雪解け水のように澄み切った声で、穏やかに微笑みながらに目の前に立つ女が告げてくれやがったのは――
「イスバ レーム フェクフィト!ミヅキフィト!」
目の前に居たミヅキが瞬時に姿を消し、お嬢ちゃんが驚きの声を上げる。見晴らしのいい場所であり、隠れるなぞ不可能という状況。無論、俺にも驚きはあった。が――
こいつは……
そして、消えたのは姿だけでなく。ミヅキの気配もまた、その場所からは消えていた。
「うぇ!?うひゃああっ!?」
ほぼ同時に、別の場所――感覚的には後方に8メィラ、高さ60シィラほどの位置だろうか――に唐突に表れた気配。その方向からは慌てふためいた声が聞こえ、
「あだっ!?」
さらにひと呼吸の間を挟んでそんな悲鳴らしきものと、ある程度の重さがあるなにかが落下した時のような――ドスン、という表現が似合いそうな――音が聞こえてくる。
「ミヅキフィト!」
「あいたたぁ……」
悲鳴の主はミヅキで、聞こえて来た音はミヅキが地面に落ちた音だったのだろう。振り返ればそこには、薄く涙を浮かべつつ尻をさするミヅキの姿があった。その様から見るに、落下は尻からだったらしい。驚きからか痛みからなのか、手のひらから落ちたのは、先ほど転移をさせようとしていた小石。
「ミヅキフィト!シェイ フェクフィト!」
「クゥレ……サブートゥ……」
血相を変えて駆け寄るお嬢ちゃん。俺もミヅキの方に歩み寄る。
「大した怪我は無いという認識でいいのか?」
「うん。痛みも引いて来たよ……」
「そうかい。それはなにより」
気配で捉えた高さがさほどでもなかったことに胸を撫で下ろす。
「リーディ、プレシュフェク」
「キーシュ。シェイ ルーン クンビート」
ミヅキとニホン語を交わし、お嬢ちゃんの顔にも安堵が浮かぶ。
「ごめん。オジサンにも心配かけちゃったね」
「許可を出したのは俺だ。そこは気に病むこともあるまいさ。それはそうと……転移の“魔法”は成功したと見るべきか。あるいは、失敗したと考えた方がいいのか。どちらなんだ?」
転移を定義付けるなら――瞬時に離れた場所に移動すること、あたりだろう。その意味では成功と言える。
一方で、目的と定めた場所からは見当外れもいいところ。その点を重視するのなら、失敗となるわけだが。
「うーん……。どうなんだろうね……」
即答が返ってこないあたり、ミヅキも俺と似たような意見だったらしい。まあ、そのあたりはどうでもいいことか。それ以上に重要なことは――
「今後も転移の“魔法”を試したいとは思うか?」
「冗談じゃない!というか、怖くて使えないよ……」
「“魔法”に関してはなにがなにやらだが、よほど難しいということか?」
「だね。微調整とか無理。さっきだってさ、あたしなりに細心の注意でやったつもりだよ」
そのあたりの認識――危険性――も共有できていたようだった。
今更ながらに肝が冷えてくる。
今回の転移の結果、ミヅキは尻から地面に落ちて痛い目に合ったわけだが、むしろその程度で済んだことは幸運だったとすら言えるだろう。
1メィラ先という至近距離を目標としたにもかかわらず、実際に転移した先はそこからは9メィラ以上もずれていた。もしも、そのずれが水平方向ではなく垂直方向だったなら――ミヅキは生き埋めになっていた恐れすらあった。
一応、俺の気配探りは上方下方にも有効ではあるが、生きたままに土の中に埋まった相手を探れるかなぞ試したことも無い。
その場合はどうなっていたのか。ミヅキは突然に行方不明となり、人知れず土の中で果てていた、というのが思いつく限りの最悪だ。ゆえに――
