幸いにも、ソレに節穴はふたつある
クソ野郎が……今度は絶対に逃がさねぇぞ!
地を染めた陽が沈み、辺りには夜のとばりが降り始める。
その頭、叩き潰してやる!
下りではなく登りだったことが幸いと言えるのかはわからんが、足元の感覚だけでも速度を落とさずに駆けることが出来る。
いや……一刻でも早く、あのクソ野郎をブチ殺せるという意味では幸い……っと、なんだ?
前方の茂みが揺れる。
「ちっ!」
舌打ち。そこから現れたのは、唸り声を上げる一頭のバケモノ熊。見かけたのは一度切りだったが、やはりというべきか、他にも居たらしい。
「邪魔だどけさもなきゃ殺す」
わずかな時間すらも惜しい。だからそれだけを告げ、歩き出す。即座に殺すつもりで。
「……珍しいこともあるもんだ」
話が通じるとは期待していなかった。けれどなぜなのか、熊は怯んだように、茂みの中へと消えていく。
「まあいい」
なんにせよ、俺としては好都合。熊の存在は意識から切り捨てる。
そうして山道を駆け登ることしばらく。途中、“魔物化”した動物と何度か出くわしたものの、そいつらが何故かすぐさま逃げて行ったおかげで足止めを食らうことはなかった。とはいえ、時刻が時刻だったこともあり、砦跡に着く頃には月が昇っていたが。
今夜も見事な満月。こんな状況でなければ、眺めながら酒でも飲みたいところだったが……
……見つけたぞ、クソ野郎。
その前に、差し当たってやらなきゃならんことがあった。そこに居たのは、これから潰す予定のモノ。そして、今も気を失ったままで外壁に寄りかかるケイトの姿。
「はははははは!せっかく見逃してやったのに、わざわざ殺されに来たのか?下賤な鏡追い風情、やはり知能も――」
耳障りでしかないたわ言は要らねぇんだよ。
「うるせぇっ!」
だから感情のままに怒鳴りつける。本当に全くもって、てめぇの相手はもううんざりだ。
「貴様……神に選ばれた私に向かって……」
「黙れと言っているすぐさま俺に弄り殺されろそれ以外は何もするな」
それが、掛け値なしの本心だ。
「なっ……!?そんなに死にたいのならば望み通りに殺してやるぞ!」
別に挑発をしたつもりもないが、勝手に逆上したクソ野郎は青筋を立て、駆け出してくる。
まあいい。無意味な問答よりは遥かにマシだ。
「これが神の裁きだ!」
なおも不快な声を垂れ流しつつ、駆け出したクソ野郎が右手を振り上げる。そのまま振り下ろすつもりなのだろう。
先日やり合った時と比べれば、速さは格段に増している。恐らくは、でかくなった図体の分だけ膂力も増しているんだろうが……
ふざけるんじゃねぇぞ……
ただそれだけでしかない。取るに足らぬ、という意味では、先日とまるで変わらん。ハルクがやられたのは、爪伸ばしに初見で対応出来なかったとか、そんなところだろう。
だからこそ、あまりにも腹立たしい。
なぁティークよ?本当に、お前は何をやっていたんだ?
あまりにも許しがたい。
この程度のクズ相手に、目の前でむざむざと、ケイトを連れ去らせた己の間抜けさ加減が!
