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お嬢ちゃんに別れを告げる日が来ることは確定している

 やれやれ……。そろそろベッドが恋しくなってきたぞ。


 朝の空気を吸い込みながら、寝起きの身体をほぐしてやる。夢に起こされなかったのは数日ぶりだが、今朝も今朝とて気分のいい目覚めとはいかなかった。


 朝イチでウサギモドキの死骸を回収、というのが昨夜に立てた予定だったが、その必要は無くなっていた。……まったく嬉しくない理由で、だが。


 面倒な事態はすでに発生が確定したも同然。先の事を考えると、気が滅入って来る。


「ティーク!オはよう」


 そんな、鬱々としたことを考えていると、早朝の爽やかな雰囲気に相応しいような、透き通った声が聞こえて来た。


「相変わらず早起きだな」


 そこにいたのはケイコお嬢ちゃん。


 昨夜はあんなことがあったばかり。今朝は来ないのではないか、などとも思っていたのだが、その考えは外れていたらしい。昨日と変わらず、お嬢ちゃんは差し入れを持ってやって来た。


 引きずっている、というわけでもなさそうか。


 荒事慣れはしていないにせよ、心根がそれなりに強いことは、昨日の夜に見せられていた。


 向けられる笑顔には、陰は見当たらず。屈託のない笑みを見ていると、こっちの頬まで緩みそうになる。




 そろそろかと、そう思って山道の方に目を向ければ、ぞろぞろとやって来る蛇の大群。


「って、おい!?」


 声を上げさせられる。


 そう。1匹ではなく、大群だ。正確な数はわからぬが、昨日出会った全てがいるのではと思えるほどの団体様。さすがに俺は慣れたが、事情を知らない村の連中が見たら腰を抜かしかねない光景があった。


 それに……妙な蛇が増えていないか?


 異様に大きく長い蛇や、飛び蛇は昨日も見た。が、それ以外にも――頭に甲羅がくっついたような蛇や、尻尾の先が槍のようになっている蛇も居た。


 アレに頭突きをされたら痛そうだな。尻尾の方も、人の腹くらいなら貫通できそうだが……


 これも“魔物化”なんだろうかな?


 割合で言えば、見た目だけはマトモな蛇が半数以上を占めているようだが……。いや、待てよ?


 昨夜に“魔法”を使っていたのは、見た目がマトモな方の蛇ばかりだったようだが。そのあたりも何かあるのか?


「クゥレ!」


 が、俺の心情は露も知らずか、お嬢ちゃんはいつも通りに嬉しそうな声を上げる。


 ま、いいけどよ……


 人の気配が近づいてきたら、合図を出せばいい。自分たちが人前に出ればどうなるか、この蛇共は理解しているはずだ。


「セイル ティト オはよう。イーダ ティト メトン カースィ」


 練習も兼ねてか、出来るところはアネイカ言語を口にする。それでも伝わっているらしいあたり、蛇共は言葉以外の何かでお嬢ちゃんの言いたいことを理解しているのだろう。


 なんにせよ、順調、と言い難い程度にゆっくりとではあるが、言葉の習得も進んではいることの証左か。“おはよう”を朝の挨拶と理解したのも、そのひとつだろう。発音がずれているのはご愛敬というやつだ。


 謎言語とアネイカ言語の両方を使いこなせる人間でも捕まえられたら楽なのだろうが。


 それでも、じれったいと感じる自分がいるのもまた事実。“感じる”とか“事実”とか、そんな、高使用頻度の単語は未だに教えられていないのだから。現実逃避気味のことも考えてしまう。


 気長に構える、などと言ってみたところで、性分というヤツが簡単に変わらないのは痛いほどにわかっている。結論を急ぎ過ぎるのが悪い癖だとは、アイツにも散々言われて、今でも完治には程遠いと来ているのだから。


 例えば――“ラペット”は肯定の意らしいわけだが、ひとことで肯定と言ったところで、「はい」「うん」「おう」「あいよ」等々、様々な姿があるわけで。


 そのあたりは言葉を使いながら慣れてもらうしかないのだろうが。


「クゥレフィト!」

「うん?」


 そんなことを考えながら話を聞いていると、いきなりお嬢ちゃんが声を上げる。込められた感情は、多分驚き。お嬢ちゃんくらいの女口調にするなら「そうなの!?」とでもいったところか。


