本当にどこまでも、害にしかならぬ奴だったということか
「なんなのよこれ!?」
ミヅキが唐突に上げた声は動揺。それも、相当に深刻さを見て取れる風で。
「何があった?」
「オジサン……」
問いかければミヅキは、すがるように身を寄せてくる。その身体は震え、カタカタと歯を鳴らす顔は月明かりでもわかるほどに色を無くしていて。
「とんでもない量の“魔力”が流れて来てるの。空の穴から……」
イスズの懸念が当たってしまったということか。
“魔力”。その単語だけで理解出来てしまった。“魔力”を扱うことだけならば、イスズや蛇共でも可能なのだろうが、それならばミヅキが驚くはずもなし。
であれば、原因などひとつしか居ない。
「クソ虫はどこだ?“魔力”が集まる先に居るのだろう?」
すぐにでも仕込み双刃を振るえるように意識し、問いかける。生かしておいてロクなことをするような輩でないということは、すでに痛いほどに身に染みていた。
「だめ……。わかんない……」
だが、ミヅキは首を横に振る。
「量と勢いが尋常じゃなくて……」
どこまでも厄介な奴め……
ミヅキの言わんとすることは理解出来る。だが、だからといって手をこまねいているわけには……いや、待て!
先ほどに見えたような気がした動く何か。アレがクソ虫だというのは、十分にあり得そうな話。
思い出せ!見えた方向は確か……
「ミヅキ!あそこではないのか?」
そうして見つけた先を指差す。そこに在るモノはこうしている今も薄気味悪く蠢いていた。
目にして真っ先に抱いた印象は水死体。ソレは、最後に見た時と比べると、ところどころが不自然に膨れ、こうしている今も徐々に、膨張を続けていた。
「うげぇ……あ、けど……間違いなくアレだ……え?」
ミヅキもソレを見て、醜悪さに顔をしかめながらも頷き、すぐに怪訝そうな顔をする。
「“魔力”が……消えた……?」
「どういう――」
「ぶ、ぶげひゃへはは……」
問いかけを遮ったのは、何やらに奇妙な笑い声で、目を向ける先にあったモノから発せられていた。
「ぎぎゃひゃひゃは……。げひゃっひゃひゃははははは!」
ただでさえ異常だったその笑いは、さらに狂った色を帯びていく。
声の主は、ヤーゲの死骸だったモノ、とでも呼ぶべきなのか。
ミヅキに焼却処分を頼もうとした矢先にクソ虫が現れたことで忘れていたが、残念なことに砦跡の崩壊にも巻き込まれずに無事に残ってしまってくれやがっていたらしい。ソレにクソ虫が入り込んだというわけか。
なるほど、元が死骸であれば、気配探りにかからないのも道理というもの。死骸は気配を発しないのだから。
そして、イスズが言ったような、本来の身体の持ち主に抵抗されなかった理由も同じ。魂があの世に行った後の死骸であれば、容易く乗っ取ることが出来るというわけだ。
クソ野郎とクソ虫。似合いではあるのだろうが。
「悪あがきなぞさせるか!」
何をやろうとしているのかは知らぬし興味もない。故に、双刃を手に駆け出そうとするのだが、
「ダメっ!」
抱き着くようにしてミヅキが止めてくる。
「いぎゃひゃひゃひゃ!その声、やっぱりそこにいるんだな!ぐひへひはひゃはっはは!」
なおも狂った声を発し続けるソレがこちらに気付いたらしい。よく見れば、潰したはずの目はそのまま。残った耳だけで、ということか。
「ぐひゃへへへ……。ここまで俺様をコケにしたお前らは絶対に許さないぞ!許さないからなぁ!ぶひゃっ!ぶぎぇっひゃはははっ!」
元よりマトモに話が通じる輩ではなかったが、ますますおかしくなっている。“強化”だか“魔物化”だかの影響なのか?あるいは本性なのかもしれぬが。
今もなお膨れつつあり、肉塊に顔が張り付いたような姿をしたソレは、見た目だけでなく中身も、明らかに普通ではなかった。
「俺様に逆らった奴らも!ふひゃははっ!俺様のものにならない世界も!ぶふふふぇひひひゃひゃは!全部!全部滅んでしまえ!うひひゃひゃげひっ!そうだ!それが当然の報いなんだ!ぎゃっはははははぶぎゃっ!?」
そうして続いていた耳障りな笑いは、ある瞬間を境に消えてなくなった。クソ虫が笑いを止めたのではなく、膨れ上がる身体がその口を飲み込んだからだ。
一難去ってまた一難、というやつか。
常軌を逸した様ではあったが、世界がどうのなどとやけに大仰なことをほざいていたのは事実。それに――
飯を不味くしてくれそうな肉塊を見る。どうやら膨張は止まったらしいが、脈打つように蠢き続けるソレは、ちょっとした小屋程度。捨て置けばロクなことにならぬと勘が告げてくる。ミヅキが言うには、下手に仕掛けるのも上手くないらしいが。ともあれ、聞いてみるべきか。生憎と俺は、“魔法”に関しては何が何やらなのだから。
「それでミヅキよ。何がどうなっている?あのクソ虫が最後の最後までロクでもないことをやらかしてくれやがったとは理解出来ているのだが」
「……うん。本当に、飛びっきりにロクでもないことしやがってからにあの野郎」
まだ震えが収まっていないらしいミヅキは俺にしがみついたままで、そう吐き捨てる。やはりというべきか、かなりマズい状況のようだが。
「簡単に言っちゃうとね、アレ自体が“ばくだん”なのよ」
「“ばくだん”とな?」
「うん」
はて?
