黒髪の娘が狂笑と共に口にしたのは、淀みのないアネイカ言語だった
「それでさ、ケイコちゃんはどうするの?起こした方がいいのかな?」
ようやくクソ野郎の処理が片付き、さて帰ろうかというところで、ミヅキがそう問うてくる。
「そうさな……寝こけているのであれば起こすところだが、気を失っている者を無理に起こすのはよろしくないらしい。昔医者に聞いた話だがな」
「じゃあ、おぶっていく?」
「それが妥当だろう。安心するといい。その役目は俺が引き受ける」
「それはありがたいけどさ、オジサンは疲れてないの?」
「ふむ……」
あらためて全身に意識をやる。我を忘れていた時に全力で山道を駆けた代償なのか、気怠さを感じるところ。
「……山を下りるのは少し休んでからにするか。ここまで遅くなってしまってはな」
「そうしよっか。実はあたしも疲れてる」
「ならば今のうちに、情報の共有を済ませておこうか」
お嬢ちゃんのすぐ近く。砦跡の外壁に寄りかかるように腰を下ろす。
「村の様子はどうだった?」
ミヅキの様を見る限りでは、最悪な状況だったとは考えにくいのだが。
「怪我人はハルクサンたち6人だけ。オジサンも言ってた通り、ミッシュサンとコーナスサンはかなり危険な容態だったけど、ちゃんと治しておいたから。あとは医者のお爺ちゃん曰く、命に別状は無いってさ」
「そうかい。それはなにより」
胸を撫で下ろす。俺の不始末が元凶だったことは大いに反省すべきだが、取り返しが付く範囲で収まって本当によかった。
「あのクソ野郎がお嬢ちゃんと接触しやがるまでの事情はわかるか?」
「うん。それも聞いてきた。まずケイコちゃんの方だけどね、女将さんに頼まれて水汲みに行く途中だったらしいよ」
「その途中に鉢合わせてしまったわけか……」
「そういうこと。んで、ゴミクズ野郎の方だけど、診療所で急に目を覚まして、壁をぶち破って飛び出したってことだね。ちなみに、医者のお爺ちゃんに怪我は無し」
「ハルクたちがクソ野郎と接触したのはそのあと、俺たちが村に戻る直前というわけか」
「だね」
どうやら間が悪かったらしい。あと数分早く村に戻れていれば、話も違っていたのだろうが。まあ、世の中というやつがままならぬというのは今に始まったことでもないのだが。
「流れは理解出来た」
だが、何故にあのクソ野郎はお嬢ちゃんをさらった?奴の口ぶりや立ち振る舞いを見る限り、俺への嫌がらせだとか人質だとは考えにくいのだが……
「それはなにより。ああ、そういえばさ、オジサンに相談したいことがあったのよ」
「なんだ?」
「うん。あたしってばさ、人前で堂々と治療の“魔法”使っちゃったわけでしょ?そのあたりは、なんて言い訳したらいいかな?」
ああ。それもあったか。コーナスたちの命がかかっていたのだし、やむを得ないところではあったのだろうが……
「質問攻めに会いそうだったから、あとで話すからって言って逃げて来たんだけどね……」
「それは済まなかったな。……夜の闇にでも紛れてユグ村を離れて、そのまま有耶無耶にしてしまう。くらいしか思いつかぬな。こういうことはイスズが大の得意なのだが……」
「じゃあ、イスズ姉さんが起きるまで待つ?」
「雨風を防げる建物はあるのだし、最悪はここで夜を明かしてもいいのだろうが、女将やハルクたちが心配することを思うとな……」
「だよねぇ……」
「お前さんも気を失ったので目を覚ますまで待ってくれということにすれば、多少の時間は稼げるのだろうが……」
「あとはイスズ姉さんの目覚め待ち、か」
妙案は浮かび上がらず。
それなりの時間がかかるのだし、帰りの道すがらに考えるというのも……うん?
