だがそれでも構うまい。悪い気分ではないのだから。
「さて、ここから先は気を引き締めていくぞ」
「承知」
「ラペット」
村を出てほどなく、コーナスとアルバの視界から完全に姿が消えたであろう頃合いで、ふたりの連れに声をかける。
「クゥレ、ケイコ。ランデ ネイト オゥグ」
「ラペット」
さらにミヅキがそう伝えれば、
「……おぁっ」
お嬢ちゃんが大きく口を開け、嘔吐のそれに近いような声を伴って、中にいる蛇共を次から次と吐き出す。どう見ても大きい方ではない口に入りそうもないような大蛇も多数いるのだが、そこは“魔法”でどうにかしているのだろうが……
「おぉう……。結構、すごい光景だね」
「……そうだな」
知識としては知っていたはずであるし、実際に蛇共が出てくる場面もすでに見ていたはずだが、それでもミヅキは頬を引きつらせていた。
まあ、それも無理なきことだろう。1匹2匹ならまだしも、小柄なお嬢ちゃんの口からボトボトボトボトに数百の蛇が出てくる様というのは、それなり以上に強烈だ。
「……ふぅ」
そんな光景を見続けることしばらく。お嬢ちゃんが息を吐き、周囲はおびただしい数の蛇で埋め尽くされていた。悲鳴こそ上げなかったものの、ミヅキが俺の手を固く、そして痛いほどに強く握っていた心境も理解出来ないことはない。
「ワイス、ルミンテ ラウムティル トーナ」
一方でお嬢ちゃんは、ご満悦の様子。中にいる蛇とも会話は出来るらしいが、触れ合うことができるというのも、別の良さがある……ということなのだろう、多分。傍目には蛇の大群に埋もれているように見えるが、そこから聞こえてくるのは、嬉しそうで楽し気で、はしゃいだ雰囲気の声。
ま、いいけどよ……
「そうそうにある機会でもあるまい。少しくらいは、そっとしておこうか」
「だね。すっごい楽しそうだし」
あれから――食堂に戻っての朝飯の後、お嬢ちゃんを山に連れて行くことに関してハルクたちを納得させるのは、存外容易かった。大なり小なりに渋られはしたわけだが――
数日前にやらかしたことを逆手に取り、『お嬢ちゃんは妙な気配を感じ取ることに長けているらしい。生まれついての素質なのだろうが、ごくまれにそんな奴が現れるとは聞いたことがある』というでっち上げがすんなりと通ったからだ。無駄に長く鏡追いを続けており、同業者からも実態以上に信頼されているということが珍しく役に立った形だ。
女将だけはそれでも難色を示してはいたが、お嬢ちゃん自身の強い意志もあり、最終的には折れてくれた。もっとも、これでお嬢ちゃんに何かあった日には俺がえらい目にあわされることだろうが。
ともあれ、そんなわけでミヅキがお嬢ちゃんの護衛に付くということには反対は全く出なかったというわけだ。
「ところでさ、オジサン。今のうちに、この後の算段を確認しておきたいんだけど……いいかな?」
そう問うてくるミヅキだが、わずかにその目線が揺らいでいた。これからどうするかは先ほど話したことだが、あやふやになった部分がある、といったところか。
ま、いいけどよ……
そのことを責めようとは全く思わない。煽るのは反発ではなく反省。不必要な非難は無意味どころか有害。まあ、これもまたアイツの受け売りだが。
不用心でいるよりは、過剰に用心深い方が上手くいくものらしいんですよね、世の中って。だから、不安や疑問と思うことを聞いてくる相手に向けて「それは説明しただろ!人の話はちゃんと聞いておけ!」なんてのは、阿呆の対応だと思うんですよ。で、そういうクソ野郎に限って普段は「わからないことがあったら、そのままにしないですぐに聞くように」なんて偉そうにほざきやがるんですよね。その結果がどうなるか、想像する知能も無いんですかね。馬鹿じゃないのかと、その頭カチ割ってスッカスカな中身引きずり出してやるぞ貴様ら……っと、話が逸れました。つまりですね、むしろ確認を入れてくる慎重さを評価するべきだと私は思うんですよ。もちろん、限度はありますし、あまりにも話を聞かずに先走るのは論外。そんな手合いは早々に処分するべきでしょうけど。
とのことだった。なるほど、前世でそんな経験があったのならば、実感――というよりは私怨のようにも思えたが――を込めてそのように言えるのも道理というものだ。
