ふざけるんじゃねえぞ……
「結論を言ってしまうなら、ヤーゲの阿呆が“魔物化”しているのではなかろうか?ということだ」
「ヤーゲ?」
俺がようやく気付けたことを口にすれば、ミヅキはその名を繰り返して首を傾げ――
「って、誰?」
真顔でそう問い返してきた。
おいおい……。いくらなんでもそれはないだろう……
その仕草に芝居の色が全く見えないことに対して、逆に俺が困惑させられてしまう。
「確かに、取るに足らぬクズであることは否定せぬがな……。そもそも、お前さんはどんな用向きでこの村にやって来た?」
「……そういえばそうだったよ」
ようやく思い至ってくれたらしい。ミヅキがこの村に来た当初の目的は、ヤーゲの阿呆を処理するためだったということに。
「それで……ヤーゲってどうなったんだっけ?」
それすらも忘れていたらしい。まあ、ケイコお嬢ちゃんやらイスズやら“魔法”関連やらでいろいろとありすぎたせいというのもあるのだろうが……
「“魔物化”した動物に殺されてくれればと思い、山に追いやった。ところが、命からがらに村へ逃げ帰って来やがった。今は医者のところで意識不明。と、こんなところだな」
「……言われてみればそうだったかも。それで、ソイツが“魔物化”っていうのは?」
内心でため息。お前さんが覚えていてくれれば、この手間は不要だったのだがな。
「死にかけで山から下りて来たあの阿呆は、全身の至る所が黒く染まっていたんだ。その様は、さっきのお前さん。その左腕とよく似ていた」
俺はずっと、ヤーゲの皮膚が黒く染まった原因を毒だと考えていた。
毒にしては妙だという印象も無いわけではかかったのだが、“魔物化”したネズミという未知の生き物の噛み傷があったことで、そういうものだと思考を止めてしまっていた。
それこそが、違和感の正体。
「じゃあ、今のヤーゲって……」
「徐々に“魔物化”が進んでいる最中……という恐れがある」
“魔物化”の進行にも個人差個体差があるのならば、あり得ぬ話でもない。
あの阿呆が死のうが殺されようがくたばろうが地獄に落ちようが、俺には全くもってどうでもいいこと。だが、あの阿呆が“魔物化”して村の中で暴れるようなことにでもなれば、怪我人どころか死人が出る恐れもある。
本当に、どうしてそこに思い至れなかったのか。返す返すも情けない。
「……そんなのが村に居るわけか。怖いね」
「ああ」
いつあの阿呆が暴れ出すのかはわからない。5分後なのかもしれぬし、3日後なのかもしれない。あるいは、全くの杞憂であるかもしれない。
村へと急いでいるのが現状だが、それも無駄に終わってくれる可能性は十二分にあるとも思っている。
それでも、急ぐことによって最悪を避けられる。そんな可能性が毛の先程度には上がる……かもしれないのであれば、無意味とも言い切れまい。
「それでさ、ヤーゲをどうするのさ?」
「そこが問題ではあるのだがな……」
あの阿呆を助けようと真剣になっている医者の爺様の手前「“魔物化”する恐れがあるから始末する」などとは言い難い。俺が近くに居る時に暴れ出してくれれば、これ幸いとばかりに問題無く処理出来るのだろうが、張り付きっぱなしでは俺が身動きを取れなくなってしまうわけで。
「お前さんの“魔法”で始末することは出来ぬか?」
「と言うと?」
ならばと考えたのは、未知の力である“魔法”。
「要は下手人が分からぬように自然な形で……あるいは原因不明の変死でもいいのだろうが。とにかく、そんな形で始末できれば万々歳と思うのだが、やれそうか?」
「そうだねぇ……。イスズ姉さんの知恵を借りたいところだけど……風を使って窒息死させるとかだったら、上手く行くんじゃない?」
