鏡色した世の中を
始まりの場所に別れを告げて村に戻れば、見立て通りにちょうどよく昼飯の準備が出来ていた。これが最後ということもあり、いつも以上に女将が腕を振るったらしい料理は相も変わらずの美味さで、やや量が多めだったにもかかわらず、俺もケイコもすんなりと平らげてしまう。
食後にと女将が出してきたのは、 “ぷりん”、“ぽてち”、“まよねーず”とやらで。ミヅキ曰く、異世界――ニホン由来とのことだった。
さすがは異世界の知識に基づいたものと言うべきか、方々を旅してきた俺ですら初めて目にするものばかりで、どれもそれぞれに美味かった。そんな様を見たミヅキは「うんうん。これぞ“てんぷれ”ってね」などと言っていたが。
その後は雑談混じりにひと休み。そうこうするうちに腹もこなれ、いよいよ出立の時がやって来る。
やって来た先は、ユグ山とは逆方向。街道へと続く村の出入り口であり、俺はこの村にやって来た際に一度通ったきりで。村の外に出るもの以外は無用であろうこの場所。
「これはまた……。随分と盛大な見送りになったものだな」
「クゥレフィト……」
そこに集まっていたのは、10や20ではなくて。記憶と照らし合わせたなら、住民のほとんどがいるのではなかろうかと思えるほどに。
「それだけ感謝しているということですよ」
代表するようにそう言うのは村長。
「なかなか受けてくれる方が現れなかった野盗退治を引き受け、湧き水のほら穴を塞いだ大岩を壊し、凶暴化した動物に対処出来る鏡追いを手配してくれた。村の中で暴れた化け物については半信半疑でもありますが、その件にしても、被害を減らしてくれたのだとは確信しています」
「……たしかに、どれも少しばかりの助力はしたが」
「ダンナ、感謝は素直に受け取るべきだよ?」
傍らにいたケイコ――のフリをしたミヅキが肘で突いてくる。俺の自己評価が低いことを気に入らぬと言っていたこいつは、ことあるごとに改めさせようとしてくる。
「そうだな。ならば、どういたしましてと言わせてもらおう。俺としても、この村で造っている酒を失わせずに済んだことには胸を撫で下ろしているところだ」
無論報酬の一部として――村長は報酬とは別にと言っていたのだが、そこは丸め込んで押し通した――受け取った酒の小瓶は背負い袋に仕舞ってある。俺の口に入れるのではなく、あの御仁とケイトの墓前に供えるつもりで。
「そこまで言ってもらえるとは……」
「おかしなことを言ったつもりはないのだがな。長いこと各地を旅してきた身として言うが、この村の酒は間違いなく名を馳せることになるだろう。それこそ、コーニスにまで名声が広まるのも時間の問題だと俺は思っている。世辞ではなく、本心から」
そうなれば、コーニスに渡ってからもこの旨い酒を楽しめるのだが。
「何にせよ、この辺りに来る機会があったならその時は、酒を飲みに足を運ぶつもりだ。その時を楽しみにしよう」
「ええ。その時は是非とも」
「本当に酒好きなんだねぇ……。その割には、ロクに飲んでなかったみたいだけど」
不思議そうに言ってくるのは宿の女将ことリーシャ。村の連中には大なり小なり世話になったと自覚しているが、恐らくは最も世話になったのがこの女将だろう。飯の美味い宿があってくれて本当によかった。
「酔えば確実に動きは鈍るのでな。仕事の最中は控えるようにしている」
「なるほどねぇ……。まあ、そんなダンナだったら安心してケイコちゃんを任せられるのかもしれないけど……」
ケイコが鏡追いの道を選ぶにあたって、唯一難色を示していたのがこの女将。相当にケイコを可愛がっていたこともあり、危険まみれの生き方をさせたくはないと思っていたのだろうが、
「私、自分の、意志で、決めた、から」
「わかってるって。ケイコちゃんが本気でそう決めたなら、あたしも止めないよ」
最終的には、そんなケイコの決意を前に折れていた。今更撤回も無いということだろう。
「だけど、身体には気を付けるんだよ?それから、危ないことは……なるべくしないでね?」
「……うん。出来るだけ、そうする」
そこで素直に言ってしまうあたりはやはりケイコ。まあ、ケイコはそれでいいのだろう。ひねくれたあれこれは――今のところは――俺やイスズの役目でいい。
「それと、今更だけどよかったのかい?あんな珍しい料理の作り方教えてもらって」
