73話「カトレア」
「なんだ!? 何が起きている!?」
必死に攻撃を避けるルシオン。
しかし、天空から降り注ぐように漆黒の魔力の矢が絶え間なく降り注ぐ。
その一つ一つは小さくとも速く鋭く、左腕を掠った傷跡はそこから腐食していくように痣となり広がっていく事態に、この攻撃をまともに受けては不味いと察知したルシオンはこれ以上一つも受けるわけにはいかないと攻撃を躱すので必死だった。
しかし、まるで雨のように降り注いでくるその攻撃は止まる事なく、既にルシオンは劣勢を強いられてしまっているのであった。
「くそぉ! ならばこれでどうだぁ!!」
憤ったルシオンは、天に向けて範囲魔法を展開する。
それは光の防壁となり、ルシオンの周囲全体を覆う。
その結果、降り注ぐ無数の魔力の矢は弾かれ、その一本たりともルシオンへ届く事は無かった。
しかし、何故魔族であるルシオンが、本来扱うことなど出来るはずもない光属性の防壁を扱えるのかと言えば、それは神より与えられし力のおかげに他ならない。
こうして、絶対防御とも言える防壁を手に入れた事で形勢は逆転する。
「今度はこちらの番だなっ!」
光の防壁の中から、ルシオンはお返しとばかりにカトレア目がけて無数の光の矢を放つ。
それはカトレアの洗礼された魔法とは異なり、ただ魔力を圧縮して放っているだけのデタラメな攻撃魔法。
しかし、それ故強力だった――。
効率こそ悪いが、その純粋に凝縮されただけの魔力凄まじい威力を生みだす。
そして、神の力のおかげで魔力が無限に湧き上がってくる今のルシオンにとっては、どれだけ効率が悪かろうと何の問題もないのである。
そんな攻撃を前に、今度はカトレアが防戦一方になってしまう。
骨の翼で飛び上がりながら高速で上空を移動するも、それを追従するように無数の光の矢が後を絶え間なく追ってくる。
「――忌々しいわね!」
このままではじり貧になるだけだと悟ったカトレアは、漆黒の壁を展開する。
その漆黒の壁は、次々に飛び掛かってくる光の矢を喰らうように飲み込んでいく。
それはまさしく、先程の攻防が入れ替わったようで、お互いがお互いの攻撃を無効化させるのであった。
だが、戦士としての腕と勘は、ルシオンの方が一枚上手だった――。
「いない!?」
そう、先程まで光の壁の中にいたはずのルシオンがいないのである。
光の矢への対処で手一杯だったカトレアは、その僅かな隙でルシオンの行き先を見失ってしまったのである。
そしてそれは、正しくカトレアのピンチを意味していた。
カトレアは慌ててそこから全速力で飛び去ろうとする。
「駄目ですよ」
しかし、そんなカトレアの手は無残にもルシオンに捕まれてしまう。
そして、スケルトンドラゴンの時と同じように灼熱を纏う剣が既に振りかざされていた――。
「すいませんが、これも我々の目的のためです!」
そしてそのまま、灼熱の火の球となったその剣は、カトレアの背中目がけて振り下ろされてしまったのであった。
「きゃああ!」
スケルトンドラゴンでも耐える事の出来なかった圧倒的な威力の攻撃は、カトレアであっても致命傷レベルの傷を負ってしまう……。
大地に墜落したカトレア。背中から流れる大量の血液――。
大きく背中を切り付けられただけでなく、その背中は灼熱により焼け爛れてしまっていた――。
魔力による自然治癒は働くものの、深い傷の修復は追いつかない。
「……お姉様……申し訳ありません……悔しい……」
力なく握った拳を、大地へ打ち付けるカトレア。
大好きな魔王――イザベラ様のため力になる事を決めていたというのに、こんなところでやられてしまった自分の不甲斐なさ。
それがただただ悔しくて、遠い過去に忘れていた涙が自然と流れ落ちる。
お姉様の願った、平和な世界を――私は――!!
叶えるのだ。だから、こんなところで負けるわけにはいかない。
しかし、そう思ってももう全身に力が入らなかった……。
だが、ここで自分が負ける事。
それすなわち、魔族の大群が人間の地――さらには、自分達の住まう港町にも及んでしまうという事なのだ。
それだけは、何としても防ぎたい。
これまで悠久とも言える時を生きて来たカトレアにとって、今住んでいるあの町は気付けばとても大切な場所になっていたのだ――。
ずっと孤独で生きて来たカトレアにとって、自分にはイザベラしかいないと思って生きて来た。
しかし、あの町に住まう人も魔族も、カトレアがどんな存在なのか知ったうえで、普通に接してくれたのである。
一緒に遊ぼうと誘ってくる子供達。
通りかかっただけで食べ物を分け与えてくれる優しい市場の人達、そして毎晩賑わう酒場の愉快な仲間達――。
楽しかった日々が、脳裏を駆け巡る――。
――駄目よ、ここで私が負けるわけには、いかない!!
鉛のように重たくなった身体を、力任せに無理矢理起こそうとするカトレア。
たとえ自分の命がここで潰えようとも、絶対にここから先に通すわけにはいかないのだ。
そう思った、その時だった――。
「カトレア様! すぐに治療をいたします!」
「我々が真ん中を突っ切る! ゴールドハンターは右から、グレイスさんは左からお願いします!」
霞みかかった瞳に映るのは、翡翠の剣のウェバーを中心とするSランク冒険者達の姿だった。
まだこの間のアレジオール軍との戦いで傷も癒えてはいないというのに、それでも彼らはカトレアのピンチに駆けつけて来てくれたのである。
しかし、それでも――、
「に、逃げなさい!! 貴方達で敵う相手ではないわっ!!」
そう、今のルシオンは、彼らで敵うような相手ではないのだ。
ただ無駄に命を散らすだけ――そんな結果が分かり切っているからこそ、カトレアはすぐに彼らを逃がそうと必死に声を上げる。
「――分かっていますよ、カトレア様。それでも俺達は、ここを引くわけにはいかないのです」
「な、何故!?」
「私達も、あの町が大好きなんですよ。それに、勝てるとは思ってませんが――カトレア様の回復する時間ぐらいは、稼いでみせますとも!!」
そう言って、ルシオン目がけて駆け出して行くウェバー。
その頼もしすぎる後ろ姿に、自然と涙と笑みが込み上げてくる。
――そう、分かったわ。だったら尚更、ここで負けるわけにはいかないじゃない。
これまでずっと一人で戦ってきたカトレアは、一人じゃない事がこんなにも頼もしいだなんて思いもしなかった。
だからカトレアは、ここは皆の力を借りる事に決めた。
そしてまずは、己の魔力の全てを背中の傷の治癒へと集中させる。
どうかこの回復が終わるまで、誰一人死なないでと切に願いながら――。




