2-15 突入
夜明けまであと1時間弱。
うっすらと東の空は闇を払うように白く光りはじめている。日の出まで一時間もないだろうか。
刷毛で掃いたような雲が僅かに見えて、アランは早く動かないと意外と明るくなるのが早いかもしれない、と思った。
ヴァンパイアは人と変わった生活はしない。
だから夜明け前が一番気が緩みやすい。
行くなら今だろう、と考えたアランにあふりと欠伸をしながら伴侶の膝のうえで起きた大輔が言った。
「そろそろだね」
そして大きく腕をあげて伸びをした。ずっと蹲るように寝ていたから、あちこちの関節がばきばき音を立てた。
「おはよ、逸朗」
とろんとした眼に、掠れた声。
ちょっと舌足らずな挨拶。
そのすべてから輝きと色気が放たれて、逸朗は徹夜のせいではなく眩暈を起こした。
堪らず彼を抱き締め、深いキスをする。
苦しくてジタバタする大輔をまったく離す気のない逸朗の肩を叩いて、アランは突入準備をするように進言した。
が、それには鋭い視線だけが返ってくる。
ため息しか出ないアランのところへ、徹夜で見張りをしていたヘンリーがやってきた。
「新しい見張りなし、いまなら突入しても外での騒ぎはない」
それから逸朗に抱かれて眼を白黒させている大輔に視線をやって、にやりとヘンリーは笑った。
「大輔、昨日の見てたけど、おまえ、すごいな!散歩してただけでひとりで全部拘束しちゃうんだもんな、俺、感動したよ」
「………ひとり?」
逸朗の問いかけにヘンリーは屈託なく頷いた。膝のうえでは大輔が慌てているが、そんなことには気付かない。
「そうだぞ、ダンカンもジョシュアも屋根に行っちまったし。ただ歩いて、笑って、ぶわぁ!で終わり!あれは見せたかったよ」
「あぁ、是非とも見たかったね」
この上なく完璧な笑顔で逸朗が答えた。
その膝のうえで大輔は震えるしかなかった。
が、逸朗のその願いは意外と早く叶った。
どこから入るのかと思っていたが、アランは堂々と玄関を突破したのだ。といっても踵落しでドアノブを静かに破壊しただけだが。
入るなり、玄関ホールに5人のヴァンパイアがいたが、アランと共に入った大輔はにっこりと微笑んで彼らに挨拶をした。
「おはよう」
あまりに場違いなセリフと甘い豊香を醸す色気がホールに充満し、呆然となった彼らに大輔は通りすぎ様にスタンプを捺していった。
「ルカ・クリステア」
そしてあとには倒れたヴァンパイアだけが残される。
「な、すごいよな!」
ヘンリーが逸朗にまるで己のことように自慢する。ジョシュアも同じように自慢したいが、さすがにボスが怖くて遠慮していた。
「この調子だと俺たち楽だよなぁ」
暢気にヘンリーは笑っているが、逸朗としては気が気じゃない。
戦線に出す気もなかったのに、いまや伴侶は先陣きって最前線を実に鼻歌交じりで歩いているのだ。想定外どころの話ではない。
しかし確かに有用だった。
大輔が微笑むだけで、例外なくヴァンパイアは見惚れるのだ。あの血が成せる技もあるのかもしれないが、彼自身から発せられる清浄な色気がヴァンパイアにとって堪らなく魅力的なのだろう。
その瞬間に生まれる僅かな隙を生かして、大輔は次から次へと拘束していった。
これなら数が少ない不利はたいした問題にはならない。もうすでに差だけのヴァンパイアは充分に戦闘不能にしているのだから。
ルイも呆れたように後ろからついてきてるだけだった。
ドアノブを破壊する以外はあまりにも静な突入だったので、気付けば屋敷内のヴァンパイアはほぼ拘束完了していた。
アランの指揮のもと、騎士たちは屋敷の制圧に、アランは南西の部屋に、そして逸朗は南東の部屋にそれぞれ向かうことにした。
ヘンリーは屋敷の制圧の指揮として玄関ホールから地下へと降りていった。
大輔は逸朗についていく、と頑張ったが、玄関ホールで待機、と厳命されてしまったので、不満そうにジョシュアとダンカンを傍に従えて捕えたヴァンパイアたちを見張っていた。