「クゥレ……。パージャ トート ケット。ピュリク、デュア トーナフィト」


 お嬢ちゃんが了承でもしたのか、多数の――見た目がマトモな――蛇共がお嬢ちゃんをぐるりと取り囲み、光り始めた。最近見たところで言うなら、身体が千切れた蛇をあっという間に治した時と同じような光を。そして――


「って、おい!?」


 次の瞬間、声を上げて立ち上がっていた。蛇共がお嬢ちゃんに向けて、一斉にその光を飛ばしたからだ。


「ケイコ!大丈夫か?」


 光はすぐに消え、立っていたお嬢ちゃんに変わった様子は皆無。蛇共がお嬢ちゃんをどうこうするとは考えにくい。それでも、不安は残る。


「ハい。ダいじょウぶ」


 そう答えるお嬢ちゃんにもおかしな様子はない。


 取り越し苦労だったか……。あまり驚かせないでほしいのだが。


 そんなことを思った直後、ソレは起きた。


「ピュリク、ソゥフ」


 お嬢ちゃんが頷き――




「ティーク」


 何かが聞こえる。


「ティーク!」


 肩に何かが触れている。


「ティーク!」


 ゆさゆさと身体が揺れる。……ああ、誰かが揺さぶっているのか。


「ティーク!」

「……あ、ああ……うん?」


 意識が現実に焦点を結ぶ。頭が働きを再開する。


「ティークフィト、ダいじょウぶフィト」


 視覚が認識したのは、心配顔のお嬢ちゃん。そこでようやく気が付く。


 ああ、意識が飛びかけていたのか、と。


「あ、ああ。大丈夫だ」

「ハい。ピュリク トーナ ストウ」


 念のため、周囲を見回してみるが、そこに蛇共の姿は無かった。つまるところは――


 現実だったのだろうな、アレは。


 思考が麻痺させられるほどに、あまりにも壮絶な光景。ソレは、はっきりと目と記憶に焼き付けさせられていた。


 お嬢ちゃんの身体を見ても、その痕跡は見当たらない。多分だが、それも“魔法”なのだろう。そうでもなければ、あり得ない。


 あまり気分のいい光景でもなし。この件は考えない方がよさそうか。


 そう決めつけて、問題は意識から切り離すことにする。正直、あの光景は思い出したくもないものだったから。


「おはようございます」


 そうこうする内にやって来たのは村長。朝イチで来てくれたのは、俺としても都合が良かった。


「ああ、おはよう」

「クゥレ……オ、オはよう」

「娘さんもおはよう。昨夜はよく眠れたかい?」

「ク、クゥレフィト……」


 お嬢ちゃんの返事が及び腰なのは、何を言われたかもわからなければ、どう答えていいのかわからないからだろう。村長もそれは承知しているようで、気を悪くした様子もなかった。それでも、言葉が通じないというのは恐ろしく大変なことなのだと、あらためて思い知らされる。


 それはそれとして……


「さて、朝っぱらからで申し訳ないが、悪い(しら)せがある。付いてきてくれ」


 早々にやるべきことは他にあった。


 手招きして向かうのは、柵の外側。昨夜のうちに何度かやってきてくれやがった連中の死体を投げ捨てた場所。


「これは……」

「ミスティ……」


 ソレを見て村長と、一緒にやって来たお嬢ちゃんが揃って顔をしかめる。


 夜中の襲撃は合計で3回あった。内容はと言えば――俺がここに来てすぐにネズミモドキが5。その少し後に野犬モドキが1。明け方にウサギモドキが4。どれも、昨夜に山中で見たのと同じように異様な動物で、相当に好戦的だった。


 ちなみに、すべて頭を殴って始末した。血の匂いが呼び水になるというのは、割とよくある話だ。


「とりあえず、あとで村の連中を集めてくれ。これだけの数が確認された上に、昨日の今日でさっそく人里にまで降りてきやがった。話しておく必要はあるだろう」


 不安を煽りたくない、なんてことを言っていられる状況ではない。さっさと周知していおかないと、死人が出かねない。


「わ、わかりました。それと……この動物たちの駆除はできますか?できればすぐにでもお願いしたいんだが……」


 その心情も理解出来なくもない。下手をしなくても、野盗なぞよりよほどタチが悪い相手だ。だが、


「見栄を張る趣味もないから正直なところを言うが……俺ひとりでは手に負えぬな。それに、俺が山に入っている間に同類がやってきたらどうなる?」


 山の中にどれほど居るかはすでに未知数。ある程度間引くだけでも相当に手間と人手がかかる。時間さえかければ俺ひとりでも、とは思わないでもないが、それで逃げ回られでもした日には目も当てられないだろう。しかも、当然ながら俺はその間この村に居ないわけで、