「ならば、転移の“魔法”は極力控えるということで構わないか?例外があるとすれば……転移を使わなければ確実に死ぬ、といった状況くらいか」
「……そんな状況になった時点でほぼ詰んでるってことだもんね。ダメ元で試す分にはアリだとは思うけど……。ともあれ、異論は無いよ」
「そうか。さて……」
多少の時間も食われたが、ここからの予定を変える必要があるほどではあるまい。
「話もまとまったところで下山を始めるか」
「ここを右に、だな」
登りと同じ隊列で山を下りることしばらく。最初に光の柱が現れた時に俺が座っていた岩が見えてくる。
「ここからはすぐそこだが……」
「うーん……。やっぱり“魔力”の流れは感じないね」
が、やはりというべきか、登山時と同じでミヅキでもなにかを感じ取ることは出来ず。
「まあ、行くだけはな」
「だね、行くだけはね」
ほどなくして、木々の間を抜けると開けた場所にやってくる。
「やっぱりなにも感じないね」
「そうかい」
実際にその場まで来た結果は、やはり変わらないもの。
「ちなみにだが、空の穴とやらもここには無いということでいいのか?」
「うん。見事なまでになんにもない」
「そうか……」
“魔力”を感じることの出来るミヅキにも特に気になることは無い。その事実を確認できただけでも良しと俺は思うのだが、
「済まなかったな。無駄な手間を取らせてしまったらしい」
「いいってことよ。さっきも言ったでしょ?調べておいて損は無いってさ。それに、収穫はあったと思うよ。この場所には“魔力”的な意味では妙なところは無いってことがわかったんだしさ」
「……そうだな」
ミヅキも同じことを考えてくれていたことに軽く安堵する。
「ならば、今度こそ村に戻るとしよう」
「ほいさ。クゥレ、ケイコ。アティス ゼビス ルドミド アードフ」
「ラペット。……ミスティフィト」
「うん?どうかしたのか?」
ミヅキの呼びかけに応え、こちらに向かってきたお嬢ちゃんがその足を止める。
「……アカスフィト。イーズ セーアフィト」
が、お嬢ちゃんはこちらには反応せず。無視しているわけではないだろう。他の何かに気を取られ、俺やミヅキの声が意識に届いていないといった風だが。“フィト”と口にしているあたり、何かしらに疑問を抱いていることに間違いはなかろうが。
「ミヅキよ」
「うん」
とはいえ、こういった時はミヅキに任せてしまうのが手っ取り早い。
「ケイコフィト。ミスティフィト」
「ラペット。ヒーム フォグ グレス。『アクリス オゥグ』」
「ワズス カーチス。……助けを求める声が聞こえるってさ」
怪訝そうな顔でミヅキがそう伝えてくる。
「ふむ。俺には何も聞こえぬが……」
「うん。あたしも。けど……」
「お嬢ちゃんが詰まらぬ嘘を言うはずも無し、か」
ならば、実際に助けを求める者――恐らくは蛇――が居ると見るべきか。すでに蛇共もお嬢ちゃんの意図を理解したのか、周囲を見回すように首をめぐらせていた。
ならば俺も出来ることをやろうか。
気配探りの範囲を広げる。普段の50から100。……120。…………150。………………180。……………………俺の限界である200。
「駄目だな。気配では捉えられぬ」
もとより蛇共の気配を捉えることはできぬが、それでも助けを求めるような状況。何かを追っているような他の気配も見つからず。蛇との会話がどういった仕組みなのかはわからぬが、お嬢ちゃんに声が届くのなら200メィラ以上に離れているとは考えにくいのだが。
「ミヅキよ。“魔力”という点では何か掴めるか?」