これは“ぷりん”に“ぽてち”と“まよねーず”のことだろう。一緒に作っていたらしいわけだがそれは、女将に作り方を知られるということでもある。
「長年宿をやって来たあたしにはわかるけどさ、どれも十分商売になる代物だよ?」
ケイコの雰囲気がミヅキのそれに変わる。
「女将サンにはお世話になったからね」
どうやらミヅキにとってはその礼代わりでもあったらしい。恐らくは、自分が、ではなく俺やケイコが、なのだろうが。
「女将さんなんて他人行儀じゃなくてさ、いつもみたいにリーシャでいいよ」
まあ、ボロを出してしまうあたりはご愛敬か。
「そうだね、リーシャ」
「やっぱり、そう呼ばれる方があたしは落ち着くね。まあ、そういうことならありがたくもらっておくよ。いろいろ工夫も出来そうだし、もっと美味しく作れるようになっておくから、いつか食べに来ておくれよ?」
アレを女将がどう改良するのか、俺としても気にかかるところ。この先コーニスを目指すわけだが、要件自体は墓参りを2か所だけ。それが済んだ後の、差し当たっての旅の目的とするのも悪くはなさそうか。
「ハルク、アルバ、ネブラ。お前さんたちにも、世話になったな」
そんなことも思いつつ、女将の方が落ち着いたところで今度は、この場にいる鏡追いたちに声をかける。
「いいってことよ。それに、あんな経験は滅多に出来るもんじゃないだろ?」
「それはそうだがな」
豪快に笑いながらで言ってくるのは、“魔物化”した動物やクソ野郎のことだろう。たしかに、俺とてこの村に来る以前であんな存在と対峙した経験は無い。
そして生き延びることが出来た以上、その経験は糧となる。
「俺も、本物のティークさんに会えて嬉しかったですよ」
「あの時俺たちの故郷を救ってくれたのはこんなにもすごい人だったんだって、帰ったら伝えておきますね」
「……頼むからそれは勘弁してくれ」
アルバの提案は却下しておく。本当に、心の底から勘弁願いたい。
「ともあれ、ダイトにもよろしく伝えおいてもらえるか?」
残るひとりはこの場におらず。逆方向、ユグ山方面の出口で今も番の最中。無論、すでに別れの挨拶は済ませてあるのだが。
「はい」
「それと、この先10日間は頼むぞ」
すでにユグ山には“魔物化”の生き残りは居ないと見ているのだが、そこは念のためということで。ハルク、アルバ、ネブラ、ダイトの4人には俺の方から依頼をしてあった。
「ああ。きっちり貰うものは貰ってるからな。報酬分は働くぜ」
報酬については、すでに前金で全額を渡してある。俺が村を発つ以上は妥当だろう。
「ターロの繫ぎ屋には俺の方から話を通しておくのでな。なにかあったなら……」
「ああ。その時は素直に連絡するさ。今回の件で、俺もまだまだだって思い知らされたからな」
ハルクならば、手に余る事態などそうそう起きはしないのだろうが。
「コーナスにミッシュ。まさかお前さんたちがこんなことになるとは夢にも思わなんだが……」
そう声を向けるのは、元鏡追いのふたりに対して。
「奇遇ですね。俺も同じこと考えてましたよ」
「同じく」
苦笑混じりで応えるふたりは、すでに鏡追いを引退していた。なぜかと言えばそれは、“魔物化”したクソ野郎が村で暴れた時のこと。とりわけ深手だったのがこのふたりなのだが、その理由はクソ野郎に襲われかけた村の娘たち――聞くところによれば姉妹らしい――をかばったから、とのことだった。
そこから始まった縁で見事にふた組の恋仲が生まれ、このふたりはユグ村に身を落ち着けることにしたそうな。
ハルクなどは「ケッ、いい相手見つけやがってよ……」などと口では言っていたが、内心では祝っていたことだろう。
鏡追いを辞める理由としての最悪は死。ハルクとて、これまでには幾度とそれを目にしてきたことだろう。無論、俺もだが。
では最良はと言えばそれは、別の幸せを見つけて足を洗うことなのだというのが通説。
平時は農具を、有事に鉄杖を。そんな生き方を選んだ元鏡追いというのも、実はそれなりに多い。
40年前に何かが少しでも違っていたなら。などとは俺とイスズも思わぬではなかったのだし、そのことでミッシュやコーナスに軽いやっかみを覚えもしたのだが……。まあそのあたりは余談というやつか。
「せっかくの縁だ。大切にな」
