第7話 悪の宰相は騎士団長を懐柔する
不信任裁判への出廷前日――にも関わらず、俺とライラは教会の会議室で騎士団の面々と対峙していた。目の前にいるのは、土下座した団長。隣でわたわたと慌てるのは、見たことのない団長の平伏した姿に落ち着きのないライラだ。
「か、顔をあげてくだひゃい、クラウス団長」
「しかし……!此度の部下の不敬、なんとお詫びすればよろしいのか……!」
頑として頭をあげないクラウス。高貴な家の出身である彼が、輝く太陽のように美しい金髪を地に垂らし、しなだれたライオンのような恰好をしているのは、俺としても見るに堪えない。
いくら良く思われていなかったとはいえ、クラウスはあくまで『なんの努力や実績もなく要職に就いた』俺が気に食わなかっただけで、実際に嫌がらせなどをされたわけではなかった。
それに、案の定と言うべきか、クラウスはライラの隠し撮りブロマイドについて一切を知らなかった。『知らなかった』ことに対して罪はないだろう。組織の長たる責任という意味では『知らなかった、では済まされない』という見解もあるだろうが、俺はブラック企業の人事ではないので、そこは寛容に対応するべきだと思っている。
だって、俺が同じ立場なら『なんで俺が変態ロイズの尻拭いをしなきゃいけないんだ』って、キレたくなっただろうから。ちゃんと頭を下げられる大人なクラウスに、敬意を払おうというわけだ。
俺は、はわはわとして使い物にならないライラの代わりに口を開く。
「クラウス団長。ライラ様がそう仰っているのです。これ以上は、逆に失礼というものでは?」
「ですが……!」
そこでようやく、クラウスは顔を上げた。
「不敬な扱いをされたライラ様も、刃を向けられて命を狙われた僕も『いい』と言っているのです。許す、許されるを、あなたがとやかく決めることではない」
「それは、そうですが……それでは、部下たちの不始末と騎士団の汚名をなんとして雪げばいいというのですか!?」
どこまでも誇り高いクラウスに、俺は短く告げる。
「あなたの土下座に価値はありません」
「なっ――」
「しかし。汚名を雪ごうというのであれば、今後、再編成した騎士団を再び育て上げ、ライラ様に忠義を尽くす。それが、筋というものでは?」
「宰相殿……」
その言葉に、目を見開くクラウス。そこには、いままでにない感情が俺に向けられていた。驚き、感心、安堵。そして、感謝。
「あなたが最近、幼馴染であった侯爵家のご令嬢と婚約をしたのは知っています。今騎士団が解散となり、無職となれば、その婚約が破棄になるであろうことも」
「――っ!」
故に、クラウスの生殺与奪はライラ――もとい、俺に握られている。
「ですから、騎士団を解散とはしません。再編成することにします。不敬を働いた騎士を全員解雇し、罪のない騎士は、教会としてその立場と権限を守る」
「なっ――よ、よろしいのですか!?」
「構いません。クラウス団長がいなくなるのは、ライラ様もイヤでしょう?」
ゆったりと笑みを向けると、ライラも元気よく頷いた。
「はい。クラウスは私にとって、お兄ちゃんのような存在ですので。いなくなったら寂しいですよ?」
こっくりと首を傾げて、そっとクラウスの手を取る。優しさと愛情に満ちた動きと表情。ライラは素でコレだから恐ろしい。まったく。俺には真似できない。
だが――効果は抜群だ。クラウスはその慈愛と思いやりに、涙を流すしかなかった。
「なんというご慈悲……!なんという、配慮……!このクラウス命を賭して、今後もライラ様に忠義を尽くすとお約束いたします……!」
「ふふっ。泣かないでくださいクラウス?涙は嬉しい日の為に取っておくものですよ?結婚式とか……ね?」
ちらっ。
「…………」
これ見よがしなライラの視線。この期に及んで公衆の面前でイチャつこうなどと、どこまでも太い乙女だ。さすが脳内お花畑シンデレラドリームガール。
