おはよう
「オジサン!」
爆風を空の彼方に跳ね飛ばし、勢いのままで仰向けに倒れる。夜更けを夕焼けのように染め上げた光はほどなくして消え、これでひと安心と身体の力が抜けるとほぼ同時に、向けられた声は、酷く慌てふためいていた。
ミヅキか。いつの間にやらイスズから交代していたらしいな。
「大丈夫だよね?生きてるよね?あたしのことわかるよね?」
「多分な。それはそれと、拍手喝采は無いのか?頼んでいたはずなのだが」
そんな風に茶化すのは、声色だけでなく表情までもがあまりに、今にも泣き出しそうなほどに痛ましかったから。なのだが――
「馬鹿ぁっ!!!」
飛んできたのは罵声。
「ああもうとにかく!腕!右腕見せて!」
「それもそうか」
ミヅキに支えられながら上体を起こす。痛みを感じなかったのは、一瞬で消し飛んだからなのか、あるいは精神状態ゆえだったのか。
ともあれ、より優先順位の高いことがあったので捨て置いていたが、俺の右腕は肩付近のわずかな部分だけを残して無くなっていた。見ればそれなりの勢いで血も流れ続けている。腕の感覚が無い、というあたりには違和感も覚えるのだが。
「済まぬが止血を頼めるか?生憎とこの様なのでな。俺では満足に出来そうもない」
ミヅキとて、鏡追いとして旅暮らしを続けてきた身の上。それくらいの知識は持っていることだろう。
やはり、俺はこの3人と道を共にすることは出来ぬのだろうな。
一方ではそんなことも思う。ある程度の想像予想はしていたが、片腕を失うということが連れて来る不便は相当なのだろう。適当に傷口を縛ることすら、今の俺には難しいのだから。これでは重荷になってしまうこと請け合いというやつだ。
ま、いいけどよ……
それでも構うまい。どうせ諦めることには慣れている。まして、3人の未来を繋ぎ止めることが出来た今ならば、流されてしまってもいいだろう。
「大丈夫。大丈夫だから……。絶対に治してあげるから……」
なかなか止血が始まらないので、どうしたのやらとミヅキを見れば、なにやら必死の形相でのそんな呟き。
治す、と言われてもな。ミヅキに医者としての知識があるとは聞いた覚えも無いのだが……
「治れ!傷!」
そんなことを考えていると、声と共に向けられたミヅキの手元に光が現れ、俺の肩へと吸い込まれるように消えていく。そして、
「うっ……!おわあっ……!?」
その感覚に、なんとも情けない声を上げてしまう。
なんと表現すればいいのか。最初にやって来たのは、無くなったはずの右腕が膨れ上がるような感覚。これだけでも、長い鏡追い人生で初めてとなる経験。
そこからさらに絡まり合って収縮しては、再び膨れ上がるような感覚が繰り返され、
「大丈夫……だよね?」
ミヅキが不安色の濃い問いかけ――あるいは自問というべきか――をかけてくる頃には奇妙な感覚は消え、俺がよく知っているものに近い感覚が残っていた。
「……驚いたな」
あらためて右肩から先に目をやればそこにあったものは、見慣れているそれとよく似た右腕。
あの光は“魔法”の治療で何度か見かけたものだが。この場にいる中でもっとも“魔法”の扱いに長けているミヅキが行った点から見ても、そういうことなのだろう。
「それでオジサン。右腕はどう?ちゃんと動く?」
「そうさな……」
腕を曲げ伸ばし。手首をひねり、てのひらを握って開く。
そこに違和感は、ほんの少しだけ。
違和感があったのは中指の先。よく見れば、見慣れたソレよりもわずかに短く、爪の先も丸まっていた。左と見比べてみれば、さらにわかりやすい。
まあ、些末なことか。
せっかく“魔法”で治したのに一部不完全でした、ではミヅキもいい気分はしないだろう。
「問題ない。十全に動く」
「そっかぁ。よかった……。本当によかったよぉっ……」
中指の件は黙っていて正解だったらしい。イスズならばそのうち気付くかもしれぬが、そうなったとて、余計なことを言いはすまい。
安堵からか、ぐったりとへたり込むミヅキにそんなことを思う。
「時にミヅキよ。まだ“魔力”が残っていたのか?」
