それはマズいだろう!?人としても男としても
ゆっくりと意識が浮き上がるような感覚と共に目を開く。そこにあるのは、見慣れ始めた天井で、昼下がりだった現実はさっきまで見ていたのと同じ、夕焼けの色に変わっていた。
あれやこれやと考えていたらいつの間にやら落ちていたらしい。
たしか……蛇共にお嬢ちゃんの無事を報せに行って……そこでお嬢ちゃん相手に妙な感情を抱いてしまったわけだが……
その後、誤魔化すようにお嬢ちゃんを連れて宿に戻って、お嬢ちゃんの相手を女将に押し付け、今に至る。ということだ。
ったく……なにをやっているのやら……
自嘲をため息とともに吐き出しつつ、客室のベッドから身を起こし、寝起きの身体をほぐしてやる。
それにしても……続けざまとはな……
夢見は悪くなかったが、今朝に続いてアイツと居た頃を夢に見ることになろうとは、それこそ夢にも思わなかった。
アイツが逝ってから40年も経つというのに、未だにアイツ以上にぶっ飛んだ奴にはお目にかかれていないあたり、相当だったのだろうな。
どこまでも破天荒で狡猾で気ままで変わり者で、結局は馬鹿が付く程にお人好しで。そして、俺にとっては最高の女だった。
アイツと居た頃を思うと、自然に頬が緩んでしまうのは、それだけアイツとの日々が輝いていたということ――あえて恥ずかしい言い回しをするのなら、俺の青春というやつだったのだろう。まあ、苦笑が多いような気がするのはご愛敬というやつだ。
あの時も、苦笑いをさせられたものだ。
今しがたの夢に浮かんで来たのは、アイツと出会って1年程が過ぎた日。
俺とケイトが、相棒同士になった日の記憶。
もっとも、俺とアイツとでは認識に大きなずれがあったのだが……
そのことを思い、早速苦笑いを浮かべてしまう。
アイツが押しかけ弟子をやらかしたのは、俺に一目惚れというやつをしたからで、相棒になったその夜に記念と称してしこたま飲まされて――アイツが勧めてきた強い酒を柑橘で割ったものは飲みやすく美味かったが――翌朝目覚めてみれば俺は素っ裸。同じく素っ裸のアイツが同じベッドの中で、にこにこ笑顔で俺のことを眺めてくれやがった。詳しいところは省くが、つまりはそういうことだ。
ちなみにだがその際に「相棒というか……あなたの愛の棒、素敵でしたよ」などとほざかれた時は思わず拳骨を落としてしまったが……その件については今でも反省をしていなければ後悔もしていない。
ともあれ、結局は昼夜問わずの相棒にさせられ、昼夜構わずアイツに振り回され続けることになってしまったわけで。
まあ、そのことに一切の不満を感じられなかったあたり、俺もいつの間にやらアイツに惚れさせられていたということなのだろうが。
ふたりでそれまで以上に数えきれないほどに馬鹿をやって……本当に、あの頃は楽しかった。
……っと、思い出に浸るのはこのくらいにしておくか。
閉められたドアの向こうで誰かの気配が立ち止まる。
「ティーク」
控えめなノックと共に聞こえたのは、お嬢ちゃんの声。
「開けてもいいぞ……と言っても分からぬか」
さっきのことがあったとはいえ、無視を決め込むわけにもいくまい。だから、こちらからドアを開けてやる。
そこにあったのは、どこか不安そうなお嬢ちゃんの顔。けれど、今度は妙な感覚はやってこなかった。さっきのアレは、気のせいというやつなのだろう。
「晩飯が出来たのか?」
それはそうと、お嬢ちゃんがやってきた理由。今の時刻を考えれば、思いつくのはそんなところ。
「ボウト ホミィ テンフ リーシャ」
リーシャ――女将の名が出て来るということは、伝言らしい。となると、晩飯だろうかな。 “ボウト”“ホミィ”“テンフ”のどれかが飯という意味なのか。
「行くか」
「……やけに豪勢だな」
この宿は今のところ、俺とお嬢ちゃんの貸し切りのようなもの。だから、料理が並んでいるテーブルがひとつだけなのは当然だろう。
そして、そこに並んでいたのはといえば――中心と思しきは、餡を絡めた野菜の煮物がたっぷりとかけられた焼き魚。
湯気を立ち上らせるのは、大ぶりの野菜がゴロゴロと浮かんだシチューで、よく見れば燻製肉も惜しみなしに入れられていた。
小皿にあるのは、葉物野菜の炒め物に、細かく刻んだ根菜の揚げ物。別の皿には、切り口ににじむ水気からして採れたてとわかるような、綺麗に切られた果物まで。
大きな街の高そうな食堂で金を積めばこれくらいは普通に出て来るだろうが、田舎村の宿兼食堂兼酒場には、あまり似つかわしくないような光景だった。
「ほら、突っ立ってないで座りなよ」
そう言ってやって来た女将がさらに置くのは、白紅色の何かが入ったグラス。
