嫌な予感なぞ外れてくれた方がありがたいに決まっている
食堂に足を運べば、そこにいたのはアルバ。事と次第によってはのんびりしていられないということもあり得るだろう。
「何があった?」
だから、前置きは無しで問いかける。
「休んでるところすみません……」
「そのあたりは気にしなくていい。それよりも、何があったんだ?」
「ヤーゲが下りて来たんです」
「なるほど……」
面倒なことになりかねない、とは把握出来た。
「ダンナ、待ってたぜ」
すれ違う村の連中が不安そうな顔をしている中を駆け、山道側の出口に着けば、そこにはこの時間を担当しているダイト以外にもハルク、コ-ナス、ネブラも集まっていた。そして、同じくこの時間を担当しているはずのミッシュの姿も、話に出て来たヤーゲの姿もなかった。
「……悪い、遅くなった。それで、何があった?」
問いを投げる相手はダイト。何があったのか、ここにいる面子の中で、その時に居合わせていた可能性が高いだろうから。
「あ、はい。ついさっきなんですけど、ヤーゲが逃げるようにこっちに走って来て……俺とミッシュさんの目の前で倒れたんです」
あのあたりです、と指差すのは、歩いて10歩ほどの位置。目を凝らせば、土にもそんな痕跡がある。
「逃げるように、とのことだが、何から逃げていたかはわかるか?」
「いいえ。あれから警戒してますけど、何かが来る様子もありません」
なるほど。あの阿呆がネズミモドキやらを村に引き込んだというわけではなさそうか。
「ハルクたちも集まっているのは、念のための警戒だな?」
「はい。そうした方がいいってミッシュさんが。それで、近くにいた村の人に頼んで……」
「……さすがだな」
限度はあるだろう。時と場合によりもするだろう。が、それを差し引いても慎重であることは有利に働くことの方が多い。
「それで、そのミッシュとヤーゲはどうした?」
「まだ息があったので、ミッシュさんはヤーゲを背負って医者の所に行きました」
だからそのふたりがいなかったわけか……
できればあの阿呆には早いところ死んでほしかったが、息があった以上はしかたもあるまい。
「俺も医者の所に行ってみる。ハルク、悪いがお前さんたちもまだしばらくはここにいてもらえるか?」
「おう。任せときな」
「それと、連中が大群でやって来るようなら、その時は迷わず鐘を鳴らしてくれ。俺もすぐに駆け付ける」
ヤバいと判断したらすぐに鳴らすことになっており、その時はすぐに避難の用意をするように村の連中にも周知してある。当然、ハルクたちにもそのことは伝えてある。
無駄に鳴らし過ぎれば迷惑が過ぎるだろうが、必要と判断したのなら鳴らすことを迷うべきではない。
「ああ。その時は頼らせてもらうぜ」
「邪魔するぞ」
そしてやって来たのは村に一軒だけの診療所。
「ダンナ!」
そこにはミッシュの姿があった。
「だいたいの話は聞いている。念のためということでハルクたちや俺を呼んだのはお前さんの判断らしいな?」
「は、はい……」
「そう硬くなりなさんな。いい判断だったと思うぞ」
「あ、ありがとうございます!」
「……お前さんかい。ちょうどいい。誰かに呼びに行かせようと思うとったところじゃて」
「……どういう意味だ?」
そんな話をしていると、奥の部屋から出て来たのは、俺よりもさらに歳の行った御仁。この村でただひとりの医者――村の連中には医者の爺様と呼ばれている御仁だ。
それはそうと、何故に俺を呼ぼうとしたのやら。長いこと荒事を飯の種にしてきた手前、怪我の応急処置程度であればいくらかの知識はあるつもりだが。
「儂にもよくわからなくてのう。お前さんの意見を聞かせてはもらえんかの」
「それは構わぬが……」
「これはまた……」
ベッドの上に横たわるヤーゲに目をやれば、苦しそうに顔をしかめ、額には脂汗。体中の数か所は服が血で赤黒く染まっていた。
「派手にやられているようだが……。妙だな」
苦し気な様子を見せてはいるが、それは怪我というよりも病のそれに近い。
「儂もそう思うたよ。原因は……多分これじゃろう」
そう言って老医はヤーゲの袖をまくる。その下にあったのは噛み痕と思しき傷。そして――
「……毒か!?」
傷跡のまわりは、広い範囲で皮膚がどす黒く変色していた。
「何にやられたんだ?」
毒、と言って真っ先に思いつく生き物は蛇だが……
お嬢ちゃんの連れである蛇共は、今は山の中にいないはず。それ以外の、もとから山に住んでいた蛇か?