「ちょっと待ってね……」
そう言って、感覚を研ぎ澄ますように目を閉じる。
「ダメ。わかんない」
「そうか」
「…………クシーズフェク!」
そんな中、ミヅキと同じく目を閉じ、声に意識を向けていたであろうお嬢ちゃんが顔を上げ、弾かれるように駆け出す。
「オーバウ カーチス。イアル ハウィ!」
向かった先、10メィラほど離れた場所にあった大岩。よく見れば地面との間には小さな隙間。その中で蛇が助けを求めているということなのか。
「デュア」
そう声をかけるとすぐに数匹の大蛇が前に出る。
少なくとも、お嬢ちゃんの細腕ひとつでどうにか出来る大きさの岩ではなかったが、大蛇共にはさした障害ではなかったようで、あっという間に岩がどかされる。
俺の予想は、その下に蛇が居るというもの。だが、それは半分外れていた。
「クンビート、シャクナ……」
少しの安堵と共にお嬢ちゃんが抱き上げたのは、蛇だったものとでも言うべきか。
そこにあったのは、見たところはそこいらにいくらでも居るような蛇が深手を負い、力尽きたと思しき存在。すでに生きていないことは俺でもわかる。恐らくは、他の動物に襲われてこの場所に逃げこみ、そのまま果てたといったところか。
「フィジク アクリス。タヌ モウア シューム オゥグ!」
はて?妙だな。
だというのに、お嬢ちゃんの反応は俺の予想からは大きくかけ離れたもの。
蛇の死についての悲しみはあるのだろうが、その瞳に浮かんで見えるものは――決意らしきもの。
「ミヅキ!」
「ク、クゥレフィト!」
そんなお嬢ちゃんにいつになく強い口調で呼ばれたミヅキは、いくらかとはいえ気圧された様子。
「モゥブ!スシュ クーア オゥグ!」
「クゥレフィト。ミスティフィト!」
「セヌブ レクン カッド ゾニア グヌス オゥナット マクス セーア!サイオ……」
「クゥレ、ラペット……」
そうして言われるままにミヅキが差し出そうとしたのは、ひと振りのナイフ。
そう言えば、いつだったかアイツが言っていたか。“マムシ”とか言う蛇の種類はアイツ以外からは聞いたことも無いが、それは異世界の蛇だったから、だろうかな。こちらの世界でもそういったものが存在してもおかしくはあるまいが。
「待て」
俺なりに事情は把握出来たつもり。その上でナイフを渡そうとするミヅキの手を掴む。
「オジサン?」
「ダンナフィト」
ミヅキからは不思議そうな目を、お嬢ちゃんからは非難めいた目が向けられる。
だが、俺が制止をかけたのは、なにもお嬢ちゃんがやらんとしていることに横槍を入れようなどといった意図があったからではなく。
「これを使うといい」
むしろその逆。少しでもお嬢ちゃんの助けになればと思ったからだ。
「数打ちの品ではあるが、手入れは欠かしていない。こちらの方が切れ味はいいはずだ」
そうして手渡すのは片刃のナイフ。
ミヅキが差し出したのも俺のものと同じく数打ちの品だとは見て取れた。そして、ロクに手入れされていないということも。
「ああ、そゆこと。ケイコ、イアル シアー スサイ ザバフ グレス カースィ」
「ア……アリガトウ、ダンナ!」
「礼には及ばぬさ。それよりも、急いだ方がいいのではないか?」
「クゥレ、ラペット!」
ナイフを手に蛇の死体に駆け寄ったお嬢ちゃんは、腹が上に来るように死体を横たえると――
「リッツ!」
気合を入れるように自身の頬を叩き、ひと声。死体の腹にナイフを当て、ひと息に切り開く。
「……っ!」
隣に立っていたミヅキが息を呑んで俺の手を強く握ったのは、そんな様に驚いたからか。
