異世界の……転生と転移だったか?
「リブ テンティ。クゥレ、イクス エスン バイア ケット トリンプ、リブ ヨド ティル ケット タム」
「ラペット。イクス プレシュフェク。……ワイス キーシュ ズーン フェペット、イーン」
「リンク。アンヘイル、テイラ アンブル エック アンブル レト ストウ」
自業自得ではあるとはいえ――主にヤーゲのせいでそれなりに疲弊させられ、個人的な因縁をこじらせた鏡追いの一人が独断で山に入ったことを村長に伝え、ようやく休めるかと戻ってきた宿で俺が目と耳にしたのはそんな――楽し気に言葉を交わし合う光景だった。
食堂のテーブルで向き合っているのはふたり。
ひとりはケイコお嬢ちゃん。それはいい。
もうひとりは――見たところ20には届かないくらいの女。特徴的なのは真っ直ぐに下ろした長い銀の髪と、気品のようなものを感じさせる整った顔立ちあたりか。身の丈は……今は座っているが、立ち上がれば俺と同程度といったところ。どこかで見かけたような気がしなくもない顔ではあるが……
それはさて置き、動きやすさと丈夫さを重視したような格好で腰には杖。木製でかなり短いというところがやや珍しくはあるが。他に目に付くのは、上着の袖がやや短めであるということ。そして、手の甲から手首までを覆う革製の手甲、あたりか。それらを含めても、女の鏡追いとしてはさして珍しくもない姿。
そのふたりが会話……いや、談笑していた。それも、俺がお嬢ちゃんと何度か交わしたようなたどたどしいものではない。流暢に話をしている風で。
互いの表情や反応からして、適当なことを言い合っている様子でもなく……
俺自身、ケイコお嬢ちゃんの謎言語を話せる人間が見つかればいいとは思っていたが、本当にそんな存在が出て来るとは夢にも思っていなかった。
「クゥレ、ティーク、ジェナイン」
「あ、ああ」
こちらに気付いたお嬢ちゃんが嬉しそうに駆け寄って来る。
「あなたがティークさんですね。初めまして」
そして、もうひとりの女が優雅に告げて来たのは、生まれてから散々聞き続けて来たアネイカ言語だった。
「ああ。お前さんは?」
「失礼しました。こちらから名乗るのが礼儀でしたね。私はエイコと名乗っております。これでも一応は鏡追いの端くれ。高名な先達にお会いできたこと、嬉しく思います」
ケイコお嬢ちゃんと話していた時の愛嬌は穏やかな微笑みに切り替えての挨拶。
とはいえ……
「名乗っている、か……」
隠すつもりもないらしく、自分でそう言ってきた。つまり、エイコというのは偽名かなにかなのだろう。
とはいえ、珍しい名前だな。“元凶”の探し人と同じというのは偶然なのかあるいは……いや、偶然と考えるのが妥当か。年齢的にあり得ない。
「ええ、少し事情がありまして。それよりも――」
「……ほう」
俺の思考を余所に、目の前の女は軽く言葉を切り、笑みを消す。向けて来る目を覗いてみれば、そこにあるのは油断のならない光。
なるほど、物腰に舐めてかかれば足元をすくわれかねない女ということか。
目の前の女をそう認識する。ひと眠りしようと思っていたが、それはお預けになりそうだった。
「少々込み入ったお話をしたいのですが、どこか人目が無い場所はないでしょうか?正直なところを言いますと、下手をしたら私の正気を疑われかねない内容になりそうなので」
「……そちらにもいろいろあるということか」
まあ、それ自体は別に構うものでもない。
他に気になるのは――
「ケイコお嬢ちゃんも同席で、か?」
「はい。彼女に関わるお話になるでしょうし」
お嬢ちゃんに目をやれば、この女を警戒している様子は無く、むしろ気を許している様子。
まだ警戒は解かずにおくか。
それに――
「俺の部屋でいいか?」
謎言語とアネイカ言語の両方を使える存在。これを逃す手はありそうになかった。
「さて、お前さんには聞きたいことが山ほどあるわけだが」
女将に一声かけて客室に場所を移し、エイコと名乗った女とケイコお嬢ちゃんをベッドに座らせ、さっそく本題に入ることにする。ちなみに、俺は椅子に腰掛け、向かい合う形だ。
「ええ、それは理解しているつもりです。ですが、その前にこちらからお聞きしたいことがあるんです」
「……なるべく手短に頼みたいところだが」
