これも、アイツが俺にくれたものなのだろうかな……
やれやれ……俺も耄碌したものだ。
思考を過去に巡らせた結果、“えすきゅー冒険者”と言ったのが誰であったのかは思い出すことが出来た。よりにもよってアイツ――ケイトの言葉を忘れていたということには、多少の呆れ驚き失望もあったわけだが……それ以上に気にかかることもある。
“えすきゅー冒険者”というのも恐らくは異世界の“てんぷれ”なのだろう。そして、そこから浮かび上がるのはとある疑問。
異世界の“てんぷれ”を何故にアイツが知っていたのか?
その答えもすぐに見えてくる。
これまでに交わせた言葉がそう多くないケイコお嬢ちゃんはさて置くとするが、俺が知るふたりの転生者――ミキオとミヅキは、どちらも変わり者だ。その理由は異世界――アネイカやコーニスとは様々な差異を持つであろう地で生きて来た記憶を持つから、といったところだろう。
俺が知る限り、ケイトも変わり者ではあった。それに、歳不相応だと感じる部分も多々あったと記憶している。
そのあたりを踏まえるのなら――
にわかには信じがたい。けれど、否定する術は何ひとつ思いつかない。
それに……
そこに思い至った瞬間、たき火を間近に覗き込む時さながらに急激に頭が熱くなり、それと同時に冬の川に飛び込んだ時を思わせるように背筋が冷える。
「まさか……だとしたら俺は……」
奥歯がカタカタと震え、やかましいほどに鼓動が跳ね上がる。
それは、この40年間の意味を根底からひっくり返すようなこと。
「ダンナ?急にどうしたのさ?……というか顔色悪いんだけど!?すっごい汗かいてるし」
「あ、ああ……。ちと気になることがあって……なっ!?」
ミヅキの呼びかけに応えようとして、言葉を失った。
なぜなら、ミヅキを見下ろす形になっていたのだから。自分が立ち上がったことにすら気付けていなかったらしい。
少し頭を冷やすべきか。
深呼吸を30回ほど。鼓動が落ち着いたことを認識し、あらためて腰を下ろす。
「ミヅキよ。お前さんに聞きたいことがあるのだが」
「この流れだと……何かとんでもないことに気付いたとか、だよね?聞くのが怖い気もするんだけど……。それで、何を聞きたいのさ?」
鈍い女とは思っていなかったが、ミヅキが気付くほどには表にも現れていたということか。
「とある単語に関してだ」
それも、かつてアイツが口にしていた意味の分からぬ言葉。もしもミヅキが知っていたのなら、それもまたニホン語ということになるだろう。そうなれば、今浮かんできた仮説も事実と考えて問題が無くなる……問題が無くなってしまう、はずだ。
顔を出しそうになる声の震えを抑え込み、問いかける。その単語は――
「お前さん、“やんでれ”という言葉に聞き覚えはないか?」
「……やんでれ?」
少しの間をおいて、ミヅキが繰り返す。
やれやれ……。やはりそうなるのか……
その様だけで理解出来てしまった。
ミヅキの反応は『このひと何言ってるの?』といった風ではなく『なんでそれを知ってるのさ?』といったものだ。
「……はは」
口をつく笑いは、乾ききったもの。
「まさかなぁ……」
まったくもって間の抜けた話だ。
「よりにもよってそうなるとは……」
この40年。惚れた女が遺した言葉を、あまりにも根本的な部分で思い違いをしていたわけだ。
「やれやれだ……。本当に……やれやれだ……」
別れの際にアイツは言っていた。死んでも生まれ変わることは出来る。そのことを知っている、と。
なるほど、それは道理だろう。なにせ、実際に経験をして来たのだろうから。
別れの際にアイツは言っていた。新しい自分は俺のもとに帰る。その時まで全力で生き抜け、と。それは多分文字通りの意味だったのだろう。
なにを無茶なことを。などとは、思えもしない。意図的な生まれ変わり程度のこと、アイツならば平然とやってのけるだろうと。ごく自然にそうと思えた――思わされてしまったから。
やれやれ……
つまるところ俺は――勝手な解釈をやらかした挙句、アイツが望んだものとは真逆に近いであろう生き方を続けて勝手に苦しんできたというわけだ。自分が間抜けだとは認識しているつもりでいたが、それを差し引いたとて、あまりにもどこまでも間の抜けた話だ。
ま、いいけどよ……