その頃、南西の部屋では…
ミーナがギヨムを叩きのめしていた。
なぜかムチを持ち、裸のギヨムをヒールで踏みつけて、彼女は何度も何度も彼にムチを打ち付けていた。皮膚が裂け、血が吹き出すが、構わずに彼女は何度も振り下ろす。
ギヨムはすでに意識がなく、完全に白目を剥いていた。
裂けた皮膚がすぐに修復される様子から生きてはいるらしい。
「この、くそ、野郎!」
最近収まっていた口の悪さも健在で、ミーナは己の肩が壊れるかというほどに鞭打っていた。
そこにミーナを救出するため、ギヨムを殺すつもりで意気揚々とアランが入ってきた。
突然開いたドアにミーナは驚いてムチを振り上げたまま硬直し、アランは眼前に広がる光景に唖然とした。
「あら、アラン!」
明るい声が軽やかに響いて、アランは破顔した。
「おはよう、ミーナ。ところでそれはなんのプレイかな?」
笑いを堪えてアランは己の妻が手にしているものを指差した。
聞かれたミーナは踏みつけている足にぐっと力を加えた。ヒールがギヨムの肩を突き刺し、そのまま貫通する。
「遊びたい、ていうから遊んであげてるの、でも伴侶にはなってないわ。指一本だって触れさせない」
晴れやかに微笑んで、ミーナははっきりと言った。
「私はアランのものだもの」
アランの身体を喜悦が貫き、やっと安堵を含んだ幸せがじわじわと彼を包み込んだ。そして気を失っているギヨムを見て、意地悪そうに口を歪めた。
「なに、触っていたら、跡形もなくなるだけだ」
アランは大きく手を広げ、おいで、とミーナを呼んだ。彼女はヒールを脱ぎ飛ばし、ムチを捨て、ワンピースの裾を翻して彼の胸へと飛び込んだ。
「待ってたの、逃げても良かったんだけど、お姫様は王子様のお迎えを待つものでしょう?」
子供の頃に絵本を読んでから、ずっと夢だったの!と可愛らしくアランの腕のなかで囁き、ふたりはお互いを確認するように唇を深く強く交わした。
「ところで、これ、どうしよう?」
ミーナが困ったように眉を下げてギヨムを見た。その瞳には蔑みしかなかった。アランはよっぽど腹の立つことがあったのだろうか、と思ったが、あえて聞こうとは思わなかった。
妻から他の男の匂いがなければそれでいい。
ミーナを腕に抱いたまま、アランは部屋から出て、廊下から吹き抜けになっている玄関ホールを覗いた。
手持ち無沙汰にぶらぶらしている大輔がみえたから、声をかけた。すぐに彼はアランを見付けたので、手招きして上がってくるように頼んだ。
「今日も綺麗だね、ミーナ」
護衛のふたりを玄関ホールに置いて来た大輔は相変わらず場違いな挨拶をミーナに贈る。言われた彼女も薄く頬を染めてありがとう、と返すのだから、たちが悪い。
しかしアランはごく幸せそうにやり取りを見ているだけだったので、大輔はなぜ呼ばれたのか、聞こうとして、ベッドで寝ているギヨムが視界に入った。
「あれって、ミーナのあれなの?」
「そうだけど、見たくもないわ」
ちらりとねめつけた彼女は心底嫌そうにギヨムに唾を吐きかけた。その行動に大輔は驚いたが、よほど嫌な夜だったのだろう、と慮った。
「拘束でいいの?」
アランに視線をやって大輔は確認する。アランはそれには頷いただけ。
大輔はギヨムにスタンプを捺して、友の名を唱えた。
「ルカ・クリステア」
アランの目的、ミーナは救出できた。
あとは火の粉を払うだけ。
大輔は隣室でなにが起きているのか、不安で仕方なかった。
逸朗は大輔の血で特殊なヴァンパイアではあるが、バージルは未知数だ。
本当に大丈夫なのだろうか、伴侶を想う大輔の気持ちを切り裂くように、唐突に壁が破壊されて、逸朗がギヨムの拘束されているベッドまで吹っ飛んできた。
それこそ血まみれで…………
大輔は空気を裂くかの如く、鋭い悲鳴をあげた。