「はい。それほどお時間を取らせるつもりはありませんので。……聞いた話なのですが、ティークさんはあまり礼儀などにはこだわらない方なのだとか?」
「ああ。年上だからとか、長く鏡追いをやっているからとか、そんなことを振りかざすつもりはないぞ」
それでも、勝手に畏まる連中が多々いるのは困りものではある。ハルクくらいで接してくれた方が俺も気楽なのだが。まあそのハルクにしても、俺のことを持ち上げ過ぎだとは思わないでもないのだが。
「では、私も普通に……いえ、砕けた話し方をしてもよろしいでしょうか?」
「……むしろそうしてくれた方がありがたい。今みたいな口調を相手にするのも慣れてはいるが、それでも少しばかりは肩が凝るのでな」
唯一の例外はアイツくらいのものだろう。
「そうでしたか。では――」
そう言って一呼吸。穏やかな微笑みが一瞬で人懐っこそうな笑顔に切り替わり――
「遠慮なく崩させてもらうね。いやぁ、こっちとしても慣れてはいるんだけどさ、肩が凝るっていうのには全くの同感。ダンナがそういう人でよかったわ」
「……大した変わり身だことで」
「まぁね。そのあたりは、偽名使ってるところから察してくれたらありがたいかな」
「……そういうことか」
さっきまでの口調は、あれはあれで様になっていた。つまりは、アイツ――ケイトと似たような経緯の持ち主ということなのだろう。
「さて、何から話そうか……」
「そうさな……とりあえずは、お前さんとケイコお嬢ちゃんは同郷ということでいいのか?」
同じ謎言語を使う。真っ先に思いつくのはその可能性だが。
「そうだね。それは間違いないよ」
「そうか……」
なら、お嬢ちゃんの件は解決したも同然か。そこへ帰らせてやるのが一番だろう。お嬢ちゃんにしても、右も左もわからないどころか、言葉すら通じない土地にいるよりも、その方がいいはずだ。
それを寂しいと感じてしまったのは、俺がケイコお嬢ちゃんをアイツと重ねているというだけのこと。だが、俺の感傷なぞ塵と同じ扱いで構わないだろう。
「お前さんがそこに連れ帰ってやることはできるか?先立つものが必要なら出してやるが」
「……風の噂に聞いてた通りだね。ダンナってさ、馬鹿が付く程のお人好しだって言われない?」
「よく言われるな。誰から聞いた話なのかは……追求しないでおこうか」
そういう鏡追いは早死にするらしいと聞き、わざわざ40年も実践し続けているくらいだ。結果はこのザマだが。
「あたしとしてもケイコちゃんを故郷に返してあげたいとは思ってるんだけど、難しいかな」
「どういうことだ?……遠いのか?あるいは、物騒な場所を通る必要でもあるのか?さすがに今受けている仕事を放りだすわけにはいかぬが、片付くまで待ってもらえるなら護衛を引き受けるぞ。格安でな」
「そういう問題でもなくて……。いや、ダンナの気持ちはありがたいと思うんだけどね」
「なら、どういう意味なんだ?これでもアネイカとコーニスの大半は回って来た身だ。旅慣れしているという自負は……うん?」
そこまで口に出して、疑問がよぎる。
そう、いわゆる“この世”の大半には足を運んで来た。にもかかわらず、お嬢ちゃんの故郷にも謎言語にも、まるで思い当たりが無かったというのは……
「ダンナがケイコちゃんを案じてるのはよくわかったから正直なところを話すよ」
「ああ」
「結論を言ってしまうとね、あたしやケイコちゃんの故郷がどこにあるのか、まるでわかんない。見当もつかないの。あたしにも、ケイコちゃんにも。……想像くらいならできるんだけどね」
「……どういうことだ?目を塞がれたまま連れて来られたとでも言うのか?」
「……そんなところではあるんだよね」
だから何が言いたいのやら……。せっかく見えた手がかりだというのに……
いや、無駄に頭に血を昇らせてもいいことはないか。
軽く深呼吸し、苛立つ部分を切り離す。
「聞き方を変える。お前さんたちの故郷というのはどんなところなんだ?気候、植生、地名、何だっていい。知っていることを教えてくれ」
問うてはみたものの、返答は横の首振り。
「そういう問題でもないの。……ちょっと聞きたいんだけどさ、ダンナって子供の頃は物語とか好きだった方?」
「……ああ。かなり好きだったぞ」
なんで唐突にそんなことを……。って、まさか!?
