ゆえに、鏡追い
うん?そういえば……
楽し気に名乗り合うお嬢ちゃんとキードの坊主を見ていて俺も和みかけたところで、不意に思い出した。この坊主、俺に用があってやって来た風じゃなかったか、と。
「ああっ!」
「クゥレフィト」
それとほぼ同時に坊主も声を上げ、向き合っていたお嬢ちゃんは『どうかしたの?』とでも言いたげに首を傾げる。
「鏡追いさん……じゃない、ダンナに伝えることがあったんだ!」
5000ジット硬貨を目にしたことと、お嬢ちゃんに声をかけられたことで吹き飛んでいたらしい。まあ、俺も似たようなものだ。偉そうなことは言うまい。
「すまねぇ、ダンナ」
口調も鏡追い気取りのそれに戻っていた。
「別に謝ることでもないだろうさ。それで、お前さんの用向きというのは、頼んでいた調べ物の結果か?」
俺としては、何かの間違いで有用なことが分かれば儲けもの、くらいの認識だった。が、耳寄りな情報が云々と言ってくるくらいだ。何かしらがあったのだろう。
「ああ。光の柱が現れた時の状況に関して、興味深い話が聞けたんだ。情報料は弾んでもらうぜ」
ったく、この坊主め……
たとえ空振りでも、手間賃として小遣い程度は払うつもりでいたが。
まあいい。あまり大金を与えるのも為にならぬだろうが、付き合うだけは付き合ってやるか。
「まずは前金だ」
2ジットを渡してやる。
「残りはお前さんの仕事次第だな。それで、そこまで大見得を切るくらいだ、何もわかりませんでした、は通らぬぞ。お前さん、何を掴んできた?」
「やったぁ!っとと……へへ、もちろんなんだぜ。光の柱を目撃したのは全部で6人いたんだけどね、その中でひとりだけ、直前に空を見てたひとがいたんだぜ」
「直前?」
つまり前兆があった、ということか?
「空の一部が黒っぽくなって、なんだろう?って思ってたら、光の柱が出て来たんだって」
「なるほど」
大した期待はしていなかったが、いい意味での予想外だ。
坊主が聞いてきたことが事実だったなら、あの光は空から――ケイコお嬢ちゃんと同時に現れたという線が濃くなる。一応、目撃者本人にも直接聞いてみる必要はあるだろうが。
「その話は誰から聞いた?」
「トナンおじさんから」
トナン。軽く話したことがあったな。のんびりした気性の男だったか。
「わかった。ありがとうよ、興味深い話だった。それで、報酬は何をご所望だ?」
俺としては、2ジット程度は上乗せしてもいいとは思っている。が、せっかくだ。この坊主が好みそうな――いかにも鏡追いらしい印象のある、値上げ交渉ごっこを振ってみる。
「お……おう……。じゃあ……えーと……」
予想外に出くわし、年相応の素を丸出しで考えることしばし、
「だったら、ダンナに聞きたいことがあるんだぜ」
「……俺で答えられることならば、な」
ふむ、そう来るか……
俺としても、坊主が望んできたことは予想外。
「なら、聞かせてくれよ。ずっと気になってたんだけどさ、何で鏡追いなんだ?」
少しばかり言葉が足りないあたりはご愛敬か。
「……それは、俺が鏡追いになった経緯を聞きたいということか?」
不足部分を俺なりに補えば、こんなところだが。
「いや……そうじゃなくてさ。なんで鏡追いって呼び方なの?鏡を追いかけてるわけじゃないんでしょ……なんだぜ」
ああ、そういうことか。
「俺らは鏡追いと呼ばれてはいるが、なぜそう呼ばれているのかを知りたい、ということだな?」
「ああ。前にこの村に来た鏡追いにも聞いてみたんだけど、誰も知らなかったんだよ」
「そうなのか?」
「そうだよ……だぜ」
ふむ……。そういうこともあるのか?
俺としては、誰も知らなかったということの方が意外だ。
「お前さんの口ぶりだと、これまでにも同じ質問をしてきたようだが、何人くらいに聞いてきた?」
「えーと……5人くらいかなぁ……」
それくらいなら、たまたま知らなかったというのも……一応はあり得るのか?
