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余談16 晃と大輔とジョシュア 献杯する

ピンコン、と大輔のスマホがメールを知らせた。

素早く確認して短い返信を打つと、すぐに彼は先程までしていた作業に戻る。

ジョシュアはちらりと彼に視線を送ったが、集中している様子だったので、自分の実験に意識を戻した。


逸朗の深く濃い愛情のなせる技か、最近の大輔は内側から輝くような美しさがさらに磨かれている。ふとした瞬間に伏せられた睫毛の先から溢れ出る気品、何気なく口に運ぶカップを持つ指からはくらりと眩暈を誘発するような色気が漂い、然り気無く脚を組み替える仕草には男の艶やかさが滲む。

ごく平凡な顔立ちなのに、大輔は大輪の花を咲かせた如くに眩しいほどの光を放っていた。


身近にいるジョシュアはそれを痛いほど感じ取るので、逸朗が心配のあまりに気も狂わんばかりに嫉妬するのも、納得する思いだった。


いまも真剣な表情で顕微鏡を覗く彼の横顔にふわりと漂う艶があり、ジョシュアですら見惚れてしまうほどだ。


己の主が魅力的になれば、嬉しいものだが、ボスのことを考えると頭が痛い。

大輔は気付いていないが、ジョシュアに対する牽制のため、主の伴侶はラボ内にカメラを付けたのだ。

実際に監視しているのかは別にして、いつも見てるぞ、という脅しであるのは間違いなく、ジョシュアはやはり呆れて嘆息してしまう。


どれほど敬愛していようと、己の主に懸想するほど愚かではない、と思ってはいたが、これほどの輝きと、彼独特の血の魅力に抗えない日も来るかもしれないと考えなくはないジョシュアだった。


大輔は疲れたのか、大きく伸びをすると、指で眼の回りをマッサージした。

そして軽やかに立ち上がり、時計に眼をやってからジョシュアに振り向いた。

その眼差しにどきりと胸が鳴って、僅かにジョシュアは狼狽する。


「俺、ちょっと、下の売店に行ってくる」


ふわりと大輔の視線が彷徨い、すぐに伏せられた。その色気に当てられたようにジョシュアの思考が一瞬止まる。


「実験、進めておきます」


それだけを口にして、ジョシュアは手元に集中した。大輔が出ていったあと、珈琲だったら自分が淹れたのに、と思い至ったが、気分転換も兼ねて散歩をしたいのかも、と思い直し、出てきた結果をノートに書き写していった。


最近の大輔さまは本当に心臓に悪い。


主の美しさに頬が緩みつつ、まだ己の命が惜しい、と彼は心を糺した。


「ウィリアム様も苦労されるな」


苦笑混じりの呟きはどこか意地悪な響きを含んでいた。


それからジョシュアは仕事に没頭するあまり、すでに夕方が迫る時刻になっていることに気付かなかった。さらに大輔が未だラボに戻っていないことにも。


一息いれようと珈琲メーカーの前まで行ってはじめて己ひとりで実験していたことを知ったのだ。


一気に総身から冷や汗が吹き出す。


慌てるな、と己に言い聞かせ、ジョシュアは記憶を辿る。そして売店に行く、と言い置いて出ていったきり戻っていないことに思い至り、彼は思わず冷静さを手放し掛けた。


深呼吸をひとつ、それで普段通りの思考が戻り、ひとまず売店まで行って主の臭跡を追うことにした。


ラボから出ると、廊下を漂う彼の血とボスのスパイシーな匂いが混じった香りを追う。

エレベーターは使わず、階段を使用して玄関まで行っている。

さらにその下の売店には行かなかったようで、玄関から外へと香りは続いていた。


そうして追いかけた結果、ジョシュアは研究所から程近い繁華街の、地下に構えるカウンターだけのバーに辿り着いていた。昼日中からやっていたのか、と首を捻りながらジョシュアがドアを開けたら、カウンター奥に男ふたりが完全に出来上がった状態で座っているのが視界に入った。

