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2-16 ギヨムの屋敷制圧

血だらけになって壁を突き破って飛んできた逸朗に悲鳴を上げながら駆け寄ろうとした大輔を止めたのは、他でもない、逸朗本人だった。


「大輔、来るな!私なら平気だ、すぐに治る!」


その言葉通り、逸朗の怪我はみるみる修復されていくが、流れた血はそのままなので、彼の姿は凄絶だった。


拘束されているギヨムを蹴るようにしてベッドから降りると、逸朗は臨戦態勢をとる。

その横に並ぶようにアランも構え、ミーナは大輔を庇うように立ち塞がった。ふわりと鼻を刺激する妙に甘いスパイシーな香りを感じて、アランは肌がビリビリするような緊張を強いられた。


バージルだ!


強烈に確信して、アランが大輔とミーナを護るようにさらに大きく膨らんだ。

それを感じて、護られなくもいいように訓練したはずの己がこの期に及んで足手まといになっている感覚に襲われ、大輔は顔を歪めた。

悔しさに泣きそうになりながら、甘えた泣き言を洩らすな!と己を叱咤する。


そのとき殺意と緊迫感に覆われた部屋を一変させる化け物が壁に開いた穴から漂うように入ってきた。

流れる空気はまさに霊気。

肌を刺すような恐怖と氷で撫でられたかのような冷たさが大輔を纏う。


これがバージル?!


それは大輔のヴァンパイアの概念からは大きく外れたものだった。生き物として認識もできない。

体重を感じさせない歩き方はまるでそれの周りだけ重力が存在しないかのよう。

薄闇でも色めき波立つ金糸の髪に、金色に深紅を混ぜた輝きを放つ瞳、そして薄く残忍に微かに歪んだ真っ赤な唇。

大輔の眼前にある相貌はまさに美しき悪魔そのものだった。


大輔の会ってきたヴァンパイアとは異質。


あまりの恐怖に大輔は眼を瞑ることすらできずに、それを凝視する。伴侶の恐怖が伝わったのか、逸朗の指輪が大輔のものと呼応するように淡く光ったが、逸朗は背後の大輔に一瞥もしない。

否、できない。


それもそのはず、逸朗はヴァンパイアでありながら、人として生きてきた。が、バージルはヴァンパイアとして人の血肉だけで生き延びてきたのだ。その身に流れる血の濃さが違う。

純粋培養のヴァンパイア。


バージルはゆっくりと部屋を見渡した。

たったそれだけなのに、視線を送られたものの総身から汗が噴き出した。


「随分と連れてきたね、ウィリアム」


その声は心地よい高さに聞くものを陶酔させる甘さを含み、耳にした大輔に巣食う恐怖が和らぐほどだった。


「私はひとりで乗り込むほど愚かではない」


唸る逸朗など気に留めた様子もなく、ゆらりと腕をあげてアランを指差した。


「きみは、きみには見覚えがある」


逸朗の隣でアランが驚愕の表情を浮かべた。

まさか、意識にあったのか、と彼は呟き、バージルを睨み付ける。


「あぁ、その顔。ウィリアムの従者候補だな、懐かしい。父は私には付けてくれなかった」


言葉だけ聞けば懐かしさに綻ぶだろうが、バージルの顔には一切の表情がない。

能面だ。

能面は役者の演技と観る人の感情で表情を造るから、あえてどのようにも見えるように完璧な無なのだと、以前聞いた話を思い出した大輔は眼前の化け物は美しさもなにもかもが能面そのものだと感じた。


「ギヨムの伴侶か、でも彼はやはりなれなかったようだね。私は言ったんだよ、人であろうとするヴァンパイアに人であったときの感情は捨てられないだろう、と。忠実にヴァンパイアでなければ伴侶など戯れ事に等しい」


