎると考えている。ただ、それがどのようなものか、くらいは予想していたりするんじゃないのか?」
狼をねめつけた逸朗はゴードンが用意したコーヒーを一口すすった。
「鋭いね、私の中ではこうかな、っていうのはあるんだ」
のせていた顎をあげて、顔の前で両手を合わせた狼は無表情に逸朗を見つめた。
「たぶん、たぶんだけど、あれはむりやり発情期を誘発するものじゃないかと思う。でもそれが同種間の交尾ではなく、異種族への攻撃になったのかなって、私は思っているんだ」
「それが果たして狙ったものなのか、偶発的なものなのか…」
「その判別は難しいよね、私たちには魔法陣を解析する術がないもの」
にこやかに言い放った狼をヘンリーは嫌そうに睨みつけた。
まるで他人事のような言い方に腹が立ったのだ。
「それだとして、魔術師にそんなことをする意味はあるのかよ?」
強い語気で言ったヘンリーに狼がにっこりと笑ってみせた。
「それがね、一番の謎だよね、って小百合とも話してるんだ」
基本、ヴァンパイアも人狼も魔術師もお互いに関わらないように生きている。
生活範囲がしっかりと別れている、というべきか、テリトリーがはっきりしているというべきか、それぞれの場所でそれぞれの生き方を貫いて生活をしている。
干渉のない関係性でありながら、人に紛れて暮らしているもの同士の情報交換と人ならざるものが混ざって暮らしていることがバレないためのルールを厳守するために、定期的なトップ会談は実施しているが…それ以外での接触はほぼない、と言える。
小百合のように伴侶に人狼を選んだり、逸朗のように人を選んだりはする程度の個人での付き合いはかろうじてあっても、種族としての付き合いはほぼないのだ。
人狼と魔術師が組んでヴァンパイア殲滅を狙う、とか、ヴァンパイアが人狼を滅ぼすために立ち上がる、とか魔術師がヴァンパイアと徒党を組んで何かをなす、などの事態は未だかつて起きたことはない。
だが、ここにきて魔術師が人狼、ヴァンパイアの両種に干渉してきている。
これがなにを示すのか、それだけがいまだにわからないままだった。
「ゴードン!」
「お呼びでしょうか?」
「アルバートのほうは無理かもしれないが、ソフィアのほうはフランスにいるのだったな?」
「さようでございます」
恭しく一礼をしたまま、ゴードンはちらりと逸朗を見た。
「ではその体を検めてくれ」
「ですが、ヴァンパイアにタトゥーは…」
「深く彫ればひと月はもつぜ、特殊なインクだったらな、かなり痛いけど」
ゴードンが言い淀んだ先を見越してヘンリーが言った。
ヴァンパイアに施すタトゥーのインクには、ヴァンパイアの血を薄く混ぜて使う。
それによって傷として残るのだが、それもひと月が限界だった。
再生能力の高さゆえの弊害である。
現にヘンリーの人魚のタトゥーもすでに消えて、今は翼を広げた女神像のものに変わっている。
ソフィアを幽閉してからすでに3か月が経とうとしている。残っていると考えるほうが無理があるのだが、それでも調べておくべきだろう。なにせ魔術師が施した特別製だろうから。
ヘンリーの言葉を受けて、逸朗が頷いた。
「まだ残っている可能性もあるかもしれない。すぐに調べるよう手配してくれ」
告げられた命令にゴードンが素早く動いた。




