俺の古傷を疼かせやがる頼み事だった
「慌ただしく出ていったようだけど、そっちの用事は片付いたのかい?」
毒持ちネズミモドキが発生しているかもしれないと村長に伝え、村の連中への周知を頼み、宿に戻ると厨房から顔を出した女将が俺に気付き、そう声をかけて来る。
「いろいろあってな……」
「そうかい。あんたもここのところ忙しかったようだけど、ようやく休めそうになって来たところのことだったからねぇ」
「全くだ。同情してくれるなら、宿代の値引きでもしてくれるか?」
「それはできない相談さね。ま、今夜も美味い食事を出すからさ」
「そうかい。なら、楽しみにさせてもらうとするか」
この女将との気安いやり取りは相変わらず楽でいい。
若い頃は器量良しだったという自称が事実だと仮定して、俺も若かった頃にアイツよりも先に出会っていたのなら、万にひとつくらいは惚れていたのかもしれぬな。
「それはそうと……山の方でまた面倒な事情が増えたらしくてな。村長からも話は来るだろうが、念のため今のうちに伝えておくぞ」
もちろん、そんな“もしも”をわざわざ話す義理はあるはずもなし。それよりは、身近にあるかもしれない危険を伝えてやる方がお互いに有益だろう。
「……野盗が片付いて安心できると思ったら今度はそんなことになってたのかい」
「ああ。そんなわけでな、外にいる時に鐘が聞こえたらすぐに近くの建物に避難。建物の中に居る時も警戒だけはしておいてくれ。まあ、今警備についているのは信用できる連中ではあるが、用心して損はあるまいて」
「あいよ。その時は、ケイコちゃんのことも任せときなよ」
「ああ。その時はな」
もっとも、そんな時など永遠に来てほしくないが。
「今戻ったぞ」
向かった先は俺の客室ではなくエイコが使っているという客室。部屋の前でそう呼びかけてドアを開ける。場所を変えたのだろう。中に気配がふたつあることはすでに確認済みだ。
「お帰り、ダンナ。クゥレ、ケイコティル」
先に声をかけて来たのはエイコの方。そのまま、お嬢ちゃんに何やら声をかける。雰囲気からして、何かを促すようだが……
「ハい。ティーク、オかえり」
「ああ。ただいま」
発音にはなにやら違和感もあるが、ケイコお嬢ちゃんがアイツと同じ声でかけて来たのは、まごうことなしのアネイカ言語。
隣にいるエイコを見れば、得意げに胸を張っていた。
どうよ?ちゃんと教えてあげたんだからね。
と、口に出さずとも表情が明確に伝えて来る。
微妙に鬱陶しいとは思えなくもないが、それは飲み込んでおくとしよう。
「で、それはそうと……そっちは何があったのさ?」
「ああ。俺と過去に因縁のある鏡追いが突っかかって来た挙句に山に入っていったのだがな、そいつが下りて来たんだ」
「ダンナと因縁ねぇ……ああっ!?」
「ひゃうんっ!?」
「いきなりどうした?」
急に大声で立ち上げるエイコ。隣に座っていたお嬢ちゃんは驚いてベッドに横倒れだ。
コイツの仕草や表情からして……
「あのさ……ダンナ。念のため……念のため聞いていい?」
「構わぬが……お前さん、何をやらかした?」
そう読み取れた。
「いや……やらかしたと決まったわけじゃないと思う……んだけど……」
目を泳がせ、明らかに歯切れの悪くなった答えを返してくる。
後ろめたいことがあるとは、まるわかりなのだが。
「一応言っておくけど……怒らないでね?」
上目遣いでそんなことを言ってくる。つまるところは――
「怒られるようなことをしたわけか?」
「いや、もしかしたらあたしの勘違いかもしれないし……」
やれやれ……
失敗をしたのなら反省は意義あることだが、俺は他人を怒るというのはあまり好きではない。
ま、いいけどよ……
「怒らないと約束しよう。正直に言ってみるといい」
だから、横着をさせてもらうことにする。
「ホントに?」
「本当に、だ」
「さっすがダンナ。器が大きい。やっぱり高名な鏡追いは格が違うね」
調子のいい奴め……。それはそうと、
「そうやって持ち上げられるのは好きではないと言ったはずだがな?それとも、実は怒られるのがお望みか?それならば善処するぞ」
「とんでもない!」
「だったらさっさと話すといい。それこそ、俺の気が変わらぬ内に。付け加えておくとな、無意味に長い前置きも好きではないのでな」
「あはは……しかと心得ました。それで、今ダンナが言ってた鏡追いってさ、もしかしてヤーゲ・ハオカーのこと?」
