まったくもって嫌らしいことこの上ない傷だと俺は思う
「あらら……ホントに出来ちゃったよ……」
引きつり気味の声と共にエイコが目を向けるのは、自身の指先に浮かぶ小さな火の玉。口ぶりや表情からして、エイコにしても驚くようなことではあったのだろうが……
「……エイコよ。少しばかり、手を近づけてみてもいいか?」
それは俺とて同じこと。初めて見るわけでは無し。蛇共が同じようなことをやるところを目にする機会があったとはいえ「幻ではなかろうか?」なんて疑念が無いということもなかったわけで。もっとも、幻だったのならばそれはそれで驚くようなことではあるのだろうが。
「あ、うん」
ともあれ、音もなく揺らめく火の玉に手を近づけてみれば、確かに手のひらに伝わってくる熱さがあった。
「イスバ……フェペット」
同じように手を近づけたお嬢ちゃんも、
「……ミージ」
なにやらを呟く。察するに、“ミージ”は“熱い”といったところなのかもしれぬが、それも今はさて置くことにする。
「…………本物らしいな」
念のため、ということで白髪の1本を引き抜き、先端を火の玉に突っ込んでみれば、チリチリという音に加えて特有の臭さが鼻をつく。
つまるところ、エイコが“魔法”で火の玉を出した、というのは間違いようもない、ということだろう。
「とりあえず、消すね。……消えろ、火の玉」
出したままでは邪魔になるだろうし、ベッドにでも引火した日には目も当てられぬ。だからエイコがそう声に出せば、火の玉はそれこそ幻だったように消えて無くなった。
「今お前さんが――」
「エイコ、ミスティフィト!」
――使ったのは、“魔法”だったと見て間違いも無さそうだが。そう続けるよりもお嬢ちゃんが興奮気味の声を上げる方が速かった。
「イクス ティル モズン オフ ストウ ペティグア ラグレスフェク パッス……」
「クゥレ、リド シュラー クスィー ゴウ……」
例によってニホン語とやらで言っていることは今の俺には理解不能だったが、口調や表情というやつは時に言葉よりも雄弁。軽く口をとがらせて詰め寄る様からは、気に食わないことがあるのだと見て取れる。
さりとて、本気でエイコに不快感を抱いているといった風でもなし。
察するに、自分には使うことができなかった“魔法”をエイコがあっさりと使って見せたことに対するやっかみ、といったところだろうか。
これはまた……
それは、俺が初めて目にするものだった。
こういう顔もするのだな、ケイコお嬢ちゃんは。
美味い食い物や奇麗な光景への感動といった――いわゆるところの正の感情での年相応は何度か目にしたが、今のような――負の感情に起因した年相応は見たことが無かった。
いや……負の感情というのも言い過ぎか。せいぜいが、わがままといったところ。それも、可愛げがある部類の。
異世界人とはいえ、この世界の人間と変わらぬ部分も多々あるということなのだろうかな。
そんな様は、どこにでもいるような子供――キードの坊主あたりと同じか。
「イクス オフフェク クーム、ケイコ ランデタゲ レード フォグフェク “オートゥン” ウーナ ナーティ トアス ストウ……」
「……ピュリク、ザフ イクス ラグレスフェクフィト」
それはそれとして……
なにかあればエイコが説明してくるだろうということで、俺は俺で“魔法”というやつについてあらためて考えてみる。
今のところはっきりしているのは、使うことが出来るのは異世界から来た蛇共とエイコだけということ。
もう少し踏み込んだ分け方をするのなら――異世界転移とやらをして来た蛇には使用可能で、同じく異世界転移をして来たケイコお嬢ちゃんには使用不可能。
異世界転生とやらをしたエイコには使用可能。
この世界で生まれ育った俺には使用不可で、この世界の蛇共にも使うことは出来ず。
わからぬな……
法則が在るのか無いのか。断定するには材料が少なすぎる。
「……ねぇ、ダンナはどう思うのさ?」
そんなことを考えていると、エイコが問いかけてくる。
無論、急にそれだけを言われてマトモな返答など出来るわけもなく、
「……お前さんは脈絡というやつを考えたほうがいいのではないか?」
俺が返したのもそんな言葉。
「そりゃそうだ。……今さ、ケイコちゃんと話してたのよ。誰が“魔法”を使えて、誰が使えないのか」
「ふむ」
それは俺も考えていたことではある。