「己の罪を悔いて死ねぇ!」
クソ野郎が右手を振り下ろし、
ゴキリと鈍い音。
「は……?なにが……?」
呆けた声。
「う……」
そして、
「うぎゃあああぁぁぁっ!?」
クソ野郎の薄汚い叫びが響く。
俺がやったのは大したことじゃない。先日やり合った時に刺突の剣先を逸らした時と同じようなこと。触れ、力の流れに入り込み、方向を変える。ただそれだけだ。違いがあるとするなら、わずかに逸らすのではなく――流れそのものの向きを変えてやったことくらいだ。
肩というのは外れやすいらしいが、化け物になった元人間もそこは変わらなかったらしい。
振り下ろす勢いをそのまま叩き返されたような構図になった結果、肩が耐えられなかったのだろう。クソ野郎の右腕は力無く垂れ下がり、ぶらぶらと揺れていた。
「ば、馬鹿な……無敵の私がこんな……」
クソ野郎の勘違い具合は、ここまで来るといっそ笑えてくる。この程度で無敵だと?これまでにやり合って来た剣士や鏡追いの中には、お前なんぞよりも怖いと感じさせてくる連中は両手の指で余るほどには居たんだぜ?
そして、だからこそなおのこと腹が立つ。クソ野郎がクズであればあるほど、そんな輩にみすみすしてやられた俺の不甲斐なさが際立つのだから。
「ま、いいけどよ……」
とりあえずは、さっさと弄り殺す。
そう考えて歩を進めれば、
「ひぃっ!?来るな!来るなぁっ!?」
後ずさりをしながら、悲鳴混じりに左腕を突き出し、その爪が勢いよく伸びて来る。
二度も食らうかよ!
が、そんなものはとっくに知っている。初見ではなく、まして自由に動ける状況。であれば、対処しきれない道理なんざあるはずがない。
本質的には、ただの刺突でしかないソレをかわすのは、横に半歩身をずらすだけで十二分。ついでに上乗せしてやる反撃も、先の使いまわしで事足りていた。
「いぎゃああああぁっ!?」
力の流れ。その方向だけを真上に変えてやれば、刺突の勢いがそのままに肩への負荷となり、
バキリ!と、わずかに異なる音を立て、左肩も簡単に外れてくれる。
さて……
さらに一歩、足を進める。
「や、やだっ!来ないでよぉっ!」
へたり込んだクソ野郎は子供じみた泣き言と共に涙と鼻水を垂れ流し、なおも下がる。
「うえっ!?」
だがそれもすぐに終わる。後方にあった砦跡、その外壁にぶつかったからだ。
「頼む!助けてくれ!」
そんな命乞いをされても、同情心はまるで湧いてこない。
当然だろう。このクソ野郎は、俺からケイトを奪おうとしたのだから。それこそ、何千回殺しても飽き足りないくらいには腹が立っている。
むしろ――簡単に泣きを入れるような覚悟でケイトに手を出しやがったという事実が、さらに怒りを加速させる。
ま、いいけどよ……
殺せるのが一度切りというのは残念だが、せいぜい報いを受けさせるか。まずは……
「たすけ……ぎゃああああっ!?」
中指の関節を親指で押し上げるように握った左手を振るう。
痛覚はあるらしいな。
また飛んで逃げられても困るからということで、右の羽――正確にはその付け根部分を潰しておく。見たところからして、背中とつながっている箇所を砕けば使い物にはならんだろう。勢い余って後ろの壁も軽く砕いてしまったが、それはどうでもいいことだ。どうせここ数年でも野盗共くらいしか使わなかった建物なんだから。一応村長に報告はするし、必要ならば弁償もするつもりではいるが。
「うぎゃっ!?」
同じように左の羽も。クソ野郎はいちいち大げさにわめくが、別に大したことじゃない。あの芸当は、左手でも繰り出せるのだから。いつからかは知らんが、いつの間にか出来るようになっていたこと。そして鉄杖の方がやりやすいということもあり、滅多に使うことは無い。今は珍しく、その機会がやって来たというだけのこと。
「ぎゃあああっ!?」
ついでに足――膝も砕いておく。片方だけでも良さそうだが、念のためということで両方を。
「なんで……なんで私がこんな目に遭うんだ……」
「おい?今なんて言った?」
クソ野郎が聞き捨てならん言葉を漏らす。自分が何をやったのか、それすら理解していなかったとはな……
ああ本当に!
このクソ野郎はどこまで俺を怒らせたら気が済むのか!