ミーナに眼をやり、ちらりとギヨムに視線を送ってから言ったバージルが彼女の後ろにいる大輔に眼を留めた。


「きみは、そうか、ロベルトの言ってた血を持つんだね」


逸朗の肌が粟立つが、意外にもバージルは興味がなさそうだった。しかし、それも続くバージルの言葉で理解した。理解したからこそ、その場の全員にさらなる恐怖が宿った。


「懐かしい匂いだ、甘い甘い血の香り。何百年振りだろうね、出逢うのは。彼女の血は別格だったよ」


そして幾分か、陶酔したように眼を細めた彼は唇をぺろりと舐めた。


「でも私は男には興味ないんだ」


ふわりと言って、バージルは逸朗を興味深げに眺めた。


「いまはウィリアムに興味があるね、だから他のものたちは下がっていなさい」


細く長い腕を振って、彼はアランを弾き飛ばした。

まだ充分に間隔があったはずの距離を瞬きひとつで詰め寄り、逸朗の眼前に立ってアランを薙いだのだ。

逸朗には見えなかった。

だから反応もできなかった。

ただふわりと甘ったるいスパイシーな香りが漂ったのだけを感じ取り、頬を擽る軽い風圧を感知した。

一瞬、身動きができないほどの恐怖に囚われ、硬直する。

飛ばされたアランは壁に激突するのを避けるように受け身を取った。すぐにミーナが大輔を引っ張って夫のもとに駆け寄る。


圧倒的強者。

バージルこそがすべての上に立つべき生き物。

それは神にも等しいのか、悪魔なのか。


大輔は唇を噛んだ。

己では隙を作ることも、磨きつつある体術もまるで役に立たない。けれどここから離れることもできなかった。

逸朗のためにもいないほうがいいだろう、いればバージルに集中できないだろう、とわかっていても大輔は離れたくなかった。


あれとまともに闘っては逸朗とて死ぬだろう。

だからこそ、そのときは共に死にたかった。

ひとりで生き残るのは耐えられない。


そのとき屋敷の制圧完了の宣言が階下から響いてきた。

そしてアランと逸朗の手助けのために階上に上がってくる大人数の足音がそれに続いた。


「こんなにたくさん、これは愉しめそうだね」


バージルは部屋を眺めて、これでは狭いね、と囁いてからするすると浮いているかと勘違いするような足取りで窓まで行き、飛び降りた。


慌てたアランが窓から外を覗いたら、逃げる気はないようで、彼は庭園の真ん中で手招きをしていた。


「くそ、馬鹿にしやがって!」


アランが飛び降り、逸朗がそれを追うように降りた。

ミーナは大輔に眉をあげて、どうする?と窺うので、彼は廊下に飛び出した。


「バージルは下の庭園!アランを助けてあげて!」


「私なら無事だから、主人を宜しくね」


叫ぶ彼の後ろからひらひらと手を振ってミーナは軽やかに言った。ミーナを眼にしてホッとした表情を浮かべた騎士たちはすぐに踵を返して庭園へと向かった。


彼らをやり過ごしてから、ダンカンとジョシュアが来た。


「大輔さま、お怪我は?」


「なにもしてないから、大丈夫。それより下に行きたいんだ、傍にいなきゃ、俺は…」


突然、口をつぐんだ主をダンカンは訝しげに覗く。


「なんでもない、制圧完了て、どんな感じ?」


首をひとつ振ってから、吹っ切ったように笑い、ジョシュアに聞いた。その笑みは過分に哀しみを纏い、眼にしたジョシュアの胸が痛んだ。


「大輔さまによってほとんどのヴァンパイアは拘束してありましたので、あと使用人の保護と、地下に囚われてた女性たちの保護です。屋敷のなかにはギヨムとバージルだけが残ってるだけです」


「ギヨムなら大輔が捕えたわ」


アランの妻になって大輔にさまを付けなくなったミーナが顎先をギヨムの部屋に向けて言った。ダンカンがひょこりと覗き、ベッドボードに貼り付いているギヨムを確認した。

飛ばされてきた逸朗がギヨムを踏みつけるようにして着地し、ベッドから降りるときに蹴り上げたため、彼は無惨にもベッドボードにキスする羽目になったらしい。


「あぁ、確かにいるっすね。でもあれ、生きてるんすか?すごい格好ですけど」


ダンカンが呆れた眼差しで大輔を見たが、あれは俺のせいじゃないよ、とだけ答えておいた。


「わかった、じゃ、保護は完璧なんだね、怪我してたりする人はないね?」


「すでに地下の女性たちは病院に運びました。使用人たちは逃がしてあります」


逸朗経営の病院はこういう場で必要なわけだ、と大輔は妙に納得した。確かに公にできることではないが、複数女性の失踪もしくは拉致をなかったことにするのも苦労する世の中だ。

病院の存在はいろんな意味で有難いのだろう。


「なら、あとは悪魔退治だけだ。みんな、下に行って合流しよう」


「ですが、大輔さまは…」


心配そうにジョシュアが主を止めたが、大輔は爽やかに微笑んだ。


「わかってる。いれば邪魔でしょ。そのときはちゃんと逃げる。でも今は傍にいたい」


外から聞こえる悲鳴が現場の壮絶さを報せてくる、このときに伴侶を置いて逃げろ、となど彼の騎士として言えるわけがない。

ジョシュアもダンカンも覚悟は決めた。

主のために死なない覚悟だ。

闘って果てるのは容易いが、主の命を己の命を賭けずに護るにはかなりの覚悟と力が要る。

ふたりはそれを腹にくくった。


「承知しました」


「さっさと行くっすよ」


ミーナはそんな騎士を眺めながら、なかなかの男っ振りじゃない、と艶やかに微笑みを浮かべた。



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