イスズもミヅキも俺も、そんな顔をさせるために身体を張ったわけではないのだがな
砕かれた肩と肘だけでなく、貫かれた腹も激痛を伝えて来る。だが、それでも気分は最高。愉快痛快というやつだった。
「な、なんだお前は!?お前も俺様にさから……なんだと!?俺様にそんな態度を取って許されると思っているのか!」
なにせ、仰向けに倒れた俺が見上げる先では、クソ虫がそんな言葉を垂れ流していたのだから。
何を今更だ。当のクソ虫を除き、この場にいる全ての者はとっくにお前さんを敵と見なしているというのに。まあ、そんな阿呆振りに救われた部分も多いのだが。
なにやら激昂もしているが、イスズが上手いこと煽ったのだろう。他者を思いのままに手の平で転がすのもイスズの得意分野。あのクソ虫程度、思いのままに操るのはさぞや容易かろうて。
だが、呑気にイスズの相手をしていられるほどに余裕がある状況なのだろうかな?
イスズの言葉に絡めとられてか、あるいはイスズとケイコのふたりがかりの抵抗によるものか、クソ虫は動きを止めてしまっていた。この場には他にも数百の敵がいるというのに。
「う……うわぁっ!?やめろ!こっちに来るな!来るなあああがっ――」
イスズの指示を受けていたであろう蛇共が殺到し、クソ虫も気付いたらしく顔を引きつらせる。恐ろしい光景であることには同意してやらぬこともないが。
叫びが途絶えたのは、蛇共が侵入を開始し、口をふさがれたからか。ほどなく、クソ虫の姿は蛇の大群に埋もれるようにして見えなくなる。その間にも、次から次とケイコの中に入った蛇共が、イスズとケイコに加勢していることだろう。
やったか?
心の中がどうなっているのかはわからぬが、あれだけの数を相手にして無事で済むはずはあるまいか。
そうこうする内に、この場に居た蛇共のほぼ全てはケイコの心中へと消えていった。
そして残る1匹。八頭大蛇のミヅキがのそりと身体を起こし、蛇頭のひとつが俺の方にやって来る。休む時間を取れたことで、いくらかは疲労も抜けたということか。
「度々……済ま……が、傷……治しては……えまい……がはっ!」
どの道言葉は通じぬのだろうが、腹に大穴を開けている身ではマトモにしゃべることすらも辛い。
「ひいいいいっ!?頼む!やめてくれ!俺様は何も悪くない!悪くないんだ!」
それでもミヅキは察してくれたらしい。見覚えのある光が身体に入り込むや、瞬く間に傷が塞がり、痛みも引いていく。
「助かったぞ。礼を言う」
立ち上がり、撫でてやる。顔だけでも俺の身の丈ほどにある蛇の姿から表情は見て取れぬが、ミヅキだとわかっているからなのか。愛嬌があるように見えてくるのだから面白い。
「うぎゃああっ!?わ、わかった、俺様が悪かった。謝る!謝るからゆるし……ぐえああっ!」
案外ミヅキも面白がっているのやもしれぬ。頬ずりでもするかのように、俺に蛇頭を寄せて来る。
「なんで……なんで俺様がこんな目に……。うぁ……ひぎゃあああああああぁっ!?」
どうやらあちらも片が付いたか?