「転生者と転移蛇には使える。転移者と現地人、現地蛇には使えない。ってことだよね?」
「そうだな」
それも俺が考えていたこと。
「でね、法則が在るのか無いのかよくわからないなぁ。って結論になったわけよ。そのあたり、ダンナはどう思うかな?って話なんだけど」
「奇遇だな。俺も全く同じことを考えていたところだ。現時点での俺の結論も、よくわからぬ、といったところだ」
「そっか……。ダンナでもわからないか」
多少の期待があった反動というやつなのか、軽いとはいえ落胆の色があった。
俺なぞにそこまでの期待をされても困るわけだが。
ま、いいけどよ……
それはそれで流すことにする。勝手に過度の期待をする方が悪い。
そもそもが――俺自身、少しばかり長くやっているだけの鏡追いでしかないのだから。
「それはそうと……」
せっかくだ。聞けることは聞いておくことにしようか。
「お前さん、どうやって“魔法”を使った?」
「だからそれは今話した……って、ニホン語だったからダンナには伝わってなかったのか」
「ふむ……」
つまり、今しがたお嬢ちゃんと話していた中にはそんなことも含まれていたわけだ。
「手間をかけて済まぬが、もう一度話してはもらえまいか?アネイカ言語で」
「そうだね。……とはいっても、さっきダンナに話したことそのまんまなんだけどね」
「というと……“魔力”とやらを呼び寄せて自分のものにして心象と混ぜ合わせる、だったか?」
「うん。まさにそのまま」
「……なるほどな」
俺にはさっぱりわからぬ。ということは理解出来た。
誰それには息をするように容易くとも、他の者にとっては見当もつかない。これもまた、たまに聞く話だ。
「ちなみになんだが……お前さんには“魔力”とやらは見えているのか?」
「そうだねぇ……。目には見えないけど、存在はわかるよ。感じ取れる、とでもいえばいいのかな」
「感じ取れる、か。気配のようなものか?」
俺にとって、気配というやつはそんな存在。
「……あたしは気配探りなんて出来ないからそこらへんはわからないけど」
「ああ、そうだったか。なら、“魔力”とやらを感じ取るのは、お前さんにとっては容易いのか?それとも、難しいのか?」
「簡単。というか超簡単。というか、意識しなくても勝手にわかるというか……。さっき蛇たちに怪我を治してもらったでしょ?」
「ああ」
俺がやらかしてエイコの肋骨を折ってしまった時のことだ。
「あの時は滅茶苦茶痛かったし、泣きそうだったんだけどさ、それでも蛇たちが不思議な力みたいなものを集めてるのはわかったの」
「ほう」
思い返す。確かにあの時、エイコはなにかに反応していたようだったが。
「それで、ついさっき、『“魔力”来い』って念じてたら、同じものが集まってくるのがわかったからさ」
だとすれば……“魔力”を感じ取れるか否かが境目になるのか?
「エイコよ。お嬢ちゃんに聞いてもらえるか?ケイコお嬢ちゃん、異世界から来た蛇共、この世界の蛇共。その三者が“魔力”を感じ取れるかどうかを。ちなみにだが、俺は“魔力”を感じ取ることはできない」
「……あ!?そういうことか。ちょっと待っててね。クゥレ、ケイコ――」
「……大当たりだったよ。“魔力”を感じ取れるかどうかと、“魔法”を使えるかどうか。このふたつは完全に一致してる」
「なら、こうも考えられないか?“魔力”を感じ取れれば、俺やお嬢ちゃんにも“魔法”を使うことができる、と」
無論、暴論気味であることも自覚はしているが。
「“魔力”を集めて“魔法”は使わない。そんなことは出来そうか?」
「もちろん。じゃあさ、試してみよっか」
「……始めるよ」
「頼む」
「ラペット」
そう言ってエイコが右の人差し指を立てる。指先に視線を向けるのは、俺とケイコお嬢ちゃん、それとお嬢ちゃんが出した羽蛇が3匹。そこに“魔力”を集めるということはお嬢ちゃんが蛇共に説明済みとのこと。
「……わかる?今あたしの指先で“魔力”が渦を巻いてるんだけど」
エイコの指先に視線のみならず意識、感覚を集中。さらに、力の流れを見る時に感じるものとも照らし合わせ――
「……わからぬな」
「……ミスティ」
それでも、結果はこの様。がっくりと肩を落としているあたり、お嬢ちゃんの方も似たようなものだったらしい。そして、羽蛇共の方も同じだったのだろう。もし成功していたなら、お嬢ちゃんは嬉しそうな様のひとつも見せていたことだろうから。
