これさえなければとっくに死ねていたのだろうがな……
「……クゥレフィト!ティークフィト!ミスティフィト!」
轟音と揺れはすぐに収まったが、その後の状況を見たお嬢ちゃんが上げたのは取り乱しきった風の声。表情はわからないが、落ち着いたものでないだろうとは、容易に予想できた。
「大丈夫だ。心配しなくていい」
だから、俺がかける声は落ち着いたものに。臆病風は感染するらしいが、焦りやらも似たような性質を持っているらしいとは、経験で知っていたから。
「何があっても俺が守るさ。だから落ち着いてくれ。泡食って暴れたらかえって危険なのでな」
だから、あくまでも静かに、ゆっくりと言葉をかける。
「……ラペット」
その甲斐あってか、慌てた様子は治めてくれたらしい。
「いい子だ」
頭を撫でてやる。今の状況では色も分からぬが、お嬢ちゃんの黒髪は手触りがいい。
さて、これからどうするかだが……
「……セイル ミスティ。クゥレフィト!モウア フィーユ オゥド!」
「どうした……って、あいつらか!」
一度は落ち着きを取り戻したお嬢ちゃんが唐突に声を上げる。何かと思い、すぐに理解した。細長い何かが外に這い出していくのが見えたからだ。
あれはお嬢ちゃんの仔蛇共か……。連中のこれまでを見る限り、お嬢ちゃんを見捨てて逃げ出したとは考えにくい。ならば、山中に居る他の蛇共を呼びに行ったと考えるのが妥当……なのだろうが。
これは……あまりうまくないな。
蛇共の立場でなら、悪い判断ではないだろう。蛇が300揃ったところでどうにか出来るかは疑問だが、頭数があれば選択肢も増える。幸か不幸かはともかく、仔蛇共の大きさであれば、隙間からここを出ることも可能なのだから。問題があるとすれば――
「おーい!中に!誰か!いるのか!」
「村長サンか!?」
「その声!鏡追いさんですよね!?ということは!あの娘さんも!そこに!いるんですか!?」
「ああ!俺も!ケイコお嬢ちゃんも!閉じ込められた!らしい!」
わずかな隙間で繋がった外からの呼びかけに応えて、俺も声を張り上げる。
気が付いた村の連中が集まって来るということ。村長の様子からして仔蛇共と鉢合わせはしなかったようだが、他の蛇共がやってくれば大騒ぎは間違いない。お嬢ちゃんと蛇共の関係を考えれば、避けたいところ。俺に蛇共の退治依頼なんてものが来た日には、目も当てられない。
「それで!何が!どうなったんだ!?こちらは!真っ暗で!ロクに!見えぬのだが!」
まずは状況の確認。かすかな隙間から差し込む光だけの光源とはいえ、大体の予想は出来ているが、念のためというやつだ。
「落石が!ほら穴を!塞いで!いるんです!」
やはりか……
どうやら予想通りだったらしい。多分だが、昨日――光の柱が現れた時の揺れで崩れかけていて、実際に落ちて来たのがついさっき、ということなのだろう。
やれやれ……。迂闊だった。
間が悪かったというのもあるのだろうが、その危険性を見落としていたとは。思い至れていたのなら、長居せずにさっさと出ていたものを。せめて、入る前に頭上の確認だけでもやっておくべきだった。
まあ、俺はともかくとして、お嬢ちゃんが出ようとしたところに岩が降って来て――なんてことにならなかったのは幸運とも言えるのか?だとしたら、その幸運は40年前に欲しかったところだ。そうすればアイツは……っと、これ以上はやめておくか。
古傷を疼かせる方向に逸れた思考を修正。今考えるべきは、ケイコお嬢ちゃんのこと。ついでに、蛇共と村の連中を出会わせないことだ。
「鏡追いさん!男たちが!集まって!来たので!岩を!押せないか!試して!みます!念のため!離れて!ください!」
「わかった!」
