25 逸朗が笑う?
3階は広々とした廊下が真ん中を貫くようにあって、その壁にはどうみてもモネの作品ではないか、と思われる額がいくつか飾られていた。
廊下に面するように左右それぞれにドアは2つずつ並んでいる。
手前の部屋を指して、小百合のだ、と逸朗が教えてくれた。
その横の部屋はヘンリーで、小百合の部屋の向かい側が逸朗、その隣が俺の部屋だということだ。ゴードンは執事室に、運転手は使用人部屋に、それぞれ居室があるらしいが、それはこの階ではないそうだ。
用があれば、部屋のベルを鳴らすといい、と言いながらも逸朗はその前に私の名を呼べばすぐに行くから、と囁いた。ヴァンパイアは嗅覚だけでなく聴覚も鋭いらしい。
実験室を中心としたラボは4階だそうで、それはチームメンバーがそろってから案内してもらうことになった。
「疲れただろう、休むといい」
その言葉をきっかけに俺は自分の部屋へと入っていった。
俺の部屋は、というか、おそらくどの部屋もそうなのだろうが、実にシンプルな作りだった。
大きめのクローゼットがあって、ベッドがあって、デスクがあって、お風呂がある。
荷物はすでに整理されており、部屋着がベッドの上に準備されていた。
ごくシンプルだが、それぞれの家具そのものは高級感が漂い、いかにも古き良きアンティークな雰囲気で、少しだけ使うのに躊躇ってしまう。
「マホガニーかな、これ」
デスクに指を這わせてみた俺はその滑らかさと重厚さにほぅ、とため息をついた。
休めと言われても、なんだか胸のあたりがもやもやして眠る気にもならなかったので、ひとまず用意されていたTシャツとジーンズに着替えることにした。
小百合と狼の様子を思い返して、ふたりは付き合っているのだろうか、とふと思った。
顔を寄せ合い、楽し気に話して、ふざけるように触れ合って。
いかにも甘い雰囲気に、そういえば小百合の部屋はあったのに狼の部屋はなかったな、と思い至る。きっと同じ部屋で過ごすんだろう、と思ったら、急に胸が苦しくなった。
そしてそう感じた自分に少なからず驚愕する。
小百合と狼が付き合っていることにショックを受けたのではなく、逸朗が俺と同じ部屋で過ごす選択をしなかったことに傷付いたからだ。
ちゃんと気持ちを伝えて、夜だって一緒に過ごすようになったのに、ここに来てまさかの別部屋だなんて……
逸朗の気持ちを疑うことはない。
異常なまでの執着も理解している。
伴侶として誰にも触れさせたくないことすら痛いくらい感じている。
俺だって好きだって伝えた。
愛情表現だって、自分にできる範囲では頑張っているつもりだ。
だったらなぜ部屋を別にするのだろう?
ゴードンは別にしても、ヘンリーだって小百合だって、狼ですら俺のことを伴侶として扱うのに、部屋は違う。
逸朗さんは寂しくないのかな?
ここまで俺を連れて来たのに?
「逸朗さん…」
唇から思わず漏れた呟きが消えるかどうかの速さでドアが開き、ひょっこりと逸朗の顔が覗いた
「呼んだか?」
俺はびっくりして、ベッドの上で固まった。
無意識のうちに呟いていたから、まさか漏れているとも思わなかったし、それを聞き届けて来てくれるとも思っていなかった。
「どうした?足りないものでもあるのか?ゴードンを呼ぶか?」
首を傾げながら怪訝そうに部屋へと入ってきて、心配した顔で逸朗は俺の隣に腰かけた。
すぐにその大きな手が俺の腰へとまわされる。引き寄せられると同時に頭に唇を寄せてきた。髪の中に顔を埋めるようにキスをしてから大きく息を吸う逸朗に、俺はものすごく安堵した。
「なんでもない、ちょっと寂しくなっただけ」
「日本に帰りたくなったか?」
「違う」
「…?」
困ったような顔をしている逸朗に向き合うように上半身を捻って抱き着くと、俺はキスをした。
「逸朗さんがいなくて、寂しかったんだ」
唇を離して拗ねたように呟けば、彼は驚いたように瞳を見開き、すぐに大きく笑った。
それは出会ってからはじめてというくらいの笑顔で、声を立てて笑ったんだ。