「ま、そうそう上手くは行かないということなのだろうかな」
伊達で未だに生き永らえているわけでもない。世の中というやつのままならなさなぞ、飽きるほどに思い知らされてきた身の上。そういうものだと割り切るのも、さして難しいことではなかった。
「ダンナでも無理なんだね……。“魔法”を使えるかどうかは、ほとんどが生まれついての才能で決まる、なんてのも“てんぷれ”のひとつではあるけど……」
「……さっきも言っていたが、“てんぷれ”というのは?」
「えっとね……」
頬をかきつつ考えることしばらく。
「……………………物語の世界ではよくあること、くらいの意味かな」
「なるほど。異世界にはそんな物語も多々あったわけか」
天性の資質というやつを俺は否定しない。俺自身、そういったものや強運に恵まれてきたのだとは自覚もしているから。
まあ、そのせいでなかなか死神に捕らえてもらえないことに辟易しているのも事実だが。
「うん。“魔法”の才能があれば、それだけで恵まれた人生が確定される、なんて世界でさ、“魔法”を使えないからって見下されてた人が別の手段で成り上がるの。あたしはそういうの、大好きでさ」
「たしかに、それはそれでそそられるものがある」
そもそもが、生まれついてで全てが決められる、などというのは御免こうむりたいところ。仮にだが、エイコのように転生するのならば、そんな世界に生まれ変わりたいとは全く思えない。
まあ、その世界でアイツと再会できるというのであれば我慢もするのだろうが。
「……クゥレ、エイコ」
「クゥレフィト、ケイコ」
そんな益体も無いことを考えていると、ケイコお嬢ちゃんがエイコの袖を摘まんでいた。
「エイコ イーレ “オートゥン” ナーティ グレスフィト。サデル ラーグ ビィト、シェイ ルティリ マクスタ ビィト」
「……リンク グレス リレント ストウ……クゥレ、ソゥフ!ってわけでさ、ダンナ」
「……だからどういうわけだ?」
繰り返しにもなるが、俺はニホン語などほとんど理解出来ぬのだが。
「火の玉以外の“魔法”も使えるか試してみるけど、いいよね?」
「……そういうことか。構わぬぞ」
恐らくだが、ケイコお嬢ちゃんとそんなことを話していたのだろう。
そしてエイコのことだ。宿を壊すとか、俺やケイコお嬢ちゃんに危害を加えるような使い方をするとも思えぬ。
「じゃあ……」
そう言って室内を見回し、花瓶のところで視線を止める。そこを的にするらしい。
「吹け吹け……風!」
指先を向け、そう声に出す。すると、花瓶に飾られていた花がゆらゆらと揺れ始める。まるで、風が吹いているように。
ちなみにだが、窓は閉められており、ドアも閉じている。つまるところ、外から風が吹き込んでくるなどということは起こりえない状況。
「……なるほど」
「……サデル ジリン オウナット」
それでも、俺もケイコお嬢ちゃんも今更驚きはしない。エイコと花瓶の間に手をかざしてみれば、たしかにそこには風が吹いていた。
「止まれ、風!」
そしてエイコがそう言えば、風はピタリと止む。
「エイコ。お前さんにとって、“魔法”を使うのは簡単なことなのか?」
「そうだね。さっきも言ったけど、心象を変えるだけで火の玉も風も自由自在だし、これくらいなら全然疲れも無いね」
「そうかい」
「クゥレ、リーテジ シェイ ルティリ マクスタ ソゥフ……クゥレ」
「エイコフィト」
お嬢ちゃんに何やらを言っていたエイコが言葉に詰まる。雰囲気からして――言葉に出している最中に問題があると気付いた様子だが。
「ケイコ シェイ オウナットフィト」
「……ガクライ ルーン ストウ」
「クゥレ……」
そして俺の方に顔と声を向けてくる。
「ダンナはどこか怪我してない?」
「だから唐突に問うてくるのはやめろとさっきから……。ああ、そういうことか。お前さん、傷を治す“魔法”を試そうというのだな?」
そのために必要なのは、傷を負っている誰か。ならば、俺としても都合がいい。
「まあ、ダンナがそうそう怪我なんてするわけが――」
「ならば頼むとしようか」
「へ?」
「だからお前さんの“魔法”で治してほしい傷があるんだ。負ってからまだ数時間といったところの真新しい傷がな」
「数時間……まさか、ヤーゲにやられたの!?」
ヤーゲ……。そういえばそんな奴もいたっけか……
エイコの印象が強すぎてすっかり薄れていたが、アレとやり合ったのは数時間前だったか。