「そうだな。恥ずかしい話だが、俺もあいまいなところがあってな。お前さんの方からそう言ってくれるのはありがたい。感謝するぞ」
だから、ミヅキにはそんな返しをしておく。
「う、ううん……。あたしの方こそ……。それで……配置はオジサンが先頭。その少し後ろにケイコちゃんとあたしで、そのまわりに蛇たち、だったよね?」
「ああ。今日のところは俺の気配探りを150程度まで広げて行くから、速度はかなり落ちるだろうな。砦跡までの往復だけで今日はいいところが潰れると見ているが、どうなることやら」
土着の動物相手ならば、それでもある程度の位置は拾える。そこからなにかしらの手掛かりが掴めたら儲け物というやつだ。
「んで、あたしは“魔力”の流れを見ながら行く、だったよね」
「ああ。おまえさんはそちらに専心してもらう。ゆえに、結界は蛇共任せだ」
これは先ほどに話して決めたこと。現時点では“魔物化”と“魔力”関係している線が濃い。だが、そのあたりを見極めようにも、生憎と俺には“魔力”を把握することができず。そして、何かあった時に直で俺に伝えられるという点で、ミヅキと蛇共の役どころを分けた。
「あとは、この山にいる蛇たちのことだけど……」
「そちらは、蛇共の一部を行かせるという予定だったな」
「うん。大きい蛇が1と飛ぶ蛇が1と“魔法”を使える蛇が3。合計5匹ひと組で行ってもらうんだよね?」
「ああ。それを全部で10部隊、方々に放つ。”魔物化”した蛇と出くわしたなら、適当にあしらいつつお嬢ちゃんの元まで誘導。それ以外の動物は、その場で始末するなり逃げるなり、だな」
聞いた限りなら、お嬢ちゃんと接触させれば、“魔物化”した蛇共も正気付くはず。
さしずめ、飛蛇が斥候で大蛇が囮兼壁役。その上で“魔法”を使える蛇が3匹もいれば、そうそうと遅れは取るまい。なにか有益なことを掴んでくれるやもしれぬという皮算用も無いわけではないのだが。
「大雑把な方針はそんなところ。あとは、時と場合によりにけり、だな」
「うん」
「頃合いか」
そうこうするうち、蛇共との触れ合いを十分に堪能したのだろう。蛇の大群が道を開け、お嬢ちゃんがやって来た。
さて、山登りを始めるとしようか。
「見えて来たぞ。あれが、件の砦跡だ」
そうして山登りをすることしばらく。昼飯時が少し過ぎたかという頃に、当面の目的地を視界の隅に捉えることができた。
「ふたりとも、疲れてはいないか?」
「あたしは平気。伊達に鏡追いやってるわけじゃないしね。ケイコ、ベアリ サブートゥフィト」
「ラペット。サブートゥ」
「ケイコちゃんも平気だってさ」
「らしいな」
よく見れば、表情にもそう言った色は無い。それに、何日か前にも通った道であるし、まして今回はかなり速度も落としていた。であればさすがに不要な心配だったらしい。
「うーん……。話には聞いてたけど、ホントに古いね。それはそうと……」
先を眺めていたミヅキの目がスッと細まる。睨むように見つめる先は砦跡のさらに上。
「間違い無いね。出どころは、あそこだよ」
「そうか」
山登りを始めてからここに至るまで。その道中は、当初に俺が考えていたよりも遥かに上手く事が進んでいた。まさにトントン拍子といった具合に。
“魔物化”した動物の襲撃に関しては、気配探りで事前に拾うことができていた。そして、姿を現した連中はと言えば――視認できた数瞬後には、1匹の例外も無しに屍へと姿を変えていた。
なにが起きたのかと言えば、お嬢ちゃんの連れである“魔法”を使う蛇共の仕業だ。目視は出来なかったが――聞いた話では風の刃らしい――一斉に“魔法”を放ち、瞬時にバラバラにして、それら全ては蛇共の腹の中に消えていった、というわけだ。
おかげで、俺の出番も無かったわけだが。なにせ俺の得物は鉄杖ひとつ。どう足掻いたところで、間合いでは飛び道具と張り合えるはずもなく。
お嬢ちゃんのついでではあるのだろうが、結果的には俺も護衛されていたような形になったわけで。65年を生きてきた中でも初の経験であり、存外に新鮮ではあった。ミヅキはミヅキで蛇共の容赦無さに軽く引いていたようだが、それは些事ということにしておく。
次に、この山に居る蛇共を探しに行った連中のこと。
こちらはいい意味での予想外があった。どういったことかと言えば、“魔物化”した蛇共があっさりと正気付いたということ。
当初は理性が飛んでいたが、お嬢ちゃんの連れを見たら意識が戻った。