「……なんでお前さんがハオカーを知っている?」
ハオカーの名を口にしたことはあったが、その場にエイコ――この女はいなかったはず。
まさかとは思うが……あの阿呆の関係者なのではなかろうな?だとしたら……
「あの……ダンナ……。顔が怖いんですけど……」
「もとより人相は良い方ではないらしいがな。お前さんが敵なのではと疑っているだけのこと。お前さんが気にするようなことではあるまいさ」
「いや……ダンナを敵に回すとか、そんなヤバそうなことしないってば!あ、そうだ!……たしかここに……あったあった。ダンナ、これ」
「うん?」
そう言って背負い袋から引っ張り出すのは、蝋封された手紙らしきもの。
「それ読んでもらえばわかってもらえるからさ。もうおとなしく怒られるから!逃げも隠れもしないから!煮るなり焼くなり蒸すなり燻すなり乾すなり好きにしたらいいからさ!その時は……くっ、殺せとでも言えばいいんでしょ!」
何故かエイコの方が怒り気味に、捨て鉢気味にわけのわからぬことを言ってくる。
「……人間を調理する趣味は無いのだがな」
とりあえずは目を通すことにする。当然ながら、その間も警戒を怠ってやるつもりはないが。
懐に入れてあるナイフで封を解き、中身を広げる。そこに書かれていたのは――
「……そういうことか。悪かったな。疑って」
俺がエイコを疑ったのは、濡れ衣以外の何物でもなかった。だから素直に頭を下げる。
「あ、うん。わかってもらえればいいよ。それにさ、すぐにダンナに伝えなかったあたしも悪いんだし……」
「それもそうだがな」
忘れていた理由は容易に想像出来る。ケイコお嬢ちゃん――同郷の人間と出会ったことでそのあたりが吹き飛んだといったところだろう。
同郷の人間が言葉も通じずに不便をしていたのなら、世話のひとつも焼きたくなるのは無理からぬ話。
「だから、あたしこそごめんなさい。大事なこと、後回しにしちゃって」
そう頭を下げて来る。言い逃れしようとする前にそうしろ、とは思わないでもないが、それを口に出すのは悪手だろう。
反発ほど反省を妨げるものは無いと俺は思っている。反省をさせたいのなら、責めないことで罪悪感を煽る方がよほど効果的だろう。
これもまた、アイツの受け売りではあるが。振り返ってみれば、ガキの頃――故郷を飛び出す前の俺がまさしくそうだった。
「お前さんが迅速な報告を怠ったこと、俺は許す。代わりと言ってはなんだが、俺がお前さんに濡れ衣を着せたことも、許してはもらえまいか?」
だから俺がかけるのはそんな言葉。
「ダンナ……。うん、ありがとね」
察してくれたらしく、朗らかに笑う。
なんだかんだはあるだろうが、器量良しの娘は笑っている方がいいというのが俺の勝手な考え。エイコにしても、ケイコお嬢ちゃんにしても。
「それで、ヤーゲは結局どうなったのさ?あたしの出番ってありそう?」
「無さそうだな」
件の手紙は、ターロの繋ぎ屋から送られてきたもの。そこに何が書かれていたのか。俺の居ぬ間にターロで何があったのかと言えば――
ハルク達に俺からの依頼を伝えた日の夜、繋ぎ屋は飲み過ぎてしまったらしい。なんでも、嫁に出した娘が初孫を連れて訪ねて来て、羽目を外してしまったのだとか。
そのおかげで酷い二日酔い、翌日に起きられたのは昼近く。
そんなわけで午前中は繋ぎ屋が不在になっていた。
繋ぎ屋の不在時、仕事のやり取りは火急の場合を除いて禁止されており、そのことは助手にも周知してあった。
そこに朝イチでやって来たのがヤーゲ。俺からの依頼があると嗅ぎつけて来たのだろう。
当然ながら助手は「昼過ぎまで待ってほしい」と言っていたのだが、そこを買収されて、正式に依頼を受けたものとしてハルク達のところに連れて来たらしい。規則のことは知っていたが、博打で借金がかさんでおり、つい魔が差したのだとか。
昼近くにやって来た繋ぎ屋はその事実を知り、大慌て。もしやと思い記録をひっくり返したところ、俺とハオカーの件にたどり着き、すぐに捕まえることができた流れの鏡追い――エイコを寄越した。
エイコが受けた依頼は、それらの事実を俺に伝え、可能ならば協力を仰いでヤーゲを捕縛あるいは始末すること。
まとめればこんなところだった。
俺が想定した最悪は繋ぎ屋本人が腐っているという事態だったが、それに比べたらいくらかはマシと言っていいだろう。幸いにも、被害と言えばハルク達が余計な苛立ちを背負わされたくらいのもの。
