余談11 ヘンリーの仕事
「そろそろ他にやらせて、俺を元の暇人に戻してくれよ」
久々に日本を訪れ、逸朗の准教授室で客用の椅子に腰掛けたヘンリーが嘆いた。
長い脚をもて余すように組み替えると、逸朗のデスクに肘を付いて頬杖をする。
目の前にいる逸朗はどこか心ここにあらず、で、いつになく呆然としているので、不思議に思ったヘンリーが彼の顔の前で掌をひらひらと振った。
「どうしたんだ?俺の話、聞いてたか?」
虚無を見つめていた瞳がふいにヘンリーを捉えて、微かな光を宿したように思えたヘンリーが主に聞いたが、意に反して逸朗は艶やかな息を深く吐いた。
「どうも最近、大輔が好きすぎる」
呟かれた言葉にヘンリーは椅子から転げ落ちるかと思った。
「はぁ?おっまえ!俺の話…!」
思わず立ち上がり、デスクに両手を強く叩きつけたヘンリーにいま気付いたように逸朗は眼を見開いた。
「いや、来てたのか?みたいな顔すんなよ!俺、ずっとここで報告兼ねた愚痴、言ってたじゃねぇか!」
それにはきょとんとした惚けた顔で首を傾げる。
「そうか、私は最近…」
「大輔が好きすぎるんだろ!2回も聞きたくないぞ!」
被せるように言ったヘンリーにまたもや驚いた表情を浮かべ、逸朗はほんわりと頬を赤らめた。
「いや、今更だからな、そんなに態度に出てたのか?みたいな顔してるけど、おまえが大輔に溺れきってるのははじめから一族郎党みんな、知ってるからな!」
幾分、勢い強すぎて、はぁはぁと息が荒くなりつつあるヘンリーは力尽きたように椅子に身体を預けると、逸朗に向かって指差した。
「俺の、話、聞く気、あるのか?」
赤子に言い聞かせるように一語一語をはっきりと発音した彼は怒りを瞳に宿して逸朗を睨み付けた。
睨まれている当の本人はまったく意に介する様子もなく、軽く掌を振って話を促した。
「だからな、本部の統括を任されただろ、俺。でもさ、いい加減、誰がやっても問題ないくらいには運営できるようにしたじゃん?だからさぁ、もう俺じゃなくてもいいと思うわけ」
言葉ひとつにいちいち頷く逸朗に少しは気持ちが落ち着いてきたらしいヘンリーは語調を柔らかくして続きを話し始めた。
「さらにだ、バング家のお守りも俺じゃなくてもいいと思うわけ。あれこそアランんとこの…なんだっけ、ローガン!あいつなんか適任だと思うよ、クソがつくほどの真面目だしな」
「ローガンはダメだ。あれは研究所ひとつ任せてある」
それにはちっと舌打ちが返ってきた。
さすがに逸朗も眉を顰める。
「とにかく誰でもいいからさ。それにな魔術会の監査まで俺だろ?やったよ、ここずっとやってきたけどさ、あそこももうルカがしっかりやってるしさ、それこそ、ほら、ジョシュアなんか合いそうだろ?」
苦虫を噛み潰したように渋く顔を歪めた逸朗が憎々しげに毒を吐いた。
「おまえは私から大輔を離す気か?ジョシュアがルーマニアに行けば大輔もなんとか理由付けて行ってしまうだろうが」
その言葉に口元をひくひく痙攣させているヘンリーにさらに追い討ちをかける。
「それともなにか?おまえは魔術会を私に潰させたいのか?」
低く腹に響く声音がよりヘンリーを縮みあがらせた。
ぶるりと身体を震わせ、胸くそ悪くなるような愛想笑いをにへらと浮かべた。
「いや、誰でもいいんだ、俺じゃなきゃ。誰でも」
逸朗から殺気が消えると、ヘンリーは安堵の吐息を漏らした。
「とにかく俺は前みたいにおまえの騎士に戻りたいんだよ、面倒な書類仕事じゃなくてさぁ」
やっと愚痴を吐き終わった、とすっきりしたヘンリーは椅子の背に凭れてぐぐっと両手をあげて伸びをした。
「そういわれても私の騎士はいまのところ、小百合で充分間に合っているぞ」
手元の地図に眼を落としたまま言った逸朗の言葉にヘンリーはあんぐりと口を開けた。エメラルドグリーンの瞳にはそりゃないよ、と色濃く出ているが、声にはならない。
あの定例会のあとの数年間、ヘンリーは逸朗の指示のもと本部を統括運営し、なんとか組織として成り立たせてきた。
さらにバング家がまた悪い虫に唆されないようにそれとなく見張りつつ、魔術会へ眼を光らすのも忘れずに、全体のバランスが崩れないよう、そしてヴァンヘイデン家に恨みがないよう、細心の心配りで調整をしてきた。
本当は武力こそ己の道だと思っている脳筋なのに、百戦錬磨の政治家並の仕事を熟してきたのだ。
それもなんとか軌道に乗った感があり、やっとこれで本来の騎士に戻れる、とひとりで喜んでいたのに、いつまで経っても戻るように、と連絡がなく、焦れて直談判に来たのだが…
主は伴侶で頭も胸もいっぱいで、まったくヘンリーのことは無視だったのだ。
