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2_8 スタンプの効能検証

よく晴れた朝だった。

居間から見下ろす眼下の公園は新緑の芽吹きどきを迎え、眼にも鮮やかな色を誇るように風に揺れている。

強くなってきた陽射しが葉に反射してきらきらと光が散っていた。


相変わらず美味しいマカナの淹れた珈琲を手に、大輔は新緑に見惚れていた。

なんだか力が湧いてくるような気分だ。


いつもより早く目覚めた大輔のため、マカナは慌てて朝食を作っている。そんな必要はない、と声を掛けたが、すぐに用意致します、とどうやら前日から仕込んでおいたフレンチトーストを焼くようだった。

バターの焦げる匂いと甘い香りが交ざり合って漂ってきた。妙に食欲を唆られる、と大輔はふわりと笑んだ。

マカナのフレンチトーストには塩味の強いソーセージが添えられる。それがまたしょっぱい甘いのコントラストで、無限に食べられてしまう恐ろしいものなのだが、大輔はそれが好きで、今からわくわくしてしまう。

急がなくていい、と言いながらも早く食べたくて、気付けば大輔は窓から離れてキッチンをうろうろしていた。

マカナは邪魔にもせずに苦笑を漏らしながらも、テキパキと調理を進めた。


出来上がったものを自分でダイニングテーブルまで運び、食べようとした大輔に起きてきた逸朗が挨拶をした。


「おはよう、今日は早いな」


少しでも熱いうちに最初の一口が食べたかった大輔は挨拶を返す前に大きく頬張った。

そしてモゴモゴと咀嚼しながらおはよ、と応えた。その姿にくつくつと笑って、逸朗はダイニングに座る。


マカナが珈琲を注ぎ、ついでフレンチトーストとソーセージののったプレートを逸朗の前に置いた。焼きたての皿からはふわふわと湯気が立ち上り、実に美味しそうだ。


「おはよ、目が覚めちゃって」


やっと飲み込んだ大輔がにっこりと言った。

逸朗は眉をあげて、口のまわりにメープルシロップが付いてしまった伴侶の唇を親指で拭い取ってやった。

それをそのまま自分で舐めとり、にやりと笑う。


「いつもながらに旨いな、マカナのは。ところで今日の予定は?」


何気なく聞いたが、返事がないのを不思議に思った逸朗が視線を手元からあげた。

大輔の顔が真っ赤に染まり、ふよふよと視線が泳いでいたので、逸朗はナイフを置いて指の背を彼の額にそっと触れさせた。


「熱はないな?」


恥ずかしそうに逸朗の手を振り払い、大輔は下を向いてフレンチトーストを一口サイズに切りだした。


「ダンカンが嫌がってるけど、ジョシュアにも協力して貰ってスタンプの効能検査するんだ」


いきなりのぶっつけ本番じゃ不安でしょ、と言う大輔に逸朗は眉根に皺を寄せる。

逸朗としては伴侶を危険な状況に追い込むつもりは己の命にかけてもないのだが、大輔だけでなくゴードンまでもが自衛を推奨していた。

だから不満はありつつも逸朗は仕方なく許していた。


しかし口には出さない。


「大輔さまはご自分で一族のものとして、わたくしどもの一員になるとお決めになられたのです。ですから坊っちゃんもちゃんとひとりのヴァンパイアとして扱って差し上げませんと失礼ですよ。あの方はいつまでも護られるだけの伴侶ではございません。成長しようと努力されております。誰のためでもございませんよ、坊っちゃんのために頑張っておられるのです」


ルカの指輪に嫉妬した逸朗にゴードンが諭した言葉が蘇る。

まだヴァンパイアにはしてない、と子供のように口答えをしたが、誰よりも伴侶の成長を感じているのは逸朗だった。それが嬉しくもあり、寂しくもあり、そこはかとなく不安でもあり、複雑な気持ちだったときにルカからの指輪を己の許可もなく、しかも外せない状態ではめて帰ってきたのだ。