それはそれとして、気にかかるところでもあった。“ばくだん”の対処に際して、“魔力”が無いから“魔法”での対処も出来ぬと、そう言ったミヅキに嘘は見えなかったのだが。
「ああ、そのことね。オジサンが爆風を空に飛ばした時にさ、少しだけ“魔力”が漏れ出てたのよ。んで、それを必死でかき集めて……」
「そうかい」
中指の先が妙なことになっていたのは、“魔力”がわずかに足りなかったことを原因としていたというわけだ。
「だからさ、今のが正真正銘最後の“魔法”ってわけ。もう二度と使うことは出来ないだろうね」
「そういうことか。ミヅキよ、礼が遅れたことを詫びよう。そして、右腕を治してくれたことに心からの感謝を。ありがとう」
「いいってことよ。あたしとオジサンの仲じゃないのさ」
立ち上がり、深く頭を下げる俺に返してくるのはそんな言葉。
「そうは言うがな。おかげで諦めずに済むのだから」
「諦めるって、何をさ?」
「いろいろとな」
「ま、いいけどさ……」
お前さんたちと旅することを。喉元まで出かかったそんな言葉を飲み込んで曖昧にまとめれば、ミヅキも追及はしてこなかった。
どうせ死ぬまで暮らしていけるだけの蓄えはある。なれば、鏡追いから足を洗ってどこかの田舎に隠居するのもいいだろう。
旅の土産話と共に時たま3人がやって来る日を楽しみに、ただただ穏やかにのんびりと。それはそれで――この40年と比べたなら――はるかに満たされた日々になるはず。少なくとも、俺なぞが過ごす余生としては、上等に過ぎるというものだ。
先ほどまで考えていたのはそんな今後。
とはいえ、俺が共に行けるかどうかなどミヅキにとっては些末なことに違いない。わざわざ口にするようなことでもなかろうな。
「それはそうと、オジサンと話したいのはあたしだけじゃないし、代わるね。……ダンナ」
そうして現れたのはケイコ。
「ベルティーレ」
かけられたのはそのひと言。意味するところはやはりわからぬが、恐らくは“ピジュティ”や“リーディ”などのように単独で意味を持つ言葉なのだろう。状況まで加味したなら、“お疲れ様”あたりだろうか。
「ああ。お疲れさん。ケイコよ、お前さんも疲れただろう?」
「キーシュ。イクス サブートゥ」
的外れだったとしてもイスズが上手いこと説明してくれるだろうという考えで、そんな予想に準じた言葉を返してやれば、ケイコは横に首を振る。
私は大丈夫、か。ここは俺でも理解出来た。まあ、余裕があるのは結構なことだ。俺などはこれから下山することを思うと気が重いのだが。気分だけではなく、心なしかまぶたも……
「……っく!こいつは……」
「ダンナフィト!」
不意にやって来た目まい。
「サブートゥフィト」
よろめいたところをケイコに支えてもらったはいいが、この感覚には覚えがある。
ともあれ、こうなってしまっては猶予も無い。
「ケイコよ。済まぬが、イスズと代わってもらえるか?限界が近い」
「ラペット。……ティーク。限界というのは、そういうことなんですね?」
俺は過去に何度か経験していたこと。知る限りではケイトは未経験だったはずだが、共にいた時に聞かされたことがあった。知識としては持っていてくれてよかったというもの。
「ああ。そういうことだ」
おかげで話が速く済む。
限界、というのは、立て続けでの無理を長期間続けることで、溜まりに溜まった疲労が引き起こすもの。その場合にどうなるのかと言えば、意識を無視して身体が急速に眠りへと向かい、その後しばらくは目覚めることなく眠り続ける羽目になる。経験と他聞の全てにおいて抵抗は不可能だと知らされていたことでもあった。
思い返せば――
ユグ村に来てからと言うもの、夜は屋外で座ったままに警戒をしながら眠り、途中で何度も起こされるということが多数。
ようやくベッドにありつけても、十分な時間の睡眠を取れず。
それらに加え、ただでさえ老いによる衰えがあったところに、トドメとばかりに今宵のあれこれ。
なるほど、考えれば考えるほどに当然の帰結。むしろ、よくここまでもったと考えるべきなのか……
