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それこそが、数日前からつきまとっていた嫌な感覚の正体だった

「オジサン、起きてる?」

「ああ」


 目を閉じてしばらくが過ぎた頃、ミヅキに呼ばれた。声が聞こえた方を見れば、当のミヅキがのっそりと立ち上がり、身体をほぐしているところ。


「あのさ、時間ってまだ大丈夫そう?」

「そうさな……」


 空に浮かぶ日の位置を見る。


「少しくらいであればな」

「そっか。それにしても……」


 目をやる先に転がっていたのは、少し前まではミヅキの左腕であったモノ。


「ゾッとする話だよね……。あたしの腕があんな風になっちゃうなんてさ」


 新しい左腕を撫でながら身を震わせる。俺としても本当に、怖気(おぞけ)の走る出来事だった。


「長いこと流れの鏡追いをやって来た俺とて、初めて見たぞ。もっとも、この村に来てからというもの、初めての経験という奴が立て続けに起きているが」


 失われたはずの左腕が生えて来たというのも、そのひとつ。


「そういえば、今の左腕は問題無く動くのか?」

「違和感とかも全く感じないけど……。ちょっと試してみるね」


 浮かんだ疑問を問うてみれば、ミヅキは腰に差した得物を抜くと、俺から距離を取る。


 さらに腕を振れば、キンキン!という音を立てて仕込まれた双刃が飛び出す。


 確かに、左腕の調子を見るにはちょうどいいか。


 鮮やかな得物(えもの)(さば)きを見せられたのはつい先日のこと。アレを再現できるくらいであれば、新しい左腕は万全と言ってもいいのだろう。


「いざ!」


 そう気合を入れて見せられたのは、先日のそれに勝るとも劣らぬ見事な動き。恐らくは見せることに重きを置いた型なのだろうが、巧みな足捌きまでもを組み合わせたそれは、名の知れた踊り子の舞にすら引けを取っていない。


「ほいっと!」


 最後は真上に得物を投げ上げ、回転しながら落ちてきたところを自身の反転に合わせて受け止め、流れるように一礼へとつなげて締めくくる。


 俺が送るのは惜しみの無い拍手。完全に見惚れさせられていた。芸として金を取っても文句の出ない出来栄えだと、本気で思う。


「一昨日も思ったことだが、つくづく見事なものだな。どこでそれだけの技を身に付けたんだ?」

「ありがとね。前世ではミキオに喜んでもらえたらって、半ば趣味でやってたことなんだけど、それが今でもあたしの一部になってるってのは、素直に嬉しいかな」


 涼しい顔とニヤケ気味の口元のままで得物を収めつつ、俺の目の前に腰を下ろす。


「その分だと、左腕の調子はいいらしいな?」

「うん。前とまるで変わらない感じ」

「それは結構なことだ」


 俺としても、懸念(けねん)のひとつが消えたことは手放しで喜ばしい。


「ところで、お前さんの意見を聞きたいのだがな……」

「なになに?」


 ミヅキとしても安堵はあったのだろう。俺の問いに返してくる声も明るい。


「昨日の転移にしてもそうだが、今後は強化の“魔法”も……いやそれだけではないな。いっそ、これまでに使ったことの無い“魔法”を使うのは禁止にするべきではなかろうかと思うのだが」


