そんな表情、お前さんには似合わぬのだがな
「そう言えばさ、今更だけど……オジサンってば体調大丈夫なの?」
ミヅキとふたりで入る初めての山道。登山を開始するなり、そんなことを問うてくる。確かに、ミヅキも言うように今更ではあるのだが。
「あたしとかケイコちゃんは昼近くまで眠れたからいいけどさ、オジサンは午前中も山登りしてたわけじゃないのさ」
「ああ、そのことか」
「うん。その割には涼しい顔してるから。やっぱり、慣れてるから?」
「それも無いわけではないがな」
確かにここ数日は、ほとんどベッドにはありつけていない。そして、それくらいであれば慣れているのは事実。
「多分だが、女将のおかげだろう」
「……どういうことさ?」
「朝飯の時に、精が付くからと女将が出してくれた液体があってな」
「液体……?それって、飲み物のこと?」
ミヅキの言い方自体は何も間違っていない。間違ってはいないのだが……
「アレを飲み物と呼ぶのはいささかの抵抗がある」
「それって……あんまり美味しくなかったってこと?」
あててぼかした言い回しをしてくるのは女将に配慮してなのか。俺としても、あの女将はわざわざ貶めたいほどの輩とはまるで思わぬ。
「まあそんなところだ」
実際には、想像を絶するほどに不味かったのだが、そのあたりは伏せておく。
「けど、効果はあったってこと?」
「多分な」
「多分って……」
言い切ることにも抵抗があるのは、今の体調が理由。
意識を向ければ、身体が疲労していることは知覚できる。けれど、普通にしている分には――疲労感に意識を向けなければ、まるで疲れは感じない。そんな、我ながら訳の分からぬ状態だった。効果自体は認めるが、なにやら妙なものでも入っていなければいいのだが。
「さすがに今夜は早めに寝るつもりでいるさ。それはそれと……」
雑談はこれくらいでいいだろう。
「この山にある“魔力”の状況はどうなっている?それと、空の穴とやらは?」
「相変わらず“魔力”はそこら中に満ちてる感じだね。空の穴は……近くに行ってみないとはっきりは言えないけど、小さくなってる……ような気がする」
空を眺めながらの返答なそんなもの。
「ならば、このままで行くとしよう。今日は昨日と違って蛇共は居ない。お前さんも、気は引き締めてな」
「承知」
「昨日が嘘みたいに何も来なかったね」
そんなこんなで山道を歩くのだが、結局はミヅキが言うように、警戒は無駄に終わっていた。襲撃どころか俺の気配探りに引っかかるものすら無いままに、目的の砦跡が近づいていた。まあ、それも結構なこと。厄介ごとへの備えなぞ、無駄になってしまうのが一番なのだから。
「それで、空の穴はどんな具合だ」
「そうだねぇ……」
入り口前にある開けた場所に付くなり、ミヅキは頭上を凝視し、何かを図るように指先を開いては閉じる。
「思ってたよりも早く閉じそうかな。目算だけど、この調子だと明日の朝には間違いなく閉じてると思うよ」
「そうかい。ちなみに、“魔力”は空の穴から流れ込んできているとのことだが、そちらは?」
「……すでにこっちに流れ込んで来た“魔力”はそのまま残ってるけど、新たに入って来る“魔力”は穴が小さくなった分だけ減ってる感じかな」
「ならば……明日になって穴が完全に塞がれば、これ以上“魔力”が流れてくることはなくなる、と考えてよさそうか?」
「だね」
「結構なことだ」
状況から見るに“魔物化”と“魔力”は深く関わっている線が濃い。ならば、これ以上“魔力”が増えなければ“魔物化”にも底が見えてくる公算は高いだろう。
「けど、残ってる“魔力”はどうするのさ?相当な量がある感じなんだけど……」
