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遠い日々・お前とふたりで、これからもいろいろな馬鹿をやっていきたい

「もしかして、私って迷惑ですか?」


 呆然(ぼうぜん)とした表情のままに、ケイトはそんなことをつぶやく。


「は?」

「押しかけ弟子としてあなたに付いてきたことは事実ですけど、これでもあなたの足手まといにはなるまいって、必死こいて頑張って来たつもりなのに……」


 いや、どういう思考してるんだよ!


 師弟という形があまりにも不相応だったから、そこを正そうと言っただけなんだが……


 いじけたようなケイトの言い分はどうにもズレていた。


「そうじゃない!お前を迷惑なんて思ったことは……無い」


 一瞬の間が開いてしまったのは、出会ったばかりの頃――鬱陶(うっとう)しいと感じていた時期が頭をよぎったから。


「今、間が開きましたよね?やっぱり迷惑だって思ってるんじゃないですか!」


 そしてそれは、あっさりと見抜かれてしまう。


「だからそれは違うって言っているだろうが」

「でも、今……」

「認めるよ。最初はうざったいとも思ってたさ」

「やっぱり!」

「最後まで聞けよ!今はそうじゃねぇ!」


 弟子入りを認めさせられたばかりの頃は(わずら)わしくも感じていた。それは間違いなく事実。否定のしようもない。だが、それもせいぜいひと月ほどだ。あとは、そんな感情はすっかりと忘れて……いや、違うか。忘れさせられていたんだ。


 振り回されていた部分も小さくはなかろうが、そんな日々も悪いものじゃなかった。


「じゃあ言葉にしてくださいよ。私のこと、どう思ってるんですか?」

「それは……その……なんだ……」


 いざ口にするとなると、気恥ずかしさもあってか、上手く言葉が出てこない。こういう時はケイトの口達者振(くちだっしゃぶ)りが(うらや)ましい。


「……ごめんなさい」

「うん?」


 今度は何をどう解釈したのか、唐突に謝りだす。


「また、気を遣わせてしまったんですね。口ではなんだかんだ言ってもティークはお人好しですから。わかっています。なるべく私を傷付けないようにって、悩んでくれているんですよね。その気持ちだけで十分です」

「は?」


 いや、いったいお前は何を言ってるんだ?


 日頃は恐ろしいほどの鋭さで俺の心理に踏み込んでくるケイト。だが、今は見当違いの方向に全力疾走しているように思えるんだが……


「やっぱり、あなたには迷惑だったんですよね。そうですよね。無理を言って弟子にしてもらったのに……。生意気だったって、自分でも思いますよ。放り出されることはなかったけれど、それはあなたの優しさがそうさせていただけ、なんですよね?」


 生意気だって自覚はあったのか。まあ、そこらへんはお互い様というやつだ。俺だって、師匠らしいことなど、ただのひとつもしてやれはしなかったんだから。


「私はティークにとって邪魔なんじゃないかって、心のどこかではずっと思っていました。でも、そんな気持ちからは目を背けていた。あなたといられた時間が本当に楽しかったから」


 いや、だから迷惑と感じていたのは過去のことだとも言ったんだが……


「だけど、それもお終いにしますね。最後に、これだけは言わせてください。ティーク。今まで隣に居させてくれたこと、本当にありがとうございました!」


 何やら勝手に決意を固め、勝手に――別れの挨拶らしきものを告げて来る。不意に、心の奥底で(うごめ)く何かが渦を巻くような感覚がやって来た。


 何だよそれ?


「家出同然に飛び出してきた手前もありますし、今更帰る気にはなれませんけど……これからも鏡追いとしてやっていこうと思います」


 散々俺のことを振り回しておいて……


「私ならひとりでも大丈夫です」


 散々俺の心に踏み込んでおいて……


「これでも、あなたに鍛えられましたから」


 今度は勝手におさらばだと?


「いつかどこかで再会できたなら、その時はお酒を酌み交わしましょう」


 何を綺麗に()(くく)ろうとしてやがるんだよ!