 なにせ、昨日今日と続けて、試すたびに騒動が起きているのだから。


「同感。さすがにあたしも懲りたよ……」


 やはり昨日今日と続けて、実際に痛い思いをして来たミヅキも素直に同意する。


「ならば決まりだな。イスズや蛇共も文句は無いだろう」

「だよねぇ。それはそうとさ、さっきのことなんだけど、聞いてもらえる?」

「整理は付いたということだな?」

「うん」

「そうかい。ならば、聞かせてもらうとしよう」

「まず最初にさ、強化の“魔法”を使ったわけよ。それ自体は成功だったと思うんだけど」

「だろうな。指先の力だけで小石を砕くなぞ、お前さんの身体では普通であれば不可能だろう」

「んで、“魔法”を解こうとしたんだけど、解けなかった。むしろ強化が止まらなくて……」

「つまるところ、あの変化は強化の延長線上だったということか?」

「そうなるかな。それだけで治まらなくて、指先の感覚がおかしくなって、同時に指先からあたしの中に嫌な感じが流れ込んできてたの」


 そのあたりも、あの時にミヅキが口にした言葉通りか。


「嫌な感じというのは?具体的に示すことは出来るか?」

「うん。『目に付くもの全てをぶっ殺せ』的な?」

「なるほど」


 あの時のミヅキは、わかりやすく殺気立っていた。近いところを挙げるならば、飢えた肉食の獣。つまりはそういうことなのだろう。


「それで、耐えきれなくてそのまま呑み込まれちゃって……」

「ああなった、というわけか」


 俺が見聞きして感じたものとほぼ同じ状況だったらしい。だが――


「その『嫌な感じ』とやら、今は残っているのか?」


 ミヅキの言う『嫌な感じ』というのは、ミヅキの――頭なのか心なのか魂なのかはわからぬが――内面にまで届いていたのだろう。あの暴れ具合を思うに、理性まで飛んでいた風だったのだから。


 出どころは指先だったらしいが、そこを切り離したとはいえ、ミヅキの中にまで流れ込んだ分はどうなったのか?


「それは大丈夫」


 が、それは杞憂なのだと、ミヅキの表情が雄弁に語っていた。


「止めど無しでやられるとキツいけど、そうじゃなければ普通に耐えられるくらいだったから。今は完全に消えちゃったしね」

「そうかい」


 胸を撫で下ろす。正気付いた直後にミヅキの肩に乗せた手を激昂で振り払われたのは、残渣が理由だったのやもしれぬか。


「ともあれ、この件に関しては片付いたと見てもよさそうか?」


 確認の意味で問いかける。


「うん。これにて一件落着、ってね」


 応えは肯定。本当に、大事に至らなくてよかったぞ。


「けどさ、せっかく転生した異世界に“魔法”が無いって知った時には軽く絶望したものだけど……」


 ふと思い付いたようにミヅキがなにやらを言い始める。察するに、エイナス・コルネットとして生まれた時のことらしいが。


「“魔法”使えるようになったかと思って浮かれてたら、その矢先に自分が“魔物化”することになるなんてねぇ……」

「“魔物化”?今お前さん、“魔物化”と言ったのか?」


 聞き捨てならぬ部分があった。


「まあ、あたしも気付いたのはついさっきなんだけどね」


 バツが悪そうに頬をかく。


「実際に体験したから言えることなんだけどさ、さっきのあたしのアレ、“魔物化”と同じだよ」


 アレが……“魔物化”だと!?


 姿が変わり、凶暴になる。たしかに共通する部分はあるが……


 なぜかはわからぬ。だが、やけに引っかかる。なにかとんでもないモノが潜んでいるぞと、勘が告げてくる。


「って、どうしたのさ?なんか怖い顔してるけど……」

「少し気にかかることがあってな。」


 ここは流すべきではないとも、勘が告げてくる。


 つまるところ、人間も“魔物化”をするということか?


 あるいは、無意識のうちに避けていた発想なのかもしれぬ。自身が理性無きバケモノになるなぞ、俺とて考えたくもないことだ。


 だが、今は敢えてそこに踏み込む。


 人間も“魔物化”すると仮定しよう。ミヅキの言葉からして、“魔力”――この山に満ちているモノが“魔物化”の原因であることは間違いない。だとすると――


 なぜ、俺とお嬢ちゃんには“魔物化”が起きなかった?ミヅキにしてもそうだ。強化の“魔法”が“魔物化”の原因。言い換えるなら、強化の“魔法”を使わなければ“魔物化”することもなかったということになるが……


 ふと空を仰ぐ。そうすれば、そこにあったのは小さな影がひとつ。


 いや、待てよ?これまでに見かけた“魔物化”した動物の中に鳥は居なかった。もしも、鳥が“魔物化”していたのなら、村に被害が出ていたかもしれぬ。


『順調な時は何で順調だったのかも考えておくべきなんですよ』


 アイツの教えを思い起こす。鳥が“魔物化”していなかったというのは、俺にとって都合の良かったこと。それを当然と思うな。理由を考えろ!