自業自得だざまあ見ろ、くらいにしか思えぬ悲鳴泣き言戯言寝言の後に聞こえたものは、飛び切りに大きな絶叫。さながらに末期のような声。
「……クゥレフィト。イクス……フィト……」
末期のような、ではなくて、実際に末期だったらしい。身を起こしたケイコが口にしたのは、どこかぼんやりとしたニホン語。まとう雰囲気も、覚えのあるそれへと変わって……否、戻っていた。
「よう、ケイコ」
そう声をかけ、手を振ってやれば、
「ダンナ……フィト……」
立ち上がり、こちらに顔を向ける。俺のことを意味する声がやけに懐かしい。
「イクス……イクス……」
その顔がくしゃりと歪み、瞳からはポロポロと雫が零れ落ちる。
まあ無理もあるまいか。他者に身体を奪われた経験というやつはさすがに俺の鏡追い人生の中にも存在しないが、さぞや不安だったことだろう。
「サブートゥ」
だから、少しでも安心出来ればと俺の知るニホン語をかけてやれば、
「ダンナ……。ダンナ……!」
そうして感極まったように俺を呼び、こちらに駆け――
「……ダメですケイコさん!……ぷぎゃっ!?」
出そうとしたところで唐突に雰囲気が変わり、勢いのままによろけて地面へと顔面から突っ込む。
なにが起きた?
恐らくはイスズが強引に割り行ったのだろうが……
隣にいるミヅキを見れば、固まっていた。生憎と蛇の表情はわからぬが、困惑しているように思えないこともない。
まあ、放置するわけには行くまいな。
「ほら」
「ありがとうございます、ティーク」
だから近づいて手を差し伸べてやれば、アネイカ言語での礼を言い、手を取って立ち上がる。
「それで、イスズよ。何がどうなっている?」
「今しがたのケイコさん。感極まった風であなたに駆け寄ろうとしてましたよね?」
「ああ。俺にもそう見えた」
イスズの表情に硬さが見えないあたり、深刻な話――例えば、クソ虫を仕留め損ねたとは――ではなさそうだが。
「それはいいんですけど、あのド腐れ野郎が使った強化の“魔法”。その効果は消えてないようでしてね」
「……なるほど」
合点が行った。ド腐れ野郎とは言わずもがな。クソ虫のことだろう。別名をオウバとも言ったらしいが。
ともあれ、あのまま――先ほどまでの身体能力をそのままの――ケイコに抱き着かれていたらどうなっていたのかといえば、良くて全身の骨を砕かれる程度。悪ければ即死もあり得ぬ話ではない。
前者程度であれば、再度ミヅキの世話になるだけで済む。だが、後者の方だったなら目も当てられぬ。笑い話の出来損ないにすらならぬことだろう。
「とりあえず、ケイコさんには説明しましたから。今代わり……いえ、その前にひとつだけ伝えさせてくださいな」
「クソ虫のことか?」
「ええ。あのド腐れ野郎のことです」
「殺ったのか?」
「恐らくは」
「断言はしないのか?」
「出来ませんね。ただ、すでにケイコさんの中には存在していない。そのことは間違いありません。ただ……」
「ただ?」
「アレが完全に消えてなくなったのか、あるいは逃げ出しただけなのか。そのあたりがはっきりしないんです。言い訳ではありますが、他者の心に入り込んできた別の魂をやり合ったのは初めてだったもので」
「……それはそうだろうな」
そのような経験、おいそれと積めるようなものではないだろう。
「その割に、今のお前からは危機感を見て取れないようだが?」
「事実、危険性はほぼ消えているからです。少なくとも、半殺し以上にしたことは間違いありません」
ケイコの容姿で涼しい顔で、半殺しなどと言われると違和感も覚えるが、それはさて置く。
「ですから、仮に他の誰かを乗っ取ろうとしても返り討たれてお終いでしょう。あるいは、すでに地獄……もとい、あの世への川を流れているかもしれませんし」
身体を離れた魂がどうなるか、という話か。
「まあ、念のためというやつですね」