「そういうわけなのでな、済まぬが後は頼む」
イスズに代わってもらったのはそれが理由。この後で村に戻ることになるわけだが――事実をありのままに伝えるべきなのかも含めて――表向きの説明は必要となることだろう。その場合、ミヅキよりはイスズの方が適任だろう。
「はい。しかと心得ました。後事は万事、このわたくしめにお任せあれ」
そんな芝居がかった口調で了承したイスズは、座ったままの俺の肩に手をかけ、
「それっ!」
軽い掛け声とともに引き倒す。すでに全身に気怠さが染み渡っていた俺に抵抗は出来ず、疲れ切っていた身体の方も勝手に動くことはなかったらしい。
気が付けば俺は仰向けに転がされ、見上げる先には見事な満月と、
「ふふ」
楽し気で涼やかな笑いと共に、穏やかに見下ろすイスズの顔。
頭の下にあったのは、ほのかな暖かさと、ほどよく柔らかな感触。
「懐かしいものだ」
「ええ。本当に」
いわゆるところの膝枕というやつだ。思えばケイトと旅していた頃は、せがまれて押し切られる形で幾度と経験してきたこと。当時は気恥ずかしさが先に立っていたが、40年も経てば俺の感じ方が変わるのも道理と言うべきか。
なんとも心地がいいものだな。
抱く感想はその一色。
さらにそっと頭を撫でられる感覚が、全身の脱力を加速させていく。目を開いていることを辛いと感じるほどに、まぶたも重くなってきた。
「いいですよ。無理をしなくても。眠りに落ちるまでの短い時間ですが、どうかそのままで心地よさに包まれていて」
「ああ。そうさせてもらう」
自分でも気付かぬうちに目を閉じていたらしい。そうなれば残るのは、頭の下にある柔らかなぬくもりと、頭を撫でる感覚だけ。
まだ意識は覚めているが、じきに身体に引きずられて霧散していくことだろう。
イスズが言うように、それまではこの感覚を楽しむと――
「って、そうでした!ティーク!まだ眠らないでください!」
「……なんだよ」
そんなところへ割り込んで来たのもこれまたイスズ。返事がぞんざいになっていたのは、単に身体が脱力しきっていたからなのか、あるいは気分のいいところへ水を差されたこともあってだったのか。
「本当にごめんなさい!ですがもう少しだけ!お願いです!」
危機感を聞いて取れぬ以上、まだクソ虫が生きていたなどという話ではないのだろうが……
「……手短にな」
急速に眠りへと向かう身体を気合ひとつで押し留める。それでも、目を開けることすら出来そうになかったが。
「ええ。すぐに済みますから」
そうして咳ばらいをひとつ。
「おはようございます。ティーク」
続いたのはそんな言葉。
これから眠りに落ちる相手に何を言っているんだ?
もう夜も更けているだろうに。
素直に考えたなら、そんな印象を抱くところ。
ああ、そういうことか……
けれど俺が感じたのは納得。
イスズも、俺と同じだったらしい。
思い返せばそれは、今朝目が覚めた時にイスズに告げることを楽しみにしていた言葉だった。
当のイスズが寝こけており、ようやく目を覚ましてからはそれどころではなかったせいですっかりと忘れていたが。
「ああ……。おはよう……イスズ……」
だから俺も、残る力をかき集めて返す。
「はいっ!」
嬉しそうな声。顔を見られないことを心底に残念と思える。
せっかくだ、もうひと頑張りしようか。
目覚めの挨拶を告げたことで、別の願望が沸き起こる。
「なぁ……。ケイ……コ……。イ……スズ……。ミヅ……キ……」
今宵を共に戦った3人。この先、共に歩んで行けることを心から楽しみと思える3人へと。
「おや……す……み……」
そう伝えたかった。
ここまでか……
言い切った反動なのか、今度こそ身体が眠りに飲み込まれ、道連れにされるように意識も霧散していく。
だから、きっとそれは霞む意識が生み出した幻聴。
「おやすみなさい、ティーク」
「おやすみ、オジサン」
「オヤスミ、ダンナ」
最後に聞こえたのは、そんな3つが綺麗に重なりあった――起こりえないはずの声で。
満たされたままに俺は、深いところへと沈み込んでいった。