ガキの頃に好きだった物語。さっき食堂で口にした「正気を疑われかねない」という発言。ケイコお嬢ちゃんを見つける前に起きたこと。
不意に、それらの情報が結びつき、ひとつの仮説を形成する。
それは、数日前に冗談混じりに思ったこと。
「……まさかとは思うが、別世界から来た。などとは言うまいな?」
あまりにも馬鹿げているとは、口にしてから気が付いた。
「……驚いたよ」
けれど、目の前の女が返してきたのは呆れでも嘲りでもなく――
「はは、伊達や酔狂で名前が売れてるわけじゃないんだね、ダンナは」
感心混じりの乾いた笑いだった。
「いやいやいやいや!ちょっと待ってくれ!いくらなんでもそれはないだろう!」
確かに、その可能性を否定する理由は――困ったことに――ただのひとつも見当たらない。
「一応、別世界じゃない説もあるんだけど……」
「ならそれを言ってくれ」
「うん。夜になると星がたくさん見えるよね?」
「あ、ああ。さっきからやたらと話が飛びまくるな……」
なんで急に星の話が出て……って、まさか!?
「その星からやって来ました、とでも言うつもりか?」
「……ホントにすごいね、ダンナは」
「おいおい……」
突拍子の無さという意味では、どちらの説もいい勝負だろう。
なのだが……
騙し利用しようとしてくる輩の見抜き方についてはアイツに仕込まれ、無駄に名を知られたことがその知識を実践する機会を何度も与えてくれやがった。
そんな経験と照らし合わせてみると、この女はシロ。俺に対してもお嬢ちゃんに対しても、悪意の類は見て取れない。
やれやれ……
さすがにこれを、「ま、いいけどよ……」で済ませるには抵抗がある。が、それでも受け入れるより他はないのだろう。
その上で、先のことを考えるべき、か。
ため息をひとつ。
「別世界説と空の星説それぞれの真偽はさて置くとして、お前さんたちは途方もなく離れたところから来たということだな?」
「そうだけど……主張してたあたしが言うのもアレだけどさ、ダンナは納得したの?」
「納得はしていない。ただ……」
「ただ?」
「そういうこともあるのかと、割り切ることにしただけだ。そこに帰る手段に心当たりが無いというのは間違いないのだろう?だったら、差し当たっては目の前のこと、ケイコお嬢ちゃんのこれからを優先するべきだろうさ」
「……なるほど。あちこちさすらっててさ、いろんな人にダンナのことを聞く機会があったんだよね。でさ、話す人話す人みんながさ、ダンナのことを持ち上げるわけよ。恐ろしく腕が立つとか、半端じゃなく頭が切れるとか、読みの鋭さがとんでもないとか、味方についてくれたらあれほど頼もしい男はいないとか」
「それは俺も困っているところだ。経験の量が強みであることは事実だろうが、結局はそれだけなのだがな……」
見下されるのもいい気分はしないが、やたらと敬意を向けられるのも好きではない。それ以前に、俺はそこまで大層な人間でもないつもりなのだが。惚れた女をむざむざと死なせてしまう程度の男でしかないというのに。
「あたしも最初はそう思ってた。運良く長生きして経験を重ねただけなんじゃないか、って。けどさ、こうして話してみてわかったよ。腕前はまだわからないけど、他は全部事実だったんだな、って」
「……勘弁してくれ」
そういうのは、本当に好きではない。アイツの遺言と俺の望みを両立させようとしてきた結果が今の俺というだけのことだ。
「……ホントに嫌そうだね?」
「本当に嫌なのでな」
「じゃあ止めるけど……」
「ああ。この話はこれで終いだ。それよりも、気になっていることはまだある。そちらも答えてもらうぞ」
さっさと話を変えることにする。ただでさえ疲れているというのに、これ以上精神を削られるのは勘弁願いたい。
「今俺が話している言葉、呼び名が無いのは不便なのでアネイカ言語と名付けたが、お嬢ちゃんがそれを話せない理由は理解出来た。アネイカ言語とは無縁の地域から来たから、だな?」