ミヅキは、それで伝わっただろうと言わんばかりに頷くのだが……
「ミヅキよ。済まぬが、“ばくだん”とは何のことだ?」
「でぇえええ!?」
何故か驚かれる。
旅暮らしが長く、小耳に挟んだことのある知識はそれなり程度に多い俺でも、初めて聞くものだった。
「ああ、そっか……この世界にはまだ無いんだっけか……」
どうやらこれもまたニホン語らしいが。
「ええっとね“ばくだん”っていうのは……“だいなまいと”じゃなくて……“ドウカセン”と“シンカン”に火が付くと……ふぇ?あ、うん。その説明は私からさせてもらいますね」
どれも初耳となる単語をつぶやきながら頭を抱えていたミヅキだが、途中でイスズに代わったらしい。
そのイスズにせよ表情が硬いあたり、やはり状況は深刻ということか。
「時間も限られているので手短に。“ばくだん”というのは簡単に言ってしまえば、爆発を引き起こす道具です」
「なるほど」
そう言われれば俺でも理解出来る。爆発というのは、異臭のする坑道で火を付けた時などに起きる現象のことだ。炎を伴った突風――爆風を辺りに撒き散らす、だったか。
昔ケイトと旅をしていた頃には一度だけ、街中でも起きたことがあり、かなりの大騒ぎになったことを覚えている。ケイトには原因がわかっていたらしく、
『窓や扉が完全に閉じられた屋内に大量の小麦粉をまき散らした状況で火を起こしてはいけませんからね。下手をしなくても死にます。そうそうあることでもないでしょうけど、絶対にやらないでくださいよ?いいですか?絶対にですよ?』
などと念押しもされたか。
ともあれ、ミヅキが言った“ばくだん”。今のクソ虫がどういったモノなのかは、漠然とであるが理解出来た。
そして、何を企んでいたのかも見えてくる。
道連れ、だろうな。
万策尽きた悪党のやることなぞ、相場が決まっているというもの。
そうなればなにが問題かという話だが……
アレが“ばくだん”であるのなら、爆風で俺たちを殺そうということなのだろうが。
だとしたら、ミヅキは早々に離れようと考えるのではなかろうか?仮にミヅキが思い至らずとも、イスズまでもがそこに気付かぬとは、到底思えぬ。
「では、ミヅキさんに代わりますね。“魔力”を見ることに関しては私よりもミヅキさんの方が長けていますので」
「ああ。それでミヅキよ、あの“ばくだん”が爆発するのはいつだ?そして範囲はどれほどになる?」
「……あくまでも感覚的な話だから多少のブレはあると思うけど、爆発まではあと60分ってところだと思う」
思ったよりも猶予がある。となれば、余程の――逃げ切れぬほどの広範囲に爆風が及ぶということか?
「ならば範囲は?下手をすれば、ユグ山全てを吹き飛ばすのではないか?」
60分で逃げ切れぬという点からそう当たりを付けるのだが、ミヅキは静かに首を横に振って、顔を上に向ける。
釣られて夜空を振り仰げば、月が煌々と――。いや待て!
