お前こそ約束は守れよ、家出娘
「約束ですからね?一撃でも入れたら、私を弟子にしてくださいよ?」
「お前こそ約束は守れよ、家出娘。制限時間は5分きっかり。その間に一撃入れることができなかったら、二度と俺に付きまとうなよ?んで、さっさと家に帰れ」
目の前で棒切れを構える女に言葉を叩き返す。どうせこれでオサラバだ。最後くらいは、売り言葉は言い値で買い上げてやろう。ついでに言うなら、5分も付き合ってやるつもりすらない。大怪我させない程度に加減はするつもりだが、やりすぎたところでコイツの自業自得。ここ数日、散々付きまとわれてウンザリさせてくれやがったことの代償と割り切ってもらう。
「もちろんですよ。でも……私だって幼い頃から代々伝わる武術を叩きこまれてきたんです。あまり甘く見ていると……吠え面では済まないかもしれませんよ?まあ、私としてはその方が都合いいわけですし。油断してくれてもいいですよ。あ、心配しないでください。そのことであなたを軽んじることはしませんからね、師匠」
もう勝った気でいるわけじゃあ……ないか。ただの令嬢サマかと思えば、なかなかにどうして笑える挑発してくれるじゃないか。
「抜かせ!鏡追い歴1年の駆け出しではあるがな、死線のひとつふたつはくぐってるんだ。お嬢様のママゴト武術でどうこう出来る……と?」
うん?
ふと、自分の口から出た言葉に違和感があった。
「行きますよ!」
「……っと!」
が、今は棚上げ。意識を切り替える。目の前の相手は俺の言葉に被せるように、言うや否やで、奇襲気味に踏み込んでくる。初手から勢いを乗せての右片手突きか。思い切りの良さは認めてやる。不意打ちを卑怯と言うつもりもない。ついでに言うなら、武術をかじってるってのも嘘じゃないと、足の運びが雄弁に語っていた。
けどな!
あまりにも真っ直ぐすぎる。騙しも何も無い、一直線の一撃と見た場合、速さも鋭さも、驚くほどじゃない。
ここで……弾く!
左の甲を叩きつける。
手応えあり、だ。
あとはガラ空きの腹に……んなっ!
弾いたはずの杖がいつの間にか姿を変えていた。女の手にあったのは……蛇。
視界の隅で黒髪の女がニヤリと笑う。蛇は俺の喉笛に狙い澄まして牙を――
「うおああっ!?」
自身の声に驚き、跳ね起きる。
女――ケイトの姿は消え、俺はのどかな朝の中に居た。
……なんて夢だ。
柵に体重を預けて座ったままに、毛布代わりに身体を包んでいた布の内側で胸に手を当ててみれば、やかましいほどに心拍が跳ね上がっているのがよくわかる。
太陽はまだ働き始めた直後らしく、あたりは薄暗い。腹時計から察するに……朝飯時の3時間前といったところか。
今俺が居るのは村のはずれ、ユグ山に続く方の出口だった。
あれから――俺の個人的な事情でアネイカ言語指導を切り上げる羽目になり、夜も更けた後――ケイコお嬢ちゃんのことを宿の女将に任せ、野盗の残りがいた場合に備えて番をしていたところだった。
いつの間にやら眠りに落ち、妙な気配を感じることも無く朝を静かに迎えることができたのは幸いだったのだろうが。
「くあぁ……」
あくびをかみ殺して立ち上がる。夢に起こされた時特有のだるさに逆らって軽く身体をほぐしてやれば、やはりというかなんというか、あちらこちらがきしむ。おまけに、そこかしこが淀んでいるような感覚も。疲れも抜けていないらしい。
やれやれ。老いは自覚しているつもりだったが、これほどとはな。5年ばかり前にも似たようなことはやったが、あの時よりもさらに衰えているということか。
寿命が尽きる日を待ち望んできたのも事実だが、それでも……まったくもって、歳は取りたくないものだ。
にしても……あの日の夢なんて随分としばらくぶりに見たぞ。
あれは、俺が生きてきた中で転機と呼べるもののひとつだった。アイツの小細工にまんまと引っかかっていいようにやられ、弟子入りを認める羽目になった。それが現実。
約束だからと仕方なしにアイツを弟子にして、あれやこれやと教えはした。逆に教えられることも山ほどあって、いろいろあって師弟ではなく相棒の関係になってはいたのはご愛敬というものだろう。
