この時の俺は――そんな呑気なことを考えていた
「けどよ、あのお嬢ちゃんのちっこい身体でダンナの旅暮らしに付いて行けるのか?あと何年か待った方がいいんじゃないか?」
夜の番を終えたハルクとネブラが宿に戻り、起き出してきたミッシュとダイトも交えての朝飯。その最中、話のタネになったのはやはりというべきか、俺がこの仕事を終えた後のことになっていた。
ちなみにだが、お嬢ちゃんやミヅキは今も夢の中。さすがに昼になったら起こしはするが、今はそっとしておこうと思っている。
「ですよね。見たところまだ10歳にもなってないくらいだし……」
「たしか言葉も通じないんですよね?俺もハルクさんに賛成ですよ」
ハルクやミッシュ、ネブラの口調からお嬢ちゃんへの悪意は見て取れず、素直に案じているのだろう。無論、その心配もわからぬではない。実の年齢よりも幼く見えるとはいえ――イスズやミヅキが言うには、ニホンに生まれた者の特徴らしい。なお、これもまた“てんぷれ”なのだとか――齢10での旅暮らしというのは、決して楽なものにはなりはすまい。
まして、共に行く俺は方々で恨みを買っている身の上。そういった手合いは、嬉々として狙ってくれやがることだろう。
もっとも、俺はそこまで問題視はしていないが。
「まあ、ミヅキが付いていればどうにかはなるだろうさ」
「それはそうかもしれないけどねぇ……」
傍で聞いていた女将も話に入って来る。こちらも、お嬢ちゃんを案じてのことだろう。お嬢ちゃんの気立ての良さをよく知るからこそ、より強く心配に思うのか。
実際には、ミヅキのみならず。多数の蛇共が付いており、おそらくは行く先々に出会う蛇共も味方をするだろう。しかもイスズまでが居るのだから、簡単にはどうにか出来ぬだろうと、俺はそう思っている。
「それに、しんどいようであれば、ハルクの言うように適当なところで足を止めるさ。それならば、問題もあるまい?場合によっては、旅を辞めての永住も視野に入れている」
これも昨夜に決めたこと。幸いと言うべきか、3人が長く生きて逝くまでの間を暮らしていける程度には先立つものもあるのだから。
俺自身、それはそれで悪くないとも思っている。
「ダンナがそこまで言うのなら大丈夫なのかもしれないけどよ……。まあ結局は、あのちっこいお嬢ちゃんが決めることか。それはそうと、行き先は決まってるのか?」
「ああ。コーニスに戻ろうかと思っている」
ハルクだけでなく他の面々も、とりあえずの納得はしてくれたらしい。
「戻る……?アンタ、コーニスの出だったのかい?」
「ああ。若い頃にやらかしてしまってな。向こうに居づらくなり、こちらに逃げてきたのが30年前のことだ」
さすがに今となっては、ほとぼりも冷めていることだろう。……そう願いたい。
「そうなのかい……。だったら、もう会う機会は無いのかもしれないねぇ……」
そう言う女将の口調は寂し気で。出会いと別れは宿を営む者の常なのだろうが。どうやらここ数日だけで、よほどお嬢ちゃんのことを気に入ったらしい。あるいは――この村で穏やかな生涯を過ごすという未来もあったのやもしれぬが、それは選ばれなかった選択。
「そうとも限るまい。気が向くか否かはさて置くが、まだ先の時間は随分とある。いずれ、酒を呑みにこの宿に来る日が無いとは言い切れぬさ」
お嬢ちゃんやミヅキには、まだたっぷりと寿命が残っているだろう。俺やイスズとて、あと40年は気合で生きてやるつもりでいる。
「それもそうだね。よし、だったら……これを飲んで力を付けなよ!」
そう言って持ってきたのはひとつのグラス。
「こ、こいつは……!?」
「「「うへぇ……」」」
恐らくは先ほど言っていたとっておきなのだろうが……。俺を含む何人かが頬を引きつらせていたのは、その見た目が理由。
端的に言ってしまえば、黒く濁ったドロドロの液体で満たされていた。
「味はともかく、効果は保証するよ。さ!一気に行った行った!」
ありがたくないことに、味はともかくという保証までもが付いてくる。
ま、いいけどよ……
後に引ける状況でもなし。投げやりな覚悟と共に、ひと息に流し込む。
なお、味についての感想は割愛させてもらう。
「さて……行くか」
女将謹製の格別にクソ不味い飲み物がシメだったのは残念だが、相も変わらずに美味かった朝飯を終え、しばしの談笑。徹夜明けのハルクたちが客室に戻るのを見届けた後、俺も席を立つ。
今日の予定は決まっていた。ひとまず午前中は俺ひとりで砦跡までを往復しつつ、ユグ山の状況を調査。