散々話をして、やっと口にしたのが
「最近、大輔が好きすぎる」
なのだ。ヘンリーの怒りも致し方ないだろう。
文字通り開いた口が塞がらないヘンリーが黙ったままなのを不審に思った逸朗がちらりと瞳をあげて、くすりと笑みを溢した。
「おまえはあれだけの仕事を完璧にやれるのに、私の騎士に戻って傍でうろうろしているだけで満足できるのか?」
問う主の眼は己を敬愛しているかのように煌めいていた。
思わずぞくりと言い知れぬ想いが胸を走り、ヘンリーは恍惚とした気分になった。
「大輔のせいで…」
言って、少し躊躇い、逸朗が口をつぐんだ。
「いや、大輔のおかげで、いまのヴァンヘイデン家には敵がない。あれは全部が幸せで、やっと自分も幸せになれるタイプのようだからな、バング家からは先日感謝の手紙が届いたし、エミリアからは惚気た馬鹿らしい連絡があった。ルカも半年に一度は大輔に恋してるかのように眼を輝かせてやってくる。まったく忌々しいことだ」
憤慨したように鼻を鳴らし、でもすぐに穏やかに微笑んだ。
「だがあれの存在が私たちから敵を一掃した。私を守る騎士も必要ないくらいにな」
そして茶化すように逸朗がヘンリーをねめつけた。
「それでもおまえは私の騎士にまたなりたいのか?」
ダンカンもジョシュアも警戒心は解いてはないが、大輔に張り付いているだけで護衛としての仕事はほぼないに等しい。
ジョシュアには研究員の、ダンカンには自宅警護の仕事がそれぞれあるから、然程気にしてはないようだが、逸朗からすれば実にもったいない人材の使い方だと悩んでいた。
もっともダンカンは自宅警護がやりたい仕事のようだし、とこの先を考えて、逸朗は僅かに面白くない気持ちになる。
ジョシュアは大輔の傍にいられればそれで満足のようだからな。
まったく油断も隙もない、大輔にはやはり自分が傍にいなければ、と逸朗は己の胸に刻み込む。
「あれは可愛いから、すぐに奪おうとする輩が現れて困る」
浮かんだ考えがつい口から漏れた。
それを耳にしたヘンリーがいつものように豪快に笑った。
「大事な大事な大輔さまが騎士要らずにしちまったか!俺も騎士廃業の憂き目だな」
言葉では軽く言っても、ヘンリーは立ち上がり、実に美しい一礼を逸朗に向けた。
「それでも俺はあなたの騎士に戻りたい」
じとりと己の騎士を睨み付け、逸朗は小さく息をのんだ。
そして首をふるりと振ったあと、ヘンリーの腕に手を置いた。
「どうせおまえも大輔の傍がいいのだろう?」
ヘンリーが微かに揺れたのが掌を伝ってわかった逸朗が満足げに頷いて、手を離してから椅子に深く座り直した。
「まったく誰もが大輔の傍がいいらしい。あれといると自分がヴァンパイアだということを忘れさせてくれるからか?人のときのように楽しい、と思える時間が送れるからか?」
ゴードンですらそうだからな、と言われ、ヘンリーの眼が大きく見開いた。それから観念したのか、肩の力を抜いて、姿勢を正した。
「淋しいんだ、大輔を知ってから、ヴァンパイアでいることがひどく淋しく感じるようになってな」
まさかアランも同じように感じてるとは思ってもいないヘンリーが正直に告げた。
なんとなくアランの寂しさを理解していた逸朗は似た者親子だ、と苦笑を漏らした。
「好きにすればいい、いれば頼む仕事もある。ただし、危険はないぞ」
「じゃあ!」
喜びに湧いた笑顔に水を差すように逸朗が手を翳して先を制した。
「後釜の選出が終わってからだ。そこまでがおまえの仕事だからな、しっかり人選して、また戻らないようにしておけよ」
掌を振って下がるように指示しつつ、はっとして逸朗が顔を上げた。
「その人選からジョシュアだけは抜いとけよ!」
さっさと踵を返したヘンリーはにたりと笑い、背中越しに手をひらりと振って返した。
仮にローガンを取られたとしても我慢しよう、と唇を噛んだ逸朗は大輔とのふたりだけの逃避行先をどこにしようか、口許を緩めながら、手元の地図に眼を落として再び考え始めた。
後日、大々的な人事異動があり、平のヴァンパイアが突然の役職に就く騒ぎが起こり、アランのもとへ関係者から非難めいた苦情があったと報告が上がってきたが、逸朗は黙殺した。
己の横に立つ騎士がその原因だとわかってはいるが、その人選に間違いはないとも信じていた。
だからアランに易々と言ってのけた。
「苦情を申し立てた輩を切ればいい」
後ろ暗いからこその苦情だろう。
そう思ったが、すぐに大輔の顔が浮かんできた。
「ただし、切られたとわからないように、巧くやれ」
横でヘンリーがしたり顔で黒い笑みを溢したことには気付かなかった。