とても軽んじられた気分だった。

だから怒ってしまったのだ。


私の庇護のもとから勝手に抜け出すとは何事だ!と。


逸朗にもわかっていた。

大輔は己と並んで共に生きようと、努力していることは痛いほどに理解していた。

けれどただ傍で己の愛を受け止めてくれるだけでいい、と思ってしまうのだ。逸朗がいなければ立つこともままならない、と心底思ってほしいのだ。

だが、大輔はそれほど弱く、意思のない人形ではなかった。残念だが、それもまた彼の魅力でもある。そしてだからこそゴードンも受け入れ、彼を主として認めているのだから。


逸朗は思ってため息を溢した。

だから許す、許さないを己が判断することではないのだ、と。

思ってしまうのは仕方ないにしても、言葉にはしない。大輔が必要だと思うことはすべきことなのだろう。


「やっぱりダメかなぁ…」


逸朗の渋い顔に無言が続いたからか、大輔が不安そうに聞いた。彼の皿からはほとんどのフレンチトーストが消えている。


「構わないが、ダンカンの説得はちゃんとするんだ、嫌がっているものを無理にさせてはいけない」


珈琲のおかわりを注ぎにきたマカナが己の伴侶の名を耳にしてふわりと微笑んだ。


「逸朗さま、大丈夫だと思いますよ、もう昨夜からダンカンは嫌だ嫌だ、と甘えてましたから、充分覚悟はできたかと」


「じゃ、おもいっきりしちゃお!」


おかわりのために冷めた珈琲を一気に飲み干して大輔はカップをマカナに渡した。それに注ぎながらマカナはウインクひとつ。


「大事なダンカンですので、お手柔らかに」


大輔は軽やかに笑んで頷いた。


スタンプの効能検証は研究室で行うことにした。

ここなら誰も来ないし、場所も確保できる。

新しい分析室として準備した部屋があるのだが、まだ機器は入れていない。空っぽのままだ。

機器搬入はまだ先のことで、しばらくはこの状態なので、大輔もジョシュアも稽古にはちょうどいい、とよく大輔の合気道の練習場として使用されている。


「無駄な広さっすねぇ」


研究室にはあまり来ないダンカンが感心したように部屋を見渡した。大型の機器が幾つか入る予定なので、確かに部屋自体はかなり大きい。30畳ほどはあるだろうか。


「じゃ、せっかくだから稽古がてら、試そう。ダンカン、多少手加減して俺を襲ってくれる?」


その言葉にジョシュアはくつくつと笑いを漏らした。

ジョシュアには手加減しろとは言わないのだ。言われなくてもするのが主を護る騎士として当然なのだが、ダンカンは面白そうだと思えば手は抜かない。


案の定、手加減って言われても難しいんすよねぇ、なんて文句を溢している。


「じゃ、行くっすよぉ」


大輔の成長を見ていないダンカンは、ただ立っているだけの主に単純な動きで正面から攻めた。思わずジョシュアはにたりと唇を歪める。


大輔の両手が円を描くように動き、飛び込んできたダンカンの腕を掴むと、敵の力の反動で軽く腕を回しただけでダンカンを転がした。


あれをされるとなにが起きたのか、まったくわかんないんだよなぁ。


ジョシュアは思って、床に転がされて呆然としている同僚に眼をやった。大輔は一歩も動いてはいない。


「あ、しまった!スタンプしなきゃ!」


暢気に言って、ポケットからスタンプを出した。

それがダンカンを煽るとも知らずに。

眦を上げ、歯噛みをしてからダンカンは素早く立ち上がった。


「手抜き、し過ぎたっす」


負けず嫌いに呟いて、今度は本気を滲ませた態勢で大輔を狙う。なにかあったら飛び出せるよう、ジョシュアも身構える。怪我をさせてはせっかく軟化してきたボスを怒らせてしまう。