「こいつは、ニンジンの絞り汁を牛乳で割ってハチミツで味を調えた物さ。あたしの独自だけど、味は保証するよ。あんた、仕事が終わるまでは酒は飲まないんだろう?」
「ああ。前にも言った通りだ」
それもまた、いつもの茶よりも手が込んだものだとは理解出来た。
「明らかに気合の入り方が違うようだが……」
そして、その理由が理解出来ない。
「村のみんなからのお礼だよ」
と、言われてみても……ああ。そういうことか。
少し考えて、思い当たるところがあった。
「あの湧き水。酒造りにも使っていたのか?」
そう考えれば納得がいく。あの落石をどうにかしなければ、この村の先行きにも影響が出かねないところだった、という話だろう。
そして――結果的にだが――その問題を俺が数分で解決してしまった、というわけだ。
「そういうことさね。それなのに、あんたはすぐにいなくなっちゃっただろう?」
「ああ」
あの逃げは正解だったわけだ。あのまま残っていたら、感謝やら称賛やらを浴びせられたに違いない。
「だから、わかりやすく形でお礼を示そうって話になったのさ。それに……」
「それに?」
意味ありげにニヤリと笑う女将。
「あんた、称えられるのって好きじゃないだろう?」
「……よくわかったな」
「あんたって、良く言えば謙虚。悪く言えば卑屈な性分だからね」
言い切られた。
「お前さんは、歯に衣着せるということを覚えるべきではなかろうかな?」
隠した覚えは皆無だが、わざわざ話したこともないというのに。言動の端々に覗く部分から読み取った、というやつだろうかな。長年客商売をやっているのは伊達ではない、ということか。一言多いのはアレだが。
ま、いいけどよ……
俺としては、より美味い飯にありつけるのであれば否は無し。
「そういうことなら、素直に受け取るとしよう」
「あいよ。冷めないうちに食べとくれ。ケイコちゃんも、遠慮しなくていいからね」
「ごちそうさん」
「サリュー」
腹八分程度まで料理を詰め込み、食後の定型句を口にする。量もさることながら、女将が腕によりをかけたということなのだろう。実に美味かった。
ちなみに、元々の量が多すぎたわけだが、残った分は気にしなくともいい、とのこと。
なんでも、このあとで村の男たちがやって来て酒の肴にするのだとか。
そんなわけだから、俺はお嬢ちゃんを連れて場所替えという名の避難をすることにした。
行き先は、宿の裏手にあるちょっとした広場。数時間前に、お嬢ちゃんを連れていこうとした場所だ。
「オとす」
そう言ったお嬢ちゃんが手に持った小石を落とし、
「ヒろう」
そう言って落とした小石を拾い、
「ナげる」
そう言って拾った小石を放り投げる。
「ああ」
「ハい!」
こんなやり取りをしているのは、別に気が触れたからではない。簡単な動作のアネイカ言語を教え、その復習をしていたところだ。
さて、次は何を教えるか……
なんだかんだでこのお嬢ちゃん、頭は悪い方ではないらしく、教えたことはどんどんと吸収してくれる。
“行く”“戻る”あたりをやってみるか?“歩く”に比べたら多少は難しいかもしれぬが。まあ、今はわからずとも、今後へのとっかかりくらいにはなるか。とはいえ、少しでもわかりやすい教え方をしてやらねばな。ならば……
そんな様子と、ひとつ言葉を理解するたびに見せてくれる嬉しそうな顔を見るのがなかなかに楽しくて、俺も全力で頭を回し続けてしまう。
「ティーク」
「うん?」
あれやこれやを考えていると、クイクイと上着の袖を摘ままれる。
「イクス モつ オゥグ」
そう言って指で指すのは、俺の肩より少し上。
“持つ”はさっき教えたばかりだが……何を?……ああ、そういうことか。
肩の上に覗いていたのは、革製の鞘に入れて背負っている得物。
イクス 持つ オゥグ、か。
とりあえず、引き抜いた得物を渡してみる。
「アリガトウ!」
嬉しそうに礼を言ってくる。
“オゥグ”も見えて来たぞ。“持つ”と言ったお嬢ちゃんに鉄杖を持たせてやり、その結果嬉しそうに礼を言ってきた。なら、“何かをしたい”と考えてよさそうか。
例えばだが、“ドウラ オゥグ”なら“食べたい”ということになるのだろう。
お嬢ちゃんの謎言語は現在進行で頭を悩ませてくれてはいるが、ゆっくりであるとはいえ、理解出来るようになっていくというのは存外楽しいものでもある。
「……ていっ!」
そんなことを考えていると、十分に俺から距離を取って鉄杖を眺めていたお嬢ちゃんが勢いよく振り下ろした。
「せいっ!てやぁっ!」
さらに2度3度と、縦に横にと振り回す。
昼間に見せたあの芸当で興味を持った、というところか?
