俺がケイコお嬢ちゃんに抱いてしまった妙な感情の正体はきっとそれに違いない
「おかえり。食事の用意は……って、大丈夫かい?顔色が悪いみたいだけど」
朝飯を食べに宿のドアを開ける。俺を見た女将の第一声は、ある意味では予想通りのもの。
やれやれ……
それでも、気分のいいものでもなかったが。
女将にせよお嬢ちゃんにせよ、純粋に俺を案じているのだろうが、俺としては無闇に心配されるのは好きではない。まあ、今回は自業自得と割り切るよりあるまいが。
「少しばかり夢見が悪かっただけだ。じきに収まる。それよりも――」
隠せるものなら隠すつもりだったが、バレていたのならば繕う必要もなかろうな。
「お前さんの作る飯は美味いし、せっかく用意してくれたところで申し訳ないのだが、少し軽めにしてもらえるか?」
「それは構わないけどさ……」
「なら、早いところ頼む。調子はあまりよくないが、腹は減っているのでな」
「ごちそうさん」
「サリュー」
食後の茶で一息入れる。相も変わらず、女将の飯は美味かった。食欲が削られているこんな時には、なおのことありがたい。
「それで、今日はどうするつもりなんだい?」
「うん?今日も山の中を見て回るつもりだが。野盗共は完全に片付いたとみていいだろうが、光の柱について調べるという仕事を引き受けているのでな」
「あんたねぇ……」
聞かれたことに答えてみれば、女将が返してきたのは、呆れ目と呆れ声。
「働き者なのは結構なことだけどさ、今日くらいは休んでもいいんじゃないのかい?今だって具合悪そうだし、昨日もおとといも外で寝たんだろう?いい歳なんだし、あまり無理するもんじゃないよ?なんだったら、村長にはあたしから言っておくよ」
「いい歳なのは認める。否定のしようもないだろう。だが、自分の面倒を見るのも鏡追いの務めというやつだ。そのあたりの線引きはやれているつもりなのだがな」
「そうかもしれないけどさ……」
それでも女将は納得していない様子。
やれやれ……
これは、無理に行こうとしても食い下がられるな。ならば……
「クゥレフィト」
向かいに座っていたお嬢ちゃんと目が合うと、首を傾げる。せっかくだ、利用させてもらうとしようか。
「気が変わった。たしかに、お前さんの言う通りかもしれぬな。今日のところは羽を伸ばすとしよう」
「あ、ああ。そうしなよ」
唐突な手の平返しに戸惑いを見せる女将。
「そんなわけで、頼みたいことがある。今日の昼飯は、弁当を用意してもらえないか?ふたり分を。もちろん、代金は請求してくれて構わない」
「……どういうことだい?」
その隙に別の疑問を誘い、考える機会を奪い取る。
「今しがたに言ったばかりだが、今日は羽を伸ばすと決めた。だから、好きなことをしようと思う」
「そりゃ……羽を伸ばすってのはそういう意味だろうけど」
「では、俺の好きなことはなんぞや?という話になるわけだが……どうもな、ケイコお嬢ちゃんが楽しそうにしている様を見るのが好きらしいのさ、俺は」
「イクスフィト」
自分の名が出て来たことでお嬢ちゃんが俺を見るが、今は流しておく。
そして、ここまでは一切嘘は言っていない。全て、本当の事だ。
「そして、昨日気が付いたのだが……」
ここで少しだけ出まかせを混ぜる。
「お嬢ちゃんはな、人の手が入っていない自然が好きらしい」
「そうなのかい?」
「ああ。そうらしい」
もちろん嘘だ。けれど、人目が無いところでならば、心行くまで蛇共と戯れることは出来るだろう。それがお嬢ちゃんの好きなことだとは、すでに疑う余地もない。
だから――
「お嬢ちゃんを連れて山登りと洒落込むのも悪くない。昼飯は保存の利く食い物でもいいのだが……それでは味気というやつに欠けるだろう?」
「……なんだか、上手い事丸め込まれてるような気がするんだけどねぇ」