もっとも、俺とて少しばかりは驚きもしたのだが。
迷いも躊躇いも見ては取れないが……慣れているらしいな。思えば、蛇の死体を見た時も、悲しみの色を見せはしたが、取り乱す風では無かったか。
蛇共の寿命がどれほどなのか。異世界とやらが蛇共にとってどの程度生きやすい場所なのか。そのあたりはわからぬが、死に触れる機会はそれなり以上にはあったということか。多分だが、子を腹に宿したままに死んだ親蛇の腹を開くことも初めてではないのだろう。
そんなことを思う内、お嬢ちゃんの作業は進んでいく。腹の中から取り出すのは、一見すれば黒い塊のようなモノ。その実は、産み落とされる前の子蛇が複数。
塊になったそれらをひとつずつ丁寧に引きはがし脇に横たえていく。どれもこれも生きている雰囲気は無い。母体が死ねば、腹の中に居る子も長くないというのは人も蛇も変わらないのだろう。
思えば俺も一度だけ、そんな場面に出くわしたことがあったか。アレは……産み月の妊婦が嫉妬からかつて恋仲だった男に殺された、なんて胸糞の悪い一件で。
そんな中で赤子だけでも救って見せたのがアイツだった。おたおたするだけだった俺はアイツに言われるままに動くことしか出来ず。それでも事が終わった後には、
『あなたが手伝ってくれたおかげで助かりましたよ。ありがとう、ティーク』
なんて労いまでかけてくれて。今にして思えば、それもまた俺がアイツに惚れ直させられた一因だったのだろうが。
うん?
そんな中、お嬢ちゃんの手にあった子蛇の塊に変化が。黒一色だった中に、白が見えた。それはまるで……いや、さすがにそれはないか。全く、俺は何をやっているのやらだ。
自身に呆れ直す。浮かびかけたのは、アイツの髪色を思わせる、などという考え。色自体はさして珍しいものでもない。視線を上に向ければ、そこにも雲という形で浮かんでいるであろう色だというのに。
何から何までアイツと結び付けすぎだろう……
「クシーズフェク!」
お嬢ちゃんが声を上げたのはそんな時。見れば、その手のひらにあったのは、先ほどの白いなにか。さらによく見れば、ソレは黒子蛇の中に一匹だけ混じっていたであろう白子蛇。
「クゥレ、イクス ヒーム リートフィト」
察するに、その白子蛇こそが、お嬢ちゃんに助けを求めていたのだろう。
「……クンビート」
そして安堵の声。手のひらに収まっていた白子蛇がゆっくりと頭を上げ、真剣で心配げだったお嬢ちゃんの表情も優しげなものに変わる。そして――
「アルテ サブートゥ」
そう声をかけ――
「う、うん!?」
「でぇえええ!?」
度合いの差こそあれ、俺とミヅキは揃って声を上げて……もとい、上げさせられていた。
なにせ――慈しむような目を向けていたお嬢ちゃんが、白子蛇を口に入れていたのだから。
「クゥレフィト」
そんな俺とミヅキにお嬢ちゃんが向けてきたのは、やはりと言うべきか「ふたりともどうしたの?」と言わんばかりの眼差し。
「ミヅキよ」
「あ、うん」
対応はミヅキに任せることにする。未だロクに言葉が通じぬ俺よりは遥かに適役なのだから。
「モウア プレシュフェク。ランデ ドウラフェク エスン ラスナフェク」
「クゥレ、リーディ。プレシュ マクスタ」
「キーシュ、ケイコ カルム カーチス」
どうやら納得してくれたらしい。
そんなやり取りを経た後の表情からそう判断する。
「ラペット。ストウ、ルザル セイル イクス ドウラ シアー マオティ ルーン」
「ミスティフィト」
「イクス カッド セーア、イーシス ドウラ カーチス レクン リザン カースィ」
「クゥレフィト!」
うん?
