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恨むなとは言わぬ。許せとも思わぬ

 やれやれ……。足止めにもならぬとはな。


「がああああああっ!」


 獣声さながらの叫びで振るわれるミヅキの左手をかわす。俺の背後にある樹にあたるように誘い込んだその一撃。中途半端に食い込み、動きが止まってくれればいいのだが。そんな俺の目論見は、ものの見事に切り折られた樹と同様の結末を迎えていた。


 どうすればいい?


 そう自問し、思考を巡らせても、浮かんでくるのはロクでもない案がふたつきり。


 っと……。動きが雑であるのは幸いと言えるのやもしれぬが……


 異形と化した左手の振り下ろしを避ければ、その一撃は深く地面にめり込み、すぐさまに力任せで引き抜かれる。


 今のミヅキの様。近いところを上げるならば、泥酔した挙句に、完全に我を忘れているといったところか。重心も動作のつなぎもあったものではない。考え無しに左手を振るい、その勢いで自身もよろけてしまう有様。厄介さで言えば、弟子入りを賭けて勝負を挑んできた時の方がずっと上だろう。


 事実、こうしている今とて、身体が勝手に動くようなことは起きていない。つまるところ、俺の身体は何の脅威(きょうい)とも感じていないということ。


 これが酒に酔っているだけであれば、適当に意識を奪えばいいのだろうが……


 そういうわけにもいかぬ。見れば、異形と化した左手から広がるようにして、ミヅキの腕がゆっくりと黒く染まりつつある。たとえ気絶させたとて、アレを放っておけばロクでもないことになる想像は易いというもの。


 さりとて、あまり時間をかけることも出来ぬ。


 こうしている今とて、(むしば)むような黒は目に見えて広がっているのだから。


 原因が強化の“魔法”であることは確定と見ていいだろう。とはいえ、俺には“魔力”を感じ取ることはまるで出来ず、イスズや蛇共を呼びに行くような余裕なぞあるわけもなし。であるならば――