「さすがにアレ相手に不覚を取るほど衰えてはいないさ」
とはいっても、油断は阿呆のやることだろうが。
「傷を負ったのは……ここだよ」
そう言って指先でつつくのは、右の頬。
「……特に傷らしきものは見当たらないんだけど。あ、でもさ……ダンナってそこに十字の傷とかあったら似合いそうじゃない?」
「……それも異世界の“てんぷれ”とやらか?」
まじまじと俺の頬を見ていたエイコがそんなわけのわからぬことを言ってくる。
「まあ、そんな感じかな。それはそうと、あたしには傷が見えないんだけど、ホントに怪我してるの?」
「ああ。実際、こうしている今だってヒリヒリしているぞ」
「そう言われても……」
「まあ、外側から見えないのも道理だろう。なにせ、傷の原因となったのは、昼飯を食っている最中にガリッ、とやってしまったことなのだからな」
「……うわぁ」
それだけで理解してくれたらしい。嫌そうにしかめられた顔がその証左。俺が負った傷がどれほど嫌なものなのか、エイコも経験があるのだろう。
鏡追いというのは傷が絶えない稼業だが、真っ当に穏やかに暮らしている連中が傷を負う機会というのも、無いわけではない。
例えば、転んでひざを擦りむいたり。
例えば、ニンジンの皮をむいていて手が滑り、指先を切ったり。
例えば、トンテンカンと釘を打っていて手元が狂い、指先を叩いたり。
挙げればいくらでも出てくることだろう。
そんな、誰しもが負いかねない傷。その中で――俺の勝手な考えではあるが――もっとも嫌らしい傷というのもある。それが、飯を食っている最中にうっかり頬の内側を噛んでしまう、というやつだ。
コイツは本当に嫌らしい。
場所が場所だけに包帯を巻くなど出来るわけもなく、
塞がるまでの間は常に口の中に傷口の香りとでも呼ぶべきものを振り撒き続け、
気になって舌先で突いてみれば、そのたびに傷口の味とでも呼ぶべき不快感を伝えて来やがり、
腫れているからなのだろうが、油断していると二度三度と同じ場所を噛んでしまうので、飯を食う時もいちいち気を使わなければならなくなる。
そして、それらが合わさった結果、治るまでの間は飯の味が一段や二段は下がってしまう。
そんな、まったくもって嫌らしいことこの上ない傷だと俺は思う。
「わかるわぁ……。それ、ホントに嫌だよね……」
だから、エイコが本気を感じさせる同意を見せたのも当然のことだろう。
「ケイコ。スーメク、ティーク シェイ オゥナット カースィ ワスン、ルティリ マクスタ オゥグ リレント ワスン……」
「ティークフィト。イーズル シェイ オフフェクフィト」
「ジャコス カッド。クヴェル グラウ カースィ」
「……シューキ」
なにやらを話すケイコお嬢ちゃんとエイコ。恐らくは、俺の傷に関して説明しているのだろう。
そして、お嬢ちゃんが見せたのは先ほどのエイコと同じようにしかめられた顔。そこから読み取れるのは――
お嬢ちゃんも経験がある、ということらしいな。この傷の嫌らしさは異世界でも共通ということなのだろうかな。
「さて、ダンナの辛さはよくわかるから、さっさと治しちゃうね」
「ああ、頼む」
俺の頬に右手を近づけ、
「……治れ、傷!」
そう声に出すと、エイコの手が光りだす。この光は見覚えがあった。体が千切れかけた蛇共を治した時や、俺がやらかしてしまったエイコの肋骨を治した時と同じものだ。
これは……なかなかに心地がいいものだな。
頬に伝わってくるのは、暖かさ、だろうか?
火、湯、日差し、体温。どの熱とも違うような気はするが、それでも暖かいと理解出来るような、そんな不思議な熱。
まあそもそもが、“魔法”などというものは俺の知る常識には無かったわけだが。
だが、待てよ?物語の中でも言われてはいなかったか。治療の“魔法”というやつは心地がいいとかなんとか。偶然なのか違うのか。ともあれ、奇妙な一致というやつなのだろうかな。
「はい、おしまい」
うん?
心地のよさを堪能しつつ、そんなことを考えていると、エイコの声とともに熱が消える。
「これで治ったと思うんだけど……どう?」
「あ、ああ」
舌先で内頬を撫でてみれば、嫌な味も匂いも感じられず、傷口特有の舌触りも皆無。頬を膨らませてみたりするも、一切の違和感は無し。
つまるところは――
「奇麗さっぱり治っているな」
そういうことだった。