「いいかよく聞けよ」
「ひぎゃああっ!?」
苛立ち紛れに右の鎖骨を砕いた上で罪を教えてやる。
「てめぇは!俺から!ケイトを!奪った!それだけでも万死に値するだろう?違うか?」
「あ、あの小娘を……?」
そう言ってクソ野郎はケイトに目をやる。その様がいちいち癇に障る。
「誰に断ってケイトを視界に入れている?」
本当にどこまでも腹が立つ!
「ああそうか……。そんなモノがあるから……。ならば必要無いよな?」
どうせ節穴に決まってる。ならば、潰してしまったところでどうということもない。
「ひっ……!?なにを……!?……いぎゃああああああああぁっ!?」
だから膝と同じ要領で両目を潰してやれば、これまで以上の絶叫を吐き出しやがる。
「さっきからぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあうるせえんだよ」
ならば喉も潰そうか。どうせ声を上げられても不快なだけなんだから。
だが……
そこで疑問に思うこと。
死なない程度に目玉を潰すのは難しいことじゃなかったが、喉というのはどうなんだ?貫かれれば即死もあり得るということは経験上知っている。だが、声を出せなくした上で生かしておくというのは、加減はどうすればいいのか?
まあ、やり過ぎてくたばったなら、その時はその時か。弄り足りないとは感じるだろうが、そのあたりは俺ひとりが我慢すればいいことだな。
「今からお前の喉を潰すやり過ぎるかどうかは知らんがな」
「ひっ!?」
そう結論付け、左の拳を引く。力加減は適当でいいだろう。
そして――
「飛んでけ!水!」
唐突に聞こえたのはそんな――不快ではない――声。
意識よりも先に身体が動き、真横に飛び退き、
次の瞬間、何かが脇を通り過ぎ、桶の水をぶちまけたような音が響く。
クソ野郎を見れば、周辺の壁や地面も含めて、ずぶ濡れになっていた。
「どういうつもりだ?」
振り返ればそこに居たのは、腕を突き出した姿勢のミヅキ。雲ひとつない月夜であり、雨が降った様子は無い。たった今ぶちまけられた水の量は、桶にしたら10杯やそこらでは足りそうもないもの。そして先の声は、ミヅキが“魔法”を使う時に口にしたものなんだろう。
つまり、今のはミヅキの仕業だと見るのが妥当。
「どういうつもりだと聞いている?事と次第では、お前でもただじゃ済まさねぇぞ?」
だから重ねて問いかける。このクソ野郎を弄り殺しにするのを、なぜ邪魔したのかと。
「それは……その……」
答えようとするミヅキは、月明りでもわかる程度には青ざめていた。それに口調と言い表情と言い、俺に怯えているようにも見えた。
妙だな。怖がられるようなことをした覚えは無いのだが。
ミヅキ相手にさして気を使った記憶も無いが、はっきりと見て取れるような恐れを与えたことはあっただろうか?
とはいえ、
「どういうつもりかと聞いている」
今の問題はその一点。言い募れば、ミヅキはさらに息を呑む。全く、何がどうしたって言うんだよ。
「……い、いやさ、たいしたことじゃないんだけどね」
そして、振り絞るような声と共に、必死で恐れを振り切るような――ある種の覚悟を宿した目で俺を見る。
「……あたしのオジサンともあろう者がさ、そんなゴミクズ相手に我を忘れてるみたいだから、頭を冷やしてやろうと思ってね」
俺が我を忘れている?何を言っているんだ?