少なくとも騙しの手練手管に関してはアイツのそれは俺と格が……否、桁が違っていた。それなりの年月を経た今でさえ、アイツに敵うとは夢にも思えない。
どうやって身に付けたのかとは、一度だけ聞いたことがある。その時苦笑混じりに聞かされた答えは、“良家なんてそんなものなんですよ”とのことだった。
そんなアイツが居なくなって40年。“馬鹿が付く程にお人好しな正義の味方サマ”という、いかにも早死にを出来そうな生き方を選んでやってきた俺がこの歳まで生き残ってしまったのは――何割かは――アイツに鍛え上げられたおかげなのだろう。なんとも皮肉な話だ。
そして、過去を再現したような夢に今の現実が混入してきた理由は考えるまでもない。
アイツと同じ声でよく似た名のお嬢ちゃん――ケイコの印象がいろいろな意味で強すぎたからだ。
実際、あの日にやられた小細工の中身は蛇ではなく目潰しの粉と痺れ薬塗布の吹き矢。それに、アイツは俺の知る限り最初から最期まで混じり気の無い真っ白な髪をしていた。
まあ、なんにしても、アイツが狡猾で当時の俺が間抜けだったというだけこと。その事実は永遠にひっくり返ることも無いだろう。思えば、油断というものの恐ろしさを学ばされたのもあの時だったか。
さて……
夢に関する分析の真似事は切り上げる。まだ眠気も消えてはいない。
だから、鏡追いの鉄則――たとえ数秒単位でも、休める時に身体を休めておけ――に従うことにする。
俺個人の予想では村長の公算が高いが、村の誰かしらが来るまで、短く見ても30分はあるだろう。
それまでは、もうひと眠りするとしようか。
「ティーク!」
「……随分と早起きだな」
正直、予想外だった。
気分よくウトウトしていたところに、ほんのりと甘い匂いを伴って近づいてきた気配の元が発したのは、どこまでも透き通った声。ついでに言うなら、現時点でこの村に居て、俺のことを名前で呼び捨てる人間の心当たりもひとつだけ。
「クゥレ……タライト」
「……その様子だと、よく眠れたらしいな」
朝も早い割には、眠そうな雰囲気はなく、昨夜の疲れを引きずる風でもない。これが若さというものなのか。
そんな感想を抱いた自分には、内心で苦笑もしてしまったが。
「フェリ……ナフ イシュ」
「ああ、ありがとうな」
匂いの正体、お嬢ちゃんの手にあった木のカップを受け取り、口を付ける。湯気が昇るミルクの香りと甘み、そして熱さが身体に染み込んでくる感覚が心地良い。
用意したのはあの女将だろうが、お嬢ちゃんがわざわざ届けてくれたわけだ。
言われたので嫌々持ってきた、というわけでないことは表情から見て取れる。
一晩寝て起きたら頭の中が整理されていた。というのは、たまに聞く話だが、今の俺にもあてはまっていたらしい。
夢見はともかくとして、こうしてお嬢ちゃんと話していても、古傷の疼きは耐えられないほどでもないのだから。
「……うん?」
チビチビとミルクを舐めていると、お嬢ちゃんがジッと見つめてくる。
「欲しいのか?」
「キーシュ」
そう思ってカップを差し出してみるが、返って来るのは横の首振り。
「クゥレ……ティーク、アりがとウ」
「……それは昨日も聞いた。礼には及ばぬさ」
昨夜も聞かされた言葉。今回は揺らぐことも無く受け止めることができた。
「……」
そして、それきりお嬢ちゃんは黙りこくる。
……ああ、そういうことか。この気まずそうな顔は……何を言っていいのかわからないということか。
そう見当を付ける。使える単語を考えれば、お嬢ちゃんが俺に言えることは極めて少ないわけだ。
なら、こちらから振ってやるか。
把握した謎言語の断片と、お嬢ちゃんに教えたわずかばかりのアネイカ言語。それらを組み合わせて……
「ケイコ、蛇、サブートゥフィト」
「……ラペット!ヘび、セイル サブートゥ」
予想は当たっていたらしく、嬉しそうに答えを返してくる。即興で組み上げた文章も意味は通じていたようだ。
お嬢ちゃんが言ったのは「はい。蛇、セイル、大丈夫」になるのだろうが。“セイル”は……今も懐に隠れているであろう仔蛇は1匹2匹ではないのだろうし、“みんな”あたりか?
