静かに、穏やかに繰り返すその様は、遠い日のケイトと重なって
なるほど。目にも止まらぬほどの速さと、腕のひと振りだけで人間を吹き飛ばすほどの風を起こす膂力が合わされば、こうなるというわけか。
指の一本すらも満足に動かせず、思うように言葉を発することも出来ない有様でも、幸いと言うべきなのか、思考は回る。
察するに、クソ虫に腹を殴られた結果がコレなのだろう。凄まじいほどに強化された身体能力を有していると予想は出来ていたが、それを実際に、文字通りに身を持って知ることが出来たというわけだ。
「まだ生きてるよね!?すぐに治すか――」
そんな俺を見て青ざめていたミヅキが、言葉を途切れさせ、
「って、そういうわけにも行かないか……」
苦々しく顔を歪める。
まあ、そうなるのだろうな。首を向けることも出来ぬが、気配は感じ取れる。勢い余った結果なのか、かなり離れた位置まで行ってしまったらしいが、クソ虫がこちらに近づいてきていた。
「……あたしが食い止めるよ。イスズ姉さん。こっちは頼んだからね」
わずかな思考の後、俺の肩に告げて立ち上がる。目線をやればそこには、白い子蛇。どうやらイスズは無事だったらしい。
「……ぁ……ぇだ」
止めようとするも、かすれる声は言葉を成さず。
そうこうする内にミヅキは立ち上がり、集まって来た蛇共が俺に光――治癒の“魔法”――を浴びせる。
ゆっくりと、けれどすぐに効果は現れた。少しずつ痛みがマシになって来る。
いや、今はそれよりもミヅキだ!
「仇、取らせてもらうから。オジサンを殺したアンタのこと、絶対許さない!」
勝手に殺すな、とは思わぬ。多分これもミヅキなりの考え。
「そうか!あの老いぼれは死んだか!」
恐らくはミヅキの目論見通りに、あっさりと信じ込む。俺から意識を逸らさせるという意味では有効であったのだろうが……
俺に言わせれば、この状況では悪手。
「ハハハ!これで俺様を脅かすものは居なくなったぞ!」
クソ虫から動揺が消え、余裕――油断とも言うのだろうが――を取り戻させたということはまだいいとしても、
「次はお前だ!俺様に逆らってただで済むと思うなよ!」
完全にミヅキが標的とされてしまったのだから。
短時間で二度も、容易く死の際に追い込まれた俺が偉そうに言えたことでもないのだろうが――
ミヅキでは万にひとつの勝ち目どころか、足止めすら出来ぬ。
それが俺の見立て。
こちらは、まだかかりそうだというのに。
腹の様子を見れば、ゆっくりと、本当にゆっくりとえぐられた部分は元に戻りつつある。俺がミヅキの左腕を切り落とした時の様に瞬時にと行かぬのは、クソ虫の言うイクシディア適性とやらの差なのだろう。クソ虫はミヅキのイクシディア適性をかなり高いと評していたのだから。
そして――
だからこそミヅキではクソ虫相手に歯が立たないと理解出来てしまう。
俺が思いもよらぬ策を持っているという可能性に賭けるよりあるまいか。頼むから俺が動けるようになるまで無事で居ろよ!
「アンタこそ……オジサンを殺しといてただで済むと思うなっての!」
言葉での時間稼ぎもそこそこに、ミヅキが先に動く。
「出てこい!壁ぇっ!」
そうして生み出したのは、“魔法”の壁。
「楽になんて死なせてやらない。そのまま飢え死にさせてやるってのよ!」
芸が細かいな。口ぶりからして場所は自身の目の前ではなく、クソ虫を囲むように。さしずめ檻といったところか。
恐らくは時間稼ぎが目的。狙いを悟らせぬための言い訳としては、悪くない。頭の悪いクソ虫相手であれば通じるのだろうが――
「ハハハハハハ!どこまでも愚かな女め!」
クソ虫からは余裕の色は消えず。
「負け惜しみかな?“魔法”さえ封じられてなけりゃ、これくらいはやれるのよ!あたしの全身全霊、破れるものなら破ってみやがれ!」
吠えるミヅキだが、気付いていないのか?