それは主には不利になる。


しかし当の大輔は飄々と立っているだけだ。

突然、襲われるのが前提だから構えて待つわけにもいかないのは理解するが、あれではダンカンを挑発するだけだろう、とジョシュアは主の心配をした。

が、それも懸念だった。


やはりダンカンが向かっていくと大輔は円を描くように足を捌き、己の騎士の肩に掌底を当てた。たったそれだけなのに、驚くほどの勢いでダンカンは後ろに飛ばされた。

またスタンプを使い忘れているが、ダンカン相手にこれならスタンプが必要になるのか?とジョシュアは苦笑を漏らした。


いまのダンカンは手加減はしていたが、かなりの速さで動いていた。普通なら気付けば死んでいた、という状態な程度にはヴァンパイアらしい動きだった。

にもかかわらず、大輔は的確に反応し、対処したのだ。思わずジョシュアは唸った。


「ジョシュア、悪いけどダンカンとふたりで来てくれる?相手が単発で動くとは思えないし」


主の一言にダンカンは半ギレした。

ジョシュアは首をひとつふるりと振って、悔しさにあがっている同僚の肩をぽんと叩いた。

そしてタイミングを合わせてふたりで襲いかかる。

手抜きはない。

手加減もあまりない。


大輔は優雅に舞うようにジョシュアを避けると見事な足裁きで己の騎士の足を薙いだ。それだけなのにジョシュアは大きく円を描いて回転する。

その隙をついてダンカンが大輔の確保に成功したが、どうやったかするりと抜けると首裏にぽんとスタンプを捺した。


「ルカ・クリステア」


言葉が発された瞬間、大輔の右中指から光が迸り、ダンカンの首裏へと飛んでいく。一度だけ煌びやかなガラスが砕け散るように彼の首裏から光が舞い散ると、そこを中心にしてシルクのような光沢を持った幾千もの黒い糸が四方に広がり、一気に収縮してダンカンを縛り上げたようにみえたが、それも瞬く間に消えた。そして唐突にダンカンが倒れた。


「やった!」


無邪気に喜んで、はしゃいだ大輔の脳裏にルカの言葉が思い浮かんだ。


「ヴィクトー様のものをかなり弄ったので、実はこの拘束魔法陣はすごく強力なんです。術者の力を使うのではなく、ヴァンパイアのエネルギーを使って発動するので、ヴァンパイア以外には使えませんが、逆にヴァンパイアに使えば彼らのエネルギーがきれるまで拘束し続けます」


そのまま放っておけば下手したら死に至る可能性もある、と仄めかした天才魔術師を思い出した大輔は慌てて倒れたダンカンの横に座り、彼の首裏をごしごしとハンカチで拭った。

練習用に設えたスタンプのインクは消えやすいものを使っている。

これほどなら首裏でなくとも身体のどこかに捺せば充分効力を発揮するだろう、と大輔は少しだけ怖くなった。


それを見ていて、己が使用したときとは威力も術の表れ方も何もかもが違う拘束魔法陣にジョシュアは感心しつつ、主とルカの成長に驚いてもいた。


魔法陣が消えたダンカンは体重を感じさせない軽やかさで起き上がり、呆然と主を見遣った。出会った頃とは別人の主を。


そして晴れやかに笑ったのだ。


アランの結婚式でマカナを伴侶にできたときのような、素直な感情を表に出して、ダンカンは笑っていた。


「やるっすね!」


「でしょ!稽古、結構キツかったんだ」


嬉しそうに破顔して主は胸を張った。そしてスマホを出してルカにメールを送った。拘束スタンプはちゃんと機能すること、いかにルカが天才かということを、そしてそのお礼を。


「また稽古、付き合ってね、ひとりだと難しくて」


敵の想定がしにくいのだろう。

相手は人ではないのだから。


ふたりの騎士は主の命に美しい礼を返して応えた。





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