「このクソ野郎はケイトをさらいやがった。だから報いを受けさせる。それだけのことだろう?なにがおかしい?」
「うん。あたしだってそこのゴミクズを擁護しようなんて全然思わない。むしろ殺りたいと思ってる。だからそこらへんはいいんだけどさ……」
「だったらどういうつもりだ?」
「……さっき、オジサンが村を飛び出す時にも気になってた。もしかしたら聞き間違いかなって思ったりもしたけど、そうじゃなかった」
そうしてミヅキが目をやるのは、少し離れたところに座るケイトの姿。
「その子ってさ、本当にケイトサン?」
「だからお前は何を言って――」
「いいから答えて!その子の容姿、背格好、髪の色。本当に、間違いなく、ケイトサンだって言える?」
ま、いいけどよ……
両足と羽を潰してある以上、クソ野郎が逃げることは出来ないだろうということでケイトを見る。月明りに照らされた黒髪は艶やかで、長いこと旅をしてきた中でもケイト以外には一度も見たことは……一度も?
言われて考えて、噛み合わない感じがした。違和感が首をもたげる、とでも言えばいいのか。
待て!ケイトの髪は本当に黒かったのか?
記憶の中を探る。
『約束ですからね?一撃でも入れたら、私を弟子にしてくださいよ?』
『大体がですね……まだ真っ昼間じゃないですか。黄昏れるなら日暮れ時。黄昏れ時まで待つべきなんです。私の言ってること、間違ってますか?』
『もしかして、私って迷惑ですか?』
『本当に、これが最後の機会だと思いますよ。ここで拒んでくれなかったら、もうあなたから離れられなくなってしまう。もう、自分を抑えられなくなっちゃいますよ?』
『温かい……。あなたの全て……大好きでした……。手の平も、ね』
『大好きな私の……お願いだから……きっと……叶えてくれるんです……』
そこにあるケイトの姿。その全てで、髪の色は純白だった。
…………………………………………ああ、そうだったか。
その色をきっかけとするように、認識が戻ってくる。
そこにいる黒髪の娘はケイトではなく、ケイコ。ケイコお嬢ちゃんだったのだ、と。
「ふうぅぅぅぅぅぅっ……」
長い溜息を吐き出す。なるほど、たしかにミヅキの言ったとおりだ。俺はすっかりと我を忘れていたらしい。
よく似た名前とそっくりな声をしたお嬢ちゃんとの出会いに始まり、
アイツの姪であったミヅキが、ケイトを思わせる形で弟子入りをして来たこと。
白子蛇に生まれ変わり、俺の元へ帰ってくれたアイツ――イスズ。
なんだかんだと、あの頃を想起させられることが多かった。そして俺自身、少なからずお嬢ちゃんをアイツに重ねていたこと。
そのあたりが妙な形で混じり合っていたところでケイコお嬢ちゃんをさらわれた結果、アイツを失った頃の俺が顔を出してしまったと、そういったところだろうかな。
お嬢ちゃんの中にイスズが居たであろうということもまた、ソレを加速させた一因やもしれぬが。
当時の激情がまだ残っていたことには呆れ混じりの驚きを覚える一方で、納得も出来てしまっていた。あの頃もまた、俺の一部。今へとつながっていたのだろう、と。
まあ、己の内面を改めて見つめる機会を得られた、ということにしておこうか。
「オジサン?大丈夫?」
「ああ。済まぬな。お前さんにも見苦しいところを見せた」
心配そうに覗き込んで来るミヅキからは、恐れは伝わってこない。恐らくは、垂れ流しになっていた殺気が怯えさせていたのだろう。
「うん。やっぱオジサンはその口調の方が落ち着くよ。あとコレ、忘れ物」
そう頷いて安心したように笑うミヅキから鉄杖を受け取る。そういえば、放り投げてからそのままだったか。
「ありがとうな」
振り返れば、たしかに先ほどまでの口調もあの頃――俺が最もやさぐれていた頃のものになっていた。なんというのか……思い出すのも恥ずかしいというやつだ。
