何とかなる……と願いたいものだ
下手を打ったか。
自分の迂闊さに呆れる。様子見も無しに飛び出したのは、軽率にも程があった。妙に意識に引っかかる声に逸った、というのはあるかもしれんが、そんなものは自分への言い訳以外にはなりそうもない。そこにいた連中全てと、一斉に目が合った。
そう、そこにいた連中全てと、だ。
声の主と思しき若い女はまだいい。予想よりも幼い――見たところは10を少し過ぎた程度の、やや線の細いお嬢ちゃんだったことは想外ではあったが、それはまあいいとする。
黒目黒髪というやつはそれなり程度に珍しい上に、整った顔立ちをしており、俺を見る目には警戒の色が濃いようだが、それも棚上げしておく。
薄手半袖の白い上着と膝上あたりまでの黒のスカートは、そこいらの女が着てるものとは微妙に違うように思える上に、山歩きに向いているとは思えないが、それも気にしないでおく。
こんな――ついさっきまで野盗がのさばっていた山中にいることへの疑問もあるが、それも今はさておくことにする。
問題なのはそれ以外。お嬢ちゃんの周りにいたのは――蛇。1匹2匹じゃない。10や20でもきかない。ざっと見たところでも、間違いなく100を超えた蛇の大群だった。しかもソイツらは、一斉に鎌首をもたげ、剣呑な気配がわかりやすく伝わってくる。
山の中に蛇が多いってのはさして珍しくもないとはいえ……。ったく、何がどうなっているのやら……
内心で愚痴をひとつ。思考を殺し合いのそれに切り替える。
数が多すぎる。まして、こんな鬱蒼とした場所では、そこかしこからの奇襲も好き放題と来たものだ。オマケに――
目の前の敵群を見やる。
この蛇共、連携が取れているらしい。そこまでの知能がある蛇なぞ初めて見た。
じわりじわりと、俺への半包囲が出来上がりつつある。それも、迂闊に動いたらその瞬間に一斉に襲い掛かるぞとチラつかせつつ、だ。見慣れない柄が結構居るが、毒持ちもそれなり以上には混じっていると考えるのが妥当、だろうかな。
下手をすれば下手をすることになる……か。
状況を整理し、そう認識した瞬間、口元が吊り上がった。
積年の望み、叶えてくれるのがこの蛇共だというなら、それも一興か。迂闊に姿を晒した俺がマヌケだったとはいえ、この状況だ。アイツも文句は言うまい。
「さて、存分に殺り合うとするか。期待させてもら――」
お世辞にも明るいとはいえないような高揚感に任せて得物を振るおうと――
「セイル タナウ フィーユ!ナート アルブ ヨド フォグ!」
――したところで、意識の片隅に追いやってたお嬢ちゃんが割り込んで来た。
そしてピタリと蛇共の動きが止まる。まるで――お嬢ちゃんの言葉を理解し、従ったかのように。
「……は?」
そして、俺の動きを止めたのは、お嬢ちゃんの必死の形相と、その口から飛び出した意味不明の叫び声。
気勢を削がれたのは、俺も蛇共も同じだったらしい。そして、動きを止めた蛇共に向けてお嬢ちゃんが発したのは――
「イクス ミスティ ゴウ、アルブ ラウク ウーブ ディガ!」
これまた訳のわからぬ謎言語。
聞き間違いというわけでもなさそうだが……。
見たところ、蛇共はおとなしくなった風だ。蛇語、とでもいうのか?そういえば、鳥や犬を懐かせて狩りに使うって手法がある、なんて話は昔どこかで聞いたことがあったが。
警戒だけは切らすことなくそんなことを考えていると、件のお嬢ちゃんが俺の方に向き直り――
「クゥレ……セイル プレシュ リーディ」
ペコリと綺麗に頭を下げる仕草はやけにサマになっていた。どうやら育ちのいいお嬢ちゃんらしい。蛇共が喧嘩腰だったことを謝っているのか。
「クゥレ……イーン、ミスティフィト」
それでもなお、言っていることは全く分からなかったが。
ユグ村の子供、では無さそうか。野盗共の住処から逃げてきた……わけでもないようだが。
そう考えるには、あまりにも身綺麗すぎる。
勘が告げていた。これは面倒なことになるぞ、と。
といっても、見捨てるという選択肢は有るはずも無いわけで。
「なあ、お嬢ちゃん。ユグ村の子供か?それとも、どこかから逃げてきたのか?」
それでも、一縷の望みを託して聞いてみるのだが――
「クゥレ……キーシュ ティーヌ アルブフィト。イディ ニホン キーシュ……。ピュリク ナウ シンク エーゴ ヨド フォグ クンビートフェク……」
戸惑い顔で返してきたのは、やはり全く分からない音の羅列。
おいおいおいおい……本当に何がどうなっている?あり得ないにも程があるのだが……
このアネイカ大陸と海を挟んで東にあるコーニス大陸。それと、周辺に浮かぶ大小いくつかの島。ここまでが、俺の知る“世界の全て”であり、それは世間一般でいうところの常識でもある。俺自身、コーニスでもアネイカでも短くない時間を過ごし、少なくない場所を巡って来た。その中で言葉が通じない、などという経験をしたのは赤ん坊の相手をした時くらい。言葉が通じない場所がある、とは噂話にも聞いたことが無かった。だとしたらこのお嬢ちゃんは――
「なあ、お嬢ちゃん。どこから、来たんだ?ユグ村の、子供、なのか?」
「クゥレ……。シュラー ペティグア ミスティ……。エーゴ キーシュ」
少しでも聞き取りやすいようにとゆっくり声をかけてみるも、結果は変わらず。終いには頭を抱えだした。
訳が分からぬ、といったところか。蛇共が襲ってくる様子が無いのはともかく、はっきりしているのは、言葉が通じないということ。
喉を潰されて話せなくされた者の面倒を見たことくらいならあるとはいえ、そいつも俺の言うことは理解出来ていた。
筆談――も無理だろう。読み書きよりは話す方が難度も低いというが世の常だ。そして、これまで生きてきた中で、こういう手合いの相手は経験も無いと来ている。
なにがなにやらではあるが、思考停止していても始まるまい。とりあえず、現時点で考えられることを考えることにする。
考えるべきは――言うまでもない、このお嬢ちゃんをどうするか、だ。
ここで始末する、などというのは論外として、こんな山中に放っておくのも気が引ける。この蛇共が居れば、何かしらがあってもどうにかなりそうな気がしなくもないが……
差し当たりは、一度ユグ村に連れていくのが無難、だろうかな。あるいは、村の連中が何か知ってるかもしれぬな。
とはいえ――
しゃがみ込んだお嬢ちゃんの周りを取り巻く蛇共。無理矢理連れて行こうとした場合、間違いなくコイツらが襲ってくる。さっきの状況――突発的な遭遇戦ならばともかく、今更改めて殺り合うというのは、俺の望む在り方に反する。つまり、穏便に連れて行かなければならぬわけで。
言葉が通じないとはいえ、見たところは同じ人間だ。とりあえずは――人付き合いにおける基本中の基本あたりを試してみるか。言葉が通じないというのはアレだが、仕草などを見た限りでは、それなり程度には似たような部分もあるだろうし、何とかなる……と願いたいものだ。
軽く考えて、俺が出したとりあえずの結論はそんな――我ながら安易極まりのないものだった。