ああいった手合いが曲がりなりにも認めるのは、優れてはいるが自分よりは劣っている相手というのがお決まり。ミヅキの方がイクシディア適性で勝っていたのなら、逃げるか媚びるかのどちらかだったことだろう。
事実、先ほどクソ虫が作り出した光の鎖によってミヅキは完全に無力化させられていたのだから。
しかも今のクソ虫は、悪い冗談と言ってもまるで過言と思えぬほどの――ミヅキを大きく上回るであろう“魔力”で強化された身体能力も備えていると来たものだ……が?
やはり違和感がある。ミヅキがそのあたりにまるで気付いていない?そんなことがあり得るのか、と。
いろいろと突拍子もないところがあるとはいえ、ミヅキとてそれなり以上に切れるはずだというのに。であれば――
何か狙いがあるということか?
「フン!ここまで愚かだとはな。所詮は女ということか。まあいい。頭の悪いお前に特別に教えてやろう。たしかにお前のイクシディア適性は高い。ベティーラドでも五指に入るくらいにはな。見たところ、124万くらいだろうな」
「ふふん。だったらわかるでしょ?あたしには敵わないってことがさ!さっさと諦めてその身体から出ていきなよ。そしたら見逃してやってもいいんだけど?」
自信たっぷりにミヅキは言い続ける。
やはりおかしい。さすがにここまでくれば俺にもわかる。今のミヅキは、意図して阿呆を演じているのだと。
「馬鹿め」
クソ虫も余裕を崩さない。
「参考までに教えてやろう。イクシディアを使う蛇が多数いるようだが、そいつらの適性はせいぜい2000から3000程度だ」
「つまり、あたしの強さは半端じゃないってことでしょ?言われなくてもわかってるっての」
イクシディア適性とやらの数字が単純に比例するのかまではわからぬが、蛇共よりもミヅキの方が遥かに上であるということには違いないのだろう。
「そして……ハハハ!絶望するがいい!」
ミヅキにお構いなしにクソ虫は笑う。
「俺様のイクシディア適性はな、931万だ!」
数字にすればミヅキの7倍以上。先ほどの光の鎖で、ミヅキが手も足も出なかった件も裏付けにはなる。
「で?」
「……なんだと?」
「質問に質問を返すなっての。アンタのナンタラカンタラがいくつだか知らないけどさ、今こうしてあたしの前に、手も足も出ないでいるわけじゃないのさ。なのになんでそんなに偉そうなのかなって思うわけよ。悔しかったらやり返してみなよバーカ」
「……ここまで愚かだったとはな。なら、俺様の力を見せてやるぞ!」
ようやく半分。腹諸共にえぐられた背骨が治り、肘をつく形で身を起こすことができるようになったのはこの時。
視線を向けた先でクソ虫が拳を振るう。それは、軸が取れていなければ重心もブレており、踏み込みもまるでなっていない。雑な一撃。
にもかかわらず、パキリと呆気の無い音を伴って、ミヅキが作り出した壁は容易く砕かれていた。
いかん!
クソ虫の足に力がこもるのが見えた。あの目線と予備動作……続く動きは――
「ミヅキ!右に跳べ!」
「これでも食らえ!」
俺とクソ虫の叫びは同時。直後に駆けだしたクソ虫の動き。そしてその中でやりやがったことは、遠目でも追いかけるのがやっとであるほどに速く、
「……え?」
呆けた声。ミヅキには、クソ虫が消えたように見えていたのではなかろうか。
「これが俺様の力だ!」
勝ち誇るクソ虫の声は、ミヅキには後ろから聞こえていたことだろう。
クソ虫がやったことは、先ほど俺がやられたことに近い。目にも止まらぬ速さで駆け、すれ違いざまにというやつだ。
俺の時と違いがあるとすれば――
「あ……え……?」
身体の違和感に気付いたのだろう。そこに目をやったミヅキの声が震える。
「ハハハ!探しているのはコレだろう?」
愉悦に満ちた声にミヅキが振り向く。クソ虫の手にあったものは、ほんの数秒前まではミヅキの肩とつながっていたもの。
「う……あ……」
呆然とした顔でカタカタと歯を鳴らす。無理も無かろう。二度目とはいえ、そうそう慣れるようなことでもないのだから。
クソ虫がやったのは、すれ違いざまの手刀を左肩に振り下ろすというもの。
ニヤニヤと笑いながらミヅキを眺めるその手には、ミヅキの左腕だったものを掴んでいた。
「……治れ!あたしの――」
「おっと、イクシディアは使うなよ。使おうとしたらその瞬間に、今度は右腕を切り落としてやる」
「……くぅっ」
「それと……コレはこうしてやる!」
掴んでいた左腕を放り投げ、恐ろしい速さで何度も手刀を振るう。
瞬く間に、ミヅキの左腕だったモノは赤と黒と白が混じり合った細切れに姿を変える。
「や、やだ……」
へたり込んだミヅキは弱々しい声を漏らすのみ。心が折れた、という状況らしい。
ああ、そういうことだったか。
そして、ミヅキの狙いがどこにあったのか、理解出来た。
自分では足止めすら無理だということを、ミヅキは認識していた。だから、煽ることで、自分を弄らせることで時間を稼ごうとしていたのだろう。けれど誤算があった。
いかな覚悟があったとて、実際に手傷を負わされればあっさりと気持ちが折れてしまう。などというのは、珍しくも無い話。まして、腕を切り落とされ、目の前で細切れにされたとあっては、その衝撃はどれほどのものだったか。
野郎……どこまでもゲスな真似をしてくれる!