 一方的な別れを伝えられるうち、冷静だったはずの頭が熱を帯びて来る。その感情は――怒りだ。


「それでは。どうか……息災(そくさい)で」


 立ち上がって頭を下げ、背を向けて――ソレが見えた。


「ふざ……けるなぁっ!」


 その瞬間。すべてが弾け、自分の本心を理解し、突き動かされるままに叫んでいた。


「ティーク!?」


 去ろうとするケイトに追いつき、腕を掴む。


「は、放してください!」

「知ったことかよ!」


 拒絶は無視。引き寄せ、両の腕で押さえ込む。俺は男でケイトは女。同程度の年齢であれば当然、膂力(りょりょく)の差はあり、動きを止めるのは造作無いことだった。


「え……?あ、あの……これって……夢?でも、夢にしてはやけに……」


 途端に抵抗が弱まり、上ずったような声で何やら言い出す。まあいい。暴れられるよりは好都合だ。


 思っていたよりも華奢(きゃしゃ)だったことには多少の驚きもあったが、それも今は棚上げしておく。


 腕に伝わって来る鼓動(こどう)早鐘(はやがね)は、多分俺のものだ。今の自分が動揺していることくらいは認識出来ている。


 今更ながらに気付いた本心。


 ケイトは言ってくれた。俺との時間は楽しかった、と。


 何のことはない。俺も同じだったんだ。


 ケイトに出会う前。ひとりで気ままにやって来た1年は、それなりに充実していたと思っている。こんな日々が死ぬまで続くのも悪くないと、本気で考えていた。それでも――


 ケイトと出会ってからの1年は――ついさっきだけを例外に――思い出せる限りいつだって笑っていた。


 初めから無いよりも失う方が辛いに決まっている。たまに聞く話だが、俺にもしっかりと当てはまっていたらしい。


 もしも、知らなかったのならば、こんな気持ちにはならなかったことだろう。だけど、俺はその輝きを知ってしまった。その喜びを教え込まれた。(とりこ)にさせられていた。


 あるいは、ケイトに愛想を尽かされたのであれば、自分を抑えるための努力くらいはした……かもしれない。


 けれど――背を向ける瞬間に見えた表情。夕焼けを映した(ほほ)(しずく)。ケイト自身の言動。それら全てが、そんな仮説を全否定する。


 ケイトも、俺の隣に居続けることを望んでいるのだと告げて来る。


 俺たちが求めることは同じなのだと、確信があった。


 だから、俺は自制を放棄する。


「頼む!行かないでくれ!」


 その結果として口から出て来たのは、何とも情けの無い言葉ではあったが。




「……」

「……」


 揃って沈黙していたのが数秒だったのか、あるいは数十秒だったのか。そうする内、段々と頭も冷えて来た。その結果感じたのは――


 何やってたんだよ俺は……


 強い、それはもう強い羞恥(しゅうち)の感情だった。


 落ち込んで立ち直った矢先にいろいろあって流されていたのは事実だろうが、去り行く女を捕まえて――構図としては抱き締める、というやつだったことが拍車をかける――妻に逃げられかけの駄目夫のようなセリフを叫んでいたわけで。


 とはいえ、なぁ……


 原因不明の熱病が過ぎ去った頭で考えてみる。


 ケイトが居なくなると感じて抱いたもの。ケイトを失いたくないという衝動は、心底のものだった。そして、ケイトも別離を望んでいないと確信出来た根拠もまた、納得のいくものだった。


 つまるところ、俺もケイトも現状を望んでいたという話になるんだよな?


 自問した結果はそうなった。


 だというのに、どうしてああなったのか?まったくもってわけがわからん。というのが、今の心境だ。


 頭が()っていたとはこういうことを言うんだろうかな。善し悪しはともかくとして、勉強にはなったのかもしれんが。


「……ねぇ、ティーク」


 どうしたものかと思案している中、腕の中でじっとしたままに、先に口を開いたのはケイトの方。


「さっき言ったこと、本当ですか?」


 その問いかけは、なんとも不安げで。


「行かないでくれ、ってやつか?」

「……はい」


 問い返すと一瞬だけ、ケイトの身体がビクリと震えた。


「……その、気の迷いだったらそれでもいいんです。本気じゃ……ないんですよね?今だったらまだ間に合いますから。まだ、思い出にできますから。正直に言ってくれてもいいんですよ?」


 だからお前は何を言っているんだかな……


 口にしたのは勢いもあっただろうが、中身は掛け値なしの本気だった。感情だけでなく、今は理性も一致している。


 だから――


「俺は……」


 まだ残っている気恥ずかしさは抑え込んで。


「いや、俺も……」


 ありったけの勇気を振り絞る。


「お前と居るのは楽しかったんだ。だからさ……これからも隣にいてほしい。師弟じゃなくて――」


 俺が望む間柄はそうじゃなくて、


「相棒として」


 そんな、対等なものだ。


「……」


 即答は無かった。


 その代わりなのか、ケイトの手が、硬さと柔らかさが同居した手の平が、俺の手の甲に重ねられる。


「きっと、後悔しますよ?」

「どういう意味かは知らんが、ここでお前を行かせちまう以上の後悔は思いつかんな」

「本当に、これが最後の機会だと思いますよ。ここで拒んでくれなかったら、もうあなたから離れられなくなってしまう。もう、自分を抑えられなくなっちゃいますよ?」

「それこそ望むところだよ。いつか足を洗うのか、その前にくたばるのかはわからんさ。あるいは、俺が愛想を尽かされる日が来ないとも言えないだろうさ。けど、その時までは、隣を歩いてほしい。背中を預けてほしい。背中を預けさせてほしい。お前とふたりで、これからもいろいろな馬鹿をやっていきたい。返答を聞かせてくれ、ケイト」


 拘束を緩めると、そっと腕の中から抜け出したケイトが向き直る。きっと、その時の顔を俺は死ぬまで忘れない。


「はい。喜んで」


 物語の世界だけの事と思っていたこと。笑顔に見とれる、というのは現実に起こり得ることなのだと、理解させられた瞬間だった。

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