このお嬢ちゃんに言葉を教えようと思って、な
「鏡追いのダンナ!無事だったのか。心配したんだぜ!」
ケイコお嬢ちゃん――と、懐に隠れている蛇6匹――を連れてユグ村の入り口に近づいたところで出くわしたのは、棒切れを手にした10代半ばくらいの坊主。名は――聞いていなかったか。
鏡追い稼業に興味があるらしく、あれこれと話をねだられたから印象には残っていた。まあ、情報料の代わりに酒でも奢らせようかとは思わないでもなかったが。さすがに子供相手ということでそこは自重した。
ともあれ、この坊主。野盗共が出るようになって以来“この村はオレが守る!”と息巻いて見張り番をやっている。ということらしい。日々の畑仕事もサボることなく、見張り番はその合間にやっており、勝手に山に入るようなことも無いので特に問題視はされていない、とのことだ。俺のことを“ダンナ”などと呼ぶのも、背伸びをしてみたい年頃といったところなのだろう。
まあ、よくあることだ。度が過ぎれば、故郷を飛び出して流れの鏡追いになる、なんて例もあるらしいが。
ふむ……どういう意味だろうかな?
それはそうと、口ぶりが気になった。俺が野盗共にやられたのではないかと思っていた、という解釈もできるような言い回し。まあ、俺自身も世間的に見たら老いぼれなのは事実。そして、過小評価のひとつふたつ程度でいちいち腹を立ててやるほどにお人好しでもないつもりだ。が――
いや、違うな。
多分心配している理由は――
「さっきの揺れの件、か?」
「おう。地震だけじゃなくて……光の柱まで出てたから……」
地震という部分はまあいい。アレが普通の地震と違うというのは、落石を間近にやられた経験でも無ければ気付けないということもあるだろう。
それはいいとして――
「光の柱?」
初めて聞く単語だ。
少なくとも、俺が見た限りでそんなものはなかったが……
「さっきの地震の時、山の中腹あたりに突き立ってたんだよ。空まで続く光が。畑仕事してた大人たちも一緒だったから、間違い無いよ」
「……その光の柱、何本も出ていたのか?」
「いや、1本だけだ。それに、すぐに消えちゃったんだぜ」
「そういうことか」
多分だが、俺が見た光のことだろう。遠目にはそう見えたわけだ。
「村に被害は?」
「無かったよ。この村も古い建物が多いから……10年くらい前からちょっとずつ建て直しをしてたのがよかったんじゃないかって村長さんが言ってた」
「そいつは何より」
とりあえずは、内心で胸を撫で下ろす。万に一つでも、酒蔵が潰れたなんてことになった日には、世界にとっての損失となるところだった。
「ところで、その子は?」
「ひぅっ!?」
そして、今更のようにそんな質問が。視線を向けられたお嬢ちゃんはビクリと身体を震わせ、俺の後ろに隠れてしまう。
ふむ……。さっきおぶった時といい、他人を怖がる傾向があるようだが……。
過去に似たような反応する子供を見たことがあった。あの子は……日常的に実の親から殴られていたのだったか。だが、ケイコお嬢ちゃんには痣や傷の類は見当たらぬようだが……。知れば知るほどに謎が深まっていくお嬢ちゃんだ。それはそれとして――
やはりか……
すぐ隣を歩いていた以上、俺に気付くとほぼ同時にお嬢ちゃんのことも認識していたと考えるのが自然。にもかかわらず、後回しにしていた。それが意味するのは――
お嬢ちゃんがこの村の住人で、野盗共に捕まっていた。という線は完全に消えた、ということ。
「……坊主の知り合いか?」
答えのわかり切った質問を投げかける。用意しておいた作り話は無駄にならずに済んだらしい。
「うーん……小さな村だから、顔はみんな覚えてるんだけど……」
「そうか……。まあ予想しているかもしれぬが、野盗共の住処でな。このお嬢ちゃんを連れて山を降りているところにあの揺れに出くわしたというわけだ」
嘘を混ぜる。野盗共の罪状をひとつ上乗せして、お嬢ちゃんと光の柱を切り離しておく。それを、さも事実らしく刷り込んでおけば、仮に光の柱がロクでもないものだったとしても、お嬢ちゃんに類が及ぶ公算も少しは減らせる……可能性くらいはあるだろう。ついでに、やたら他人を怖がることの理由にもなるだろう。
「それに、どうも言葉が通じないようでな……。幸いにも身振り手振りは通じるのだが。話せるのは聞いたことも無い言葉だけらしい」
ここは正直に話す。どの道、隠し通せるものでもあるまい。
当の本人に目を向ければ、俺の背中に捕まったままで物珍しそうに村の中を眺めていた。
田舎から大きな街に出て来た人間のようだが。“標準的な田舎村”というのが、俺のユグ村への認識。なら、お嬢ちゃんが住んでいたのは、そういうところではなかった、ということか?