そのあたりを踏まえた上でなお、沸々と腹の底からこみ上げてくるモノは怒り。
理屈で考えるなら。先のことを思うなら。まだ俺は息を潜めておくべきだった。それなりに治療が進んできたとはいえ、まだマトモには動けそうもないのだから。ミヅキの思惑を汲むのならばなおさらに。
俺も容易く情に流される男だったということか。
姪のようなモノ件弟子らしきモノであり、それなりに好感を抱いている相手であり、イスズやお嬢ちゃんの姉妹分。その窮地にあって死んだふりをしていられるほどの冷徹さは持ち合わせていなかったというわけだ。
ま、いいけどよ……
そのあたりは仕方が無いと割り切るとしようか。俺が甘ちゃんであることなぞ、これまでにも嫌と言うほど思い知らされてきたのだからな。
「ミヅキ!もういい!お前さんは下がるんだ!」
鉄杖があれば支えとして立ち上がることが出来たのやも知れぬが、生憎とどこかへ行ってしまっていた。だから片膝を付きながらで。声を張り上げることが出来る程度には回復していて助かった。
「まだ生きていただと!女!お前、俺様を騙したのか!」
「あ、うぅ……」
クソ虫に怒鳴られたミヅキは怯えるように後ずさる。その頬には、雫が伝っていた。
これ以上は無理か。下手をすれば、死ぬまで残る傷を心に負いかねない。
「下がれ。あとは俺が引き受ける」
クソ虫は無視。今はミヅキの方が重要だ。
「けど……」
それでもミヅキは首を振らない。今の俺では話にならぬということはわかるからなのか――
「今のお前さんよりはマシというものだ。それにな、お前さんは十分に頑張った。胸を張るといい。ここで引いたとて、イスズもお嬢ちゃんも、お前さんを責めはするまいさ。無論、俺もだ」
それは俺の本心であり、本当に言葉通りの意味。
「イスズ姉さん……?ケイコちゃん……?」
だというのに、ふたりの名を呟いたミヅキが立ち上がる。
……ミヅキ!?
そして見せた表情。ソレが俺の背筋を凍り付かせる。
どこか虚ろでありながら、確固たる意志が宿る。そんな、相反するふたつを宿した瞳。俺は、それがいかなるものなのかを知っていた。過去に何度か見て来たもの。
それは、求めるところを果たすために己の全て――身命までもを使い潰す覚悟を決めた者に特有で、敵として対峙した際には恐ろしい相手ばかりだったと記憶している。
この土壇場で覚悟を決めるような何かがあったとでも言うのか!?
