好奇心に殺されるなら、それはそれで結構なこと
こんな辺鄙なところに巣食いやがるとは、酔狂な野盗共も居たものだ。駆除する方の迷惑も考えやがれというやつか。
頑丈なだけが取り柄の布袋と、これまた頑丈なだけが取り柄の得物――鉄杖を背中に、内心では愚痴を漏らしながらに、鬱蒼なんて表現がよく似合いそうな山道……もとい、獣道を歩く。
初夏の陽気に閉口させられながらに、木々の隙間に頭上を仰げばそこには、薄雲に覆われた空。
日差しが弱いこともあり、空模様自体は比較的過ごしやすいそれなのだが、3日ほど前に降った雨のせいなのか。土や草の匂いをたっぷりと含み、湿気もたっぷりの不快な空気がまとわりついてくる。
やれやれ、一息入れるか。
手近にあった岩に腰を下ろし、上着の袖で汗をぬぐってから、懐に入れておいた小瓶の栓を開けて中身をひと口。
舌先から広がった香りは、口から鼻に流れ、しばらく留まった後でゆっくりと消えていく。ほぅ、と感嘆の声が漏れた。なるほど、噂になるだけのことはある、か。
俺自身、酒好きの飲んだくれとは自覚しているが、今は山登りの最中でこの後に待っているのは多分命のやり取り。だから、このまま飲み干してしまいたいという欲求は押さえておく。
返り討ちに合うこと自体はどうでもいいのだし、そうなったらそうなったで末期の酒にしようか、くらいには考えているが。それでも、とある事情もあり、酔っ払って殺し合い望むわけにはいかないのが面倒なところ。
俺がこれからやろうとしているのは、ユグ山の山頂近くにある崩れかけの砦跡に住み着いた野盗連中の駆除。場所が辺鄙な上に報酬も微妙。そんな事情もあり、引き受け手が現れないまま放置されていた――そんな、今のご時世にはさして珍しくもない仕事だ。
なぜ引き受けたかといえば理由はふたつ。
ひとつは、とある事情で“馬鹿が付く程にお人好しな正義の味方サマ”であり続ける必要があったから。老い先がそう長くもない最近では、続ける必要も無くなってきたような気はしないでもないが、それでもやめられないのは惰性というものなのか。
もうひとつは、ユグ村――野盗の被害に遭っている片田舎で最近売り出され始めた酒に用があったからだ。後味を残さずに潔く消えていく。そんな酒の香りが世間の流行らしいが、そこから逆行する、それでいて旨い酒がある。そんな噂を小耳にはさむ機会があり、一度足を運んでみたいと思っていた。
さて、どうしたものかな。
意識を切り替え、改めてこの後の作業を考える。報酬の何割かは酒の現物支給にしてもらおうか。そんな皮算用も今は頭の片隅にとどめる程度にしておく。
聞いた話によれば、数は20程度。時折やってきてはコソコソと畑の作物を中心に奪っていく。襲来は夜間のみで、翌朝に被害に気付くという形が大半。一度だけ昼間にやってきたこともあったが、得物はロクに手入れされた様子も無い刃物ばかり。オマケに村の男たちが集まってきたらすぐさま逃げ出すような腑抜けばかりということらしい。
擬態という可能性もあるかもしれぬし、舐めてかかるのは阿呆のやることだろうが、手練れ(だれ)とは考えにくい。問題なのは根城が砦跡ということくらいだ。逃がさずに全滅させるのは俺ひとりだと、少しばかり難しい。
ならだ、今日のところは頭数を減らせるだけ減らした上で溜め込んだ食い物を焼き払い、金目の物を奪って、住処を荒らしておければ上等だろう。ついでに、酒でもあれば役得として失敬しようか。
あとは放っておけば勝手に潰し合うなり野垂れ死ぬなりしてくれることだろう、しばらくは俺が村に残っておけば、連中が自棄を起こしてトチ狂っても返り討ちにできる。
こんなところか。
大雑把な方針を決めたところで小休止を切り上げて腰を上げ――