「そこは、お前さんと蛇共に頑張ってもらうとしよう。“魔法”で起こす風をひたすら空に放っていれば、いつかは無くなるだろう」
「……やっぱそうなるよね」
「ああ。生憎と俺は手伝えぬがな。全くもって残念なことだ」
「あたしもそう思う。オジサンが“魔法”使えたらあたしも楽出来たものを……」
利害が一致する。俺とて“魔法”を使ってみたいという願望は今でもあるのだから。
その一方でこうも思う。
“魔法”というのは恐ろしく便利な力。けれど、“魔物化”と切り離せぬのであれば、消えてくれた方がありがたいというもの。
「まあ、イスズも多少は“魔法”を使えるのだからな。効率のいいやり方のひとつやふたつは考え付くのではなかろうかな?」
「あたしもそう願いたいよ。それはそうと……今日はこの後どうするのさ?」
「そうさな……。お嬢ちゃんが現れた場所を確認したら村に戻るとしよう」
蛇共のおかげで“魔物化”した動物は激減し、現状発生している問題の解決も見えて来た。ならば、ただでさえかなり参っている現状、早めに身体を休めるべきだろう。
「はーい。あ、けどさ、その前にちょっとだけ試したいことがあるんだけど、いいかな?」
「……昨日もこの場所で似たようなことを聞かされた覚えがあるのだがな」
その時は転移の“魔法”を試したわけだが。
「その先も昨日と同じかな。もうひとつ、試してみたい“魔法”があってさ。転移と並ぶ、定番中の定番が」
「定番?」
「そ。せっかくだし、当ててみてよ」
「と、言われてもな……」
それでも、一応は考えてみる。
試す、と言っている以上、これまでに使ったことがあるもの。火の玉やらを出す、怪我を治す、見えない壁を作る、転移、あたりは除外される。
定番とのことだが、俺が過去に物語で読んだ中で他にといえば……
浮かぶものがあった。状況としては、華奢で小柄な――ケイコお嬢ちゃんのような娘が巨漢を容易く伸してしまう場面。そこで使われていたのは確か――
「身体強化の“魔法”あたりか?」
確かに、物語の中では時折見かけるもの。定番と言っても差し支えは無さそうだが。
「あっさり正解を言い当てられても驚かないあたりさ、あたしもオジサンとかイスズ姉さんにかなり毒されてるよねぇ……」
「そこまで俺のせいにされるのは釈然としないが……」
ともあれ、俺の考えは当たっていたということか。
「あはは、それはそうかも。とにかくさ、拳一発で大木をへし折るとか、やってみたいと思うわけよ」
「……まあ、その気持ちはわからぬではないがな」
俺とて、ガキの頃はそういったことへの憧れは抱いていたもの。理解も出来れば共感も出来る。
「思いつく危険はあるか?」
ならば、問題はそれくらいだろう。昨日試した転移は、下手をすれば地面の中に埋まりかねないという危険があり、使用禁止ということになったわけだが。
「特に無い。とは思うけど……一応は控えめにやるつもり。ある意味、昨日試した転移と同じかな?」
「ふむ」
ミヅキなりに、考えた上で言っているということか。付け加えるならば、転移に比べたら安全なのではなかろうかと俺も思う。
「くれぐれも慎重にな?」
「ほいさ」
だから許可を出す。繰り返すが、自分が“魔法”を使えぬことを残念と思う気持ちはある。そして、それでも“魔法”という存在への好奇心もあるわけで。
「じゃあ、行くよ」
そう言って足元の小石を拾い上げ、左手の親指と人差し指で掴む。その指二本を強化して小石を砕こうということか。
「強くなれ、身体!」
そんな掛け声とともに、ミヅキが指に力を込め――
ピシリと、乾いた音が鳴る。
そして俺の見ている前で、ミヅキが摘まんでいた小石は細かな欠片となって崩れ落ちていた。
「……つくづく大したものだな、“魔法”というやつは」