まだ早い時間だからか、客は彼らだけ。

ジョシュアは幾分ホッとして店内に足を踏み入れた。いつもの美しい主とは思えないほど、乱れておっさん化した大輔を目の当たりにしてジョシュアは秘かに嘆く。


カウンターに肘をつき、手首だけで酒を煽り、股はだらしなく広げられている。

カウンターの上にはつまみとして、クラッカーにチーズ、そしてナッツの盛り合わせがあり、さらに同じスコッチのボトルが3本置いてあった。


ジョシュアが見るに安酒である。

いかにも学生が粋ってキープする程度の、どこにでも置いてあるようなスコッチ。


それを煽るように呑み、大輔と晃は意味もなく笑っていた。


大きくひとつため息を吐いてから、ジョシュアは彼らの傍まで行った。

入り口側に身体を向けていた晃が先に近寄る彼を見付け、嬉しそうに手を振った。


「あなたはぁ、確かぁ、大輔のとこの、研究員、ジョシュ!」


「アです。ジョシュア。お久しぶりです、晃さん」


名前を訂正しつつ、主の後ろに立ったジョシュアは大輔の状態を訝しげに確認する。

かなり酔っているが、意識はある。

記憶があるかは謎だが、間違いなくひとりでは歩けないだろう、と判断した。


「あ、ジョシュアだ!来てくれたんだ」


破顔した大輔は全身を真っ赤に染めて、ジョシュアに凭れかかる。

そして己の持つグラスを押し付けて、大きな声で


「けんぱぁい!」


と叫んだ。

すでに呂律まで怪しいのか、とジョシュアは考え、やはり自分で運ぶよりボスに迎えに来てもらった方が誰にとっても安全ではないかと思った。

なので、片手で凭れる主を支え、もう片方でスマホを取り出して逸朗にメールを送った。


30分もすると逸朗が颯爽と入店してきた。

大輔の姿を確認すると、ホッと安堵したあと、すぐに眉根を寄せて顰めっ面になった。


大輔はジョシュアに凭れたまま、ひたすらグラスを傾けていた。

逸朗が迎えに来たことを主に耳打ちした彼は、最後の一杯、という大輔の願いを叶えるため、グラスにスコッチを注いだ。


それを高々と挙げて、大輔は叫んだ。


「献杯!」


それを耳にして、逸朗もジョシュアも、久々に酔い潰れそうになっている大輔の意味に気付いた。


そういえばあちこちの桜が散り始めたな。


だから晃と呑んでいるのか、と納得もした。


哲司が亡くなって3年になろうとしていた。

晃とふたり、彼を偲ぶ時間を過ごしていたのだろう、とわかって、逸朗の愁眉が解けた。


「大輔、帰るぞ」


甘い声で語り掛け、逸朗は大輔を抱え挙げる。逸朗の首に巻き付きながらも、まだ彼はあひゃひゃひゃ、と笑い続けている。

そんな伴侶を労るように優しく背中をぽんぽんしながら逸朗は晃に刺さるような冷たい視線を投げた。


「先に失礼する」


低く、多少脅すような響きを醸して晃に伝えると、くるりと踵を返した。より密着するように愛しの伴侶を抱え直したとき、晃が突然立ち上がって深く頭を下げた。

そして酔っぱらい特有の大声ではっきりと言ったのだ。


「ありがとうございます!大輔を宜しくお願いします!」


その言葉に立ち止まった逸朗は振り向きもせずに一言、置いていった。


「承知した」


返ってきたことに安堵したのか、晃は力が抜けたようにまた椅子に座った。外に待たせてある車で帰るのだろうボスを見送り、ジョシュアは自宅ではなくラボの仮眠室に泊まることに決めて、立ち去ろうとしたら、晃の手に掴まった。