ま、いいけどよ……
何にせよ、俺の知識にはあることで、隠し立てする理由はひとつとしてなく、話すことも大した手間じゃない。
「鏡追いが鏡追いと呼ばれる由縁だな。構わぬぞ」
「ってことは、ダンナは知ってるのか!?」
「知っている。というかだな……そんなものは常識だぞ」
過去に坊主が聞いたという5人が少数派だったのか、面倒に思って知らぬふりをしたのかまではわからぬ。が、俺にしてみれば『ソレを知らないのは鏡追いとしてどうなんだ?』と言いたくなるようなことだ。
「おや、あんたは知ってたのかい?」
そして、聞き耳を立てていたらしい女将も加わって来る。
「なら、あたしにも聞かせとくれよ。あたしも興味はあるからね」
「構わぬぞ」
拒む理由は有るわけもなく。
「じゃあ、少し待ってなよ。お茶でも淹れて来るからさ」
「さて、鏡追いが鏡追いと呼ばれるようになった由来だが……」
女将が用意した茶をひとすすり。喉から鼻に抜ける爽やかな香りと程よい熱さは心地がいい。気分をスッキリさせる効果もありそうな茶の美味さを楽しみつつ周りを見れば、女将と坊主は興味津々と言った風で。ケイコお嬢ちゃんは落ち着いた様子で目を向けて来る。今の段階では意味は分からないだろうが、いくらか言葉を覚えたら、その内にあらためて話をしてもいいかもしれぬ。
「ある程度は過程も含めて話そうか?あるいは、いきなり結論からの方がいいか?坊主、お前さんはどちらがお望みだ?」
あって困る知識ではないだろうが、子供が長話を煩わしく感じるというのもよくあること。だから、本人に聞くことにする。
「過程も聞かせてくれよ。時間はあるからさ」
「心得た。なら……そもそもが、だ。俺らのような稼業がいつからあったのかは知らぬが、鏡追いという呼称が使われるようになったのは……俺が駆け出しだった頃に30年ばかり前からと聞かされたから……今から、80年ほど前のことらしい」
「それなら、それより前はなんて呼ばれてたんだい?」
「ふたつあるな。ひとつは、何でも屋」
「なんだか冴えない名前だねぇ……」
「確かにな」
それには頷かざるをえないところ。もっとも、そちらはまだマシな方だろう。
「もうひとつは、腐れ野盗」
「はぁ!?」
「ええ!?」
あまりにもあまりな呼称だとは俺も思う。女将と坊主の反応にも『なんでそんな風に言われてたんだ!?』という感情がありありと乗せられていた。
「それって、あからさまな蔑称じゃないのさ」
「そうだよ!鏡追いさんたちが悪者みたいじゃないか!」
「世間的にそう思われていた時期もあったということだ。今でこそ、この稼業は受け入れられているが、一時期は嫌われていたのだそうだ。それはもう、親の仇のようにな。まあ、実際にこの稼業が親の仇というのも珍しくない時代だったのだろうが」
そんな時代に生まれずに済んだことは、坊主や女将にとっては幸運だったのだろう。
「当然、理由があるんだろうね?」
不満気な坊主を余所に、女将はそこに目を向ける。このあたりの切り替えは、年の功というやつだろうか。
「ああ。今と当時の違いは、突き詰めてしまえばひとつだけ。当時は繋ぎ屋という仕組みがまだ無かったんだ。坊主、お前さん、繋ぎ屋のことはどれくらい把握している?」
「え?えっと……鏡追いのまとめ役?」
自信無さげに返してきた答えは、的外れ見当外れとまでは行かないが、全くもって足りていない。
「大きな街には大抵はあって、各地の繋ぎ屋は情報を共有している。共有している内容は、鏡追い個々人の腕前と人柄等。鏡追い向けの依頼受け付け担当でもあり、飯のタネを求めてやって来た鏡追いそれぞれに相応の仕事を紹介し、報酬の一部を対価として受け取る。と、こんなところだな」
他にもあれやこれやとあるが、そのあたりは今は省く。
「そ、そうそう!俺もそれを言おうと思ってたんだよ!」
「……ホントかねぇ」
「ほ、ほんとだよ!」
あからさまに取り繕う坊主を冷たい目で見る女将。その気持ちはわからぬでもないが、あえて追従はすまい。坊主への、せめてもの情けとして。