そして、結局行き着くところはそこだった。思えば、出会ったその瞬間から別れの時に至るまで、俺はアイツに振り回されてきた。多分だが――アイツが逝ってからも、こうしている今ですらも、その影響は大きいわけで。
おまけに――
そのことを楽しいと感じてしまっているのだから困ったものだ。全くもって始末に負えない。
やれやれ……
嘆息を吐き出す。
ならば――
俺も、ミヅキやあの御仁に倣ってみようか。そう長くはない残りの時間。どこかに居るのかもしれないアイツの生まれ変わりを探すことに費やすのも一興というもの。少なくとも、アイツの生まれ変わりは絶対に存在しないと断言出来る根拠など、雲ほどに掴めないものなのだろうから。
それに――
こうも思う。今までの生き方――全力で生きあがいた上での死を求め続けるようなひねくれた生き方よりは、いくらかは気楽に生きられるだろう、と。
「あのさ……大丈夫?」
隣からかけられた不安げな声。妙なところを見せてしまったか。
「ああ。たいしたことじゃ――」
「たいしたことじゃない。なんてのは通らないからね」
半ば反射的に返そうとした言葉は、途中で遮られる。
「急にこの世の終わりが来たみたいな顔したと思ったら、ウンウン悩みだしてさ。最後は悟り開いたような雰囲気になってて……。傍で見てる分にはかなり心配だったんですけどねぇ?」
「……たしかにな」
それを言われると弱いところだ。
軽めとはいえ、非難混じりに指摘してくる内容はなんとも的確だった。俺自身、腹の内を顔に出さないことには慣れているつもりだったが……。まあ、それだけ俺にしてみたら大事だった。ということにしておくか。
「済まなかった。少しばかり思うところがあってな」
「それってさ……あたしとケイコちゃんとミキオ以外にも異世界人がいたってことじゃない?」
「……慧眼、恐れ入る」
「いや、この話の流れだったらね……」
「……それもそうか」
確かに、俺が“やんでれ”について問うたことからこうなったのは事実。“やんでれ”というのがニホン語だとすれば、ミヅキがそう考えるのも道理というもの。
「……ミヅキよ。先ほどお前さんは“えすきゅー冒険者”と言っていたが、古い知り合いがよく似たことを言っていたのでな。たしか……『鏡追いはいわゆるところの冒険者で、一番上が“えすきゅー”』とかなんとか」
「……うん。間違いなくその人あたしと同郷だわ」
ミヅキからもお墨付きがもらえた。やはりそういうことだったらしい。
「一応聞くけどさ……それって、ミキオとは別の人なんだよね?」
「ああ。昔、恋人だった女だ」
その言葉は自然と口から出ていた。
思えばアイツのことを誰かに話したことはあの日以来一度とて無く、そんな相手がいたことすら誰にも言ったことは無かったというのに。
まあ、これもまた心境の変化ということなのか。
「昔ってことは……フラれちゃったとか?」
「……そうであればまだマシだったのやもしれぬがな」
俺がアイツに愛想を尽かされたのであったならば、自身の気持ちにもケジメをつけることは出来た……と、思いたい。
未練をこじらせた挙句、アイツに付きまとうようなタチの悪い下衆に成り果てた線は全くない。そうと言い切れないのはなんとも情けない話だが。
「そっか……。なんとなく察したよ。それで、その人が言ってたんだね?“やんでれ”って」
「ああ」
たしかあの時は――
「どうにもな、その女は“やんでれ”というやつだったらしい」
「……うぇええっ!?」
「ほう……」
返って来たのは心底に嫌そうな反応。
「いや、そんな怖い顔しなくても……」
「そうは言うがな……。それで、どういう意味なのだろうかな、それは?」
少しばかり……いや、それなり程度には腹が立っていた。自身のことならばどれだけ貶されようとも気にはならぬが、アイツを悪く言われるのは腹に据えかねる。
「だってさ……“やんでれ”って、良いか悪いかで言えば悪い部類に入る言葉だよ、
多分。それが恋人って……嫌すぎるんだけど……」
「ふむ……」
ニホン語とやらは俺には何が何やら、ではあるのだが……。それでもアイツのことを否定的に取られるのは我慢がならぬな。
「ならば、アイツのことを聞いてはもらえまいか?」
「それはいいけどさ……。なんで?」