ふと気になることがあった。
「そういえばお前さん。この場に来るのがやけに早かったようだが?」
俺は村を飛び出した後、全速力で真っ直ぐにこの場にやって来た。村で治療やらを済ませ、後追いで来たにしては、ミヅキの到着が早すぎたようにも思えるのだが。
ましてミヅキは、大きく息を切らせていたというのに。
「急いでたからね。“魔法”でなんとかした」
「“魔法”?まさかお前さん!転移を使ったのではなかろうな!?」
下手をすれば死にかねないからと禁止にしていた“魔法”。あれが成功したと考えれば辻褄は合うのだが……
「いやいや!さすがにそこまで無茶はしないってば。あたしがやったのは……そうだね、実際に見た方が速いか」
そう言って立ち上がり、跳躍。
「風よ、吹け!」
空中で口にした言葉に応じるようにして風が吹きあがり、
「こういうこと」
「なるほどな」
ミヅキの身体は宙に留まっていた。
強い風が吹いた際、飛ばされるとは行かずとも、人が押し戻されるというのはあり得る話。ならば同等かそれ以上の風を下から上へと吹かせてやれば、宙に浮くことも出来るというわけか。
「これなら使ったことのある“魔法”の応用だからね……っとと」
“魔法”を解き、地面に降りる。その際には多少よろめいていたようだが……
「見ての通り、着地が難しいのがね。腰とかお尻とか何度もぶつけちゃったりもしたんだよね。……痛かったわ」
「その都度“魔法”で治してきたということか。無茶をする」
「そりゃ無茶もするよ。なにせ、誰かさんの様子が普通じゃなかったからねぇ……」
「……そうだったな」
それを言われると弱い。
「ん……んぅ……」
「うん?」「あれ?」
消え入りそうに小さくはあったが、声が聞こえたのはそんな時。俺でもミヅキのものでもないソレは、
「ん…………んんっ!」
うなだれていた首を上げ、腕で目元をぬぐうようなしぐさの後で、
「クゥレフィト。イクスフィト……」
ニホン語と共に、ケイコお嬢ちゃんが目を開けていた。
「ケイコ!ディーモ サブートゥフィト。イーズル ラーフゥ ルーンフィト」
そんなお嬢ちゃんに、血相を変えて詰め寄るのはミヅキの方が俺よりも早かった。まあ無理もあるまいて。あれほど気立てのいい妹分に大事があった後なのだから。
それに俺では意思の疎通もままならぬのだしな。
だから今は様子を見るだけに留めておく。幸いにも、遠目には心身の異常は見受けられぬのだし。
「ミヅキオネエチャンフィト。イクスフィト……。ツアーク、イーンフィト……」
“フィト”が繰り返される当たり、状況はよくわかっていないらしいが。
「クゥレフィト!イスバフィト!」
そして何かに驚いた様子。察するに、中に居る蛇共に事情を聞かされたといったところか?
「ミヅキオネエチャン。イクス、スサイ ニコーン カーチス……」
「ピュリク ターン トーナ。ラーネド、ラーフゥ ルーンフィト」
「サブートゥ」
「ラペット」
“サブートゥ”に返す形でミヅキが安心したように息を吐く。他に怪我などはないということか?