「何にしても、子供ひとりで放り出すわけにもいかんだろう。とりあえずは、俺が面倒を見ようかと思っている。先のことはこれから考えるがな。なんにせよ、野盗共は始末してきた。まあ、あと数日は警戒しておいた方が良さそうではあるがな」
「そっか。次にこんなことがあったら、その時は俺がやっつけてやるぜ」
「無謀はほどほどにしておけよ」
鼻息荒く息巻く坊主に上っ面だけの忠告を残し、向かうのは村長――野盗駆除の依頼人の家。その道すがら、何人かの村人とすれ違いはしたが、やはりというかなんというか、誰もお嬢ちゃんのことは知らないようだった。
そして、声や視線を向けられるたび、お嬢ちゃんは俺にしがみ付いていた。
「というわけだ。まあ、用心に越したことはない。全滅はほぼ確定と思うが、念のためだ。2日程度は俺が夜の番をするつもりでいる」
2日と指定した根拠は、持ってそれくらいだと判断したから。仮に潰し残しがあったとして、耐えかねてやって来るまでにかかる時間はそんなものだろう。
「そうですか……。これで安心できます。ありがとうございました」
仕事の報告を済ませる。残念すぎる連中だったとはいえ、腐っても野盗。近くに住み着かれて気分のいい話であるはずもない。見たところ30前後という、肩書きの割に若い村長は胸を撫で下ろしていた。
「なに、こちらはそれが仕事なのでな。礼には及ばぬよ」
俺が返すのは、仕事を終えた時の定番。これまでに何度口に出してきたのかも覚えておらず、この先何度言えるのかはわからぬ定型句。
「報酬は……明日でもよろしいでしょうか?すぐに用意するのは……」
「あと数日して、連中が来ないと確認出来てからでも構わぬさ」
大金とは言えないが、はした金でもない。というのが、今回の報酬額だ。俺としては焦る話でもなし。それに――
「どの道、しばらくはこの村に留まるつもりなのでな」
その理由は、俺の後ろで話を聞いて――といっても、内容はさっぱりだろうが――いるお嬢ちゃん。置いていくにせよ連れていくにせよ、それなり程度に言葉を覚えてもらうことは必須だろう。そして、それまでは目の届く位置に居てやるつもりでいる。
「そうですか。ところで、さっきから気になっていたんですが……」
来たな。
俺にとっての本題はここからだ。
「このお嬢ちゃんのこと、だろう?」
「はい。この村の住人ではないようですが……」
「実はな……」
「たしかに、全く知らない言葉のようですね……」
さっきの坊主相手と同じ作り話を聞いた村長は、上手く信じてくれたらしかった。まあ、実際にお嬢ちゃんの謎言語を聞かされれば、大概の奴は同じことを思うのではなかろうか。
「それを踏まえた上で聞きたい。村長サン、このお嬢ちゃん……ケイコを、ユグ村で引き取ることは可能か?」
「……………………難しいと思います」
「理由は?……いや、聞き方を変える」
妙に長い間。そこには、ためらいのようなものがあった。俺の印象では、村長に限らず、この村の連中はお人好し揃い。それが、行くあての無さそうな娘ひとりを引き取れないという理由。それは――
「言葉が通じないからどうしていいのかわからない、以外の理由はあるか?」
「いえ、言葉さえ通じるのであれば、何とかなるとは思いますが……」
「そうかい」
予想通りだった。裕福とは言い難いが、貧しいとは逆立ちしても言えない。ここはそんな村だ。金銭的な意味では、娘ひとりくらいを引き取ることは造作もないはず。
「ならば、俺が言葉を教える。その上で、お嬢ちゃんがこの村で暮らしていきたいと望んだなら?」
「それでしたら、問題無いと思います」
これで、選択肢の確保はできた。
「十分だ。当面は、宿代飯代も含めて、俺が面倒を見るということでいいか?」
「はい。村の者にも伝えておきます。……あの、しばらくこの村に留まると言っていましたが、その理由というのは……」
「このお嬢ちゃんに言葉を教えようと思って、な」
その先どうするかは未定。どうなるのかは、お嬢ちゃんと状況次第だろう。
「……………………でしたら、もうひとつ依頼を受けていただくことは可能でしょうか?」
何かを考えるような沈黙の後、村長はそんなことを言ってくる。野盗共の件が片付いた上でということは……
「光の柱の調査、か?」
「おや、知っていましたか」
「ああ」
「でしたら話は速い。野盗の件が片付いたのはありがたいんですが……あんな光景は見たことも聞いたことも無かったので。不安に思っている者もいるようなので……」
思い当たった可能性は当たりだった。俺としても、気にならないわけでもない。せっかくだ、駆け引きに使わせてもらうか。
「ふたつばかり条件を付けてもいいのなら、引き受けよう」
「……条件、というのは?」