「なるほど。ならば、その方向で行くか」
困った時のイスズ頼み。何から何までを頼り切って考えることを放棄するつもりはないが、アイツが頼りになるというのも事実。
「も、もうすぐ……だよねぇ……?」
大まかな計画を立て、村への帰路を早足に歩くことしばらく。道の具合がほぼ真っ平になり、空が夕焼けに染まる頃、ミヅキが問うてくる。
「ああ。それはそれと……。お嬢ちゃんだけではない。お前さんももう少し体力を付けた方がいいのではないか?」
少し後ろを見れば、そこにいるミヅキはぜぇぜぇと息を荒げていた。
「あたしだって旅暮らししてきたはずなんだけどなぁ……。というかさ、オジサンが元気ですけど……。ホントに60過ぎてる?実は年齢詐称とかしてない?」
「酷い言われようだな……」
これまで生きてきた中で歳を偽ったのは、駆け出しの頃に舐められぬようにとの数回だけなのだが。
まあ事実として、今は息が上がるほどでもないのだが、その理由は多分別のところにある。
「ここ数十年、常に力の流れを意識するように動いてきたのでな。身体の負担が小さくなるように動作のひとつひとつを組み上げてやれば、自ずと疲労も軽くなるというものだ」
「いやいやいやいや!サラっととんでもないこと言ってるからね!?」
「そう言われてもな……」
ずっとそうやって来たのだから仕方があるまいさ。っと、そろそろか。
脇にあった大岩に目をやる。位置的にはここを過ぎて数歩あたりで、番をしている者――この時間ならばミッシュとダイト――の気配を拾えるはず、だったのだが。
妙だな。
ふたつあるはずの気配を、どちらも感じ取ることが出来なかった。
まさか……!?
嫌な予感がこみ上げてくる。
そもそもが、ふたりひと組での番。仮に何かが起きて場を離れるにせよ、どちらか片方は残るべきだ。ミッシュならば、それくらいは理解しているはず。にもかかわらず、ふたり揃ってそこに居ない。真っ先に思いつくのは――少しどころではない何かが起きたということ。
そして、少しどころでない何かが起きる前提条件は揃ってしまっていた。
「どうしたのさ?休憩?」
「ちと気になることがあってな」
俺が一度足を止めると、よほど疲れていたのか、ミヅキは座り込んでしまう。そちらはさて置き、全神経を気配探りに集中し、範囲を最大まで広げる。そして――
こいつは……!?
「……マズいことになっている!急ぐぞ!」
「え!?ちょ……!?」
返事を待つ間すら惜しい。俺は、鉄杖を抜いて駆け出していた。
正直なところを言えば、ミッシュとダイトが揃って花摘みにでも行っていたのならば、それでもよかった。無論、褒められたことではないし、そうであったなら説教のひとつもくれていたことだろうが。
けれど、現実に起きていたことは遥かに最悪だった。
まったく、悪い予感というのは当たるとやり切れぬ。
ミッシュたちが番をしていたはずの場所から少し離れたところ。井戸を中心とした広場のあろう辺りに、8つの気配があった。それだけならばまだいいのだが、問題なのはその位置関係。
中心に気配がふたつ。ぴったりとくっついたこの気配は密着具合からして、抱きかかえているか負ぶっているかだろう。
そしてその周辺にある6つは、包囲網のようで。
真っ先に浮かんだのは、人質を取った悪党を取り囲んでいるという構図。
いや、さらに最悪かもしれぬな。
こうしている今も、周囲にある6つの気配が動いていた。中央の気配に近づいては、離れるように。しかも、離れる時の方が速い。まるで――かかったところを跳ね飛ばされているように。
気配の位置だけでははっきりとは言えぬが、無事で居ろよ!