「オジサン」
「どうだった」
ひと通りの確認は出来たのだろう。ミヅキが俺に向き直る。
「あのゴミクズ野郎と出くわした時のことはよく覚えてないみたいだから、怖い思いもしてないらしいよ。それに怪我もないみたい」
「そうかい」
予想通りだったことに俺も安堵する。
「ダンナ」
「無事で何よりだ」
俺に気付き、かけてくる声に応えて頭を撫でてやれば、
「ふふ」
嬉しそうにはにかんで見せる。本当に、返す返すも無事で何よりだ。
「時にミヅキよ。イスズはどうしている?」
こんな状況であれば、すぐにでも顔を出しそうなのだが。
「あ、そうだよね。ケイコ、イスズネエサンフィト」
「イスズオネエチャン ゾニア クレスン オウナット」
困ったような表情。これは……
「まだイスズは寝てるのか?」
「うん。そうみたい」
「大丈夫なのか?」
いくらなんでも寝過ぎではなかろうか?イスズの身に何かが起きたのではと心配になって来るのだが。
「実はあたしも心配になって来てる。クゥレ、ケイコ。イスズネエサン、デルム カーチスフィト」
「ラペット。セイル サブートゥ シュラー オゥナット。ベーイ スーク タム シュラー オゥナット」
そう言ってお嬢ちゃんは自信有り気に頷いて見せる。
「他の蛇たちも問題無いって言ってる。もうすぐ起きるだろう。だってさ」
「ならばいいのだが」
蛇共がお嬢ちゃんに嘘を言うとは思えぬ。なればそのあたりは信用してもいいだろう。
「だったら、帰るとするか。蛇共の言葉を信じるのなら、翌朝にはイスズも目を覚ますのだろうし、それくらいならば時間も稼げるというもの」
「だね。あたしも出来るならベッドで寝たいし。ケイコ、ロポル カゥ タトル アードフ」
「ラペット」
そう頷く。お嬢ちゃんの方もそれでいいらしい。
「一応、護衛は居た方がいいよね?蛇たちも出してもらうよ」
「ああ。そうしてくれ」
不用心で痛い目に遭うよりは、用心が過ぎた方がずっとマシというもの。
「ケイコ。ランデ タゲ セイル ネイト オゥグ」
「ラペット」
いつか俺も、こんな光景に慣れる日がくるのだろうかな。口の中からボトボトと、次から次に蛇が出てくる様を眺めながら思う。
「っといかんな、忘れるところだった」
「どうしたのさ?」
「ああ。空の穴はどうなっているのかと思ってな。せっかくここまで来たついで。確認だけでもしておいて損はなかろうて」
「たしかに。……昼間よりもさらに小さくなってるね。翌朝どころか、今夜中には閉じそうな感じ」
「なるほど」
あとは、穴が完全に閉じた後で残る“魔力”を全て使い切ってしまえば万事解決、だろうかな。あのクソ野郎も処理は済んだのだし……いや、まだ残っていたか。
「ミヅキよ。ついでなのだが、あの死骸も焼いてもらえるか?」
残しておくのも気分が悪い。それに“魔法”ならば、山火事の危険を冒すこと無く焼却も可能だろう。
「ほいさ。出てこい、火のた――」
けれどその言葉を遮る物があった。
「あ……うぐ……ヴァズ……!」
「お嬢ちゃん!?」
「ケイコフィト!」
その声は言葉が通じぬ俺でもわかるほどに苦し気で――
この感じは!?
おまけに、首筋がチリチリするような――なにかとんでもない見落としをしていた時特有の感覚までもがやって来る。クソ野郎の件ではなかったのか!?
「ケイコフィト!サブートゥフィト!」
「お嬢ちゃん!どうした!?」
「ダン……ナ……。ミヅキオネエ……チャン……」
額に汗を浮かべながらで、俺たちを呼ぶ声は途切れ途切れに弱々しい。
「イスズ……オネエチャ……モゥブ……えぁっ!」
「……っと!?」
嘔吐くような声。慌てて受け止めるのは、俺の方に吐き飛ばしてきた眠り続けている白子蛇――イスズ。
「ケイコフィト!ミスティフィト!」
「お嬢ちゃん!」
クソッタレめ!
罵りは自分に対して。尋常ではない様だということは、俺もミヅキも認識済み。それなのに何も出来ぬ己が情けない。
「……」
そうするうち、お嬢ちゃんが見せる苦悶が消える。
「治まった……の?」
「であればいいのだがな」
胸を撫で下ろす、とは行かなかった。むしろ嫌な予感がますます膨れ上がってくる。
そして起きたことは、なにもかもがあり得ないはずだったこと。
「ふっ……」
歪む口元には傲慢の色がにじみ、
「ははは……」
愛らしく整っていたはずの顔に浮かぶ笑みは醜悪で、
「はーっはははははっ!」
上げる笑いは常軌を逸し、
「ついに!ついに手に入れたぞぉっ!」
目の前に居る黒髪の娘が狂笑と共に口にしたのは、淀みのないアネイカ言語だった。