どうやら、連れの蛇共がまとっていたお嬢ちゃんの残り香らしきものを感じたのがその原因。
あとはお嬢ちゃんの元までやってくれば、完全に落ち着き、晴れて迎え入れられた。
と、こんなところだったらしい。蛇共に対するお嬢ちゃんの影響は大きいと認識していたつもりではあったが、それでも俺の見積もりは甘かったらしい。
最後に、今ユグ山で起きている異変をどうにかするための手掛かりだが、こちらはミヅキのお手柄だろう。
山に入るなり言ってきたのは、「“魔力”があっちから流れてくる感じなんだけど」とのこと。そうして指差したのが、砦跡のある方向。より正確に言うならば、その真上の空。
自分が何も出来ていないことに対して忸怩たるものも無いわけではなく、俺の中にそんな感情が残っていたことには軽い驚きもありはしたが。
「出どころ……。なるほどな。それで、具体的にはどんな状況なのかわかるか?」
とはいえ、俺の心情なぞは些末なこと。今は目の前のことに意識を向ける。
「そうだねぇ……印象としては、空に穴が開いてて、そこから“魔力”が流れ込んできてる感じ。ただ……」
一度言葉を切り、俺には何も見えない空を注視する。
「ただ?」
「その穴ってさ、ゆっくりとだけど、小さくなってるみたい」
「こうしている今も、なのか?」
「うん。近くで見なきゃわからなかったけど」
「ふむ。それで、その穴というのは……じきに塞がりそうなのか?」
そこは重要な点だろう。空の穴とやらが塞がってくれれば、これ以上“魔力”が増えることも無くなるわけで。あとは残った“魔力”をどうにかして使い切ってしまえば万事解決となる……かもしれないのだから。
「この調子なら放っておいても塞がるんじゃないかな。目分量だけど……数日以内には」
果たしてミヅキの返答は望ましい――最上とも言えるものだった。
それにあるいは――
お嬢ちゃんが現れた場所。あそこにも何かが――ミヅキの言う空の穴のようなものがあるのではないか?あの場所がある方向からは“魔力”の流れを感じるとは言っていなかったが、近くに行ってみれば何かしらがわかるやもしれぬ。まあ、そのあたりは帰り道でもよかろうて。
「ちなみに、蛇共は何と言っている?」
だからあの場所についてはさて置き、他の――“魔力”を感じとることの出来るものの意見を聞くことにする。
「ちょっと待ってて。ねぇ、ケイコちゃん。クゥレ フォグ オゥグ……」
「……空から“魔力”が流れてきてるのはわかるみたいだけど、穴の大きさがどうこうってのはわからないってさ」
「ふむ」
ミヅキとお嬢ちゃんを介して聞いた蛇共の意見はそんなもの。
「そういえば、“魔法”の壁を作る時も言っていたが、蛇共よりはミヅキ、お前さんの方が長けているらしかったな?」
「そうだね」
そろそろ腹の虫もうるさくなってきた。頼みこんで付いてきた手前口には出さないのだろうが、お嬢ちゃんも、無論ミヅキも時間帯を考えれば同じような心境でいることだろう。
「とはいえ、腹が減ってはなんとやらだ。砦跡の前には開けた場所がある。ひとまずは、そこで飯にしようか」
「だね」
「さて、腹も膨れたところで、いくつか試してほしいことがある」
「はいな。それで、何を?」
さすがに状況が状況なだけに、今日の昼飯はクソマズい携帯食料。先日に女将が持たせてくれたものとは天と地ほどに見劣りするソレを温くなった水で流し込み一息を入れてからの提案。ミヅキも即答し、問うてくる。
ちなみに、お嬢ちゃんの姿は蛇山に埋もれている風だ。楽しげな声が聞こえてくるあたり、蛇共との語らいに興じているのだろう。
「そうさな……。まずは、お前さんの“魔法”で空の穴とやらを塞ぐことは出来そうか?それと、このあたりにある“魔力”を穴の向こうに返すことも」
最初に挙げてみるのは、飯の合間に思いついたことだ。それができるのであれば、様々な意味で手っ取り早いのだが――
「……いきなり難易度高そうなのを」
生憎とミヅキの反応は難色気味。
「“魔法”にも難易の差というやつがあるのか?」
「そうだね……。心象と“魔力”を混ぜ合わせるってのは話したと思うけど……」
「ああ。そう聞いたが」
「つまり、思い描きやすいものの方が“魔法”としては使いやすい感じなのよ。同じ熱でもさ、火の玉を出すのは簡単だけど、熱いだけで何かを燃やさないような風――熱風を出すのは難しいって言えばいいのかな?」