内心でそう願いつつ、走る速度を全力のそれに切り替える。
よし、ここを曲がれば……
無人の門を抜け、民家の間を駆け、広場を視界に捉える。
「ぐああああっ!?」
それと同時に聞こえたのは、野太い男の声。その巨体を勢いよく吹っ飛ばされ、腹から血を流しながら崩れ落ちるハルクのものだった。
ふざけるんじゃねえぞ……
どくりと、腹の底で何かがうごめく。
広場の中央に居た者。取り囲まれていた気配の正体と目が合う。
大柄のハルクよりもさらにひと回り以上は大きい。目測では……ざっと3メィラといったところだろう。
腕と足は俺の胴回りほどに太く、その指先から伸びる爪は長く鋭い。近いところを挙げるのならば、先日見かけたバケモノ熊あたりか。
牙さながらに伸びた歯は、野犬モドキを思わせる。
頭から生えた2本の角は、一見すると牛のソレと似ているが、羊のようにねじれてもいる。
背中に見える、トンボのような2対の羽は、広げれば4メィラほどになるだろうか。
少し前まで身に付けていたものの名残なのだろう。ところどころに布切れを張り付かせ、人間の様に直立していた。
こちらに向ける赤黒く濁った眼は、見覚えのある陰湿そうな光が残っているようにも見える。
そして全身を覆う質感には亀の甲羅か鹿の角を思わせる硬質さがあり、筋らしきものが幾重にも浮かぶ。色合いが赤黒であることを除けば、先ほどの――おかしくなった時の――ミヅキの左腕とよく似ていた。
文字通りの化け物。俺の手持ちではその程度にしか表せぬような存在。
けれど、そのあたりは些末なこと。
周りを見れば、ハルクを含めて6人が倒れ伏していた。すべて、この村に来ていた同業者たちだ。いずれも手傷を負わされ、意識を失っている様子。広がる血だまりの様からして、コーナスとミッシュは危険な状態かもしれぬ。
元は俺がヤーゲの始末に横着をしたことに起因している以上、申し訳ない程度で済む話でもないのだが――それでも、ハルクたち以上の優先順位と位置付けることがあった。
野郎……
ずっと腹の底に居座り、うごめいていると思っていたモノがあった。だがその認識は、少しばかり的を外していたらしい。
何よりも意識を引いたのは、残るひとつの気配。化け物――ヤーゲだったモノが左腕に抱えていた存在。
気配がある以上、息はあるのだろう。
ぴくりとも動かず。ぐったりとうなだれ、顔は見えない。
それでも、誰であるのかはひと目でわかった。ある程度の体格は見て取れたから。そしてなによりも――
一度ならず二度までも……
腹の底にあったソレは、言うなれば栓。
その黒髪が誰のものなのかを認識すると同時に、栓が外れ、噴き出すモノは瞬きするほどの間に、心身を埋め尽くす。
俺からケイトを奪おうってのか!
噴き出したモノは黒。ただし、視界に移る髪のような艶やかで美しさすら感じさせる黒ではなく、
ブチ殺す!
薄汚く、粘ついた、醜悪で不快極まりない、ドス黒い感情だった。
噴き出す殺意そのままに駆け出す。
一瞬でも早くその頭を潰せるように、鉄杖の持ち位置は端に。
一瞬でも早くあの芸当を繰り出せるように、鉄杖を持った右腕を後ろに引き、溜めを作りながら。
ゴッ!
彼我の距離が6メィラほどになったところで、飛来した何かがそんな鈍い音を立ててクソ野郎――ヤーゲの頭に当たる。
「さっさとケイコちゃんを離すんだよ!この化け物!」
そしてそんな声。クソ野郎を視界から外すこと無く目をやれば、声の主は宿の女将。宙を舞ったのは、まな板だったらしい。
マズい!?
その瞬間、直感的に見えてしまった危機が殺意に散らされかけていた理性をかき集める。
女将が投げたまな板が命中したのは、幸か不幸かで言うなら、間違いなく後者だった。
かなりの勢いで当たったようでもあったが、大した効果があったようには見えない。
にもかかわらず、敵意だけは引いてしまっていたのだから。
苛立たし気にクソ野郎が右腕を引く。
女将との距離は8メィラ程。そのまま突き出したところで、届きはしないだろう。
だがそれは――普通に考えたならば、の話だ。
そもそもが、現状からしてすでに普通ではない。
それになによりも、ヤーゲがやろうとしていることが力の流れからわかってしまった。
クソっ!状況が悪い!