そして思い浮かぶもの。それは、
「よもやとは思うが、月が吹き飛ぶほどだなどと言うわけではあるまいな?」
外れていてほしい問いかけに、
「……あくまでも、感覚的な話だけどね」
ミヅキは否定をしなかった。
本当にどこまでも、害にしかならぬ奴だったということか。
なるほど。世界を滅ぼすというのも、大仰な言い回しではなかったというわけだ。そして、それを成すほどの“魔力”が動いたのならばミヅキがあそこまで怯えるのも道理なのだろう。
昔、月や星を観察し、研究することを生業としている酔狂な男に聞かされたことがあった。俺はさして興味も無かったのだが、ケイトがその男と意気投合してしまい、数日程留まって協力する羽目になった一件。
どのようにして算出したのかまでは知らぬが、地上から月までというのは、馬の脚でひたすら休み無しに速度を落とさずに走り続けたと仮定しても9カ月はかかる、とのことだった。それならば、60分どころか60日でも、範囲外に逃れることは出来ぬことだろう。
逃げ場無し。ならば、どうにかして対処せねばならぬわけだが……
「ミヅキよ。あのクソ虫は“魔法”の扱いに関してだけは、お前さんよりも長けていたらしいが、お前さんの“魔法”ではどうにか出来ぬのか?」
容易くどうにか出来るのであればとうにやっているだろうとは理解している。それでも、可能な限り現状を把握しておくべきだろう。ただでさえ、夢物語のような出来事が続いているのだから。
「ゴメン……。それ以前に、もう“魔法”が使えないのよ……」
「どういうことだ?」
先ほどはクソ虫が出した光の鎖でミヅキの“魔法”を封じられはしたが、今はそんな様子も見えぬのだが。
「あの寄生虫野郎はさ、自分を“ばくだん”にするのに、空の向こう――ベティーラドとかいう世界にある“魔力”を根こそぎ集めて使い切りやがったんだと思う。空の穴からの“魔力”は、完全に無くなってるから」
「……月までを粉砕するほどとなれば、それだけの“魔力”が必要というわけか。ならば、この辺りにあった“魔力”も?」
「全く無し。ゴメン。だからさ、今のあたしは役立たずってこと」
「あまり自分を卑下するものではないぞ」
「いや、それをオジサンに言われてもね……」
指摘には苦笑を返される。たしかに、先日にそんなやり取りがあったか。
ともあれ、こちらも“魔法”で対抗する、とは行かぬらしい。
「ならば、先ほどのこと。俺がアレを潰そうとした時にお前さんは止めに入ったが、それはどういった理由でだ?」
「下手に刺激を加えたら、その時点で爆発するの。そのことはあたしでもわかったから」
「なるほど……」
爆発前に潰してしまえば、とも行かぬわけか。
「済まぬが、もう一度イスズに代わってもらえるか?」
「うん。……あなたの聞きたいこと、わかるつもりですよ。何か手は無いのか?ですよね?」
「ああ」
まあ、イスズであればその程度は容易く見抜くことだろう。そして、強張った表情がすでに疑問への答えでもあった。
「ごめんなさい。今はまだ」
「そうか」
今はまだ。つまり、まだ諦めてはいないということか。
「ケイコさんや他の蛇たちも協力してくれていますし、必ずや」
まあ、イスズが容易く諦めるとは夢にも思えぬか。それにケイコも必死でやれることをやっている。
「これでド腐れ野郎の思い通りにさせてしまったら、4人で必死に身体を張った苦労がフイになりますからね。諦めてなんてやりませんよ。ええそれはもう、なんとしてでも打破して見せますとも。損切りなんてクソ食らえです」
そこまで言うとイスズは引っ込んでしまう。雰囲気が再び、ミヅキのそれに変わっていた。
「じゃあ、あたしらもやれることをやろうか」
「ああ」
そう言ってミヅキが目を向けるのはクソ虫とクソ野郎の成れの果て。その視線の動きは、俺には見えぬ何かを追っているようでもあり。
「俺には“魔力”は見えぬのだが、お前さんには何かが見えているのか?」
「一応、“魔力”の流れはね。あの“ばくだん”の中でぐるぐると渦を巻いてる感じかな」
「……そういうものか」
「うん。そういうもの。それにしてもさ……」
ため息をひとつ。
「世の中ってさ、上手く行かないものだよね」
「まったくだ」
ほんの数日前まで。俺が散々焦がれていた頃の死神はロクに働かなかったというのに、生きることに多少なりとも前向きになった矢先にこれなのだから。
「“魔力”が残ってればさ、みんなは助かったのに……」
……うん?
「みんなで」や「みんなが」ではなくて「みんなは」。そんな些細な言い回しの差が気にかかった。それではまるで……
「“魔力”が残っていたとして、具体的な案があるのか?」
「……あ!?」
そう声を上げて口を抑える。これはよく知っている。うっかりで口を滑らせてしまった者に特有の仕草だ。誤解を刷り込むために意図的にやるという場合もあるのだが、今のミヅキを見るに、芝居とは思えぬ。
「ミヅキよ」
「……ゴメン。くだらないこと考えてた」
まっすぐに目を合わせてやれば、ミヅキはすぐに観念する。
「転移」
「……そうかい」
端的にそれだけ。
なるほど、確かにくだらぬことだ。
細かな調整は難しいらしいが、“ばくだん”の影響がこの場に及ばぬほどの遠くに転移すること自体は“魔力”さえあればミヅキには可能ということか。
そしてそれならば、ミヅキの言うみんな――ケイコやイスズや俺は助かるのだろう。
だが、転移というやつはミヅキ自身が共にでなければ不可能とのことだったはず。
であれば、ケイコやイスズは当然のように猛反対することだろう。恐らくは俺も。
ミヅキを含めた全員で死ぬよりも、ミヅキひとりの犠牲で済む方が被害自体は少なく済む。それ自体は何ひとつとして間違ってはいないのだろうが、ミヅキに近しい者――ケイコやイスズや俺が、それを由と出来るかどうかは別問題というわけだ。まあ、さして珍しい話でもないのだろうが。
ともあれ、結局は無意味な思考。“魔力”を根こそぎに持っていかれた以上、どうせ取ることの出来ぬ手段なのだから。
「生憎と時間も限られている。無いものねだりはほどほどで切り上げておくとしよう」
「いえ、結果的にではありますが、無駄話ではなかったと思いますよ?」
またしても急に雰囲気が変わる。そして、そんな言葉を返してくるイスズの口の端には、わずかながらの笑みが浮かんでいた。