出口を塞ぐ岩の隙間から響く声に応え、お嬢ちゃんを連れて下がる。そして――
『せー……のっ!』
気合いと共に岩は――ビクともしなかった。
「もう一度やってみるぞ!」
「「「「「おう!」」」」」
『せー……のっ!』
それでも結果は同じ。
「やっぱりだめか……」
聞こえて来るのは落胆の声。
この様子からして……落ちて来たのは、そこそこに大きな岩らしい。数は恐らくひとつ。それが、割れるのではなく地面に刺さっているといったところか。
「ティーク。セイルタゲ、ネイト ラグレスフィト」
上着の裾を掴んだお嬢ちゃんが俺を見上げる。ようやく暗がりに慣れて来た視界に移るその顔は、今にも泣きだしそうで――
仕方あるまいな。
その表情が覚悟を決めさせる。どの道、蛇共が戻る前にどうにかする必要があるのだから。だったら、四のも五のも抜くとしようか。
この程度の岩であれば、短時間で砕くのはさして難しいことでもない。代償としては、妙に持ち上げられてしまう――かもしれないというだけのこと。
「心配するな。すぐに出られるさ。……おーい!村長サン!今から!この岩を!砕けないか!試してみる!念のため!離れてくれ!」
「砕く!?無茶ですよ!」
「手段は!無いわけじゃ!ないんだ!やるだけ!やらせてくれ!」
「わかりました!こっちも!他に!方法が!ないか!考えて!みます!」
「ティーク……」
「大丈夫だ」
不安そうにしているお嬢ちゃんの頭を撫でてやる。
「今から、ちょいと、あの岩を、ぶっ壊してくる。もう少しだけ、待っていて、くれよ?」
もう一度お嬢ちゃんを下がらせ、大人しくしているように身振りで伝える。
さて、やるか!
岩の前に立って背中の得物を抜く。岩砕きに使うのは、当然ながら愛用の――といっても数打ち品だが――鉄杖。俺の腕力だけでどうにかできるものでもないが、とある芸当を使えば、造作もないことだろう。
アイツとふたりで作り上げたこの芸当は、本当に至る所で役に立ってくれやがる。これさえなければとっくに死ねていたのだろうがな……
ま、いいけどよ……
それをぼやいても始まりはするまいな。
今やることに意識を集中させる。
鉄杖の長さはおよそ80シィラ。1シィラが指先の幅と同程度。80シィラは俺の身の丈の半分といったところ。
普段は取り回しを重視して真ん中を持つことが多いが、今は間合い重視で端を持つ。鉄杖を剣に見立てたなら、柄を握っている形だろうか。
長く持ってのこの芸当は多少難度が上がるが、実戦の中でも千に届いたとて驚かない程度には繰り返してきたこと。動かない岩相手なら、しくじる道理も無い。
「さて……」
軽く吸った息を吐き出して呼気を整え――
「そらっ!」
掛け声を伴わせて得物を突き出す。
「そこまで厚くなかったのは幸いか」
カツンッ!と、軽い音が聞こえた。軽い手応えもあった。岩に突き刺さった得物を抜いてやれば、穿ったばかりの穴の向こうからは光が差し込んでくる。
「ウース……」
惚けたようなお嬢ちゃんの声。
一撃で粉砕するのは俺には無理だろうが、穿たれた場所からは細かなヒビが広がっていくことだろう。
同じ要領で、岩のあちこちに穴を空けてやればどうなるか?
そして、同じ作業を20回ほど繰り返した頃には、岩は穴だらけになっていた。
頃合い、だろうかな?
「よっこら……せいっ!っと」
試しに、ということで岩に蹴りを入れてみる。駄目ならばさらに何度か穴を空けてから、そんなことを考えてはいたが、岩砕きはそこで完了だったらしい。
蜘蛛の巣のように広がっていた亀裂が一斉に結びつき、岩石が崩れ落ちる。その先にあったのは、ユグ村の昼下がりと村の連中の唖然とした顔で、振り返った先にあったお嬢ちゃんの顔に浮かんでいたのも同じような表情だった。