「お子さんが生まれたときとか……ね?」
ちらっ。
「…………」
ライラは、話を聞かない上に、空気も読めない。
俺はため息を吐いて、クラウスに向き直った。
「とにかく。騎士団を再編成する上であなたの意見を聞きたい。懸念事項はありますか?新しい騎士を雇うにしても、即戦力が集まらないのは承知の上です。未熟な騎士でもかまいませんので――」
言いかけていると、クラウスは涙を拭いて顔を上げる。
「宰相殿。それが、この街の騎士候補生は既に騎士団に所属していましたので、未熟な騎士すら街には残っていないのが現状でして……」
「な――」
「我が騎士団は幼少よりの寮生活と鍛錬の習慣化によって強さを身に着けて参りました。それ故、これから集めるとなると人手が……」
「人手、ですか……」
ここに来て、俺の天才的な頭脳は救国の一手となる政策を導き出す。
「クラウス団長。あなたは、『魔法剣』という剣術をご存じですか?」
「『魔法剣』……?恐れながら、初耳です」
にやり。
『魔法剣』。それは、日本で暮らしている少年少女であれば一度とならず耳にすることがあるだろう、魔法と剣技の合体技。他の聖女領ではどうか知らないが、騎士団と魔術師組合の仲が悪かったウチの領では見たことのない技術だった。だが、人手が不足しているのなら仕方ない。
そう、仕方ないよな?そういうときは、力を合わせないとだろう?
「実は、先日発足した、『魔術師の魔術師による魔術師のための基金』の管理者組合から、ある相談を受けておりまして。魔術の研究を行う過程で実地訓練をする場をいただけないかと――」
一瞬、クラウスが青ざめる。
「それは……我が騎士団に、その実験台になれと?恐れながら、いくら恩人である宰相殿の命とはいえ、部下の命を危険に晒すわけには――」
「実験台だなんてとんでもない!そんな危険な真似、大事な領民にさせるわけがないでしょう?」
「では、何を――」
「これを機に、魔術師組合と“仲良く”していただきたいのですよ……」
くつり、と笑うと、クラウスは黙り込んでしまう。
無理もないだろう。今まで魔術師組合と騎士団は、組織としては陰と陽。文系と体育会系。オタクと脳筋……は言い過ぎか。ともかく、その気質も体制も真逆のような集団だったのだから。
だが、もし両者を結託させて『魔法剣』のような複合的な術式を完成させることができたら?我が聖女領は騎士団を失った損失以上の成果を得ることができるだろう。
俺は姿勢を低くしたままのクラウスに視線を合わせて問いかける。
「これはチャンスなのです。魔術師組合と手を組んで、組織力を高めるための。かつては四聖女領最強と謳われた我らが騎士団も、このままでは魔術師組合に権威を奪われてしまいます。それに何より。領内最強であるあなたの剣技――人知を超える力を纏わせてみたいとは思いませんか?」
「――っ!」
「更なる剣技の高みを目指す……騎士としては、集団同士の小競り合いなどより余程重要な本懐なのでは?」
「宰相殿……」
クラウスは小さく呟くと、目が覚めたような顔つきで立ちあがる。
「異邦の者であるあなたが、そこまで我が領を気にかけてくださっていたとは。いままでの無礼、どうかお許しください」
「いいえ。魔術師組合と騎士団の共同研究……その成果を、大いに期待していますよ。騎士達の思想教育は、お任せしてよろしいですね?」
尋ねると、クラウスはもう一度跪いて、深く首を垂れた。
「必ずや!必ずや騎士団内の魔術師に対する偏見を払拭し、聖女ライラ様の新たな力となると、お約束いたします……!」
「ふふっ。皆の仲がいいのは、いいことよね?」
再び立ち上がったクラウスと握手を交わした俺を見て、笑顔を浮かべるライラ。