クソ野郎の頭を潰すことだけに専心していたのが災いした。叩き落とすには、鉄杖と右手の位置が悪い。
ならば!
すぐに行動を切り替える。鉄杖を投げ捨て、踏み出した右足の膝を落として溜めを作り、その一瞬を使ってつま先だけで進行方向を変える。
頼む間に合えっ!
そして女将めがけて突進、飛びかかり、押し倒す。
「ぐうっ!」
右肩を貫かれた痛みは、予想通りに数メィラまで伸びたヤーゲの爪によるものか。一瞬遅れて、女将を下敷きに地面に倒れ込む衝撃がやって来る。
「ぐえっ……。あ、あれ……?ダンナ……かい?」
「無茶するんじゃねぇよ」
間の抜けた女将の声は、喉笛を貫かれるという予測を外すことが出来た証。そのことに軽く安堵しつつ身体を起こす。
「ふ、ははははははっ!」
そこに聞こえてきたのは嘲り混じりの笑い。
……何を馬鹿笑いしてやがる!
その不快さに、再び殺意の濃度が増していく。
「頭潰し!貴様など、卑怯な手さえ使えなければ神に選ばれた私の――」
「うるせぇんだよ」
聞くに堪えない戯言に付き合うつもりは無い。
「今すぐケイトを離せそうすりゃ苦しまずに殺してやる嫌なら弄り殺す今すぐ選べ」
だから要求だけを叩き付け、左手を固く握りしめて歩き出す。返事は待たない。どうせ殺すのは変わらん。ならば、早いか遅いかの違いでしかない。
「……は?だが……。あ、ああ。仕方がない」
ヤーゲは訳の分からんことを言い出すばかり。誰かと話しているようにも聞こえるが、恐らくは独り言だろう。そのあたりはどうでもいいことだ。
重要なのは、ケイトを離す様子が無いということのみ。どうやら弄り殺しがお望みらしい。
だったら望み通りにしてやるよ!
右足で地面を蹴り、駆け出して振るった拳は、なんの手応えももたらさなかった。ヤーゲが後方に大きく跳んだからだ。
かわしやがったか。だが、それが命取りだ!
あれだけ大きく跳べば、着地の際に隙が出来る。あとはそこを――
「なんだと!?」
けれど俺の目論見は外され、口をついたのは驚き。ヤーゲが地面に下りることは無く、
「貴様に神の裁きを下してやりたいところだが……」
背中の羽を震わせ、宙に浮いたままで見下してくる。
「先にやることが出来たから見逃してやろう。私の慈悲に感謝するがいい!」
野郎……どこまでもふざけた真似をしてくれる……
そう言い残し、ヤーゲはユグ山の方へと飛び去って行った。
「って、何がどうなってるのさ!?」
入れ替わるようにして聞こえてきたのは、泡を食った声。
「ミヅキか」
「オジサン……だよね?」
「他の誰に見える?」
ふざけている場合かという苛立ちはあったが、呑み込んでおく。今最優先すべきは、あのクソ野郎を――
いや、それだけじゃねぇな。
まわりを見れば、深手を負って倒れ込むハルクたちの姿があるのだから。
「お前はハルクたちの治療を頼む。特にコーナスとミッシュがヤバい」
「あ、うん。オジサンはどうするのさ?それに、さっき何かが上を飛んでったみたいだけど……」
「そのあたりは女将にでも聞いてくれ」
今は説明する時間も惜しい。
「俺は――」
見据えるのはユグ山の方角。
「あのクソ野郎をブチ殺す。一度ならず二度までもケイトを奪った報いは受けさせる」
「……オ、オジサン?」
そのまま走り出す。困惑混じりに俺を見たミヅキの目に恐れの色が見えたような気がしたが、それは多分気のせいだろうということにして。