 俺だけで可能な対処のひとつは、息の根を止めるというもの。無論、そんなものは論外中の論外だ。もうひとつの手もあることはあるのだが……そちらも出来るならば避けたい。


「ミヅキよ!いつまで呆けているつもりだ!?そんな様をイスズやケイコに見せたいお前さんではあるまい!さっさと目を覚ますべきではなかろうかな?」


 結局のところ、ミヅキからの情報が無ければどうにもできぬ俺は、そうやって呼びかけるだけで精一杯。


「あ……オ……オジ……サン……」

「ミヅキ!?」


 けれど、何度目になるかもわからぬ呼びかけにも効果はあったのか。意味を成す言葉が俺の耳に届いた。


「正気付いたのか!?」


 オジサンと聞き取れた。それは、ミヅキが使う俺の呼び方。


「お、おねが……い……たす……けて……」


 目には意志の光が戻り、アネイカ言語で意思を伝えてくる。それでも、胸を撫で下ろすには程遠い状況であったが。


 苦痛になのか他の何かになのか。浮かぶ表情は必死に耐えるようなもので、額には脂汗が浮かぶ。


 何かを抑えようとするようにして右手で左肩を抑え、凍えるように全身を震わせる。


「俺に出来ることならば何だってする。だが、どうすればいいのか皆目見当もつかぬ。頼む、教えてくれ。どうすれば、俺はお前さんを助けられる?」

「……落として」


 返答は単純にそれだけ。そして、意味するところも理解出来た。


 俺でも考え付くことの出来たもうひとつの対処。それが、左手を切り落とすというものだったのだから。


 左手に使った強化の“魔法”が原因でミヅキがおかしくなったらしいのであれば、その左手を切り落とす。


 その程度であれば、考えは及んでいた。気兼ねしていた理由は――死よりはマシかもしれぬとはいえ――決して軽いことではなかったから。


「……他に手は無いのか?」


 だから、そんな未練がましい問いをかけてしまう。ミヅキが落とせと言ったのは、他に手立てが無いからなのだと思い至っていたにも関わらずだ。本当に、情けない話だ。


「時間……が無いのよ……。嫌な、ものが……左……手から、流れ込んできて……あたしが……消されてく……みたいなの……。だから……あ……うぐあ……だめ……っ!?」

「ミヅキ?おい!ミヅキ!?」


 ただでさえ苦しげだった声が苦悶に変わり、左の手に更なる変化が起きた――起きてしまった。


「……確かに、時間が無いらしい」


 手首より先だけであった異形化は、肘から先のすべてに及んでいた。


 俺に向けられる瞳からも、再び理性の色が消え失せていた。


 しかたあるまいか……


 だから、俺も覚悟を決める。


 気乗りはしない。それでも、現状ではよりマシな選択肢は見出せそうもない。


 恨むなとは言わぬ。許せとも思わぬ。ミヅキに頼まれたからなどとの言い逃れも無しだ。俺が、俺の意思で!


 毒の様に広がる黒は、すでに肘より先にまで及んでいた。


 ミヅキよ。お前さんの左腕を落とす!


 こうなっては、肘から落としても手遅れだろう。そして、生憎と俺の手持ちを総動員しても、骨を切ろうとすれば相応の時間がかかる。だから――狙うのは肩。


「がああああああああっ!」


 咆哮。肘から手首までが変質したことで地面に引きずるほどに長くなった左腕が振るわれ、鞭さながらのしなりを帯びて迫って来る。


 本来のミヅキと比べてしまうとな……


 間合いは比べるべくもないほどに広がり、容易く樹をへし折るほどの威力もあるのだろうが――


 先日やり合った時を思う。あの、恐ろしく出どころが掴みづらい仕込み双刃を変幻自在に操る様を知っている身としては、あまりの稚拙(ちせつ)さに悲しみさえ覚える。


 ならば、早いところ正気付かせ、醜態(しゅうたい)を終わらせてやらねばな。


 そんな単純極まる一撃は身を低くして潜り抜ける。そうすればそこにあるのは、自身が繰り出した大振りで体勢を崩した隙だらけの姿。


 抜き放つのは背中の鉄杖ではなく、昨日はお嬢ちゃんに貸していたナイフ。


 このあたりか!


 上着に隠れてはいたが、ミヅキの体格や重心から、肩と腕をつなぐ部分を導き出し、


 少しばかり痛むが、我慢してくれよ!


 その隙間に差し込むようにして、切っ先を突き立て、一気に押し込む。わずかな抵抗が手に伝わり、次の瞬間、


「がああっ!?」


 ミヅキの悲鳴と共に、鈍い手応えが伝わって来る。


 昔とある医者に聞いた話だが、肩というのは他の関節と比べて外れやすく出来ているらしい。動かせる範囲が広いことの代償なのだとか。


 だから、その隙間を斬撃の線ではなく、刺突の点で突いてやれば、肩はあっさりと外れてくれる。


 そうなれば残るのは、骨ではなく肉のみ。それくらいであれば、数打ちのナイフと俺の膂力(りょりょく)程度でも切断は可能。


 重い音を立ててミヅキの左腕が地面に落ち、ひと拍遅れてミヅキ自身も膝をつく。その姿からは、先ほどまでの激した様子は見て取れないが……


「ひとまず――」

「触らないで!」


 止血を。そう言いかけて右肩に回そうとした手は、そんな怒鳴り声の拒絶と、(にら)むような眼差しをもって振り払われる。


 正気付きはしたらしいな。


 怒鳴られたことに対して怒りは感じなかった。


 そうしてミヅキが左肩に当てた右手が光り出す。俺も知っている光。治癒の“魔法”特有の光だ。


 治せるものなのか?