「なるほど。そういうものか」
言わんとすることは理解出来た。確かに、そのふたつでならば前者の方が圧倒的に思い描きやすいというもの。
「とりあえず、試しにやってみてはもらえまいか?」
「……ダメ元ってことだよね。上手くいけば儲け物ってことで」
そうして手のひらを空に向け、
「……閉じろ、穴。…………閉じろ、穴!……………………閉じろ!穴っ!」
そう繰り返しはするのだが、
そうそう上手くは行かない、ということらしいな。
ミヅキが浮かべる表情はその成否を雄弁に語っていた。
「……ふぅ。ゴメン、やっぱ無理だわ」
「いや、お前さんに非があるわけではあるまい。なら次は、“魔力”を……押し戻す、とでも言えばいいのか?それは出来そうか?」
「出来なくはないだろうけど……」
再び空に手を向ける。
「……戻れ、“魔力”。…………戻れ、“魔力”!……………………戻れ!“魔力”!」
芳しくはない、か。
ミヅキの様を見るに、やはり結果は似たようなものらしい。
「……少しなら戻せる……というか、一時的に流れてくる“魔力”を堰き止めるので精一杯だわ」
「そうかい。お疲れさん」
ここまでが順調だった反動、だろうかな。
まあ、ぼやいていても始まるまいか。どの道放っておいても穴は塞がるらしいのだから。それまでは、ミヅキと共に毎日ここの様子を見に来るとしようか。
「そういえばさ、あたしも気になってることがあったんだけど」
「なんだ?」
「まあ、好奇心以外のなにものでもないし、今回の件には関係無いんだけどさ……。今朝、あたしの結界を見極める時にやったのって、頭潰しじゃないよね?」
“頭潰し”とは、俺のふたつ名であると同時に、世間では俺の代名詞ということにされている芸当の名でもあった。無論、どちらも俺の名付けではないのだが。
「ああ。全力ではあったが、あれはただの突きだ」
「じゃあさ、オジサンの頭潰しとあたしの結界、どっちが勝つのかなぁ、って……」
そんなことか……
たしかに、自己申告通りに現状とは無関係で好奇心以外のなにものでもない話だ。が……
「ならば試してみるか?」
俺はそう応える。多分だが、1日前に同じことを言われたなら、断っていたことだろうが。
「いいの!?」
「ああ。腹ごなしにはちょうどいい」
口ではそんな風に答えたが、本心は別のところにあった。
ミヅキがアイツの姪にあたる存在であったから。それに――
「ありがとね、オジサン」
オジサン。
アイツが俺との子を望んでいたことを最期の最期まで気付いてやれなかったことへの負い目もあるのかもしれない。それでも、ミヅキにそう呼ばれることは満更でもなかったから。
まったく……こうも甘い男だったとはな……
突き詰めればそういったところ。ケイコお嬢ちゃんに対しても俺は甘いらしいが、ケイトを感じさせる相手にはそうなってしまうらしい。
ま、いいけどよ……
だがそれでも構うまい。悪い気分ではないのだから。
「早速やってみるとしようか」
「うん。こっちも全力で行くからね!出てこい、壁!」
俺は鉄杖を抜き、ミヅキが結界を張る。
狙うのは朝と同じ。ミヅキの頬から少しだけ離れた位置。これならば結果がどうであれ、無意味に傷を負わせることにはなるまいて。
抜き放った鉄杖を握りしめ、
「そらっ!」
後ろに置いた右足で地面を蹴り、地面に踏み込む。さらにはそこから派生した力の流れを連動させ、右手から鉄杖の先端へ。
モノにするまでに10年の時を要した動きだが、今では息をするように容易く繰り出せる。
そして最後のひと工夫。
見えない壁に放つのは初めてだったが、その位置は力の流れから把握できる。そこに触れる刹那に勢いを止めることで溜めを作り――捻りを加えつつ、接触状態から一気に押し込む。
今でも原理はわかっていない。それでも、こうすることで岩石程度は容易く貫く一撃を生み出すことができる。これこそが、“頭潰し”の悪名の由来。悪名の起源となった時には、鉄兜の上から頭蓋を砕いていた芸当。
果たしてその一撃は――
「……………………でぇええええ!?」
数秒の沈黙と数度の瞬きの後、ミヅキが素っ頓狂な声を出す。
俺の鉄杖は些細な手応えだけを残して、ミヅキの頬からわずかに離れた空間を貫いていた。




