2-17 バージルとの直接対決
騎士に護られ、ミーナをエスコートして庭園に大輔が来たときには、周囲に辛うじて生きているだけのヴァンパイアが傷に呻きながら、そこここで座り込んでいた。
まだ無傷とまではいかないが、戦闘態勢を取ってバージルを囲んでいるものたちがおよそ20くらいか。
アランも逸朗も出血の名残を衣服や肌に残してはいるが、無傷でバージルに対峙していた。
ヘンリーは傷の治りが遅いのか、彼らを護るつもりはあるがすでに身動きが取れない様子で片膝を付いている。
その中心にいるバージルは涼やかな目元を僅かに緩めて、恍惚と唇を軽く開いて、ただ立っていた。
生成りのパジャマには血の染みひとつ、裂け目ひとつない。
「こりゃ凄いっすね」
軽い口調のダンカンの顎は裏腹に強張っている。緊張が彼の全身から迸るように周囲の空気をぴりぴりと震わせていた。
倒れているヴァンパイアたちに大輔は声をかけてまわる。人の血が必要なものだけをジョシュアに頼んで屋敷のキッチンに運んでもらうことにした。そこなら人の血液ストックがあるはずだと大輔は思ったので、ヘンリーを支えたダンカンにも向かうように指示を出した。代わりに動けそうなものたちには回復するまで己とミーナを護るように厳命した。
大輔を護る名目があれば、再度眼前で繰り広げられている闘いに身を投じることもないだろう、と考えて。
何人でまとめてかかっても、バージルは腕を一薙ぎするだけで手足が千切れかけるほどの斬擊を放つ。彼の黒い爪は人差し指と中指だけが異常に長くなっていて、それが剣のように鋭く斬れるのだ。
「なんだ、ヴァンパイアだから愉しみにしていたのに、先日の魔術師のほうがずっと愉しませてくれたね」
興味を失ったようにバージルは呟いて、ふわりとその姿が消えた。
消えたようにみえた。
次の瞬間、逸朗の横にいた騎士の首が飛んだ。
遠巻きに見ていた大輔すら、なにが起きたのか、瞬時には理解できなかった。
バージルが一歩右足を踏み出したのだけは見えたが、そのあとどう動いたのか、まったく見えなかった。そして狼狽しているうちにヴァンパイアの首が撥ねられたのだ。
どさり、と耳に痛い音を立てて騎士は倒れた。
大輔は顔を背けたいのに、それができずに苦悶した。見ていなくては、邪魔にならないためにも己の身だけは護らなくては、己のことで迷惑を掛けるわけにはいかない。
大輔は凝視した。
そして合気道の師匠のことが唐突に頭に浮かんだ。
「いいですか、結城さん。合気道は氣を視るんですよ。型も大事ですが、基本は氣です。太極拳が天地の氣を感じ取るのと同じで、相手の氣を視るのです。いくら強い相手でも、いえ、強ければ強いだけ氣を多く発していますからね、よく視えるはずです」
氣。
氣を感じ取ればスピードは関係ない。
反射で受けて、反動で返す。
円。
なによりも完璧なのは円。
力を貯め、力を放つ。
それを意識した瞬間、大輔は辺りの気配が光を纏うように感じ取れた気がした。
草木から淡く立ち上る光。
周囲の建物からも、落ちている石からも、己の身体からも、山から雲が沸き立つように、光を纏っていた。
驚嘆しているはずなのに、大輔は冷静だった。
そのつもりで横に立つミーナをみれば、彼女のなかを流れる艶やかな黒の糸の束が視える。
周囲を見渡せば、首を失ったヴァンパイア以外は強弱あれど同じものがある。
大輔は興奮に胸が粟立つ気持ちを抑え込み、バージルを探した。
見付けた!と思ったときには叫んでいた。
「アラン!右!」
大輔の叫びに反射的に屈んで避けたアランの頭上を鋭い爪が薙いでいった。斬られた彼の金髪がぱらぱらと風に舞って、昇りはじめた太陽に当たって煌めいた。
それは禍々しいほどの太い黒糸束を四方に発散させた尋常ではないエネルギーの塊だった。
しかし、大輔は彼の動きが追えた。
すでに大輔の眼にはエネルギーにしか視えていない。だからこそスピードは関係なかった。
闘える。
大輔はこの状況になってはじめて希望を胸に微笑んだ。
一歩、踏み出す。
戻ってきたダンカンが腕を取ろうとするが、主はそれをするりと抜けた。同じようにジョシュアも彼を止めようとしたが、やはりふわりと躱される。
ミーナは止めなかった。
男が決意に瞳を燃やしているときに邪魔をするほど野暮な女ではない。
大輔など歯牙にもかけないバージルは逸朗に向かっていく。それを感じた大輔は駆け出して、伴侶の前に立ち塞がった。
「大輔!」
叫ぶ逸朗を背後に庇い、彼は襲いかかってきた悪魔の腕を円を描くように受けると、くるりと返した。それだけなのに、バージルは派手に回転し、庭園の隅まで飛ばされた。
「お願い、下がってて。あれに対抗できるの、たぶん、俺だけだから」
「なにを言ってる!おまえこそ、早く逃げろ!」
逸朗が彼の肩に手を掛けて、下がらせようとしたが、不思議なことに逸朗の手が空を掻いた。
飛ばされたバージルが己になにが起きたのか、理解できないように首を傾げたが、それをなしたのが大輔だとわかると、眼が弧を描いた。
しかしエネルギーでしか視えていない大輔はその不気味な笑顔はわからない。