多分だが、ガキの頃は俺も似たようなことをやった。適当な棒切れを伝説の剣やらに見立てて、おとぎ話の英雄の真似事。なんてのは、あまりにもよくあることだ。今のお嬢ちゃんがやっているのも、持ち手は剣を扱う時のそれだ。
身近なところでならば、キードの坊主あたりもきっとやっているのだろう。男児ではなく女児がやるというのは多少珍しくもあるが、珍しさは多少の域を出てはいない。
ふむ……この動きは……
むしろ気になったのは、その形……正確には型というべきか。
闇雲に振り回している、といった風ではない。まるで――
「可愛い掛け声がすると思ったら、おもしろいことになってるようだね」
「そうだな」
やって来たのはここの女将。
「ケイコちゃんもああいうの、好きなんだねぇ……。少し意外だったよ」
「そうだな」
相槌を繰り返す。言っていること自体には俺も同感だったから。
「……だけど、いいのかい?」
「何がだ?」
鉄杖を振り回すお嬢ちゃんを眺めるうち、女将が何やら聞いて来る。
「大事な武器を貸したりしてさ」
「……別に構わぬさ」
たしかに、あの鉄杖は俺の商売道具ではあるだろうが、それくらいで立てるような目くじらは持ち合わせていない。
まあ、怪我をしそうになればすぐにでも止めるつもりではいるし、怪我をさせるとか物を壊すとかをやろうとするのなら、即座に取り上げるところではあるが。
そんな様子が無いのであれば――
「むしろ微笑ましいというやつだな」
といった感想しか出てこない。
「それもそうだね。ところでさ……」
「今度はなんだ?」
「ケイコちゃんって、素質ありそうだね」
「……唐突に何を言い出すのかと思えば」
「キードなんかがあんな風に棒切れを振り回してるのはたまに見るんだけど……」
坊主に関して、俺の予想は当たっていたらしい。
「なんとなく雰囲気が違う気がしてねぇ」
「ほう……」
素直に感心する。この女将も、俺と同じ違和感を感じ取ったらしい。
「だから――」
「お嬢ちゃんは素質に恵まれた、と言いたいわけだな」
「そうさ」
得意げに胸を張る。だが、
途中まではともかくとして、その結論は……
「それは無い」
違うと断言できた。
「ありゃま……。違ってたかい」
そこまで自分の考えに固執があったわけでもないらしく、気を悪くした風もなく受け入れる女将から目線を外し、あらためてお嬢ちゃんの動きを見る。
例えば……今の横振り。あれは完全に腕の力だけで振っている。見た目相応年相応以上の腕力があるわけでもないお嬢ちゃんが繰り出すのであれば、俺でも手の平で容易く受け止められるだろう。
それに、足の置き方も上手くない。おかげで重心が安定せず、振った勢いで身体が振り回されている。
他にも、握り方や目線の使い方、どれひとつを取っても、素質を見出せるような部分は無かった。
ただひとつ気になったのは――
知っている型をなぞろうとしているように見える、ということ。
剣の使い手を見て育ってきたのか?だが、お嬢ちゃん自身が剣を握ったことがないということは、手の平を見ればわかる。
っと、そろそろ時間だな。
月を見やれば、そろそろ夜の番に付く頃合い。考え事の続きは場所を変えてやるとしようか。
「ケイコ。得物を、持つ、オゥグ」
「……クゥレ。ハい」
試しに使ってみた“オゥグ”やはり合っていたようで、すぐに鉄杖を返してくれる。
「アリガトウ」
額に汗を浮かべて、満面の笑みで礼の言葉を言ってくる。名残惜しそうな様子もあるあたり、本当に楽しかったということらしい。
だったら、明日にでもまた使わせてやろうか。
それにしても、何者なのだろうかな、あのお嬢ちゃんは……
ユグ山方面の出口で柵に寄り掛かり、何度目になるかもわからないことを思う。
鉄杖を持たせた時の挙動といい、理解出来たことが増えただけ、わからないことも出て来るようなお嬢ちゃんだ。
わからないといえば……山道でお嬢ちゃんに礼を言われた時に感じたアレはなんだったのやら……
俺はケイコお嬢ちゃんをアイツと重ねてしまっているわけだが……それを踏まえて考えると……
満面の笑みと、アイツそっくりの声だったとはいえあの感覚……まるで、アイツと相棒になった時みたいで……って!それはマズいだろう!?人としても男としても。
ケイコお嬢ちゃんとの間にどれだけ歳の差があると思っているんだ俺は……。親子どころか、祖父と孫ほどに離れているだろうに……
過去には、そういう趣味で幼子に付きまとう輩の始末を引き受けたこともあったが、そういった手合いが世間様からどう扱われるのかは、何度も見て来たわけで。
それに……
何よりも強く思うこと。
そんなことを思うのは、アイツに対する冒涜だ。そして、同じくらいに、ケイコお嬢ちゃんに対しても非礼な話になる。だったら……
アイツとケイコお嬢ちゃんを重ねる。半ば無意識にやってしまっていることとはいえ、そんな考えは、意識的に切り離しておく必要がある、か……
ため息をひとつ。
結局は、早いところ言葉を覚えてもらうしかないのだろうがな……
無理矢理に切り替えた思考の行き着く先は昨日から変わらず。ならばそちらに意識を向ける。
さて、明日は何をどうやって教えようか……
昨日に続いていろいろあった今日も、昨日と同じようにケイコお嬢ちゃんのことを考えながらに終わりを迎えていた。