「そうだね。ケイコちゃんが話してるのはニホン語って言葉。んで、あたしもケイコちゃんもニホンってところに住んでたわけよ」
「ニホン、か。初めて聞く地名だな。別世界なり空の星なりにあるのならそれも無理からぬ話ではあるのだろうが。それはさて置くとして、だ。お前さんは、何故にアネイカ言語を普通に使える?同じ境遇のケイコお嬢ちゃんは苦労しているというのに」
次に出て来るのはそんな疑問。この女……いや、エイコの話しぶりは、アネイカ言語にも慣れ親しんでいる者のそれだ。
「あたしとケイコちゃんの境遇って、実は同じじゃないのよ。あたし達に馴染みの深い言い方をするなら、異世界転生と異世界転移の違い、ってことなんだけど」
返答の中にあったのは、これまた聞きなれない単語。
「……異世界というのは、別の世界ということだな?」
「うん。別の世界ってよりも異世界の方が使い慣れてる感じかな。あたしもケイコちゃんも」
「ならば俺も合わせるとするか。それで、異世界の……転生と転移だったか?それは?」
「転生ってのは、一度死んで生まれ変わること。転移は……一瞬で遠いところにやって来る、って感じかな」
「…………なるほど。つまり、お前さんは転生でケイコお嬢ちゃんは転移だった、ということだな?」
状況を整理すればそうなるだろう。逆はあり得ない。
「正解。具体的なところとしては、とらっく……荷馬車の親分みたいな奴にひかれて、気が付いたら記憶はそのままにとある場所で赤ん坊になってたのがあたし」
「ニホン語とやらが使われている地域で育った記憶を持った上で、赤ん坊から今の歳になるまではアネイカで生きてきたわけか。お前さんが両方を使える理由はわかった」
だとすれば――
「ニホン、とかいうところでずっと暮らしていて、ある日突然この辺りに転移というやつをしてきたのがケイコお嬢ちゃん、というわけか?」
「そう。本人の話だと……元の場所で急に光に包まれて気が付いたら山の中に居て、その直後にダンナと出会ったってことらしいけど。まさに絵に描いたような異世界転移。これで女神サマに会って“ちーと”能力をもらってたら完璧だったってくらい」
「異世界転移やら女神やらの標準も“ちーと”とやらもはよくわからぬが……」
その点をさて置けば、一応の筋は通っている。なら、それはそれとして……お嬢ちゃんにアネイカ言語を教えるのは――
コンコン!コンコン!
「……うん?」
思考を打ち切らせたのはドアを叩く音。
「誰だ?」
「あたしだよ。今別の鏡追いさんがやって来てね、すぐにあんたを呼んでくれって言ってるんだけど……」
声の主は宿の女将。わざわざ呼びに来るということは――
何かあったらしいな。仕方あるまい。こちらは中断か。
「わかった。すぐに行く。……というわけだ。悪い、続きは後にさせてくれ」
「だったらあたしも行くよ。今この村で起きてることはここの女将さんに聞いてるよ。これでも鏡追いなんだし、役に立てるかもしれないでしょ?」
「……いや、今はお嬢ちゃんと居てやってくれ。可能なら、少しでもアネイカ言語を教えてくれていたらありがたい。鏡追いとして必要な時は遠慮なく頼らせてもらおう」
「それもそうか……。承知したよ。ダンナも気を付けてね」
「ティーク?イーケル ケットフィト?」
「エフル モウア ヒッカ ディール カースィ」
不思議そうに聞いてきたお嬢ちゃんには、エイコが謎言語……もとい、ニホン語で説明し、
「クゥレ、ワンド。ティーク、デスィン」
「気を付けてね、だって」
お嬢ちゃんの言葉はアネイカ言語に言い換えてくれる。俺の苦労はなんだったのやらと思えるような円滑さだ。
ま、いいけどよ……
それでも、意思の疎通が容易になったのは大いに喜ぶべきところだろう。
「ああ、行ってくる」
それに――
悪くないな、こういうのも。
俺に理解出来ない言葉だということを差し引いても、アイツと同じ声で無事を願う言葉をかけられるのは、中々に気分のいいものだった。




