長い月日で心身に染みついたソレは、おいそれとは消えてくれないらしかった
「朝、か……」
まぶたの向こうに感じる光で目が覚める。感覚的には、朝飯までまだしばしといったところか。
「ぬっ……うぐっ……!」
寝起きの身体をほぐすように伸びをすれば、意図せずに妙な声が出てしまう。横になることが出来ていたとはいえ、硬い床で眠ったおかげであちらこちらが痛む。
それでも、屋外で座ったままに眠るよりは遥かにマシというものだが。
立ち上がり、この部屋にひとつだけのベッドを見れば、
「すぅ……」
「くかー」
寄り添うようにピタリとくっついたケイコお嬢ちゃんとミヅキは、なんとも羨ましい幸せそうな寝息を立てていた。本来であれば、そこで眠るのは俺のはずだったのだが……
ま、いいけどよ……
そのことは諦めるとしよう。少なくとも、俺の自業自得という側面もあるのだから。
昨夜――白子蛇に生まれ変わったというケイト改めイスズとの再会を喜び、あれやこれやの話を聞いた後のこと。いい時間だったということもあり、さっさと寝てしまうべきだったのだろうが、結果的には4人で盛り上がり、空が白み始めるまで語り明かしてしまっていた。
強引にでもお開きにしてしまえば3人とも従ってくれたのだろうとは思うが、俺自身も随分と舞い上がっていたらしい。
体力の差によるのか、最初に力尽きたのがお嬢ちゃんであり、その中に居たイスズもそれっきり。次いで、釣られるようにしてミヅキも船を漕ぎ始め、やむなくそのふたりをベッドに寝かせたというわけだ。
ベッドの大きさと言う意味では、多少窮屈なことを我慢すれば俺も入ることはできたのだろうが、さすがに若い娘たち――ふたりと考えるか3人と考えるかは悩ましいところ。イスズ以外の蛇共をどう捉えるべきなのかは知らぬ――と寝床を共にするわけにもいかず。そのまま床に寝転がり、程なくして眠りに付いたのだろう。気が付けば朝、コーナスとアルバが番の交代に出るといった頃合いになっていた。
疲れは抜けるどころか溜まっているようだが、話は聞いておかねばな。
夜中に鐘が鳴らされることが無かったというのはひとつの答えなのだろうが、だからといって状況把握を疎かにするのは阿呆の所業というもの。
……しばらくは寝かせておいてやるか。
ベッドの上で気持ちよさげな寝息を立てるふたりは、今はそのままにしておく。お嬢ちゃんはともかく――上っ面だけとはいえ――俺の弟子にあたるミヅキは叩き起こすべきではなかろうかとは思わぬでもないが、今日のところは大目に見ておく。なにせ、俺の監督不行き届きといった側面もあるのだから。
そうして食堂にやって来るも、そこには俺以外の姿は無く。気配を探るに、女将もコーナスとアルバも、まだ部屋にいるらしかった。
女将はまだしも、しばらく待って来ないようならコーナスたちを起こしに行くとして……
まだ少しばかり時間はある。せっかくだ。楽しかった昨夜の余韻にでも浸るとしようか。あそこまで腹の底から笑えたのも、恐らくはケイトが逝って以来のことだった。
生まれ変わりにまつわる話を終えた後、続く話題になったのは、4人で旅することになってからどうするかというもの。差し当たりの行き先は、すんなりと決まっていた。なぜならば、俺たち4人の望み全てに沿う行き先が見つかったから。
それぞれの望みはといえば――
ミヅキ曰く。「あたしはやっぱり、ミキオの墓前に花を手向けたいかな。それでさ、あたしはこの世界でよろしくやって行くから心配不要、って報告したい」
イスズ曰く。「せっかくですし、私……というか、ケイティア・コルネットのお墓を見てみたいですね。ティークが私をどんな風に弔ってくれたのか、興味あります」
そしてケイコお嬢ちゃんだが、「ウミヲミテミタイ。フネニノッテミタイ」とのことだった。
ニホンというのは大陸と呼ぶほどには大きくない島だそうで、海自体は珍しくも無いのだが、お嬢ちゃんが生まれ育った地は内陸部だったとのこと。そんなわけで、海というものへの憧れはあったらしい。
ちなみにだが、少しは前向きになれた気分で各地の酒をあらためて楽しみたいというのが俺の望んだこと。
つまるところ――あの御仁の墓とケイトの墓がある――コーニス大陸到着までは、見事に一致しているというわけだ。その先はイスズとミヅキのどちらを優先するかという話にもなるわけだが、結局は先か後かだけの違いだろう。