 無論、治せるのであればそれが何より。だが、俺が口内の噛み傷を治してもらった時とはわけが違う。放っておいても治るような傷と、四肢の切断が同じように行くものか?


「大丈夫。絶対大丈夫だから。お願いだからさ……治れ!治ってよ!あたしの腕!」


 自身に言い聞かせるような、いつになく切実で真に迫る声。さしものミヅキでも難しいのか。


 だが、俺の心配は杞憂で済んだらしい。


「つくづくとんでもないモノだな。“魔法”というやつは……」


 我ながら呆けた声を出してしまっていた。


 最初に起きた変化は、肩の断面が盛り上がるというもの。ソレは瞬く間に膨れ上がり、あれよあれよという間に姿を現していたものは、肌の色をした傷ひとつ無い、ごくごく普通の外見をした左腕だったのだから。


「すぅ……はぁ……。すぅ……はぁ……」


 自身の右手と、新たに生えて来た左手を胸に当て、ミヅキが深呼吸を繰り返す。その様子を見る限り、左腕も問題無く動かせているようだが。


「……オジサン」


 やがてミヅキが立ち上がり、俺を呼ぶ。


「済まなかったな。俺が不甲斐ないばかりに、お前さんには痛い思いをさせてしまった」


 話が通じる状態なのだろう。そう判断した俺が真っ先にやったのは詫びること。事情がどうであれ、左腕を奪ったことは変わらないのだから。


「……馬鹿」


 けれど、返されたのはそんな――静かな罵倒。


「なんでそっちが謝るのさ!?オジサンってば本気で頭おかしいよ!」

「そうは言われてもな……。俺も経験は無いが、いくら利き手でないとはいえ、片腕を失くすというのは相当に大きな……」

「だからそうじゃなくて!ああもう……」


 苛立つように頭を掻きむしり、


「どう考えたって責められる筋合いがあるのはあたしの方じゃないのさ!」


 これまた苛立ち混じりに言い放つ。


「オジサンを危ない目に合わせちゃったし……」


 少なくとも、俺自身は身の危険は感じていなかったのだが……


「オジサンには嫌な役目押し付けちゃったし……」


 左腕を落としたことを指しているのであれば、いい気分ではなかったものの、初めてでもない。毒矢を撃たれた同業者の足を切り落とした経験くらいであれば過去にもあった。


「助けてくれたのに怒鳴っちゃったし……」


 事情はどうであれ、俺が左腕を落としたのは間違いようもない事実。あの状況であれば無理も無いことだと思うのだが。むしろ俺としては、正気付いたことに対する安堵の方がはるかに勝っていた。


「だから……ごめんなさい!それと、助けてくれてありがとう」


 深々と、腰が直角に曲がるほどに頭を下げてくる。


 結果的に上手く片付いたのは、ミヅキ自身が“魔法”で左腕を治すことが出来たからだろう。ならば、俺への礼なぞ不要。と、俺は思うのだが……


 ま、いいけどよ……


 ミヅキの様子を見る限り、俺がそれを言ったところで納得をするとも思えぬか。


「承知した。その礼と詫びは素直に受け取っておくとしよう」


 だから、そう妥協することにする。


「それはそれとして……」


 そして、早々に話を変えることにする。


「今後に詰まらぬケチが付かずに済みそうで良かったぞ」

「どういうことさ?」

「これでも俺はな、今回の仕事を終えた後のこと。お前さんたちとの旅を楽しみにしているのさ。年甲斐の無い言い回しをするのなら、ワクワクしているとでも言えばいいのか?」