「用心深くあることと不用心であることならば、前者の方がマシな結果を迎えやすいということか」
「そういうことです。あと数分だけ、頭の片隅にでも置いていただければ。ああ、もうひとつ用心ついでなのですが、ミヅキさんもこちらに来た方が良さそうですね」
「こちら……と言うのは、ケイコの心の中のことか?」
「ええ。かなりお疲れのようですし」
たしか、ケイコの中にいるとあっという間に傷が治るのだったか。それならば疲労も同じようにすぐさま抜けてもおかしくはないということか。だが……
「入れるのか?」
今のミヅキは、あまりにも大きい。少し前に瓦礫に変わったが、ここに建っていた砦跡を凌ぐほどに。
「心の中において、物理的な尺度は無意味というものですよ。数百の蛇が居る時点で今更ですし。それに、今のミヅキさんであれば問題無いとケイコさんも言っています」
「……それならばいいのだがな」
どの道、今のミヅキは人目に付いたなら、即時に討伐隊が差し向けられてもおかしくない姿。ケイコの中に入れぬのであれば、それこそ死活問題になることだろう。
「と、言うわけなので。ミヅキさん、来てください」
言われるがままに、俺の隣にいたものを含めた8つの蛇頭がケイコの前に集まり、
「お、おう……」
するすると吸い込まれるようにして、ケイコの口内に消えていく。多数の蛇共が同じことをする光景はすでに見ているが、見上げるほどの八頭大蛇となれば、また別の意味で衝撃的だった。
「ふう……」
ともあれ、無事にミヅキもケイコの中に納まったらしい。
「ねぇ、ティーク」
「うん?今度はどうした?」
「ケイコさんのこと、お願いしますよ?」
「言われるまでもないが、お前が付いているなら俺のやることなぞどれだけあるのやら」
「そうとばかりも思いませんけど。ま、いいですけどね……」
そう言って肩をすくめて見せる。
「さて、それではあらためまして。ケイコさんに代わりますね」
そして、イスズのそれからケイコのそれへと雰囲気が変わる。
「ダンナ……」
「お前さんも大変だったな、ケイコ」
見上げてくるケイコにそう声をかけるも、すぐにうつむかれてしまう。
その様に嫌な予感がした。
「……リーディ」
そして消え入りそうにか細い声で聞こえたのは、謝罪を意味するニホン語。
「イクス……イアル キリク アバス ダンナ チェノウ ミヅキオネエチャン カゥ ルータ ウトゥラ……。ツアーク ミヅキオネエチャン クーム……」
悪い予想ほどよく当たるとはよく言ったもの。
手のひらを見つめ、小さな肩を震わせるその様は、自分がやってしまったことを心底に悔いてのことか。
相も変わらずに意味の分からぬニホン語だが、雰囲気は時に言葉以上に雄弁。それくらいは俺でも理解出来た。
目の前の光景が見え、蛇共の声が聞こえていたくらいだ。同じように、手の感覚――ミヅキの蛇頭を殴り砕き、俺の肩を握り潰し、俺の腹をえぐった感触――もあったとておかしくはない。
そして、状況を打破するためにミヅキがどうなったのかも、当然理解していることだろう。
ミヅキを姉貴分として慕っていたケイコのことだ。気に病んでしまうのも無理はないということか。
非の大部分……もとい、全てがクソ虫にあったとはいえ、ケイコがアレに身体を奪われなければ、事態はずっと楽に片付いたことだろう。あるいは、早々にイスズと協力してクソ虫に立ち向かっていたなら、ミヅキが人を辞めることもなく、俺が深手を負うこともなかったかもしれぬ。
そのあたりを俺は否定しない。
無論、ケイコを非難する理由になるとは、毛の先ほどにも思わぬが。
むしろ、そんな中でさえ諦めずに抵抗を続けていたことに対して、敬意を強めるくらいだ。
さて、どうするか……
「ダンナ、ミヅキオネエチャン、イスズオネエチャン……。リーディ……。リーディ……!」
涙声で謝罪の言葉を繰り返すケイコ。先ほどまでのクソ虫絡みと比べたら状況自体はマシなのだろうが、このままにもしてはおけぬ。