どちらを先にするのかは、結局どちらも最後まで譲ろうとしなかったのだが、そのあたりは追々に当人たちが決めればいいことだろう。一度は争っているところをお嬢ちゃんに諭されたふたり。同じ轍を踏むような間抜けではないことだろうし、困ったことにはなるまいて。それに――
傍で見ていて感じたこともある。どうやらイスズは、ミヅキ相手での子供染みたやり取りを楽しんでいる節もある。馬が合う、というやつなのではなかろうかとも、俺は思っている。
そういえば、お嬢ちゃんが珍しく不機嫌そうにしていた一幕もあったか。
あれは、“魔法”に関する話になった時のこと。やはり好奇心はあったらしくイスズも試してみた結果、使えてしまっていた。
「どうして私には使えないの!?」と言わんばかりに口を尖らせるお嬢ちゃんだったがその様はむしろ可愛らしさの方が強く、微笑ましくさえあった。俺も似たようなやっかみは抱かぬではなかったが、それは些末なことだろう。
ちなみにだが、使えるとはいっても“魔法”の扱いに関してイスズはあまり上手い方ではなかったらしい。
イスズ曰く「ミヅキさんを“えーきゅー”とするなら他の蛇たちは“しーきゅー”で私は“いーきゅー”と言ったところでしょうかね」
とのこと。俺にはよくわからぬが、ミヅキだけでなくお嬢ちゃんまでがそれで納得していた。語感的な意味では“えすきゅー冒険者”の“えすきゅー”と似ているようにも思えたのだが……。まあそのあたりは、いつか機会があれば聞いてみるのもいいだろう。
あとは、蛇の生態についても新しく知れたことがあったか。
俺もミヅキも知らなかったことだが、蛇という生き物は音を――当然ながら声も――認識することが出来ず、それは今のイスズも例外ではないらしい。
その代わりと言うべきか、振動には敏感とのこと。
なお、お嬢ちゃんの声を蛇共は理解しており、蛇同士でも意思の疎通は出来ているらしいが、それは音を介してではなく、直接内容が伝わってくるのだとか。
また、お嬢ちゃんの中に居る状態であれば、イスズも俺の声を聞くことができるらしい。このあたりは全くもって謎だらけだった。
それ以外にも、視覚はそこまで優れているわけではなく、代わりに熱を感知できる能力があるのだとか。このあたりは完全に理解不能であり、白子蛇に生まれ変わったイスズも戸惑っていたらしい。
っと、そろそろか……
そんなことを振り返るうち、気配のふたつがこちらへ向かってくる。
「ふぁ……仕事とはいえ、朝はゆっくり寝てたいよな……ってダンナ!?」
「あ!ティークさん。おはようございます」
「ああ、おはようさん」
気配の主はあくび混じりのコーナスと、しっかり目が覚めた様子のアルバ。昨日とは逆の有様をしていた。
「ほれ、目を覚ますといい」
昨日と同じように水の入ったグラスを渡してやれば、コーナスとアルバは揃って飲み干す。
「ハルクたちのところへ行くのだろう?俺もお供させてもらうぞ」
珍しいことに昨日の午後から今に至るまで、“魔物化”した動物の襲撃は皆無だったらしい。あるいは、昨日俺とお嬢ちゃんとミヅキが山に入った時に、方々へ向かった蛇共が暴れた結果なのかもしれぬが。
ともあれ、ハルクたちが無事で済んだのは大いに結構なこと。
「なあ、ダンナ。少し気になったんだが……」
そのあたりの情報交換を済ませ、ハルク、ネブラと並んで歩く宿への帰り道。そんな声をかけられた。
「どうした?昨夜が穏やかだった理由に心当たりでもあったか?」
「いや、そうじゃないんだけどよ……」
返した問いは的を外していたらしい。
「なんかダンナ、顔色が悪くないか?」
「あ、それは俺も思ってましたけど……気のせいじゃなかったんですね」
ハルクだけでなく、ネブラも同じことに感づいていたようだった。
コーナスとアルバは何も言わなかったが、寝ずの番の後で集中力の残渣が消えていなかった者との差なのだろうか。
ともあれ、原因は言わずもがな。ここ数日の疲労に加え、昨夜のアレだろう。たしかに、先ほど見た鏡の中の俺は、クマが色濃く顔を浮かべていた。
「済まぬな。お前さんたちに心配をかけてしまったらしい」
「いや、それは別にいいんだが……。さすがのダンナでも疲れてるのか?」