だが、こんな症状が出るような毒を持った蛇なんて俺も知らぬぞ……いや、そいつらもネズミと同じように狂暴化したのか?その結果、妙な毒を持つようになったとでも……
「その噛み痕は、あの奇妙なネズミじゃな」
「そうなのか!?」
思いついていた可能性は即座に否定される。
「間違いなく、か?」
「これでも長年医者をやっとるのでな。ネズミの死体の歯は見ておる。それくらいはわかるわい。噛まれた箇所は8つ。全て同じ動物じゃな」
だから確認してみたものの、返って来たのは確信した様子での言い切り。本職が言うのならそういうことなのだろう。
「村のモンが毒蛇に噛まれるのはたまにあることじゃが、儂が知っている毒でこんなふうにはならんのじゃよ。それで、お前さんに聞こうと思うての。お前さん、あちこちを旅してきたんじゃろ?何か知らんかの?」
「悪いが俺にもわからぬな。それで、処置はできそうか?」
「なにせ初めてのことじゃからのう。傷口から血は抜き取ったが、あとは手探りでやるしかなかろうて」
「そうかい……」
俺個人の感情としてはヤーゲにはさっさと死んでほしい。当然ながら医者の前で言えるわけもないが。
だが、こいつは……
冷たいものが背筋を伝う。
ネズミモドキによるものだというのなら……
ネズミモドキはすでに結構な数が村にやって来ている。
仮に……そいつら全てが。いや、一部であっても同じように、医者に対処できないような毒を持つようになってやがるとしたら……
「ミッシュ!すぐにハルク達のところに戻るぞ!」
「は、はいっ!」
「それと爺様。なんとかしてそいつを助けてやってくれ」
「言われるまでもないわい。とはいえ、さすがに確約はできんがの」
ヤーゲがどうなろうと知ったことではないが、治療手段はどうにか見つけ出してほしいところ。
ハルク達の誰かが噛まれ、そのまま戦線離脱か……最悪の結果なんてことになれば目も当てられないだろうから。
「……というわけだ。噛み傷ひとつが致命傷にもなりかねない。くれぐれも慎重に頼むぞ」
「おう」
「「「「「はい!」」」」」
山側の出口に戻る。幸いにも、襲来は無かったようだったが、新たに増えた危険の周知は必要なことだ。
「さて、俺はひとまず宿に戻……る前に村長に報告せねばなら……うん?」
用件も片付き、踵を返そうとした矢先、妙な感覚がやって来た。
「どうかしたのか、ダンナ。また何かがやって来るんじゃ……」
「いや……そうではない。そうではない……のだが」
首筋がヒリつくような感覚。過去に何度も体験してきたものだ。こいつは……
「ダンナ。本当にどうしたんだ?顔色も悪いぜ?」
顔にもそうと現れていたらしい。
「なぁ、お前さんたちに聞きたいんだが……何か気になることはないか?」
「……唐突だな。そう言われてもピンと来るものは無いが……。お前らはどうだ?」
それに対しても、返事は無し。
「そうか……」
「だから急にどうしたんだよ、ダンナは?」
繰り返しに問うてくるハルクの顔には、苛立ちと心配の色。
恐らくは、ハルク達にも無関係とは行かないか。それなら、話してしまった方がいいのだろう。
「そうだな……今から話すのは、馬鹿げているように聞こえるかもしれぬ。だが、俺としては大真面目だ。悪いが、そのつもりで聞いてほしい」
「ああ。それで、何がどうしたっていうんだ?」
「妙な感覚がありやがる。多分だが、長年の経験から来る勘というやつが伝えて来るものが。そして、この感覚がやってきた時は――ひとつの例外も無く、何か重大なことを見落としていたんだ」
「穏やかじゃないな」
「だろうな。事実、そんな時の結末は2種類だ。ひとつは――見落としている何かに気付けた場合。その時は、気付かなかった“もしも”に背筋が凍る思いはしたが、穏便に解決できていた」
そちらはマシだった方。問題なのは――
「もうひとつは――最後まで何かを見落としたままだった場合。この時は、必ずロクでもないことになっていた。俺が死にかけたのはどうでもいいとして、守るべき対象や無関係の人間に被害を出してしまったことも多い。そして、事が終わってから悔やんだ。なんで“あのこと”を見落としていたのか、とな」
「ダンナがそういう言い方をするってあたり、本気でおっかないんだが……」
ハルクのつぶやきに、他の5人もうなずく。
「別に脅かそうというつもりではない。それに、俺の気のせいであってくれたなら、それがなによりだろうさ。これまでは例外無しだったが、今回も同じとは限らぬからな」
誰しもが思うことだろうが、嫌な予感なぞ外れてくれた方がありがたいに決まっている。
「だから、今のところは俺だけが、嫌な予感がすると言っている、くらいの認識でいい。ひとつだけ頼みたいのは……何でもいい、何かしら気になることがあったら、すぐに俺に伝えてほしいんだ。頼まれてはもらえまいか?」
「ダンナが見落としてるってのは、ネズミモドキが毒持ちかもしれないってことじゃあ、ないんだよな?」
「ああ。それだったら、見落としていることではなくなっている」
「他の……ウサギモドキやら野犬モドキも毒持ちかもしれない、ってことでもないのか?」
「違うだろうな」
そうであれば、とっくにこの感覚も消えているだろう。
「そうか……。正直、俺にはよくわからねぇ。けど、ダンナの頼みとあらば無碍にもできねぇよ。お前らも同じだろ?」
「「「「「はい」」」」」
それに対する答えは5人とも同じもの。俺がこいつらに対してやったのは、別に大したことではないと思っている。それでも恩義を感じているあたり、こいつらは相当のお人好しなのだろう。
「ありがとう。恩に着る」
お人好しの鏡追いは早死にするというのが相場らしいが、こいつらには当てはまらないでほしいものだ。
そんなことを考えつつ、俺はその場を後にした。