さて、どうするか……
手はいろいろとあるのだろうが、今回は素直なところを選ぶ。
「なぁ、ケイコよ」
そっと、頭を撫でてやる。背伸びをしたがる手合いには逆効果だが、成人していない相手をなだめる手段としては多くの場合に効果的な行為。
「ダンナ……」
再度見上げてくる目は悲しげで苦しげで、
イスズもミヅキも俺も、そんな顔をさせるために身体を張ったわけではないのだがな。
だから、その考えを伝える。幸いというべきか、俺が知るニホン語だけで分を組み上げることは出来そうだった。
「イクス」
俺は。
「オゥグ」
望む。
「ピジュティ」
ありがとう。
ケイコには一切の非が無い以上、謝罪を受ける言われはない。であるのなら、礼を言われた方が気分はいいというもの。
「……ダン……ナ」
言葉が通じぬとはいえ、ケイコに対して頭の悪い娘だという印象を抱いたことは一度とて無い。そんなケイコだからなのか、言わんとすることはすぐに理解してくれたのだろう。
袖で涙を拭った目を向けてくる。イスズやミヅキも言葉をかけていたのだろう。そこに宿る感情の種類は、別のものになっていた。
まあ、泣き笑いといった表現が似合う表情だったのはご愛敬というやつか。
「ミヅキオネエチャン、イスズオネエチャン、ダンナ。……アリガトウ!」
やれやれ、やってくれる……
アネイカ言語だったことには少しばかり不意を突かれたが、何とも言えぬ心地のよさがあった。
少なくとも、今夜に起きたあれやこれやへの報酬としては十分と言えるのではなかろうかな。
「どういたしましてだ。ケイコ、お前さんも、よく頑張ったな」
ケイコにはそう返す。ここで、礼には及ばぬなどと言うのは無粋。
それに、俺としても言っておきたいことがあった。俺が今こうして笑っていられるのは、ここにいる4人の誰を欠いても叶わぬことだっただろうから。
「ケイコ、イスズ、ミヅキ、ありがとうな。お前さんたちのおかげで、あのけったくそ悪いクソ虫を駆除することが出来たぞ」
「……どういたしまして」
また雰囲気が変わり、そう応えてくるのはイスズ。
「そういうことでしたら、私からも言わせてくださいな。ティーク、ケイコさん、ミヅキさん。ありがとうございました。みなさんのおかげで、あのド腐れ野郎をぶち殺すことが出来たというものです」
「どういたしましてだ」
そして再び雰囲気が変わり、
「うわっ……!?」
「っとと!」
第一声は泡を食ったようなもので、さらにはその場でよろめく。
「ごめん、オジサン」
そうして受け止めた相手は、初めて見る雰囲気をまとっていた。
「そういえば、イスズもその身体では歩くのにも苦労していたようだが、お前さんも同じらしいな、ミヅキよ?」
まあ、口調にせよ、消去法的に考えたにせよ、ミヅキだろう。
「だね。それはそうと……当然あたしを除け者にはしないよね?」
「お前さんが望まぬのであればな」
言いたいことは手に取るようにわかる。ケイコや俺やイスズに倣おうというのだろう。
「じゃあ……。オジサン、ケイコちゃん、イスズ姉さん、ありがとね。みんなのおかげで、あの寄生虫野郎に目にもの見せてやれたよ」
「どういたしましてだ」
「あはは……」
「はは……」
そうして笑い合う。きっと……いや、間違いなく、今頃はケイコやイスズも同じように笑い声を上げていることだろう。
「さて、さすがに疲れた。そろそろ村に戻るとする……うん?」
ひとしきり笑い、借り物の得物――仕込み双刃を拾い上げたところで、ふと何かが意識に引っかかる。
「どうしたのさ?」
「いや、何かが動いたように見えたのだが……」
これといった気配は感じ取れぬのだし、草が風で揺れただけなのかもしれぬが……
「あたしにはわからなかったけど……って、なんなのよこれ!?」
首を傾げたミヅキが唐突に上げた声。そこに宿る色は動揺で、その顔はいつになく強張ったものだった。