「俺が知る限り、最高の女だった。過去300年を探り、向こう500年先までを辿っても、アイツ以上の女は居ないと言い切れる程度にはな。そんな女が誤解されたままでいるというのは……どうにもこうにも、許せるものではない」
「ひょっとして……ダンナも軽く“やんでれ”入ってるんじゃ……。まあ、ダンナにそこまで言わせるくらいなんだし、興味無いことも無いけど。じゃあ、聞かせてよ」
「ああ。アイツ……ケイトは――」
外見の特徴として何よりも目を引くもの。それは――
「真っ白な髪が印象的な女でな……」
「真っ白っていうと?」
「ああ。そのままの意味だ。お前さんの銀髪も中々に見事ではあるが、それとも違う」
ミヅキの髪もアイツのそれに近くはあるが、やや灰色がかっている。ケイトの白髪はさながら――
「例えるならば、青空に浮かぶ雲か……あるいは空から舞い降りて来た雪か」
「純白ってことだよね?それにケイトって……まさかね?」
「思うところでもあるのか?」
「ううん。身内にもそんな人が居たらしくてね」
「そうか」
たしかに珍しくはあり、俺もアイツ以外には見たことはない。が、そういうこともあるのだろうな。
「話を戻すが、出会ったのは……かれこれ50年も前。あの御仁に花を手向けてから程なくしての頃だった」
あの頃の俺は良くも悪くも本当に若かった。腕には多少の覚えがあったとはいえ、それに溺れ気味で、痛い目を見たことも一度二度程度ではなかった。そんな俺が曲がりなりにも一人前を名乗れるまで生き延びることが出来たのは、間違いなくアイツのおかげだった。
「コーニスのコルネットという街へ向かう途中の街道でな、仕立てのいい馬車が野盗共に襲われてるのを見かけ――」
「ちょっと待って!?」
無駄に前置きを長くしたつもりも無いのだが、そう遮られた。
いや、こいつは……
痺れを切らした、と言った風ではない。何かに思い至った時のような……
「コルネットに馬車が野盗って……。それに白髪でケイト……まさか……。いや、いくらなんでも……。けど……」
なにやら引っかかっているらしいな。歳を考えれば、ミヅキがアイツと面識を持てたはずはないのだが。
「ねえ、ダンナ。ちょいと聞きたいんだけどさ、そのケイトって名前、もしかして愛称じゃない?」
「……ああ。その通りだが」
「ってことは……まさかホントに!?」
妙な流れになって来たぞ。
たしかに、ケイトというのはアイツの本名ではない。愛称をそのまま偽名として使っていたもの。
だが……
それを読み取れるようなことを言った覚えはない。それに、なにやらが気にかかっているらしいが……うん?
あれやこれやと悩むミヅキを見ていて、俺も思い出した。ミヅキの目鼻立ちは、出会った頃のアイツと同じ面影があるということを。
おいおいおいおい……
そう認識した途端、俺の中で組み上がった可能性。
「ねぇ、ダンナ。もしかしたらって思ったことがあるんだけど……」
「……奇遇だな。俺もだ」
多分だが、俺とミヅキが考えているのも似たようなことなのだろう。
「ケイトサンの本名ってさ……」
俺が呼んだことは一度とて無かったが、記憶の中には残っていた名。
「「ケイティア・コルネット」」
案の定と言うべきか、俺とミヅキが口にしたのは、まったく同じものだった。
「あはは……すっごい偶然。そんなこともあるんだね……」
「ああ。とはいえ、お前さんがあの御仁やアイツと縁を持っていたくらいだ。世の中というのは、存外狭いのやも知れぬな」
「それは言えてるかも……。それでさ、もうこの際だからぶっちゃけるけど、この世界でのあたしの本名。エイナスって言うの。エイナス・コルネット、ってね」
「やはりそうだったか」
コルネット。つまるところ、アイツと同じ家系の生まれらしい。アイツに兄弟姉妹がいたとは聞いたことも無かったが、歳を考えるなら……
「アイツの姪あたりか?」
「うん。この世界で一応は血縁上の父親だった男が、ケイティア伯母さんの弟。そいつが生まれたのは、ケイティア伯母さんが家出した後のことだったそうだけど」
ふむ……
一応は血縁上の父親だった男、と来たか。その言い様からして、コルネットの家もアイツが飛び出した頃から何も変わっていなかったらしい。