とりあえず、昨日の続きでもするか。昨夜は“ピジュティ”を教えたところで幕引きだったが、俺が理解出来ている謎言語はまだいくつかある。
わかっている単語を一通り教え終えた頃、視界の隅で動くものがあった。
「うん?」
「……クゥレ!」
俺が目をやり、釣られて視線を向けたお嬢ちゃんが立ち上がる。
お嬢ちゃんの連れ、だろうな。
そこにいたのは蛇が1匹。
お嬢ちゃんが見せた嬉しそうな表情は、そう判断するのに十分で。
「セイル サブートゥフィト。シェイ ルーンフィト」
駆け寄るお嬢ちゃんを止めることはしない。蛇共にとって、お嬢ちゃんが守護の対象だとはとっくにわかっている。
“サブートゥフィト”が続くということは……“セイル”は“みんな”でも意味が通るな。
そして、“フィト”が何度も出て来るということは、何かを聞いているらしいが。
「……ラペット。……ラペット。……クゥレ、ラペットフィト。……ラペット。クゥレ、クンビート」
“ラペット”が多いということは……蛇が言っていることに相槌でも打っているのだろうか?
うん?
意識の端に引っかかるものがある。誰かがこちらに来るらしい。
お嬢ちゃんには悪いが、蛇との会話はここまでか。
「ケイコ」
軽く肩を叩き、やって来た人物――村長を指差す。
察したらしい蛇も、すぐに山道へと消えていった。
「おや、娘さんも一緒でしたか」
そして、俺とお嬢ちゃんに気付いた村長が声をかけてくる。
「ああ。差し入れを持ってきてくれたらしい。それはそうと……」
残りのミルクを飲み干す。話している内に程よく冷めていたそれは、ほのかな甘さを残して腹に消えていく。
「夜中に連中が来ることは無かったぞ」
「それはよかったです」
そうこうする内に村人たちが畑仕事に出て来るのを確認し、俺とお嬢ちゃんは宿に戻ることにした。
「今戻ったぞ」
「パドン」
「ふたりともお帰り。すぐに食事の用意するから、少し待ってなよ」
「女将、ちょいとお前さんに頼みたいことがあるんだが」
言葉通りに、すぐに出て来た朝飯――蒸かし芋とパンを豆のスープで流し込み、一息。少し遅れてお嬢ちゃんが食べ終わるのを見計らい、女将に声をかける。
「なんだい?」
「この後……昼頃までお嬢ちゃんのことを任せてもいいか?」
「そりゃ構わないけど、あんたはどうするんだい?」
「光の柱に関する調査も引き受けたのでな。とりあえずは、山中の見回りに行こうと思っている」
それは、昨夜受けたばかりの依頼。
「あとは……砦跡でやり残した作業もあってな」
昨日、野盗共を処理した後で死骸は焼き捨てておくつもりだった。その際に使う油は、連中の持ち物を拝借するつもりでいたので用意はしていなかったのだが……砦跡には油の蓄えが全く無いというオチが付いてしまったわけで。
真っ当な人の遺体であれば、埋葬する手間くらいは惜しむつもりもない。この村の住人だったならば、麓まで背負って降りるくらいはやっただろう。が、野盗共のためにそこまでしてやれるほど、俺はお人好しではない。
つまるところ、これからやろうとしているのはゴミの後始末でしかないわけだ。
そんな作業にお嬢ちゃんを付き合わせる必要もあるまい。
「あいよ。そういうことなら、任せておきな」
「頼んだぞ。さて、早速行ってくるか」
「……いきなりだねぇ」
「昼飯までに戻るつもりでいるのでな。それなら、早い方がいいだろう?」
硬く冷たく味気なくマズい保存食糧にも慣れてはいるが、温かい飯の方がずっといい。今から出れば、多少余裕を持って昼までには戻って来れるだろう。それに、山登り程度ならば腹ごなしにもちょうどいいというもの。
「というわけだ。少しばかり出かけて来るぞ」
「……クゥレフィト」
軽くお嬢ちゃんの頭を撫でて食堂を後にする。言っていることが伝わっていないとは、返事から理解出来るが、今はまだ仕方あるまいて。
そして、向ける目を見る限り、お嬢ちゃんがこの女将に気を許しているとも読み取れた。この様子なら、任せても問題は無さそうだった。