「「はい!」」
俺が余計なことを言うまでもなく、このふたりならば心配は無いことだろう。不安があるとすればそれは――
「ダンナ、いろいろと世話になったな!」
この場にいる全員が胸中で。あるいは実際に、ため息を吐き出す。
その原因を作ったのはまだ幼さが残る声。キードの坊主だった。
「一応はお互い様なのだろうが……」
ちなみにこの坊主、クソ野郎が暴れた時には家の中におり、飛び出そうとしたところを両親が必死で取り押さえたとのこと。
それ自体は大いに結構なことだろう。もしもクソ野郎とかち合っていたなら、良くて大怪我悪ければ死亡。たとえ無傷で済んだとて、生涯残るほどの傷を心に負っていた恐れもあったのだから。
だがそのせいでと言うべきか、ますます鏡追いへの憧れを強めてしまったことは困りものだった。
「俺もいつか、鏡追いになって旅に出るんだ。その時はさ、ケイコみたいにダンナの弟子にしてくれよな」
そんなことをほざきやがる。また、数名がため息を吐き出した。
無論、そんな要望は却下以外にあり得ないのだが、坊主の件に関しては、俺にも責の一端があるように思えてしまうのだから頭が痛い。
釘くらいは刺しておこうか。
下手に村を飛び出し、野垂れ死になぞされようものなら寝覚めが悪すぎるというものだ。
「弟子入りは考えてやらぬでもないがな、ひとつだけ条件がある」
「……ホントに!?」
「ちょ……いいのかい?そんな約束しちゃって……」
坊主は素直に目を輝かせ、対照的に女将は不安げになる。
「それで、条件って何?」
「難しいことではないさ」
お前さん次第ではあるだろうがな。とは胸中でだけ、付け加えておく。
「鏡追いになることについて、身内を説き伏せ、納得させる。ただそれだけだ」
「……そんなぁ」
項垂れる。それだけでも、周囲がどう考えているのかがよくわかる。
「一応言っておくがな。無断で村を飛び出すようなことをやってみろ。その時は、縛り上げて引きずってでもこの村に連れ帰るぞ」
「……うぅ」
それでも納得していないとはひと目でわかる。
「そもそもがだな。説教臭い話になるが、身内ひとつ説き伏せられぬようでは、鏡追いなぞ到底務まらぬぞ?」
まあこれは真っ赤な嘘だが。少なくとも、俺やケイトやミヅキなどは、勝手に故郷を飛び出した身の上なのだから。
「はーい……」
それでも、そう念押しすれば、渋々といった風で引き下がる。
「ミッシュ、コーナス。お前さんたちの責は重くなりそうだぞ」
「うぇ!?」
「なんで!?」
元鏡追いのふたりにそう声を向ければ、泡を食った様子を晒す。
「俺とケイコが村を発ち、ハルクたちも10日後には村を発つのだろう。そうなれば坊主の矛先はどこを向くかな?」
「「あ……」」
気付いたらしい。そうだろう。元鏡追いのふたりへと、だ。
「まあそのあたりは坊主の両親や村長とも相談の上でとなるのだろうがな」
「ま、しかたないか……」
「だよな……」
ため息混じりの承諾。とはいえ、この件に関しては村全体の支援も期待できるはず。であれば、多分どうにかなることだろう。
「さて……」
「うん」
ひと通りの顔ぶれと言葉を交わし終え、ケイコに目を向ければ、応えるようにして頷く。
「名残は尽きぬが、そろそろ行くとしよう。本当に、世話になった。達者でな」
「みんな、ありがとう!……元気でね!……縁があったなら、どこかでお会いしましょう」
そうして、背中にかかる言葉に見送られながら、俺たち4人はユグ村を後にした。
「やっぱり、少し、寂しい、かな」
街道へと続く林道の最中に、ふとケイコがつぶやく。まあ、気持ちは想像出来ないでもないのだが。
クソ虫の件はともかくとして、俺がユグ村に行かなかったとしても、女将あたりに引き取られて穏やかに暮らすという未来はあったことだろう。それはそれで、ケイコにとっては悪くない道だったのではなかろうかと俺は思う。それに――
「ああ。実にいいところだった」
酒が旨く食い物も美味い。住民は気のいい奴らで、のどかな雰囲気も俺は気に入っていた。
長年旅暮らしを続けていた身としては、ここまで長くひとつところに留まる機会は多くなかったわけだが、なかなかに居心地のいい土地ではあった。それこそ、ケイコが望むのであれば終の住処としてもよかったと思える程度には。