まあ、あえて追及はするまい。ミヅキにとって気分のいい話ではないのだろう。
それはそれと……
「ケイティア伯母さんというのは?」
間違ってはいない。いないのだが、俺としては違和感の方が大きい呼び方だ。
「父親の姉にあたる人なんだし、当然じゃない?それにさ……この世界であたしが身内と思ってるのは、母さんとケイティア伯母さんのふたりだけだったから」
「……そうかい」
女は嫁に出して有力者との接点を作るための道具。聞いた限りでは、あの家はそんな胸糞悪い家訓めいたものがあったらしい。ならば、ミヅキの言い分にも否定的な印象は出て来ない。アイツが家を飛び出した理由のひとつもそんなものだったとも聞いていた。
そんな経緯もあってか、やさぐれていた頃はあの家に殴り込みをかけようかなどと考えたこともあった。領主としてはマトモだったこと、フィテクト大橋に迫る部隊に喧嘩を売る方が目的を果たすには有効と思えたこともあり、結局は断念したわけだが。それもまた懐かしい話だ。
「ちなみにさ、母さんはあたしを産んだ翌日に逝ったそうだから、親不孝はしてないと思うよ」
「それは結構なことだ」
「それでも、感謝はしてるけどね。エイナス・コルネット、エイコって愛称名乗れる名前をくれたんだしさ」
「そうか……。それで、お前さんはケイト……ケイティアのことを知ったわけだ」
「うん。一応の父親曰く『一族の面汚しめ』ってことだったけど、むしろあたしは親近感抱いたね。それで決めたわけよ。あたしも鏡追いになってこの家出てってやる!って。伯母さんがひと目惚れした鏡追いって、ダンナのことだったんだよね?」
「……つくづく因縁があるらしいな」
ケイトが家を出るきっかけになったのが俺で、ミヅキが家を出るきっかけがケイト。そして今、ミヅキが俺の前にいるわけだ。
「それにしても……ケイティア伯母さんがあたしの同郷でダンナの恋人だったとはねぇ……」
「まったくだ」
ふたり揃ってしみじみと思う。
これも、アイツが俺にくれたものなのだろうかな……
せっかくの縁。せいぜい大事にするとしようか。
うん?
そんなことを考えていると、不意に視界が暗くなる。月を見やれば、風に流された薄雲が覆っていた。
これはこれで趣があるのだが……
「頃合いか……。風も冷えてきた。そろそろ戻るか」
口実としてもちょうどよかった。差し当たりに話すべきことは話し終えた。それに、感覚的にはもうじき日が変わろうかというところ。明日は久方ぶりの山登りが待っていることも踏まえれば、あまり遅くなるのも上手くない。
それになによりも――
立て続けにあれやこれやと事実が判明してくれやがったからな。整理する時間もほしいところだ。
「うん。そうだね」
ミヅキも応じてくれた。俺も大概だが、とりあえずはミヅキも多少は落ち着いたと見ていいだろう。
「うん?」
「アレ?」
そうして木をつたって地面に下り、揃って首を傾げる。
「あたし、出る時に灯りは消したはずなんだけど……」
「ああ。消えているのは俺も確認したが……」
ミヅキが使っている客室の窓は開け放たれたままで、そこからは灯りが漏れていたからだ。
「あ、もしかして……」
「……だろうな」
顔を見合わせ、出した結論も同じだったらしい。
中を覗いてみれば案の定というべきか、ベッドに突っ伏し、寝息を立てるケイコお嬢ちゃんの姿。
「お前さんのことを随分心配していたぞ」
「だよねぇ……。悪いことしちゃったな……」
「明日は朝イチで謝っておくことだな」
「そうだね……。というかあたしも眠いし」
「それは俺もだ。なら、さっさと寝るとしようか」
「だね。おやすみ、ダンナ」
「ああ、おやすみ」
やれやれ……今日もいろいろとある一日だった。
ようやくありつけたベッドに身を沈め、天井に向かって息を吐き出す。
ただでさえ疲れが溜まっていたのは事実だろうが、今日は一段とくたびれた気がする。山登りをしたわけでなければ、激しく動くことも無かったというのに。
判明したことは山とあり、考えなければならぬことも山とあるのだろうが……
さすがに眠気の方がきつくなってきた。
明日に回すとするかな……
だから意識を保つ努力を放棄する。
そうすれば、すぐに俺の意識は闇に溶け消えていった。