「ひとつ。俺が山に入っている間、この村の連中でお嬢ちゃんの面倒を見てほしい。まあ3度の飯を出してくれれば十分だ」
山歩きをするのに、わざわざ連れていくこともあるまいて。
「ふたつ。俺が戻らなかった場合、お嬢ちゃんをターロの繋ぎ屋のところに連れて行ってほしい。宛てる手紙は書いておく」
お嬢ちゃんがどうにかやっていけるようになるまでは俺が面倒を見るつもりではある。だが、そのつもりが有ろうと無かろうと、死神というやつはいつでもどこからでも湧いてくる。鏡追いという稼業をやっていればなおさらに。
「無論、どちらにしてもロハというわけにいかぬだろう。先立つものは置いていくから、その点は安心していい」
と、こんなところか。いや……せっかくだ。
「それと報酬だがな……」
そう聞いて、少しだけ表情が引き締まる。お人好しではあるが、無能ではないということか。結構なことだ。酒のためにも、この村には栄えてほしいのだから。
「現物支給で頼む。この村特産の酒を大瓶で3つだ」
「……いいんですか?」
そう問いかけてくる村長の顔。今度はわかりやすく困惑していた。多分だが、金額的には安すぎる、という意味でだろう。
「ああ。あの酒は最高に旨かった。千金に値するほどにな」
「ははは、そういっていただけると嬉しいですね。では、特に出来の良いものを3本。必ず用意しましょう」
「商談成立、だな。差し当たっては……明日からしばらくの間、山中の見回りをするとしようか」
「おや、ようやく英雄のお帰りだね。それに噂のお嬢ちゃんも」
村長の家を出る頃には、日が傾いていた。お嬢ちゃんを連れてその足で向かうのは、この村でただ1軒の宿兼飯屋兼酒場であり、ここ数日の寝倉。どういう経緯でかはさておき、やけに恰幅の良い女将の耳にも掃除が終わった件は届いていたらしい。
「知っているなら話が早くていい。部屋をひとつ追加で頼む」
軽い揶揄だろう英雄呼ばわりは聞き流し、用件を伝える。数日に一度程度にやって来る行商人以外でこの宿に泊まる者はいないと聞いていた。空き部屋があるのも承知済みだ。
「あいよ。その娘があいつらに捕まってたんだね。よし!必要なものがあったら何でも言っておくれよ。服とかさ。用意してやるからね」
「ああ、その時は頼む」
「ラ、ラペット……」
絵に描いたような気の良い女将。その勢いに流されてか、お嬢ちゃんもコクコクと頷く。多分だが『は、はい……』とでも言っているのだろう。
「やれやれ……」
「ふぅ……」
ひとまずは俺が使っている客室へ。本来は二人部屋らしく、ふたつ用意されていたベッドにそれぞれ腰をかけ、俺とお嬢ちゃんは揃って息を吐き出していた。
ため息ばかりは、お嬢ちゃんも他と変わらないらしい。俺はそんなことを考えてもいたが。
「べアリフェク……」
そのままお嬢ちゃんは仰向けに寝転がり、すぐに寝息を立て始めた。
当然と言えば当然か。
右も左も、言葉すらわからない状況でなら、緊張やらを原因とする心労は軽くなかったことだろう。
無防備すぎやしないかとは、思わぬでもない。俺にその意思があれば、いかがわしいことも好き放題にやれるだろう。あるいは、息の根を止めることすら難しくはない。
無論、そんなつもりは毛頭程も無ければ、逆にそんなことを企むような輩がいるようなら、俺が潰すつもりでいるわけだが。
それに、服の下には6匹の小さな護衛達も居るのだし。
この状況で眠れるのは、仔蛇共を信用しているから、というのもあるのかもしれぬ。
まあいい。晩飯の時間までは寝かせておこうか。
俺もベッドに寝転がる。こちらはこちらで考えねばならぬこともあるが、疲れていたのも事実だ。
さて、どうしたものかな……
考えるのは、どうやってお嬢ちゃんに言葉を教えるか、ということ。
思いついた大まかな流れはふたつ。
ひとつは、俺が謎言語を覚えて、その上でお嬢ちゃんに世間一般で使われている言葉――呼び名が無いのも不便なので、この大陸の名を取ってアネイカ言語と呼ぶことにする――を教える、というもの。
もうひとつは、お嬢ちゃんに直接アネイカ言語を教える、というもの。
前者は俺の負担が大きい。
後者はお嬢ちゃんの負担が大きい。
そして、謎言語を使えるのがお嬢ちゃんだけ、という重りを込みで秤にかけたなら、後者の方に傾く。
とはいえ、俺としてはお嬢ちゃんだけに苦労させるのは気乗りしない。ならば――
お嬢ちゃんに直接アネイカ言語を覚えてもらう。その上で、俺は俺で可能な限りの謎言語を抜き取って、少しでもお嬢ちゃんの負担を減らす、あたりが妥当か。
方針は大雑把にこんなところでいいだろう。
晩飯までにはまだ時間もある。今のうちに、把握した謎言語を整理しておくとするかな。
“ピジュティ”がありがとう、だったか。“ラペット”は……