「やれやれ……」
3時間ほどが過ぎた頃、俺は同じ場所で岩に腰かけ、大きく息を吐き出していた。
小休止を引き延ばしたわけでなければ、野盗共の駆除をしくじったわけでもなく――
不用心にも程があるだろうが……
むしろその逆。仕事はあまりにもあっさりと。拍子抜けするほどにすんなりと片が付いていた。
見張りを立てることすらなく、真っ昼間からひとところに集まって酒盛り。こっちを油断させる罠ではないかと本気で疑ったくらいだ。締め上げて人数を吐かせて、きっちりと全員始末した。なんとも情けない連中ではあったが、その点はもとより期待もしていなかったのでどうということもなし。
当てが外れたこともひとつだけ、あるにはあったが……。そっちは明日にでも済ませればいいだけのこと。多少の荷物を背負った山登りにはなるだろうが、大した手間でもない。
楽できるのは結構なこと、ではあるのだが……
「とりあえず、村に戻るか」
なんとも奇妙なモヤモヤを抱えつつ小休止を切り上げ――
「何だ?」
――ようとしたところで、妙な感覚がやってくる。何がどう、とは上手く言えそうもない。失笑覚悟で言葉にするなら、長年の経験から来る勘といったところか。
ただ、これまで生きてきた中で、この感覚が来る時は、必ず何かが起きていた。
立ち上がって得物を抜き、周囲に意識を巡らせる。人を襲うような動物が近くに居るような風ではない。人の気配も無い。だが、妙な感覚は強くなっていく。
俺の望みが叶うような何かだったら幸いだが。
そんな益体も無いことを思いつつ、さらに警戒することしばらく。違和感が視界に現れた。目の前の山道が一瞬で色を変える。
足元から急速に伸びた影が色変の正体を光だと示していた。山中で発生する圧倒的な光といえば思いつくものは――
まさか山火事か!?
違う。燃えているという風ではない。だとすると、何の灯りだ?
とっさに浮かんだ可能性は振り向いた瞬間に否定される。熱は感じない。焦げ臭さも嗅ぎ取れない。それに、よく見れば光の色も炎の赤ではなく。金色――近いところを挙げるなら太陽――
「……っとと!」
そんな思考を中断させたのは、新たにやってきたモノ。
地面が跳ね、バランスを崩されそうになるところを、杖を突き立てて踏みとどまる。
地震……ではないな。この揺れ方は……落石を仕掛けられた時と似ている。重いなにかが落ちてきたとでも?だが、それにしたってなんだってこんなところで。ったく、次から次と何がどうなっ……て?
内心での悪態を止めたのは、次にやってきた異変。いや、正確には――
「収まった……のか?」
異変の消失だった。原因不明の光は消え、揺れもすっかり止まっていた。周辺の様子は、ついさっき休憩していた時と全く同じ。むしろ、揺れと光が幻だったと言われても否定できないような姿に戻っていた。少なくとも見た目だけは、だが。
光があった方向に意識を向ければ、何かの気配があった。それに、同じ方向からは――かすかにだが、何かが聞こえてくる。
……知らんぷりを決め込むわけにもいくまいな。ま、好奇心に殺されるならそれはそれで結構なこと。
幸いにも、気配の元が遠い様子はない。足を向けると、聞こえてくる音も鮮明になってくる。音の正体は声――それも若い女のそれらしい。
息をひそめている風ではない。だが、何だってこんなところに?
それに――
何なんだ?この声、無性に引っ掛かりやがる。
聞こえてくる声は何故か意識をざわつかせる。
そんな自問を繰り返しながら、茂みをかき分けた先――開けた場所にあったのは予想通りというべきか、あるいは予想外というべきか。ともあれ、あまりにも異常な光景。
一斉に向けられる――膨大な数の視線だった。