なにやら雲行きが怪しくなってきたか?ミヅキがまたしても驚愕しているようだが。
「……ねぇ、オジサン」
「どうした?」
その後もお嬢ちゃんとミヅキはあれやこれやと言葉を交わす。そしてミヅキが俺に向き直り、
「あたしね、生まれ変わったら蛇になるんだ。そしたらケイコちゃんの中で暮らすの」
阿呆なことを言い出す。
「まだ日の出ているうちから寝言か?宿に戻るまでは我慢しろ」
「いや、そうじゃなくてさ……。なんかね、ケイコちゃんの中に居るとね、お腹が空いてる時は満腹になるし、お腹が減ることもないんだって」
「……は?」
思わず間の抜けた声を出してしまう。
「しかもね、怪我は古傷なんかも勝手に治るし、大きい方も小さい方もしなくても自然に無くなるし、明るくて温かくて居心地もいいらしいし」
「……至れり尽くせりにもほどがあるだろう」
つまるところ、蛇共にとってお嬢ちゃんの中というのは、これ以上ないほどに理想的な場所らしい。出鱈目な話だとは、今更言うまでもないことではあるのだが。
とはいえ……
「それで、お嬢ちゃん自身が飢えるわけではないのだろう?」
ここ数日を見る限り、お嬢ちゃんの食事は見た目相応であり、やつれたような様子もない。それ以前に、お嬢ちゃんの負荷になるようなことを蛇共がやるとは到底思えない。
「うん。そこらへんは大丈夫だって」
「ならば、問題無しということでよかろうて」
むしろ好都合というもの。なにせ、蛇共の食い物に関しては考える必要が無くなるのだから。
「それもそうだね」
「ああ。そういうことだ」
それはそれとして――
「少しばかり寄り道が過ぎたらしい。これ以上長居しては、日暮れまでに戻れなくなりそうだ。積もる話があるのなら、宿に戻ってからにしようか」
「そだね。ケイコ、エナン ルクレ オゥグ」
「ラペット!」
ミヅキが告げれば、お嬢ちゃんも元気よく返してくる。
そうして、今度こそ俺たちは帰路に付いた。
やれやれ……。今日もいろいろとあったものだ。
ユグ山から戻り、ハルクたちとの情報交換や村長への報告を終え、賑やかな晩飯を済ませた後――宿のベッドで寝転がり、俺が思うこと。それは、ここ数日は毎日のように感じていることだった。
またひとつ、これまでに無かった側面を見せられたものだ。
今日の出来事を思い返す。特に印象が強かったのは、白子蛇を救って見せたお嬢ちゃんの姿。
あちらの世界ではいろいろとロクでもない過去があったらしいとは聞かされていたが、基本的には素直で純真な娘だと思っていた。
けれど、少し前に見せつけられたものは、ある種の強さと言うべきか。
まあいずれにせよ、強さがあるというのは結構なこと。なまじ強いせいで危険な目に合うというのもよくある話だが、無いよりは有った方がいいものだろう。
そのお嬢ちゃんは今この場には居ない。今頃はミヅキの部屋でアネイカ言語を教わっている、といったところだろうか?
さて、俺はどうするか……
軽く考えてみるも、今日やるべきは思いつかず。
……さっさと寝てしまおうか。
自身の身体に意識を向けてみれば、それなり以上に疲弊している感覚がある。思えばここ数日は屋外で座ったままに夜を明かし、ようやくベッドにありつけた昨夜にしても、床に就くのは随分と遅くなってからだった。ならば、今日は早めに身体を休めるべきか。
そうと決まれば、背負い袋から酒の小瓶を引っ張り出す。寝しなの一杯というやつだ。
例によって味わうのはひと口だけ。それはいいのだが……
「……はてさて」
元より旨かった酒が、更に旨くなったようにも感じたが、それは気のせいだろうか?
ま、いいけどよ……
とはいえ、酒が旨くて俺が困るわけでも無し。むしろ結構なことだ。
そうして、いい気分のままに横になろうとして……
うん?