恐怖を感じることもなく、立ち上がってきた悪魔に対峙する。
アランがそんな大輔の様子を見て、逸朗を抱えてミーナのところまで下がった。
逸朗が暴れるので、アランはよく見ろ!と怒鳴った。
「大輔をよく見てみろ、あれはまさにいま、全神経を集中させて闘ってるんだ!俺たちが邪魔をしてどうする!」
逸朗が抱えられたまま、愛しの伴侶を凝視した。いつものやんわりとした雰囲気はない。
彼を纏うのはただひたすら静寂な空気だった。
なにものも侵せない、静謐なもの。
バージルが相変わらず重力のない動きで大輔に迫る。右手で大輔を薙ぐが、彼は円を描いて足を捌き、流すように爪を避けると、バージルの肩の付け根に掌底を当てた。
弾かれたように回転し、バージルは背中から地に叩きつけられた。
しかし痛みなど感じてないようにゆらりと立つと、すぐにバージルは地を蹴った。
頭上から太い糸束が降ってくるのがわかった大輔はするりと身を翻して躱すと、落ちてきた脚を腕で受け流そうとした。が、右側頭部に爪を感じた。これは避けられない、と察して、大輔は致命傷だけは受けないように無理な態勢で躱した。
頬に焼け付くような痛みが走ったが、すでに次の攻撃が脇腹を狙ってきたのが感じられ、これも掌で受け流すしかできなかった。
少しずつだが、糸束の攻撃のスピードが上がってきている。
考えて動くな、反射と反動だ。
己に言い聞かせ、大輔は糸束を視ても追うのはやめた。
躱せない攻撃が増えつつあるが、皮膚の表面を切り裂く程度になんとか留め、大輔は攻撃のタイミングを謀っていた。
受け流しながら攻撃できればいいのに、それだけの時間を与えては貰えない。
大輔はさらに深く潜るようにバージルのエネルギーを視始めた。
どうやっているのか、少ない動きで、ヴァンパイアの眼でさえ追えないバージルの攻撃を辛うじて避け、攻撃の隙を狙っている伴侶を凝視しながら逸朗は情けなくて悔しかった。
護るのは己のはずで、闘うのも己だ。
なのに大輔の背後に庇われるようにして、指を咥えて眺めているだけとは。
なんと無力なことか、と唇を噛んだ。
「いつも大輔はこんな気持ちだったのかもな」
ぽつりとアランが洩らした言葉が逸朗の身体を電気が走ったように刺激した。
一族の一員として役に立ちたい、護られてばかりなのは嫌だ、と訴えていた伴侶をやっと慮ることができた。
歯噛みして、拳をきつく握り、なにかしてやりたくてもなにもできない歯痒さ。
表に立って闘う方がどれほどストレスが少ないか。護られるだけがこれほどの苛立ちを覚えるとは逸朗は知らなかった。
「そうか、私はこんなに辛いことを大輔に課してしまっていたのだな」
逸朗は項垂れる。
どうして大輔が庇護から逃げるようなことをするのか、理解できなかった。
おとなしく己の腕のなかで幸せを享受すればいいじゃないか、と。
できるわけがない。
愛するものを護りたいのは己も伴侶も同じなのだ。
見遣れば大輔はバージルの攻撃をうまく転じて、彼を後ろに投げたところだった。その隙に大輔がポケットからスタンプを出したのがわかり、ジョシュアはとうとう拘束するつもりか、と身構えた。
しかしそれほど簡単には隙をみせないバージルに大輔は焦れたように舌打ちをした。彼の攻撃を止めなければ、隙を作るのは無理だ。こちらが攻撃をしても、あれはすぐに立ち直り、さらに強烈な攻撃を繰り出してくる。
どうすれば止まる?
なにをすれば止められる?
躱しながら、大輔は求める攻撃を待った。
薙ぐのはダメだ。
蹴りもダメ。
少しずつ切り刻まれながら、大輔はやっと己が求めた攻撃が来たのがわかって、狂喜した。
受ける勇気を身体いっぱいに満たして、彼は己の肩を貫く爪を受け入れた。
背後で逸朗の悲鳴がしたが、大輔には聞こえない。左肩を貫かれた大輔は己を貫く鋭い爪を右手で掴んだ。
やっと止められた。
ホッとしたのもつかの間、なんとか悪魔にスタンプを捺したいが、爪が長すぎて彼には届かない。
どうすれば、どうしたら…
思考がフル回転する大輔に、伴侶が傷付けられたことに耐えられない逸朗が傍に駆け寄ろうと飛び出してきたのが、大輔にわかった。
「来ないで!逸朗、邪魔するな!」
逸朗を押し止めようと、大輔は叫んだ。
力が入って、爪が食い込んだ箇所に激痛が走る。
思わず顔を顰めた。
バージルが爪を引き抜こうとしたが、大輔がそれをさせない。ふたりは膠着した。
出血で、大輔の周囲に甘い薫りが漂いはじめる。
それと同時に意識も揺らぐ。
どうしたら、どうしたら、あれにこれを捺せるんだ?
瞳が虚ろになっていく伴侶の様子に堪らず逸朗が叫んだ。
「大輔!」
悲痛に満ちた声。
大輔の左手がぱたりと地に落ちて、スタンプが転がった。
力が抜けていくのがわかる。
逸朗が己の傍に来ようと踠いているのもわかる。
アランがそれを止めているのも。
右手はまだ悪魔の爪を掴まえている。
大輔は逸朗を止めるために、最後の力を振り絞るように叫んだ。
「ウィリアム・ピーター・ヴァンヘイデン!」
大輔の左手が淡く光を纏った。