「ま、キードがどこまでわかってたのかはともかくとして……」
そこで追及を切り上げる女将。まあ、悪意を感じ取れぬからかいとしては、妥当な切り上げどころか。
「その頃の鏡追いはさぞかし苦労したんだろうねぇ……」
「だろうな。不相応の仕事を受けて命を落とす奴も山ほど居たと聞く。当時は何でも屋と呼ばれていたが、稼業を初めて1年を生き残れた者は半分にも満たない、なんて話もあったらしい。仕事を見つけられず、食うに困る連中も多かったそうだ。今でも、ある日突然に繋ぎ屋が無くなったら、それに近いことになるのではないかと俺は思っている」
現在の鏡追いは、ほぼ例外無しに繋ぎ屋の恩恵を受けているというのが事実だろう。無論、俺も含めて。
「さて、ここで先に出て来た腐れ野盗という蔑称の話になるわけだが」
「……そういうことかい」
「ああ。そういうことだ」
やはりというか、女将の方は話が早い。
「え……どういうこと?」
一方で坊主の方は理解が追い付かないらしい。
「言っただろう?早死にする奴も多かったが、食うに困る奴も多かった、と」
「そういう連中が、野盗に身を落としたってことさね」
呼称は変われど、食うに困った者の末路は、いつの時代も似たようなもの。
「むしろ、腕が立つ奴が混じっている分、ただの野盗よりも厄介だった。さらにタチが悪いことにな、オウバという名のクズが現れて、そんな奴らをまとめ上げてしまったのさ。アネイカとコーニスのクズ共をひっくるめて。結果、連中はやりたい放題好き放題。しかも――」
だからこそ、より強い敵意を込めて、野盗ではなく腐れ野盗と呼ばれたのだろう。
「真っ当な何でも屋までがそんなクズ共と同類扱いされてな。ますます仕事にありつけず、腐れ野盗に合流する連中が続出と来たものだ。本来なら、野盗を始末した報酬で生計を立てているような奴らまでもが野盗になってしまったら、どうなる?」
「地獄絵図、だろうね。あたしはそんな時代に生まれなくて本当に良かったよ」
「そういうことだ」
想像したのだろう。女将は身を震わせていた。
「おっかねぇなぁ……あ!わかった!」
「うん?」
そして、同じように震えていた坊主が急に立ち上がる。
「何が分かったんだ?」
「そのオウバって奴をやっつけたのが鏡追いなんでしょ?」
「残念ながら違うな」
少し喉が渇いたのでカップに口を付ける。話している内に少し冷めたが、これはこれで美味い。
「オウバを始末したのは、年端も行かぬひとりの子供だと聞いている。まあ、そのあたりは長くなるから省かせてもらうが」
正直な理由としては、この坊主の教育上あまりよろしくない逸話があるから、なのだが、そこはいかにもそれらしい適当な理由で伏せておく。
「元はクズの集団をクズが束ねていただけだ。オウバのクズが間抜けな理由で消え、いつの間にやらクズ共の集団はバラバラになって消えたそうだ。もとより、オウバひとりの手腕でまとまっていたようなもの、だったそうなのでな。もっとも、それで万事めでたしとは行かなかったわけだが」
「何で?悪い奴らはいなくなったんでしょ?」
「それはそうだがな。火事で家が燃えたとして、火が消えたら家が元通りになるわけではないだろう?同じようなことだ」
クズ共という火が消えても、アネイカとコーニスのそこかしこに広がった延焼の被害は消えるはずもなく、深刻なことは他にもあり――
「何でも屋たちが白い目で見られるのも変わらなかった。どうしても、腐れ野盗共の印象が残ってしまっていたからな。かといって、それを放置していたら腐れ野盗が再発しかねない。それに、何でも屋がいなくなるのも問題があった。なんだかんだ言っても、世の中にとって必要な稼業ではあるのだから」
それも今でも変わらないこと。全ての鏡追いが廃業したなら、各所に滞りが出て来ることだろう。
「そんな折に、ひとりの御仁が動き出した。名はミキオ」
「……ミキオフィト」
「うん?」