それでも多少は不満気だが、すでに天秤は傾いていることだろう。
ケイコお嬢ちゃんの気立ての良さによる部分が大きいのだろうが、それを差し引いても、この女将はお嬢ちゃんには甘い。
「これでも、年季の入った鏡追いなのでな。多少は口も回るつもりだ。まだ問答を続けるか?」
「……わかったよ。すぐに用意してくるから待ってな」
そう言うと、厨房に姿を消した。根負けしてくれたらしい。
「クゥレ、ティークフィト」
そして、今度はお嬢ちゃんが俺に問いかけて来る。
さて、こちらはどう説明するか……
お嬢ちゃんが理解しているアネイカ言語は多くないが……
これまでに伝えた単語を頭の中に並べ、組み合わせを考え出す。
やりようはある、か。
「山」
窓の外に見えるユグ山を指差す。
「歩く」
これは昨夜に動作を伴って教えた。
「蛇」
これは出会ったその日に教えた。
「……触る」
ここは多少難関だったが、一番近いのがこれだろう。“話す”“会う”あたりが使えれば話も速かったのだろうが、生憎と上手い教え方が思いつかなかった。
さて、これで伝わるかどうか……
あとはお嬢ちゃん次第。頭が悪い方ではないという印象だが、果たして――
「……………………クゥレ!」
待つこと数秒。ポンと手を叩く。
「ヘび、ラウム オゥグ!」
“オゥグ”は“何かをしたい”という意味だとは理解出来ている。
蛇、ラウム、したい。
蛇と話したい。あるいは、蛇と会いたい。と考えるのが妥当。
つまりは、俺の言わんとすることが伝わっていたということ。
これは……中々に嬉しいものだな。
それなり以上の達成感があった。
「あいよ、お待たせ」
そうこうする内に、木編みのカゴを持って女将がやって来る。
「早かったな」
「残りがあったからね。パンに挟むだけなら、そう時間はかからないよ。それにしても……」
深く息を吐き出す。
「甘いよねぇ……」
「たしかにな」
なんだかんだと言いつつも、こうして弁当を用意してくれるあたり、この女将はお嬢ちゃんに甘い。
「とはいえ、子供相手の甘さとしては標準と言える範囲内だろう。そこまで気にしなさんな」
「いや、あたしじゃなくてさ……」
何故か女将は俺に冷たい目線を向けて来る。
「あんたが、だよ」
「……俺が?」
ケイトと重ねてしまっているのは事実だが、わざわざ言われるほどだろうか?
右も左もわからず、言葉も通じない。気立ての良い子供がそんな状況にいたのなら、気にかけてやるのは当然と思うのだが。
「なんて言うかさ……孫を甘やかす年寄り、っていうのかねぇ。歳もそんなところだし」
「……ふむ」
その考えは出てこなかったな。だが――
案外そんなものなのかもしれぬな。
何度願ったかもわからない“もしも”だが、アイツがあの日を生き延びてくれたのなら、さして遠くない内に子を産んでくれたのかもしれない。
そして、今頃は孫が居たのかもしれない。それこそ、ケイコお嬢ちゃんのような。
ああ。そういうことなのだろうかな。
なんとなくだが、理解出来たような気がした。
昨日の夕刻、俺がケイコお嬢ちゃんに抱いてしまった妙な感情の正体はきっとそれに違いない。
男――祖父というやつにとって、孫娘というのは特別な存在になるのだと聞いたことがある。つまりは、そういうことなのだろう。
お嬢ちゃんに対して失礼な考えであることには変わらない。伝えたら気味悪がられそうなところであるだろうし、そもそもが伝える機会なぞ永遠に訪れないだろう。
それでも、少しだけ安心できた。俺がロクデナシだとはとうに知っているが、幼子に劣情を抱くようなクズではなかったらしい。
ならば、俺が勝手に孫のように感じているお嬢ちゃんを今から甘やかしてくるとしようか。
窓の向こうにある空を眺める。今日は快晴。山歩きには悪くない日和だった。