己を掴む手を睨み付けていると、晃が話をしようと誘ってきた。

面倒だな、とその手を振り払おうとしたら、


「大輔がお兄ちゃんみたいだ、て言ってるジョシュと俺は話したい!大輔の代わりに俺としゃべれ!」


と駄々を捏ねはじめたのだ。

しかしこのセリフはジョシュアにとっては殺し文句、かなり耳触りの良いものだった。主が己を兄のように慕っている、そう言われたのだと思うと無意識に口許が緩む。

気分の良くなったジョシュアは大輔が先程まで座っていた椅子に思わず腰を下ろしてしまった。


すぐにマスターが新しいグラスを用意してくれ、目の前のスコッチを注いだ。

そのついでというようにこっそりと囁いた。


「気の毒だが、こうなると長くなるからな、こいつ」


昔から知ってるかのようにぞんざいに晃を扱うマスターをみて、思い出の店で呑んでいたのか、とジョシュアは思った。


「ここはさぁ、俺らがよく来てたとこなんだよ、大輔とも来たけど、哲司とは本当によく通ったんだ」


空になったグラスを振り回すので、ジョシュアは取り上げ、丁寧にスコッチを注いでやった。

ボトルのラベルにはキープした人の名前が無造作にペンで書かれていた。

大輔

そして哲司


筆跡をみると、それぞれ自分で書いたもののようだ。


確かに哲司のボトルはかなり古くなっている。

もしかしたら中は空ではないか、とジョシュアは覗いてみた。

案の定、なにもない。


「大輔が鈴木先生と同居し始めたときなんか、そりゃもう荒れて大変だったんだよ、ジョシュ!」


「ア、です。ジョシュア」


訂正しながら鈴木先生が誰かわからず、僅かに考え込む。

そしてボスの日本での名前だと思い出した。


世界各地で見られていた人狼が段々と姿を消し始め、日本でしか見られなくなって久しいが、その人狼たちがなぜか渡米してヴァンヘイデン一族のヴァンパイアを狩っているという情報を得た逸朗がゴードンに日本での戸籍を用意するように命じたとき、よくある名前だからと付けたものだ。


実際に住んでみて確かに鈴木は多いが、いちろう、というのは割りと少ないことを知って、いい加減に付けたもんだな、と思ったことまでジョシュアは思い出していた。


「俺はさ、結構前から哲司が大輔のこと、好きなのはわかってたけど、あいつはそういうの全然鈍いからさぁ、見てて可哀想なときもあったんだよ、ましてやあんなイケメンと同居だろ?!やっぱ、大輔も顔重視なのか、て泣くんだよなぁ、参ったよ」


煽るようにグラスを空けて、晃は胡乱な目付きでジョシュアを見つめた。


「住み始めて、あいつがどんどん先生に惹かれてくのもわかりやすくてさぁ、それでも哲司は諦めるために女子好きだ、て思い込もうとしてて、俺、そんな姿、見るのも辛くてさぁ、なのに大輔、全然関係なく、過保護で過干渉で、しかも嫉妬深いエピソードまで披露してさぁ、俺にどうしろ、てんだよなぁ!そう思わない?ジョシュ!」


「ア、です。ジョシュア」


ボスが大輔の愛情を欲して精神不安定になっているとき、無意識にせよ、友人に惚気ていたと知れば、どれほど天にも昇る想いだろう、とジョシュアは考えながら、絶対に教えてやるもんか、と心に誓う。

逸朗に対する蟠りはまったく解ける気配はなかった。


「だからさぁ、あいつの部屋を引き払う、てときに先生と本気で付き合ってる、て聞いた哲司があんなことしちゃったのも、ダメなことだとはわかってるけど、俺、気持ちはわかるんだ…」


そう言って、晃はボロボロボロボロ泣き出した。

仕舞いにはカウンターに突っ伏して嗚咽を漏らしはじめ、ジョシュアは参ったように肩を竦めた。

するとマスターが寄ってきて、つまみに頼んでもいないフルーツを差し出し、


「面倒だろ、泣き上戸なんだよ」


と、気の毒そうに眉根を下げて言った。

ジョシュアは困ったように微笑み、礼の代わりに棚にあるグレンモーレンジをロックで頼んだ。


どうせ面倒な夜になるなら、酔えないからこそ、良い酒を呑みたい。


口のなかだけで呟き、嬉しそうに新しいグラスに注いでくれたマスターに軽くそれを掲げてみせた。


「ところでさぁ、ジョシュは彼女、いるの?」


「ア、です。ジョシュア。いませんよ、彼女は」


酔っぱらい特有の話題転換に苦笑を漏らしつつジョシュアは答えた。伴侶と出会えれば別だが、誰かと付き合うのが面倒だと感じているジョシュアはワンナイトはあっても、同じ人と2度はない。