「おい!ミヅキ!?お前さんなにを考えて――」
「大丈夫」
遮るように返って来る言葉は静かで平坦。
「気遣いには感謝だけどさ、ここで言われるままに引き下がったら、あまりにもかっこ悪いでしょ?可愛い妹分と愉快な姉貴分の前でそれじゃあ、ね?」
軽く肩をすくめ、おどけるような様はミヅキらしいはずなのに、俺の中で嫌な予感がますます加速していく。
「実はさ、あたしも異世界からの転生者なんだよね」
「……は?」
クソ虫の方に顔を向け、唐突にそんなことを言い出す。あまりに脈絡が無かったからなのか、言われた方のクソ虫は呆けた顔で間の抜けた声を漏らす。
「だからさ、あたしは別の世界で一度死んだわけよ。んで、この世界に生まれ変わったの。アンタも似たようなものなんでしょ?」
「急に何を言い出すかと思えば……。今更命乞いをしたって無駄だからな。俺様は絶対にお前を許さないぞ!」
クソ虫はそんな風に解釈したらしい。上っ面だけを見れば、あながち間違いでもないのだろうが……
「あっはは~。そのあたりは心配ご無用ってね。アンタにへいこらするなんて絶っ対に嫌だから」
「だったらどういうつもりなんだ!」
「ちょいと思うところがあってね。余談だけど、あたしが前世を生きてたのはさ、ケイコちゃん――その身体の持ち主が暮らしてたのと同じ世界なんだよね」
「それがどうしたというんだ!」
なおもヘラヘラと語る。その腹の内は、俺にも見えてこない。
「あっちの世界にはいろいろとあってさ……知名度で言うなら、“ひゅどら”と“めでゅーさ”が双璧なんじゃないかな。って、あたしは思ってる。ま、 “めでゅーさ”は違うだろ、なんて言う人も居そうだけどね」
また知らぬ単語が出てきたが、どちらもニホン語というやつか?
「“ゆるむんがんど”とか“けつぁるこあとる”あたりは、少し知名度では落ちる感じ……かな?」
「さっきからなにをわけのわからないことを言っている!」
「けどさ、ニホン人としては推したいものがあるわけよ」
そうする間にもミヅキの肩からは血が流れ出し、徐々に血の気も失せていく。
「世界的に見たら“ひゅどら”より知られてないだろうし、そのくせ“ひゅどら”と個性が被ってるってのが悲しいところなんだけどさ」
それでも、ミヅキは飄々とした態度を崩さず。
「そうか!さてはお前、時間稼ぎをするつもりだな?馬鹿め!俺様はすべてお見通しなんだ!」
「はぁ……。バレちゃあしょうがない」
こうしている間にも、蛇共が俺の治療を続けてくれている以上、それも完全に間違ってはいないのだろうが。ため息混じりの返しは、形ばかりに思えた。
「せっかく気持ちよく語れてたのに……。まあいいや。じゃあ、本気出そうかな。目には目を、歯には歯を、強化には強化を、ってね?」
「……馬鹿め!お前の身体には適性は無いというのに」
これもクソ虫の言う通り。わずかな強化を行っただけで理性を飛ばしてしまったのは数時間前のこと。ミヅキとてそれは理解しているはずなのに。
「だから何?」
それでもミヅキは静かに、そして小馬鹿にしたように問い返す。
「適性が無い?そんなもの、気合で何とかすればいいってのよ!」
「だったらやってみろ!どうせ暴走して醜いバケモノになるだろうがな!」
「上等!だったらあたしのとっておき、とくと見さらせクソ虫野郎!」
「やめろ!そんなことをしたら……」
「大丈夫」
「大丈夫なものか!現にお前さんは――」
「それでも、大丈夫だから」
クソ虫相手からは豹変。静かに、穏やかに繰り返すその様は、遠い日のケイトと重なって、
「変われ!あたしの身体!」
俺が言い淀んだ隙に、ミヅキは天に手を掲げ、叫んでいた。
「駄目だ!?今すぐにやめるんだ!」
叫びに呼応するようにして、腕を落とされた肩口から飛び出すものがあった。生きているかのようにうねり、地を這い、ミヅキの足元に絡みついていくもの。ソレは例えるのなら、赤黒色をした幾筋もの肉の蔦。あるいは、蛇の尾のようにも見えた。
「なんという醜さだ!俺様に逆らう女に相応しいぞ!」
クソ虫が嘲る。
だというのに、自分の身体が今まさに異形と化しているというのに――
ミヅキは笑っていた。どこか達成感すら感じさせるような清々しさで。
「オジサンから見たら頼りないんだろうけどさ、それでも信じてほしい」
「お前さんは……」
そして、表情を引き締め、
「その名も!―――――――!」
吠えるように声を張り上げる。同時に勢いを増した肉の蔦がミヅキの全身を飲み込んで塊となり、それでも事態は止まらない。
ドクンドクンと鼓動を思わせるように蠢く塊は、急速に膨れ上がり、砦跡に匹敵するほどになっていく。
“やまたのおろち”
そんな中でミヅキが最後に叫んだ意味の分からぬ単語が、耳から離れなかった。