「それと、オジサンの怪我も治すよ。治れ、傷!」
ミヅキが光を当てる。そうすれば、女将をかばった時に貫かれ、満足に動かなくなっていた右腕も元通り。つくづく、“魔法”というのは便利なものだ。
「平気な顔してたみたいだけど、痛かったでしょ?」
「いや、それがな……」
「それが?」
「我を忘れていた間は特に痛みは感じていなかったのでな」
「……まあ、そういうこともあるのかな。っと、それはそうとケイコちゃんは無事なんだよね?怪我とかしてないよね?」
「気配がある以上、息があることは間違い無いだろうが……」
言い淀んでしまうのは疚しさから。本来であれば最優先事項であったはずなのだが、クソ野郎を弄ることに夢中でそれ以上のことは確認していなかった。返す返すも恥ずかしい話だ。
「あのさぁ……」
「済まぬな」
だからミヅキの呆れも甘んじて受ける。本当に、どうかしていた。
考えてみれば、女将が狙われた時もそうだった。気配探りを疎かにしていた結果、女将の存在に気付くのが遅れていた。そうでなければ、もっと上手く立ち回ることが出来ていたやもしれぬ。
クソ野郎が飛んで逃げたことにしても、羽がある以上飛ぶことも出来るのだという前提で動いていたなら、あの場で抑えることも出来たやもしれぬ。
山道でバケモノ熊と出くわした時も、ミヅキが水をぶつけて来た時にせよ、気配で存在に気付くことが出来なかった。
どこまでも失態続き。無暗に頭に血を昇らせるな、などとハルクたちに偉そうに言っておきながら自分がこの様とは、あまりにも情けない。
「オジサン……これ……」
そんな俺を余所に、お嬢ちゃんに駆け寄ったミヅキがうなだれていた顔を上げさせる。その頬には、青紫のあざが痛々しく。昼飯を共にした時には無かったものだ。つまるところ――そういうことだろう。
「どこまでもふざけたことやってくれたらしいね、あのゴミクズ」
「ああ。まったくだ」
全くもってミヅキの言う通りというもの。俺も怒りの再燃を感じていた。さすがに今度は我を失いはしなかったが。
「とりあえず治しておくね。治れ、傷!」
そうしてミヅキが手を当てればあざは消えたが、俺たちの方は収まるわけも無く――
「さて、殺ろうか」
「そうだな」
クソ野郎に向き直る。
「んで、まだ生きてるんだよね、コレ。やけに静かだけど」
「ああ。目玉と両手足は潰しておいたが、それは間違いない。死んだふりでこの場を逃れようとでも思っているのだろうかな」
「あ、目も潰したんだ」
「お嬢ちゃんを視界に入れられるのが不愉快だったのでな」
「うん。それならしかたないね」
先ほどはあれだけわめいていたクソ野郎は、ミヅキの言うようにすっかりと静かになっていた。多少弱ってはいるやもしれぬが、気配が残っている以上、まだ生きていることに間違いはない。まあいずれにせよ、この場で確実に処理しておかねばな。
「そこに誰かいるのか!?」
「あ、動いた」
耳は潰していないこともあってか、ミヅキ――俺ではない誰かの声に反応したらしく、クソ野郎は死んだふりを辞めたらしい。
続けていてもよかったのだが。どうせあと数分で死骸になるのだし。
「た、頼む!助けてくれ!」
そして命乞い。俺相手でなければ、などという希望という名の幻想でも抱いたのか。
「金なら出してやる。だから頼むっ!」
一見すれば必死のようであるし、求めることの代価として金をという考えも、決して間違ってはいないだろう。今回は相手が悪すぎるというだけで。付け加えるのなら、「出してやる」という言い回しも減点対象か。
「へぇ……」
ころころと様々な表情を見せるミヅキの顔からは感情が抜け落ちる。これは、本気で腹を立てている奴によく見られるものだ。
「それで、いくら出すつもりなのさ?」
「そ、そうだな……。8万……いや、5万ジットで――」