低いながらも快活な笑い声。
こんな笑い方、できるんだ……
いつもいつも口元で微笑むような笑顔しかしなかった逸朗が声を上げて笑った。
短い笑いだったけれど、それでもあはは、と笑ったんだ。
階段からどたどたと重そうな足音が響き、すぐにノックもなくドアが開けられた。
驚きに目をまん丸くしたヘンリーが立っていた。
「いまの、ウィルか?ウィルのか?」
その声を耳にするなり、逸朗の顔から笑顔が消え失せた。
笑っていたことが幻だったのでは、と自分を疑いたくなるほど、痕跡もなく消えた。
「おまえはノックというものを知らないのか?」
不機嫌そうにヘンリーをねめつけて、立ち上がるとドアを閉めようとしたが、
「坊ちゃん?坊ちゃんでしょうか、今、笑い声がいたしましたが?ヘンリー、そこをどきなさい」
今度はひょっこりとゴードンが顔をみせた。
すぐに軽やかな衣擦れの音がして
「今のってウィルなの?」
「え?ウィリアムって笑うのか?」
小百合と狼までドアから顔を出した。
俺は可笑しくって腹を抱えて体を震わせながらも、声を出さずに笑ってしまった。
逸朗は不機嫌を隠すことなく、ドアを閉めようと腕に力を入れたが、ヘンリーの厚い筋肉には勝てないのか、一向にドアは閉まらず、面白いものでも見るかのようにみんなが覗いていた。唯一、ゴードンだけは口元に笑みを張り付けたままの無表情だったけれど。
「なんだ、私が笑うのが可笑しいか?」
憮然としながらも、ほんの少しだけ拗ねたような色合いの声音に、俺はさらに笑いが止まらなくなる。それに対しての不満をぶつけるように逸朗は俺を振り返ってから、諦めたようにドアを開けたままベッドまで戻ってきた。
「坊ちゃんの笑い声など、いつぶりでしょうか?」
「え、俺、はじめて聞いたぞ」
「私も嘘っぽい笑顔しか知らないわ」
「あれは笑顔って言わないよ、小百合」
ふふふ、と優しく微笑みながら、なかなか辛らつに狼が言った。
逸朗は一瞬にして全員を睨みつける。
「とにかく全員、出ていってくれ、大輔と話があるんだ!」
珍しく声を荒げて言う逸朗をにたにたと笑いながら見ていたヘンリーが
「お、やっと伴侶にするのか?」
と揶揄い、その言葉で俺の顔が真っ赤に染まった。
俯いた俺をねめつけながらも、ゴードンが全員を促して、やっと部屋に静寂が戻った。
「それで大輔…」
ん、ん、と空咳をしてから俺を見る。潤んだ瞳が期待に満ちて、きらきらと光を放つようだった。なんて綺麗なんだろう、と思う。
「その、寂しいってのは…つまり……」
「部屋が別なのはいいんだよ、お互いのプライベート空間ってのは必要だろうし、逸朗さんだって仕事があるだろうしね。俺が邪魔な時だってあると思うんだけど、でもさ、やっぱり別の部屋に最初から案内されるとさ、寂しくない?俺、一緒の部屋で寝るって思ってたからさ、なんか、拒否された気分で、ショックだったんだ」
「そんなこと、ない。大輔がいいというなら、私は部屋だって一緒でもいいんだ」
「部屋は別でいいよ、知りたくないこともきっとあるから、でもさ、休む時くらい、一緒のベッドでもよくない?」
「いいのか?休むのに私がいて休めるのか?」
しごく真面目な顔で聞かれて、俺はふと考えた。
「確かに、逸朗さんがいると休めないね……」
話したり、キスしたり、すぐにふたりの世界を作って遊んでしまう。
休む前にたっぷりの時間をお互いの気持ちを確かめるために使ってからでないと、眠ることすらできないことに思い至った。
「逸朗さんが俺を休ませてくれたら、いいじゃん!」
拗ねた俺を愛おしそうに抱きしめると、逸朗はそっと俺をベッドに押し倒した。
そしてゆっくりと髪を漉く。
冷たい指がふわふわと当たる感覚が気持ちよくて、目を細めて俺は笑った。
「よし、わかった。寝かせてやるからゆっくり休め。大輔が眠るまでそばにいる」
いつものように小さく微笑んで、逸朗は俺の額にキスを落とした。
やっと安心できて、俺はすぐに眠りについた。