繋ぎ屋の居ぬ間にヤーゲがやって来るというあたりは、間が良すぎるのではなかろうかとは思わないでもない。組織がどうこうとも言っていたが……
そのあたりも、気には留めておくべきか。
「さっきもチラッと言ったが、ヤーゲの阿呆が突っかかって来たのでな、丸腰にして山の方に追い払ってやったんだ」
「……サラッとおっかないこと言うね。でも、それが下りて来たんでしょ?その阿呆は今どうなってるの?」
敵と認識した輩相手には、俺は大体こんなものなのだがな。ちなみに、エイコとは物騒な会話もしているわけだが、ケイコお嬢ちゃんは興味ありげに聞いているだけだ。アネイカ言語をほとんど理解出来ていない現状では、隠し立ても必要ないだろう。
「この村の診療所だ。毒をもらって生死の境に、とも言うが」
「なるほど……。無力化は出来ちゃってるんだね。それなら、あたしの出る幕は無いわけだ」
「だろうな。時にエイコよ。お前さんに頼みたいことがあるのだが」
「受けるかどうかは聞いてからでいいのならね」
「それは当然だろうな」
エイコが引き受けたという当面の仕事はヤーゲの始末または捕縛だが、それは片が付いたも同然と言えるだろう。であれば、別にやってほしいことがあった。
「ケイコお嬢ちゃんに言葉を教えてはもらえまいか?可能なら、暮らしていくのに不便しない程度には」
それは、俺がやろうと考えていたこと。だが、ニホン語とやらを使えない俺と使えるエイコとでは、効率に天地ほどの差が出るはずだ。
無論、俺が地でエイコが天なのは言うまでも無かろう。
「……それは、鏡追いの依頼って解釈でいいのかな?」
「ああ。繋ぎ屋へは事後報告になるが、この程度なら文句も出ないだろう」
限度はあるが、少しばかりであれば鏡追い個々の裁量で決めることは認められている。人里全てに繋ぎ屋がいるわけではないのだから。
「報酬は弾んでくれる?」
「お前さんの言い値で構わぬぞ」
「吹っ掛けるかもよ?」
「その時は遠慮なく値切るから安心するといい」
「全然安心できないんですけどソレ……。っていうかさ、手加減無しで値切りに来るダンナって本気で怖いんですけど」
「……随分な言われ様だな。お望みとあらばケツの毛まで毟ってやるが?」
「さて!始めよっか。お手柔らかにね?」
「善処はしよう」
強引に値段交渉に持って行きやがったな。脅しが過ぎたか……
とはいえ、多少法外な額程度であれば出しても構わないとは思ってはいる。アネイカ言語とニホン語の両方を使えるというのは、それだけ希少性の高い技能だ。
「じゃあこっちの言い値は……」
そう言って軽く言葉を切ったエイコが見せたのは笑み。
ただしそれはニヤリ、なんて表現が似合いそうな――例を挙げるなら、悪戯を思い付いた悪ガキが見せるような笑い。
「ダンナに貸しひとつ、でどうよ?」
求めて来たのは――法外ではなくとも、想外ではある対価だった。
「……妙なものを欲しがる奴だな。なんだってそんなものを?」
「さっきも言ったけどさ、他の鏡追いからもダンナのことは度々聞いてきたわけよ。でね、みんなが口を揃えて言うの。“あの人には借りがある。死なれる前に返したい”って」
「……微妙に失礼な気がしなくも無いのは俺の気のせいなのか?」
「さぁ?」
俺の年齢を考えれば、先が長くないのは確定しているわけだが。
「ま、ダンナの老い先はともかく……」
「お前さんもそう考えているわけだ」
「それはともかく!」
一応で指摘を入れてみるが、強引に流される。
「同業者一同が借りを作ってる相手にあたしだけは貸しがあるって、中々気分良さそうじゃない?」
「……知るか」
訳が分からぬし、分かりたいとも思わぬ。それ以上に、心底どうでもいい。
「ま、お前さんがそうと望むなら、それでいいさ」
ロハで済むのなら、それはそれで結構なこと。
真っ当な返し方を望んでくるのなら素直に応じればいい。ふざけた返済要求をしてくるのなら、遠慮無く踏み潰してやるまで。
「じゃ、商談成立ってことで。それとは全く関係ないんだけど、ちょいとダンナに頼みたいことがあるのよ」
「何だ?言うだけは言ってみるといい」
「じゃあお言葉に甘えて」
そこで言葉を切り、ひと呼吸。
「あたしのこと、弟子にしてくれない?」
告げて来たのは、俺の古傷を疼かせやがる頼み事だった。