後腐れのない関係だけだった。


「俺はね、この間フラれたばっかりなんだよ!」


そう言ってまた泣き始める。


学生時代のアキちゃんとは研究室に所属すると時間のズレが生じ、なかなか会えなくなった。するとあっさりと捨てられた。

会えない時間が愛を育てるのさ、と古い歌詞を引っ張り出していた晃は突然連絡のとれなくなった彼女の行為にとても傷付いた。

以来、本気にならないように細心の注意を払いながら付き合う相手はいたが、やはりそれは発展するようなものではなかった。

しかし大輔をみているうちに結婚願望が湧いてきて、


「今度付き合う子は絶対、結婚、意識する子!て決めてたんだよぉ!」


ところが、取引先で知り合った年上の女性があまりにも落ち着いていて、その雰囲気にころりと参った晃は食事に誘ったり、映画に誘ったり、美術館のチケットを贈ったり、と散々な努力をしたが…


「年下はイヤだ、て酷くない?ジョシュ!」


「ア、です。ジョシュア」


もうため息しか出てこない。

ジョシュアはもう一杯グレンモーレンジを頼む。


「哲司はさぁ、本当は遺伝子工学がやりたかったんだよ、でもさぁ、大輔がそっち系だっじゃん?だからさぁ、あいつ全然興味なかったくせに動物行動学に進んだんだよ!」


年の半分以上がフィールドワークになる動物行動学なら気も紛れるし、大輔にばったり出くわすこともない、と哲司は寂しそうに笑っていた。


「そのくせして大輔のこと聞いてきてさぁ、幸せそうか?とか別れてないか?とか泣いてないか?とか、こっちが胸糞悪くなるくらいの甘々だよっ!て言えないしさぁ、ここでよく愚痴っったよね、マスター!」


すぐに空になる晃のグラスに酒を注ぐマスターに絡み、彼は顔を俯けた。哲司の思い出話がなによりの供養だと思っていても、話しているのは辛いのだろう。

しばらくしゃくるように泣いていたが、溢すようにぽつりぽつりと亡き友人のことを語った。


フィールドワークは体育会系だった彼には意外と合った環境だったようで、結局大学に残り、ポスドクまで勤めていたこと。そして亡くなるときには、助教の内定が決まっていたことを晃は話した。


かと思えば、自分の就職の話や大輔が溢していた逸朗の愚痴など多岐にわたる話題の変換に、ジョシュアは付いていく努力を放棄した。右から左へ流れていくだけの会話だ。

どうせ自分も名前の訂正しかしていない。


「たからさぁ、俺も会社名辞めたくなっちゃたよぉ」


そしてまた泣く。


さすがに主の友人が退社を決意するほど失恋に嘆くなら多少は力にならねば騎士の名折れか、とジョシュアは仕方なく口を開いた。


「そんなに簡単に諦めれる程度なら、会社も辞める必要ないですよ」


主への義理だけでこの場にいる彼は端から効いたら、かなり冷たく突き放すような物言いをした。

しかし涙を止めて晃は晴れやかな表情でジョシュアをみた。


「そうだよな!俺、諦めなくてもいいよな!ありがとう!ジョシュ!俺、頑張る!!」


「ア、です。ジョシュア」


これでもう充分に義理は果たした、とジョシュアは残りのグレンモーレンジを飲み干すと立ち上がろうとした。

するとその肩を掴み、また椅子に座らせた晃はきらきらした瞳を彼に向けて、大輔顔負けの笑顔を浮かべた。


「じゃ、年上を落とす、作戦、考えて、ジョシュ!」


「ア、です。ジョシュア」


これは本気で長い夜になりそうだ。


思ったジョシュアは肩を落とし、もう一杯、マスターに頼んだ。


うんざりしつつも、この雰囲気が嫌ではない己に気付いて、なんとなく面映ゆい気分になった。


ゆるゆると彼らの夜は更けていく。

きっと哲司が笑っているだろう、そんな気がして、ジョシュアは頬を緩めた。


まさか、今後恋愛相談と銘打ったふたりの飲み会が頻繁に開催されるとは、このときのジョシュアは思いもしなかっただろう。


余談シリーズはここで一旦終わろうと思います。

書くことはありますが、ズルズル続けるのも面白くないかと思いましたので。

お付き合いくださり、ありがとうございました。

またチャンスがあれば彼らのこの先を書きたいと思っています。

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