「俺のなにをもってさすがと言うのかはさて置くが、それなり程度に疲れが溜まっていたのは事実だ。あとは……昨夜、やらかしてしまってな」
「なにをやらかしたんだ?特に騒ぎになった風でもなかったぜ?」
「ああ。騒ぎにはなっていないさ。昨夜にケイコお嬢ちゃんとミヅキがやって来たのだが……話が盛り上がったところで、そのまま羽目を外してしまってな。結局寝たのが明け方だったという間抜けな話だ」
独断だが、ここは正直に話してしまうことにする。あの様子では、お嬢ちゃんもミヅキも、しばらく目を覚まさぬというのはあり得る話。であれば、下手に隠し立てするよりはこの方がマシだろうて。
無論、イスズのことは伏せておくが。
「まあ、気になるのであれば続きは朝飯の時にでも話すさ」
「おや、おかえり。今食事の用意してるからね」
「ああ。今朝も楽しみにしているぞ」
「だよなぁ。ああ、俺のは大盛りで頼めるか?」
「あいよ、任せときな!」
食堂に入れば、厨房で慌ただしく動いていた女将がこちらに気付く。なんだかんだと言ったところで、ここの飯は美味い。だから俺もハルクも素直なままを返す。
「それと、ケイコお嬢ちゃんとミヅキなのだが、下手すると昼近くまでは起きて来ないかもしれぬ」
「なにかあったのかい?」
「昨夜、俺の部屋ですっかりと話し込んでしまってな。寝たのは明け方近くだったのさ」
「ダンナの部屋で?」
「ああ。今もふたり仲良く夢の中だろう」
「……まさかとは思うけど」
なにやら考えるそぶりを見せた後、女将が俺を睨んでくる。
「アンタ、ケイコちゃんやミヅキちゃんに手出ししてないだろうね?」
そんな心配をしたらしい。
「まあ、お嬢ちゃんもミヅキも、いい女になる素質に溢れていそうなことは認めるがな」
口には出さぬが、付け加えるならばお嬢ちゃんの身体を借りたケイト――イスズもあの場には居た。それでも、そういった欲求が沸き起こってこないあたり、俺はとうの昔に枯れていたということなのか。
ケイトへの想いは今でもあの頃からつながっているのだろうが、40年という月日の中で、いくらかは変質した部分もあったのだろうかな。
それはそれとして……
「歳の差というものを考えてから言うのだな。親と子どころではない、祖父と孫ほども離れた相手に手出しできるものか」
「そりゃそうだけど……」
「安心するといい。力尽きたあのふたりをベッドに運びはしたが、それだけだ。俺は床で眠らせてもらった」
「……って、ダンナが疲れてるのってそれも原因だろ」
「疲れて……?おや、よく見たら顔色もあまりよくないじゃないか」
そして女将も、ハルクに言われ、そのことに気付いたらしい。
「そうかもしれぬな。なにせ、俺もあの……ふたりに付き合って語り明かしたのだから」
3人と、そう言いかけてしまったが、踏みとどまることは出来た……と思いたい。
「まあ、ケイコちゃんはアンタを信頼してるようだし、それを裏切るようなタマでもなさそうだしね。よし!あたしに任せときな!精の付く飲み物を用意してやるからね!」
「何故にそうなる?」
それで俺が暴走でもするとは思わないのか?
「けどさ、ダンナが倒れたらケイコちゃんは悲しむだろうし、責任だって感じそうじゃないか」
「それはそうだろうが……」
お嬢ちゃんの人柄を思えば、それは十分すぎるほどにあり得ること。
「だからあたしのとっておきを出してやるよ。自慢じゃないけどさ、あたしが旦那を落とした時も、ソレを飲ませたんだよ」
「……本当に自慢にならぬな」
それに……そこはかとなく、ではあるが、ケイトやミヅキがやった手口に似ているのではなかろうか。それはそれとして……
とっておき、か……
少しだけ、嫌な予感がした。精の付く食い物飲み物というのは、俺の経験上では不味いものが7割といったところなのだから。
とはいえ、女将が純然たる好意で言っているらしいとなれば、断るのも気が引けるというものだ。
「……いただこう」
だから俺は、多少の覚悟を持って素直に受けることにした。
ま、いいけどよ……
心に浮かぶのは、諦観を伴った口癖。
ケイトの帰還で少しは前向きになれたはずなのだがな……
長い月日で心身に染みついたソレは、おいそれとは消えてくれないらしかった。