午後からはミヅキ、お嬢ちゃんとともに、もう一度砦跡に向かうつもりだ。
名目上の弟子であり、“魔力”の流れや空の穴とやらを見ることができるミヅキは必須。お嬢ちゃんを連れて行くのは、単純に体力作りの一環だ。
なにをするにせよ、体力というやつが無くて困る局面はいくらでも思い付くが、あって困るということは滅多矢鱈とあるものでもなし。
旅暮らしをするのなら、なおさらのことだろう。
一応は、ユグ山に残っている――かもしれぬ――蛇共のためというのも無いわけではないのだが、その心配はほぼ要らぬとのこと。昨日の時点で存在を確認できているすべての蛇共に声をかけたとのことだった。
蛇共にせよ、“魔法”にせよ、生まれ変わりにせよ、ほんの10日前であればあり得ぬと感じていたであろうことをことごとく受け入れている自身には苦笑もしてしまうが、それはさて置くこととする。
結局、午前中の山歩きで得られたのは「“魔物化”した動物に襲われることは無かった」という事実のみ。昨夜も珍しく襲撃は無かったようだが、昨日の蛇共が張り切り過ぎた結果なのではなかろうかと思っている。なんにせよ、平穏であるというのは結構なこと。
「あ!あれってティークさんなんじゃ……」
「ああ、もうそんな時間か。ダンナ、お疲れさんです」
「おう」
砦跡まで登ってから、麓へ戻って来ると、こちらに気付いたコーナスとアルバが声をかけて来たので、俺も手を振って応える。
「その分だと、午前中も平穏だったらしいな?」
ふたりの様子から疲労感は見て取れず。
「そうですね。朝からここに居ますけど、山の方からやって来たのはダンナだけですよ」
「ふむ」
昨日の時点で、俺が思う以上に蛇共が張り切ったということだろうか?改めて考えてみれば、“魔物化”した動物が村を襲うようなことになった場合、ケイコお嬢ちゃんが手傷を負うか、最悪の最悪すらあり得るかもしれぬ。それを思えば、蛇共が全力で狩りに行くというのはあり得そうなこと。そして、“魔法”を使える蛇も多数居たはず。であるならば、俺がここ数日で見かけた程度の“魔物化”した動物なぞ容易く仕留めることができるだろう。
ま、いいけどよ……
差し当たってはそう結論付ける。一応はお嬢ちゃんに確認を取るべきだろうが、それはそれで悪い話でもないのだから。
油断だけはするなよと、そう言い残して宿に戻る。未だふたつの気配がある俺の客室に入ると、
「オカエリ、ダンナ」
「おかえり、オジサン」
お嬢ちゃんとミヅキ。ふたつの声がきれいに重なり、俺を迎えてくる。
「ああ、ただいま。それと寝坊助どもよ、おはようさん」
「うん、おはよ」
「オハヨウ、ダンナ」
叩き起こさずに済んだことに軽く安堵しつつ、帰還と寝起きの挨拶をすれば、ふたりもそう返してくる。
はて?
そこまではいいのだが、内心では首を傾げてしまう。お嬢ちゃんの中にはイスズもいるはずで、昨夜はあれだけの言葉を交わした。アイツの性格なら、自分も挨拶くらいはしてくると思うのだが。
「イスズ姉さんはどうしたんだろう?なんて思ってるでしょ?」
「ああ」
ミヅキはニヤニヤとそう言い当ててくるが、予想の難しいことでもあるまい。だから素直に頷いて応える。
「まだ寝てるってさ」
「……お嬢ちゃんの中で、か?」
「うん。多分だけどさ、今の――白子蛇の身体って生まれたての赤ちゃんだよね?」
「だろうな」
「だからさ、睡眠も多くなるんじゃないかな。ってのがケイコちゃんの見解。人間でもそんな感じだし」
「……そういうことか」
納得した。そう言われれば、説得力もある。
「ダンナ。イスズオネエチャン スーク ジュンテ イレス」
お嬢ちゃんが何やらを言ってくる。どうやらイスズに関係しているらしいが……
「……イスズが起きたら伝える、とでも言っているのか?」
「正解。もしかしてオジサンもだんだんニホン語が分かって来たとか?」
「いや。あてずっぽうで言ったのがたまたま当たっていただけだ」
「そっか。ま、そんなわけだから」
「ああ。心得た。ケイコ、ピジュティ」
俺が知るニホン語でお嬢ちゃんに礼を言う。
正直なところを言えば、イスズと朝の挨拶を交わせなかったことには落胆もあったが、こればかりは仕方もあるまいな。
ちなみに、ケイコお嬢ちゃんはイスズのことをイスズオネエチャンと呼んでいたのだが、これも昨夜に話す中で起きた変化だった。
聞いたところによれば、お嬢ちゃんもイスズ・セイコもミヅキ・エイコも、3人とも兄弟姉妹の類はおらず。そしてお嬢ちゃんは姉というものへの憧れがあったとのこと。