こうして、我が聖女領には聖女騎士団改め、『魔術騎士団』が発足することとなった。
◇
期待の新戦力に胸を膨らませる中、明日はいよいよ中央聖女教会本部への出立だ。
初めての俺との領外出張(出廷)に遠足前の子どものようにそわそわとするライラをよそに、俺はマイナスな意味でそわそわが止まらなかった。
「…………」
(いくらライラがここ数日真面目に公務にあたっているとはいえ、俺への小遣い支給や予算の使い込みは誤魔化せない。全くどこからバレたのか知らないが、教会本部……厄介だな……)
勤務態度の改善でどこまで罪状が軽くなるかは知らないが、裁判に呼ばれているのはライラと俺の『二名』。ライラはともかく、俺にのみ罰が与えられる可能性もあるだろう。むしろ、あのブラックレターの存在から察するに、そっちの可能性の方が高い。
(どうする……?証拠隠滅?今更だな。一度掴まれた金の動きはもう隠せない。ライラが俺に溺れているのが原因であれば、ライラとは少し距離を置くか?だが、ライラに見放されれば最後。俺は――)
「ねぇ、ユウヤ!見て見て!似合う?明日はどのお洋服で行こうかしら?」
「…………」
俺の切迫した状況がわかっていないライラは、旅行気分でひとりファッションショーなんぞに勤しんでいる。
「いつもは白っぽいワンピースが多いんだけど、せっかくの中央だもの!もう少し派手でもいいかしら?」
くるくる。
「裁判に出廷するんですから、慎みのある恰好の方がいいのでは?」
「え~?あの黒いロングワンピ?地味よ~!修道女みたい!もっとフリルがあるのがいいわ!」
ピンクスカートヒラヒラ。
「今履いている花柄のミニだけはやめてくださいね?」
「え~!可愛くない?お花柄」
「裁判に可愛さは要りません。まったく、少しは真面目に考えてくださいよ?デートじゃないんですから」
「え?違うの?」
「違います!裁判だって言ってるだろ!?さ・い・ば・ん!」
「きゃ~♡ユウヤが怒った!カッコイイ!」
「…………バカにしてんのか?」
フリフリスカートをはためかせ、むぎゅうとくっつくライラ。
そんなライラにイライラ。
流石に今日はキレてもいいんじゃないか?
というか……
(まず上を着ろ。上を!)
俺はベッドの上に転がっていたリボンタイのブラウスを拾い上げて、キャミソールの上から羽織らせる。
「ライラ様?風邪を引きますよ?」
「ユウヤやさしい♡大好き♡」
「はいはい。それはよかったですね」
「そんな素っ気ない表情もクールでいいわ♡」
「ああもう!少しは真面目に――」
――ちゅ。
「――っ!?」
ライラは不意につけた唇を離すと、もう一度微笑んだ。
「ユウヤ、大好き。昨日は助けてくれてありがとう?」
少し悲しげに、俺の鎖骨に残った傷痕に指を這わせる。
「痕が、残っちゃったわね……私が未熟なせいで、ごめんなさい……」
「ライラ……」
ロイズに切り付けられた傷口は一瞬で塞がりはしたが、対処が遅れたためか痕が残ってしまっていた。鎖骨の辺りに、十字の切り傷。火傷痕のような痛々しいものではないが、見ればすぐに『他者につけられた』とわかる、鋭利な切り傷だ。
(俺が着替えるたびに浮かない表情をしていたのは、そのせいか……)
俺は、ライラの羽織っていたブラウスを広げて着せ、その胸元にリボンを結ぶ。
「別に、ライラ様と違って可憐な乙女じゃないんですから。これくらい構いませんよ。名誉の負傷というやつです」
「でも、あと少しズレてたら、ユウヤは――」
「それでも。ライラ様をお守りできたからいいのですよ。だって、ライラ様が死んでしまったら僕は……生きていけませんから」
この世界で。物理的に、経済的に。そう思えば、これくらいの傷安いものだ。
にっこりと微笑むと、ライラは胸元に縋り付く。昨日俺がケガをして、泣きべそをかいたときのように。