成功と見ていいだろう。ハルクあたりならまだしも――普通であれば――ミヅキの握力で成せるとは到底思えぬことだ。
「だね。あたしもびっくりしてる。さて、戻そうか……」
戻す、というのは、強化の効果を消すということか。確かに、必要以上に握力が強くなったままでは日々の暮らしにも支障が出そうなところ。
「……あれ?」
「どうした?」
そんなことを考えていると、ミヅキが不思議そうに首を傾げる。
「なんで……」
自身の左手を見つめたままに、最初に発した声にあったのは困惑か。
「ちょっと……!?待ってってば!?」
すぐにその色は焦りに染まる。
「ミヅキ?どうした!?」
“魔法”に関してはまるでわからぬ俺だが、何かが――それもミヅキにとって望ましくないことが起きたのだと。あるいは、起きようとしているのだとは理解出来る。
「なんなのさコレ!?どうなってるのよ!?」
声はますます深刻さを帯びていく。
「ミヅキ!」
「どうしよう……止まらないよ……」
こちらを向いたその顔からは、血の気が失せていた。それだけでなくガタガタと震わせていた左手。その、人差し指と親指が先端から、どす黒く変色しつつあった。
「やだよ……こんなの……。オジサン……助けて……」
縋るように俺を見る。無論、ミヅキに危機が生じたのであれば、助けるために俺に出来るあらゆることを惜しまぬつもりでいる。だが――
なにがどうなっている!?
ロクでもないことになりつつあるのだろうが、ミヅキの様子でしか察することも出来ぬ。
指の変色だけを見るなら毒を打たれたようにも思えるが、状況からすれば先の強化“魔法”が原因と考えるのが妥当。とはいえ、どうやって対処すればいい?
これまでに重ねて来た無駄に多い経験の中を探しても、手掛かりすらも見えてこない。
そして――
「あ……う……」
「おい!ミヅキ!?」
その声がうめきに変わり――
「ぐ……う……あああああああああっ!」
空を仰いでの絶叫。同時に――
「こ、こいつは……」
ブチリ、という音が鳴る。それは、左の手甲がはじけ飛んだ音。なぜはじけ飛んだのかと言えば――
ミヅキの左手そのものが一瞬で膨れ上がっていたからだ。手の平の大きさが数倍になり、色は真黒。皮膚は硬質――例えるならば、亀の甲羅か鹿の角か――な風であり、筋らしきものが幾重にも浮かぶ。長く伸びた5本の指は、それぞれが爪の様に鋭く尖り、地面に届こうかという様。
それは、先日見かけた“魔物化”した熊に近くはあったのかもしれぬ。
だがそれ以上に強く感じたのは――ミヅキ相手に抱きたくない認識だが――異形。バケモノさながらといった印象だった。
やれやれ……。この村に来てから、本当にいろいろとありすぎだろう。自分の常識がここまで狭いものだとは思わなんだぞ。
「ミヅキ!俺の声が聞こえているか!?」
そして、名を呼ぶくらいのことしかできぬ自身の情けなさに呆れる――っと!?
声への反応はあった。ブオン!という風切りの音。それは、異形と化したミヅキの左手が振るわれた音。
「……冗談であれば、多少趣味が悪い程度で済ますことも出来たのだろうがな」
今の一撃からは、明確な敵意殺意を感じて取ることが出来た。後ろに跳ぶのがあとひと呼吸遅れていたなら、俺の腹がえぐり取られていたか。あるいは、腹を境目として上と下がおさらばをしていたやもしれぬ。
「ふぅぅっ!……ふうぅぅぅぅっ!」
ミヅキと目が合う。その口から発せられていたのは、意味を成さぬ――気が立っている獣を思わせるような荒い息。
「そんな表情、お前さんには似合わぬのだがな」
その瞳。共にした時間の中で、陽気な様を最も見慣れている瞳からは、完全に理性の色が消え失せていた。