 ……動物の種類によって、“魔物化”しやすいものとそうでないものに分かれるのではないか?


 そんな仮説が浮かぶ。


 だとすれば、人や鳥の“魔物化”が起きていないことに説明は付く。いや、種類だけじゃない。俺とミヅキで“魔力”を使えるかどうかに差があるように、同じ動物でも個体差があってもおかしくない。


 お嬢ちゃんの連れている蛇共がいい例だ。ニホンから来たという蛇共は“魔物化”をしておらず、“魔法”を使うことが出来る。その一方で元よりこの山に住み着いていたという蛇共は、“魔法”を使うことが出来ず、“魔物化”をしている。そして、“魔物化”の形も様々なのだから。


 だが――


 仮説に仮説を乗せているような思考だが、引っかかりの正体に近づいていく感覚がある。だからそのまま進めることにする。


 ミヅキの例からして、“魔法”によって“魔物化”を起こすことは可能なのだろうが、この山土着の動物は自身の意志とは無関係に“魔物化”をしたはずだ。聞いた限りでは、少なくとも蛇共はそのはずだ。


 ……困ったな。


 考え進めたはいいが、そこで思考が行き詰ってしまう。あとひとつ。あとひとつ何かがあれば目指すところにたどり着けそうな感覚があるのだが……


「どうしたのさオジサン?急に難しい顔し始めたけど……」

「ああ。少しばかり考え事を……」


 呼ばれてミヅキの方を見やり、目に入ったのは、露出していた傷ひとつ無い左腕。上着の袖は俺が肩口ごとに切り落としたのだが、記憶の中からそこに重なったのは、徐々に黒く染まっていく皮膚。まるで、毒に侵されていくような……


 人間の“魔物化”という発想。


 “魔物化”にも個体差があるかもしれぬという仮説。


 そして、皮膚が黒く染まっていくという、まるで毒に侵されたかのような様。


 それらが頭の中で組み合わさり、形を成していく。


 ようやく、引っかかっていたものが外れてくれた。けれどそこから俺が感じたのは清々しさではなくて――


「クソッタレめ!」


 思わず立ち上がり、口をついた罵りは俺に向けられたもの。間抜けで迂闊(うかつ)な自分への腹立たしさだった。


「って!?急にどうしたのさ?」

「済まぬ。驚かせてしまったな。だが――」


 ミヅキには何の落ち度もない。だからそのことは素直に詫びる。


「休憩は終わりだ。今すぐ村に戻るぞ!」

「え?ええっ!?」

「急ぐ理由が出来た。詳しくは道すがらに話す」

「わ、わかった」


 そう言えば、ミヅキもすぐに応じてくれる。


 そうして、急ぎ砦跡を後にする。




「それで、オジサンがそこまで血相変えるってことはさ、なにかヤバいことに気付いたってことだよね?」


 下山を開始してすぐにミヅキが問うてくるのは、そんなもっともであろうこと。


「ああ。確信があるわけではないがな」


 俺もそれに応える。急いでいるとはいえ、下りの山道を走ることが危険だというのは度々聞かされてきたこと。だから速度は早歩き程度であり、話をする余裕はあった。


「結論を言ってしまうなら、ヤーゲの阿呆が“魔物化”しているのではなかろうか?ということだ」


 今の今まで気付けずにいたことは我ながら心底に情けない話と思う。


 それこそが、数日前からつきまとっていた嫌な感覚の正体だった。

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