「ここいらの領主はアテにならぬだろうしな……」

「……でしょうね」


 全くありがたくない同意。無理矢理に擁護するなら、慎重とは言えないことも無いかもしれぬが。村がひとつ壊滅しても対応するかどうか怪しいようなボンクラだとは、鏡追いや繋ぎ屋の間でももっぱらの評判だ。となれば……


「他の鏡追い連中にも声をかけるべき、だろう」


 それが俺の結論。


「……このままでは危険だということはわかっています。ですが……」


 だが、村長の歯切れは悪い。その理由は多分……


「先立つ物が無い、か?」

「……恥ずかしい話ですが。ここ数年、酒造りのためにいろいろと」


 なるほど。旨い酒は代償無しに造れやしないということか。道理だな。


「そういうことなら、しかたあるまいな」

「い、いえ……酒造りは上手く行っているんです。あと数年もすれば……」

「いや、そういう意味じゃない」


 俺がサジ投げをすると思ったらしい。そんなつもりは毛の先ほども無いというのに。


「俺が出す。ある時払いの催促無しで構わぬぞ。利息も無しでいい」

「……い、いいんですか?」

「ああ」


 一切のためらい無しで言い切れる。


 旨い酒のため。俺にとっては十分な理由だ。無論、踏み倒そうとするのなら、報いは受けさせるが。


「繋ぎ屋宛ての手紙は俺が書く。もちろん、そちらで確認を入れてくれて構わない」

「何から何まで……ありがとうございます」

「気にするな。旨い酒を守るためだ」




 その後、村の住人を集めての集会はすんなりとまとまったらしい。なんだかんだでここの村長は慕われているようで、村の連中が妙な考えを起こすことも無く、話し合いが紛糾することもなかったとのこと。


 あるいは、当面は先立つ物の心配が要らないというのもあったのかもしれぬが。


 ともあれ、昼過ぎには繋ぎ屋への手紙を持った村人のひとりが出発することになった。


 向こうでの人集めが順調ならば、明日の昼過ぎには他の鏡追い連中もやってくるだろう。


 それまでは、俺が番をすることになる。夜中だけでなく四六時中ということになるが、1日2日程度ならばどうにかなるだろう。


 腑抜(ふぬ)けの野盗共ならともかく、あの異様な動物たちは、1匹でも村に入れてしまえばまずいことになるのは目に見えている。


 もしもの備えとして、片手で持てるほどの鐘も渡された。少しでも危険と判断したら、すぐに鳴らす手はずになっている。なんでも、30年ほど前にユグ山に人食い熊が住み着いたことがあり、その頃にも使ったのだとか。


 状況を考えればお嬢ちゃんをここに連れて来ることなど出来るわけもなく、言葉を教えるのが先送りになることだけは不本意だが、こればかりはどうにもしようがない。女将にも頼んではみたが、


「頭を使うのはどうにも苦手でねぇ……」


 とのこと。


 まあ、しかたあるまい。他の鏡追い連中が来るまでの辛抱というやつか。


 それにしても……


 そんな考え事と同時進行で、朝飯を腹に詰めこむ。


「少し冷めてるのは済まないと思うんだけどねぇ」


 なんてことを言って女将が運んで来た朝飯。


 相変わらず味はいいはずなのだが……


 湯気を立てる出来立てを、というわけにいかないのは仕方が無いとしても、何故だか味気が無い。日持ちだけが取り柄のクソ不味い保存食糧にだって慣れてはいるし、ソレと比べたら雲泥のはずなのだが……


 心身の状態も悪くはないのだがな……


 昨日の朝は、夢見の悪さが尾を引いていただろうが、昨日1日をお嬢ちゃんと過ごす内、そんな不調も……ああ、そういうことか。


 そこまで考えて、ようやく思い当たることが見つかる。


 なんだかんだでここ数日。食事は常にケイコお嬢ちゃんと一緒で、美味そうに食べる姿を見て俺も満たされていたということなのだろう。


 やれやれ……


 自覚しているつもりではあったが、それでも自分で思う以上に、俺はお嬢ちゃんに入れ込んでいたらしい。


 死ぬまで鏡追いを続けるつもりでいる以上、お嬢ちゃんに別れを告げる日が来ることは確定している。だが――


 俺は別れを受け入れられるのだろうかな……


 そんな自問。やれる、と言い切ることは、今の俺には無理そうな話だった。

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