まあ、そのあたりはどうでもいいことか。選ばなかった道の先に出来ることと言えば、あれやこれやと想像するくらいのものなのだから。
そして、そんなしんみりとした空気も長くは続かなかった。
「ウース……」
林道を抜けて街道に出たところで、ケイコがニホン語を口にする。多少はアネイカ言語にも慣れてきたケイコだが、とっさの状況や感極まった時などは、ニホン語が口をつく。
何も無い広大な平原に踏み固められただけの道。広がっていたのはそんな、俺にとっては珍しくもなんともない風景。けれどケイコには別の見え方をしていたのだろう。その瞳をキラキラと輝かせていた。
ああ、そういえば……
山を下り、初めてユグ村を目にした時も似たような反応をしていたか。
恐らくはケイコの故郷――ニホンという場所では、こういった光景は珍しいということなのだろう。
異世界。俺とて興味が無いわけではない。直接目にする機会なぞ、訪れはしないのだろうが。それでも、折を見て聞いてみるのも面白いかもしれぬな。
「クゥレ、ダンナ」
そんなことを考えていると、俺を呼んだケイコが拳を差し向けて来る。
「想いのままに、素直なままに、みんなでいろんな景色を見て」
無垢な笑顔でそう告げて、
「心のままに、求めのままに、たくさんの光景に出会ってさ」
明るくミヅキが続け、
「いつまでも、どこまでも、ただひたすらに面白おかしく、様々な瞬間を楽しんで行きましょうね」
穏やかにイスズが締めくくる。
示し合わせたように、ではなくて。実際に示し合わせていたのだろう。そして、俺に何を望むのかも容易に見て取れる。
少しばかり気恥ずかしくはあるのだが……
イスズもミヅキも、ケイコに対しては甘い。けれどそれでも、俺よりはマシなのだろう。
俺自身、もとよりケイコに対して甘くなってしまう自覚はあった。だがここ数日というもの、イスズに対してもかつてのケイト以上に甘くなっており、ミヅキに対してまでも似たような状況になってしまっていた。
正確な理由はわからぬが、ケイコと身体を共有している――ような状態だからではなかろうかと思っているのだが。
ともあれそんなわけで俺はと言えば、この3人全員に弱くなっていた。
その結果――余程筋の通らぬことであれば話は別なのだろうが――何かを望まれてしまえば、断るということに対してほぼ無条件に気が引けてしまうという有様だ。
ま、いいけどよ……
そのあたりはいつものように諦める。俺自身、それを不快だとはまるで思えぬのだから、なおのこと始末に負えぬ。
「ああ」
3人が望むであろうことに応え、伸ばした拳を触れ合わせる。
「この命の限りを……好き勝手に生きてやるとしよう。俺たち4人でな」
「うん!」
そうすればケイコが返してくるのは眩しいほどの笑顔。
まっすぐに見つめ返すのは照れ臭くもあり、吹きゆく風に釣られるようにして見上げればそこにあるのは、薄雲模様の空。
不思議なものだな。
思えばひと月ほど前。初めてこの道を歩いた時に見た空も似たような様だったことは覚えている。だというのに、当時はくすんでいたはずの空が今はなんとも鮮やかに見える。
まあ、原因は明確なのだろうがな。
心境の変化――ケイコとの出会いにミヅキとの出会い、イスズとの再会があったからに違いないことだろう。
昔にどこかで聞いた話。世の中の色というのは、自身の心を映すものなのだとか。
「ダンナ!早く早く!」
はしゃいだ声で呼ばれる。見ればケイコは早々に歩き出し、立ち止まったままの俺を不思議そうに眺めていた。
やれやれ……。まずは、置いて行かれぬようにせねばな……
そんなことを思いながら歩き出す傍らに思う。
この一歩は、40年前に止めてしまった歩みの再開なのではなかろうか、と。
その旅路を行くのはひとりではなくて――ケイコとイスズとミヅキと俺との4人で。
申し訳程度には前向きになれたように思えないこともない性根を抱えて。願わくば、この先も鮮やかに色付いた時を生きていきたいものだ。この――
鏡色した世の中を。
これにて、鏡追いティークの物語は幕引きとなります。ここまでお付き合いいただいた方たちに最大限の感謝を。
この後に(主にケイコが使っていた)異世界語のリストがありますので、「あの時ケイコは何を言ってたんだろう?」など、気になるようでしたらどうぞ。