 これは本当のことだ。掛け値なしに、心底からに俺はそう思っている。


「そこでお前さんが大怪我なぞ抱えてみろ?それでも旅は出来るやもしれぬが、あのお嬢ちゃんはなにくれとお前さんを気にかけ、世話を焼くようになるぞ」


 長いこと鏡追いをやっていれば、同業者が片腕を失くす場面に出くわすこともある。そいつらは例外無く、即座に足を洗っていた。


 それは当然だろう。ただでさえ身ひとつを商売道具とする生き方を、それほどの不利を抱えたままで続けようとは思うまい。


 むしろ、穏やかに暮らしていくだけでも恐ろしく不便な思いをするはずだ。


「それは確かに……」


 ミヅキがそうなった場合にお嬢ちゃんがどうするのか。気立てを考えれば容易に想像出来るというもの。そして――


「可愛い妹分に腫れ物扱いされるなぞ、お前さんの望むところではあるまい?」

「そりゃそうだ」

「そうなっては、面白おかしくやって行きたい旅路の興も冷めるというものだ」

「……それってオジサンの都合じゃないのさ」

「否定はしない。お前さんやイスズ、お嬢ちゃんの求めるところと異なるとも思わぬがな」

「そう言われると言い返せない……。ま、いいけどさ……」


 真似をし始めたらしい俺やイスズの口癖とともに肩をすくめる。わずかばかりの腹立たしさは感じないわけでもないのだが。それでも、いつまでも罪悪感まみれで居られるよりはマシというもの。上手いこと話を逸らすことは出来たらしい。


「それはそうとさ、山を下りるのって、今すぐじゃなきゃダメかな?」


 気を取り直したらしいミヅキが問うてきたのはそんなこと。


「さすがに日が落ちる前には村に戻りたいが、それでもかなりの余裕はあるぞ。だが、それがどうかしたのか?」

「だったらさ、ちょっと休ませてほしいんだけど、いいかな?」

「そうさな……」


 ミヅキの様を注視すれば、表情には疲労の色が見えた。“魔法”を使うと疲れるとのことだったが、失われた腕を生やすともなれば、相応に疲労するということなのか。


 それに――先ほどにおかしくなった時のこと。短い時間とはいえ正気を取り戻して見せたミヅキだが、その時も相当に辛そうにしていた。そこでも消耗させられていたのかもしれぬ。


 先の件について頭の中を整理する時間も必要か。ミヅキとて、だんまりで済ませるつもりもないことだろう。


「俺も疲れているのでな」


 それもまた事実。昨夜もロクに眠れなかったのだから。


「時間になったら起こす。お前さんも休むといい。周囲の気配探りはやっておこう」

「……ホント、頼りになるよね。旅することになったら、甘え過ぎないようにしないと」

「ああ。その時になったらな。それよりも……」

「うん。今は休むね」


 そう言ってミヅキは、仰向けになり、目を閉じた。


 さて、俺も少し休むべきなのだろうが……


 大の字に寝転がったミヅキに続きたいと身体は訴えてくるのだが、気にかかることもあるわけで。


 このあたりは性分なのかもしれぬな。そんな風に苦笑しつつ目を向けるのは、少し離れた場所に転がっている――ミヅキの左腕だったモノ。


 切り落とした時点では、切り口のあたりは肌の色をしていたはずのソレは、いつの間にやら端までのすべてが黒い異形と化していた。ピクリとも動かぬソレは、腕だけであるはずなのに俺の身の丈ほどはあるだろうか。


 指先からじわりじわりと変化が広がっていく風だったが、まるでタチの悪い毒のよう……うん?


 ふと思ったことに、なにやら引っかかりを覚える。


 はてさて……。これはどういうことなのか……


「くぁ……」


 が、そんな疑問は長続きせず。代わりに口から出たのは欠伸で、頭も回らなくなってくる。原因は言わずもがな。積もりに積もった疲れと寝不足。


 おとなしく休むとするか。細かいことはミヅキの話を聞きながらでもよかろうな。


 ミヅキの様に寝転がってしまいたいという願望も無いわけではないのだが、そこまでするのは自重しておく。代わりに適当な岩に背中を預けて全身を弛緩させる。


 それはそれで、なかなかに心地のいいものだった。

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