珍しい名前という意味ではケイコに匹敵するかもしれぬ。そんなことも思ってはいたのだが、当のケイコが反応を示した。
「イクス セーアフェク パズ、レップ ケット コーネフェク ワスン」
“イクス”と“ケット”は何度か聞いたが、やはりわからぬ。が、それはお嬢ちゃんも承知していたらしく、小さく頷いてくれる。
「すまぬな。まだ、理解はしてやれそうにない」
「イいえ。シーク オフ チがう」
気にするな、とでも言ってくれているのだろうかな。今は甘えさせてもらうか。
「ありがとうな」
「ハい」
礼を返せば、笑顔で頷く。『シーク オフ』は『気にする』あたりなのかもしれぬ。
「話が逸れたな。ミキオという御仁が、そんな状況を変えたんだ。その御仁が目を付けたのは、多数の何でも屋が腐れ野盗に落ちた原因」
「食い詰めたから、だったねぇ」
「そう。それに、多くの新人何でも屋が若死にするのもいい話ではないだろう?そこで繋ぎ屋の話になるんだ。そういう仕組みがあれば、何でも屋の境遇は良くなるだろう、とな。紆余曲折は長くなるから省かせてもらうが、最終的にその御仁は繋ぎ屋を創り上げた」
「今度こそわかったよ!」
「何が分かったんだ?」
「そのミキオってひとが鏡追いって名付けたんでしょ!」
「残念だが、それも違う」
さっきと同じように坊主が合点したことは、さっきと同じように的を外していた。
「あんたはもう少し落ち着きを身に着けなよ」
「うぅ……」
「まあ、その御仁が鏡追いの呼び名に関っているのは事実だがな」
女将にたしなめられ、しょんぼりと肩を落とす坊主が少し気の毒に思えて来たので、軽く擁護を入れておく。
「その御仁も元は流れの何でも屋でな。旅をしている理由が何とも変わっていたのさ」
「何だったの?」
「変わり者を探すこと、だとさ」
「それはまた……変わってるねぇ」
「だろう?だからよく言われていたらしい。『変わり者なら、鏡の中にいるだろう?』とな。繋ぎ屋を創った理由も『変わり者探しに役立ちそうだから』というのもあったとのことだ」
「……本当に変わってるねぇ」
「ああ。それは間違いない。それで、付いたふたつ名が“鏡追い”という話になるわけだ」
「今度こそわかった!その人が鏡追いの名前の由来に関係してるんだよね?」
「そうなるわけだが……」
「ねぇ……」
俺と女将は揃ってため息。さすがにここまで来てそこに気付けないのなら、それはそれで発想力とでも言うべきものが欠けているという話になるのではなかろうか?
「ともあれ、その御仁の尽力で何でも屋の境遇は良くなった。それで、せっかくだから前の悪い印象を消すために呼び名も変えようという話になり、その御仁のふたつ名を使わせてもらうことにした、というわけだ」
ゆえに、鏡追い。
その御仁は、別のふたつ名を自分から名乗るようになった。新しいふたつ名というのもまた変わったモノだったのだが、それは余談だろう。
「それが80年ばかり前のことなんだとさ。そして、今に至る」
そう締めくくり、飲み干した茶は冷たくなっていた。随分と長話をしていたらしい。
「なるほどねぇ……」
「そんなことがあったんだ……」
女将にしても坊主にしても、随分と感じ入るところがあったようだ。
「坊主。情報料としては、満足か?」
「うん!」
目を輝かせて頷く。満足したのなら、俺としても結構なことだ。
「あたしも、面白い話が聞けて良かったよ。それじゃあ、これで解散にするかい?あたしもそろそろ仕事に戻らなきゃならないし」
「あっ!俺ももう行かないと。ダンナ、また何かあったら聞かせてくれよな」
そうして、俺とお嬢ちゃんだけが残される。
「ティーク」
「退屈だったか?」
だとしたら悪いことをしたが。
「トグ、ルゥド リート トライド ザッド フォグ オゥグ。リーシャ ティル キード ティル、リガー カースィ」
相変わらずの謎言語だが、お嬢ちゃんの表情は楽しげなもので――
「ああ」
だから俺は、ごく自然に頷いていた。