「ううう……!私は!ユウヤが好き過ぎて死んでしまいます!」
「死なないでください。困るって言ったでしょ」
「それはダメ!ユウヤが困るのはダメ!」
「じゃあがんばってください」
もはや慣れ切ったやり取りにテキトーに相槌を打っていると、ライラはキリッ!と顔を上げた。その勢いに思わずたじろいでいると、ライラはハッキリと言い放つ。
「たとえ!たとえ裁判所で何を言われても!どんな決を下されても!私がユウヤを護ります!聖女の力と威信にかけて!」
「…………」
「全ての力と権力をかけて!どんな手を尽くしても!どれだけ袖の下を通してもかまいません!全財産を!ユウヤのために――むぐぐっ!」
俺は、五月蠅いお口に手で蓋をした。
「だから!そういう思考が問題視されてるんですよ!?わかってます!?わかってないからそういうこと平気で言うんですよねぇ!?おバカなんですかぁ!?」
「ふえ……ユウヤひどいわぁ……私は、ユウヤがしゅきなだけで……ぐしゅっ……」
「あああ!人の手に鼻水つけないでくださ――っ!!」
ぐしゅ。
「ふえ……」
「あああもぉおお!!こんなことで泣くんじゃない!お前は子どもか!?」
「ごめん、なしゃい……」
「…………」
一部の特定層の庇護欲と劣情を煽りそうな、なんとも情けない泣き顔だ。
だが、ライラがこう言う以上、裁判で俺が罪に問われた場合に泣き目を見るのは奴らの方。いざというときは、キレ散らかしたライラの神聖光魔法が炸裂し、教会本部の方々にはもろとも吹き飛んでいただこう。
(うん。それでいこう)
俺は、それ以上を考えるのをやめた。だって、ここのところ色々ありすぎてなんだか疲れていたから。我ながらよく働いた方だと思う。少しくらい自分を褒めて、誰かに丸投げしたっていいじゃないか。
もはや打つ手も無く自棄になり、ベッドにばったりと倒れこむ。
「ああ……疲れた……」
思わず愚痴をこぼすと、ライラが傍に来て寄り添うように寝転んだ。すりすりと身を寄せて、まるで懐っこい猫のようだ。
「今日は疲れたのでナシですよ?」
「そ、そういうつもりじゃないわ……////」
ジト目を向けると、意外にもライラは否定する。
「ユウヤが疲れてるなら、少しでも癒しになるといいなと思って……」
「?」
ライラは口元を少し動かしたかと思うと、俺を包むようにして抱き締める。身体の接する部分から謎の緑の波長が伝播しているのを見る限り、何かの魔法を使ったようだ。
「これは……?」
首を傾げると、ライラはふっと笑う。
「魔法と呼ぶに満たない、おまじないのようなものです。昔、お母さまによくしてもらったの」
あたたかくて、優しくて、それでいてふわっとした春風のような爽やかさだ。
「とても、心地がいいですね……」
素直に述べると、ライラは再び笑った。
「ふふっ。そう言ってもらえると嬉しい。この『おまじない』はね?私の『想い』を伝えるものなのよ?」
「…………」
そう言われると、急に気恥ずかしくなる。俺は思わず上体を起こした。
「あっ。」
「もう十分です。おかげで身体が軽くなりました」
「ええ~……」
「なんですか、その不満げな顔は」
「もうちょっとぉ……」
「そのおまじない……まさかエナジードレインじゃあないでしょうね?」
「そ、そんなんじゃありません!」
かぁっと赤くなるライラの姿にくすくすと肩を上下させていると、痺れを切らしたライラに腕を引っ張られた。
「もうちょっとだけ!ね!」
「はいはい」
俺は身を任せるように再び横になる。満足そうに俺を抱くライラの横顔を見ながら、明日への不安をかき消すように、静かに目を閉じた。その不安が、あくまで裁判所に《《着いてから》》のものであるということには気づきもせずに。
俺を狙う不穏な風は、幸か不幸か。ライラから伝わる春風によって攫われてしまったのだった――