どこまで阿呆なのやら……。ここまで来ると感心すら覚えるところだ。
この手の申し出で、あとから示す額を小さくする奴がいるものか。まして、その額はどちらも、話にならぬほどに小さいと来たものだ。ミヅキの怒りに薪をくべるつもりだったのではないかと思えるほど。
「ぐべっ!?」
だから、クソ野郎が発した潰れた蛙さながらの声は、ミヅキが顔面に蹴りを叩き込んだことによるもの。その勢いで、後頭部が勢いよく後ろの壁にぶつけられもしたらしいが。
「あんたさぁ……舐めてるの?馬鹿なの?死にたいの?殺されたいの?八つ裂きにされたいの?ねえ、答えてよ?」
「な、なんで……!?」
困惑。ミヅキが怒っている理由に思い至りすらしていないらしい。
「ひとの可愛い妹分と愉快な姉貴分さらっただけでも許し難いってのに、ケイコちゃんの顔に手ぇ上げてくれたよね?その代償が5万?5000億でも全然足りないってのよ!」
「だ、だったら……私の妾にしてやろう!私は神に選ばれ――がべっ!?」
「死ねっ!」
再度ミヅキは顔を蹴り飛ばす。
「あとしゃべるな!出てこい、氷!」
「――!?――――――!?」
さらにそう言って手を振るえば、突然に現れた氷がクソ野郎の顔――鼻と口に張り付き、耳障りな音を封じてくれる。
「便利なものだな。それはそれと……」
このあたりで止めておく。そうでもしないと、ミヅキが勝手にとどめを刺してしまいかねぬ。クソ野郎が処理されること自体は構わぬが、俺の手でやっておきたいところだ。
「ミヅキよ。そのあたりにしておけ」
「なんで止めるのさ!」
なおも蹴りつけようとするミヅキを制止すれば、そんな風に噛みついてくる。先と立場が入れ替わったようだ。
「今のお前さん。我を忘れてはいないか?」
「ぐぬ……そう言われると……」
だからそう言えば、一応の引き下がりは見せる。
「だろう?どの道生かしておくつもりは無いが、さっさと終わらせてしまうとしよう」
「たしかに。早いところケイコちゃんを村に連れて帰りたいしね」
さっさと処理するということで話はまとまる。だが、問題はまだあるわけで。
「それで、とどめはどうするかという話だが……」
「あたしに殺らせてよ」
案の定、ミヅキはそう言ってくる。
「気持ちはわかる。だが俺とて、この手で処理しておきたいとは思うのだがな」
このクソ野郎への腹立ちが収まっていないという点では俺も同じ。
「じゃあどうするのさ?」
獲物はひとつ。俺たちはふたりという状況。
「お互いに妥協するということでどうだ?」
だからそう提案する。
「というと?」
「ああ。生き物という奴はな、目玉を潰されただけでは死にはしないが、目玉の奥まで貫かれると即死するように出来ているらしい」
「そりゃそうだけど」
「幸いにも、ソレに節穴はふたつある。ならば、それぞれを同時に貫くということでどうだろうかな?」
「……たしかに、オジサンがこのゴミクズに腹立ててるのも理解出来るし……。うん、わかった。それで妥協するよ」
「――――!?――――――――!?」
残っていた耳で聞き、意味を理解したのだろう。クソ野郎が激しく首を振るのだが、
「あんたは止まってろ!出てこい氷!」
ミヅキが腕を振るえば、追加された氷が頭を完全に固定する。
「よし!これで大丈夫、と」
「さて、片付けるか。お互いに妥協した形にはなるが」
「だね。妥協の結果だけど、仕方ないよね」
そうして俺は鉄杖を、ミヅキは仕込み双刃を抜く。
「じゃあ、いち、にの、さんで同時にやるよ。抜け駆けは無しだからね?」
「ああ。心得た」
「いち!」
「にの!」
「「さん!」」
同時に得物を突き出し、同時に節穴を貫く。一度だけ、びくりと身体を震わせ――その直後に、気配が完全に消えて無くなる。
ここ数日、散々面倒を引き起こしてくれたクソ野郎の最期は、存外に呆気の無いものだった。