気配がふたつ、部屋の前で立ち止まった。
当然ながら把握出来ていたもの。やって来た位置からしてミヅキとお嬢ちゃんだろう。歩く速度がやや遅かったような気はしないでもないが……。
そんなことを思う内、軽く戸を叩く音。続いてやって来るのは、
「オジサン。あたし、ミヅキだけど、ちょっといいかな?」
やはりというかミヅキの声。
「ああ。入るといい」
身を起こし、そう返してやる。
寝ようとしていたところだった、とは口に出すまい。わざわざ足を運ぶくらいだ。なにかしらの用向きはあるのだろう。
「お邪魔するね」
「……」
そう言って入ってくるのはミヅキとケイコお嬢ちゃん……であったのはいいのだが、
ふたりは手をつないでいた。
ふむ?
このふたり、仲が良好であることは疑いようもない。であれば、手をつなぐこと自体は別段おかしなことでもない、のだが……
お嬢ちゃんがミヅキに手を引かれるような形だったことも気にかかる。足元が危うい山道であれば理解も出来ようが、足元は板張りの床であり、老朽化している風でもない。
それに……
手を引かれるお嬢ちゃんの表情。どこがどう、とは上手く言い表せそうも無いが、なにか違う……ように思えてならない。
「それでさ、用件なんだけど……彼女が伝えたいことがあるんだって」
彼女。そんな言い回しが違和感を上乗せしてくる。
言語的には、ケイコお嬢ちゃんを“彼女”と呼ぶこと自体にはなんら妙なことはない。が、ミヅキがそれを言うことには不自然以外を感じない。ふたりの様子を見る限り、仲違いをしたとも思えないのだが。
そんな俺の内心を知ってか知らずか、手をつないだままにお嬢ちゃんを俺の目の前に連れて来たミヅキは、手を離すと後ろに下がっていく。
「ティーク」
そう名を呼ばれ、鼓動が跳ねることを知覚できた。
昨日まではお嬢ちゃんも俺のことをそう呼んでいたが、それとも違う。わずかな口調の違いは、声が同じことと相まり、記憶の底にあるアイツと重なってしま……
って、いい加減そこから離れろ!
首を振り、そんな発想を振り払う。何から何までアイツと重ねるのはやめないか。
「ティーク?」
お嬢ちゃんは不思議そうに俺の目を覗き込んでくる。座った俺と立っているお嬢ちゃんが対峙していることで、俺が見下ろされる形。その静かな目には、心底まで見透かされるような錯覚を覚える。
さながら、アイツに……
ま、いいけどよ……
どうあってもアイツと重ねようとしてしまう自分に呆れ果てるが、内心のため息ひとつでそれはさて置く。頭を冷やすのは、ひとりになってからゆっくりとやるとしよう。
「それで、俺に伝えたいことというのは?」
「ええ」
だから用向きを問うてやれば、お嬢ちゃんは頷きを返してくる。
今日の礼あたりだろうかというのが俺の予想。山歩きに連れて行ったのは、お嬢ちゃんの望みに応えるという形だったのだか……
いや、待て!
そこに至って、ようやく更なる違和感に気付けた。今、お嬢ちゃんは、俺のアネイカ言語に対してアネイカ言語で相槌を打った。それに……それだけじゃない!
たった今、不思議そうに俺の名を呼んだ時「ティーク?」と言った。「ティークフィト」ではなくて――この世界で生きる者がごく当たり前にやるように――音程で、疑問を表現していた。
ミヅキから学んだアネイカ言語という線もあるやもしれぬ……が。
まさか……
先ほどから続くいくつもの違和感。それらが結びつき、重なり、絡み合って……
まさか……
昨夜気付かされたばかりのことが加わって……
まさか……まさか!?
とある可能性を浮かび上がらせる。
いつの間にか、口の中がカラカラに乾いていた。
そして――
雪解け水のように澄み切った声で、穏やかに微笑みながらに目の前に立つ女が告げてくれやがったのは――
「相棒というか……あなたの愛の棒、素敵でしたよ」




