79話「圧倒と決着」
「――久しい匂いがするな」
カトレアにより召喚された冥府の神ハデスは、ルシオンに向かって静かにそう告げる。
「久しい匂い?」
「ああ、そうだ。貴様からは、神の嫌な匂いが漂ってくる」
「神――そうか、そういう事なのだな」
ハデスの言葉に、ルシオンは納得する。
どこの誰だかは知らないが、同じ神が言うのならば間違いない。
そしてその力を与えている神とは、ハデスにとってあまり好ましくない相手なのだろう。
ハデスから感じられるその得体の知れない恐怖に、ルシオンはその身を強張らせる。
「――そんな話、どうでもいいわ。貴方の力を貸して」
そしてカトレアは、静かにハデスへそう告げる――。
あくまで召喚したのはカトレアであり、ハデスもまたカトレアの召喚に応じて現れた存在。
「よかろう――まずはこの嫌な匂いを、かき消すとしよう」
その言葉が、開始の合図となる。
無限に湧き上がってくる魔力により、ルシオンの身体には何一つ傷などついていない。
つまりは、未だ100%の力を有しているルシオンは、不死身とも言える力を手にしていると言えよう。
しかし、それはあくまでも自分より弱い存在に対しての話だ。
いくら魔力が無限と言っても、魔力による回復には当然時間はかかるし、そもそも魔力量にも上限はある。
つまりその回復より速いダメージや、上限を上回る程の力を向けられた場合、ルシオンでも無事でいられる保障はどこにもなかった――。
その事を承知しているルシオンは、今日一番の危機感に襲われる。
今目の前にいる存在は、間違いなくそれ程の相手なのだと――。
そう警戒を高めるルシオンだが、次の瞬間、目の前にいたはずのハデスの姿が消える。
そして気が付くと、ルシオンの首元にはハデスの持つ大鎌が迫っていた――。
驚くのも束の間、咄嗟に回避を試みるルシオンだが、完全に避けきるには至らず腕を大きく斬り付けられてしまう。
そんな一瞬にして凄まじい威力の籠った攻撃を前に、ルシオンはただ戦慄する――。
だが、目の前のハデスは表情一つ変わらない。ハデスにとっては、それが当たり前なのだ。
一度躱されたものの、ルシオンに余裕などない事を見透かしたハデスは、再びその大鎌でルシオンの首元に斬り掛かる。
ハデスの攻撃を把握しているルシオンは、その有り得ないスピードでの攻撃を何とか躱す事が出来た。
しかし、逆を言えば躱すだけで精一杯だった。
ここから反撃に出る余裕は勿論、少しでも判断を誤れば命が無い事を肌で感じる。
そんな、神という存在の持つ別次元の力を前に、成す術など何もない己が悔しくも絶望する。
「クソ――出鱈目なっ!」
「ほう、躱すか」
何とか攻撃を躱すルシオンに、ハデスは感心する。
神である己の攻撃を躱す事の出来る神ならざる存在に、多少の興味が湧いたのだ。
まぁそれも、あの神に力を与えられているからと言えばそれまでなのだが、それでも紛いなりにも戦いという形を取れている事に喜びを感じる。
しかし、その余裕もルシオンにとってみれば、ただの恐怖でしかなかった。
絶え間なく続く攻撃に、ルシオンの集中力は徐々に消耗していくのが分かった。
そして、最後の時はあっけなくやってくる――。
次の瞬間、ハデスの速度が更に加速したのだ。
そう、ハデスはまだ、全力など出していなかったのだ――。
その不意打ちの加速に、ルシオンは完全に意表を突かれてしまう。
そして向けられた鎌は、ルシオンの首を落とすべく迷いなく振り下ろされたのであった――。
「グハッ――」
身体と切断され、落ちていく視界と薄れていく意識――。
神より圧倒的な力を与えられても、目の前の神には遠く遠く及ばなかった。
その無念と共に、ガロン様への申し訳なさが込み上げてくる。
しかし、結果としてルシオンは、カトレアにこうして敗れてしまったのだ。
その事に関しては、素直にカトレアの事を祝福したい気持ちだった。
――まさか、冥府の神を召喚するなんて、そんなの聞いてませんよ……。
死線を越えた先に、真の力に目覚めたカトレア。
元々カトレアという存在の特異さについては、魔族領の中でも異端であった。
しかし、まさか神話の時代の柱である冥府の神ハデスを召喚する程だなんて、誰が想像出来ただろうか。
途切れかけた意識の中、ルシオンが最後に見たカトレアの表情は、悲しむような慈愛の籠った表情を浮かべていたのであった――。