一方でイスズやミヅキも妹というものが欲しかったとのことであり、そんな中で出会ったのがお嬢ちゃんほどに気立てのいい娘ならばどうなるかと言えば、こうなったわけだ。だからお嬢ちゃんはミヅキのことも、ミヅキオネエチャンと呼ぶようになった。ミヅキはミヅキでイスズのことをイスズ姉さんと呼んでいるわけだが、これはなんとなくとのことらしい。
そしてこれは余談となるが、ミヅキの血縁上の父親。ケイティア・コルネットの弟は存在しているはずなのだが、イスズ曰く「この世界にはミヅキさん以外には身内なんて居ませんから。ええ、それはもう、居るはずなんてありませんとも。というか認めません。異論も一切認めませんから」とのこと。
ともあれ、お嬢ちゃんは姉貴分が出来たことを素直に喜んでいるようであり、イスズやミヅキにしても満更ではない様子。なれば、俺があれやこれやというのは無粋というものだろう。
「それはそれと……腹は減っているだろう?そろそろ昼飯の時間だ。食いにいくとしよう」
「さ、たーんとお食べよ」
「ク、クゥレフィト……」
やって来た昼飯の時間。目の前にドンと置かれた皿を見て、お嬢ちゃんの顔に浮かぶのは困惑の色。
「女将よ……。さすがにこれは……」
「多すぎない!?」
俺やミヅキも似たようなことを思っていた。なにせお嬢ちゃんの前に置かれていたのは大皿で、料理――葉野菜の炒め物――が山と盛られていたのだから。印象としては、ハルクくらい大柄な者が一食か二食を抜いた後でなら、これくらいでちょうどいいのではなかろうか?といったところ。
「体力を作るには食うことも大事ではあるのだろうがな……」
この女将のこと。今朝飲まされた液体にせよ今にせよ、好意でやっているのだろうが……
「食いすぎて腹を壊しては元も子もあるまいよ。まして、この後は山登りに行くところだぞ」
「あ、あはははは……」
言われて気付いたのか、誤魔化すように乾いた笑いを絞り出してくる。
「ふぅ……。さすがにこれだけ食うと腹が膨れるな……」
結局、大量の野菜炒めはその場にいた全員で分担。体格相応に大食であり、この後しばらくもゆっくり出来る立場のハルクに大部分を引き受けてもらうことになった。
「済まなかったな、ハルクよ」
「いいってことよ。美味かったのは事実なんだしよ」
「ならいいのだがな。さて……」
「うん」
「ラペット」
腹もこなれてきたところでそろそろ行くか。そんな意図でお嬢ちゃんとミヅキを見れば、ふたりも察し、頷きを返してくる。
そうして立ち上がろうとした矢先――
「うひゃっ!?」
厨房から聞こえたのは驚いたような声。
ガシャーン!
続いて響いたのは、何かが割れるような甲高い音が多数。
「女将!?」
慌てて駆け寄ってみれば、そこにあったのはへたり込んだ女将の姿であり、その周囲に散らばったおびただしい量の破片。食器を運んでいたところで足を滑らすかつまずくかして、ぶちまけってしまったのだとひと目でわかるような光景だった。
「怪我は無いか?」
「ああ。大丈夫さね」
女将の周りに飛び散った破片を足でどかして場所を作ってやった後、立ち上がった女将がそう答える。尻もちをついた後で皿が落ちて来たということらしい。まあ、怪我が無かったのは幸いというべきか。
「にしても……やっちまったねぇ……」
そう言って女将はため息をひとつ。確かに、コレを片付けるのはそれなりの手間だろう。
山に向かうのを少し遅らせて手伝うか?
日暮れまでの時間と、砦跡までの往復にかかる時間を秤にかける。往復だけであれば十分に間に合うのだが……。うん?
そんなことを考えていたら、クイクイと上着を引かれた。目をやれば、ソレをやっていたのはお嬢ちゃん。
「イクス、ビレスク リーシャ アクリス オゥグ」
リーシャとは女将の名だったか。オゥグということは何かを望んでいるということだが……
「女将を手伝いたい、とでも言っているのか?」
「正解」
ミヅキに問うてみれば、思ったことは当たっていたらしい。
お嬢ちゃんの性格を考えればそうなるか。
少なくとも、山歩きが嫌だからなどとは思っていないことだろう。
だから頷きを返してやれば、
「ダンナ、アリガトウ」
心底嬉しそうに、弾んだ声で礼を言ってくる。
体力作り自体は必要としても、取り掛かるのが一日遅れたところでどうということにはなるまいか。他にこれといって問題は思いつかぬしな。
この時の俺は――そんな呑気なことを考えていた。




