本当に、素直で気の良いお嬢ちゃんだ
お嬢ちゃんに言葉を教えることは焦らずに行くとして、どうにかして意思の疎通は続けていくべきなのだろうが。
そうは言ってみても、今この場で何をどうしたらいいのか、中々浮かんでこない。
さて、どうしたものかな。蛇共とお嬢ちゃんのようにでも話が通じればいいのだが。ああ、そういえば……
蛇共、という部分で思いついたことがあった。
「ケイコ。これが、なんだか、わかるか?」
お嬢ちゃんの前に置いたのは、蛇共からの貰い物。2ジットの硬貨。
「……フゥラフィト、リンク」
珍しいものを見るように手に取り、不思議そうに見つめる。そして、フィトが付くということは疑問形。
蛇共の件からしても、アレが人間にとって価値あるものだと認識していると考えるのが妥当なのだろうが、2ジット硬貨を目にするのは初めてということか。
念のため、ということで手持ちの硬貨全種類も見せてみるが――
「メント ケット ストウ、ロップ ミスティ」
言葉はわからずとも、表情でわかる反応は変わらずだった。
ちなみに硬貨全種というのは――
鉄製で1本の杖が浮かぶ1ジット硬貨。2本の杖が交差する2ジット硬貨。5本の杖が五角形を描く5ジット硬貨。
銅製で、斧が同じように描かれているのが10、20、50ジット硬貨。
銀製で、槍が同じように描かれているのが100、200、500ジット硬貨。
金製で、剣が同じように描かれているのが1000、2000、5000ジット硬貨。
といった12種類。1、2、5を造ることにした理由は、最小の枚数で1~9の全てを作れるから、とのことらしい。
ともあれ、額が大きすぎて普段の生活ではほとんど使わない5000ジット硬貨ならまだしも、2ジット硬貨を見たことが無いとは普通であれば考えにくい。
だとすれば――
硬貨そのものは知っている。ジット硬貨は見たことがない、と考えるのが妥当だろうか。
言語と同じく、ジットはアネイカとコーニスの全域で使われている唯一の貨幣。それを知らないということは――
結局何も変わらないわけか……
未知の大陸か、下手をすれば別世界から来たのでもなければ説明が付かない。そんな、現時点での仮説を補強するだけだった。
「ダンナ!耳寄りな情報を仕入れて来たよ……じゃない、来たんだぜ!」
なんともままならぬ。そんなことを考えていたところに聞こえて来たのは、無理がある口調での元気のいい声。ひとりの坊主だった。
「よう。何かわかったのか?」
つい先ほど、この村に帰ってきた時に、見張りをしていたこの坊主にひとつの頼みごとをしていた。
「へへ、もちろんなんだぜ。こう見えてもこの村じゃ名前が知れてるんだぜ」
「……10を過ぎても寝小便してたくらいだからねぇ」
「うげ……リーシャオバサン!?」
そんな坊主の得意げな顔を一瞬で青ざめさせたのは、ここの女将。
なるほど、名をリーシャというのか。まあ、俺がそう呼ぶ機会は無いだろうが。
「いや……そんな過去はとっくに捨てたんだよ……」
「生意気言うんじゃないよ。それに、『この村じゃ名前が知れてる』だって?当り前じゃないのさ。50人に満たないような村なんだから。あたしだって全員の顔と名前は憶えてるよ」
「う……それは……えーと……」
そんな女将に言い返せず、しどろもどろになる坊主。
「女将」
憧れはあるようだが、本気で鏡追いをやるつもりなら、これくらいで言い返せなくなるのはどうだろうかとも思うのだが……。今は助け船を出してやることにする。
「俺がその坊主に調べ物を頼んでいたんだ。ここは見逃してやってくれないか?」
「まあ、いいけどね。けど、あまりみんなに心配かけるんじゃないよ」
「はーい……。やれやれ、災難だったぜ」
そして、女将が居なくなるや否やでペロリと舌を出す。とっさの機転はともかく、したたかさと厚い面の皮は備えているらしい。
「それと、ありがとうよ、ダンナ……って!まさかこれ!5000ジットなの!?」
「クゥレフィト!」
かと思いきや、今度は目を大きく見開いて声を上げ、驚いたお嬢ちゃんがビクリと肩を震わせる。
仔蛇共は出てこない。人前では自重もするらしい。
「ああ。お前さん、見るのは初めてか?」
「うん!500ジットは一度だけ村長さんのところで見たけど……。あのさ、触ってもいい?」
「構わぬぞ。……懐に入れようとしたら、女将を呼ぶがな」
「そんなことしないから!すっげぇ……これひとつでニンジン何本買えるんだろ……」
「諸々の条件で変動はするだろうが、5000から6500といったところではないか?」
坊主は俺の答えも耳に入らぬ様子。夢中になって金硬貨を見つめ、手の上で転がし、窓から差す光にかざす。
まあ、このくらいの歳なら普通の反応なのだろう。むしろケイコお嬢ちゃんの方が少数派だとは予想していた。
それはそうと――
無理に背伸びをした喋り方をするよりも自然な姿だとは思うが、そのあたりは本人の決めることか。硬貨の価値を推し量る基準が生活に密着したものであるのは、ご愛敬だろう。
「ありがとう!」
やがて満足したのか、興奮冷めやらぬままに満面笑顔のままで硬貨を返してくる。
「どういたしまして、だ」
俺としても特に子供が嫌いということもなく、素直に感謝されて悪い気分はしなかった。
「ク、クゥレ……」
そんな中、少しの怯えも感じる声を上げたのはケイコお嬢ちゃん。視線を向ける先は、俺ではなく坊主。
勇気を振り絞って声をかけようとしている、といった様子だが。
「ラ、ラメレク」
「……えーと」
言っている意味が分からないからだろうが、坊主の方が反応に困る。
やれやれ……俺も随分と思い上がっていたらしい。
俺はと言えば、その姿に反省させられていた。
他者を怖がる傾向があるとは認識していた。俺には多少懐いてくれているらしいとも認識していた。右も左も、言葉さえも分からぬ状況に苦労しているとは理解していた。そして、俺にとっては誰よりも何よりも特別な女と重なる存在。
それらが結びついた結果なのだろうが、俺はケイコに対して無意識に思い始めていた。
俺がなんとかしてやらねば、と。
だが、それはいささか傲慢だったらしい。過去に何があって他者を怖がるようになったのかはさて置くが、今でも他人と接することへの恐れは見て取れる。
それでも、お嬢ちゃんは自分なりに、前に進もうとしていた。
俺自身もお嬢ちゃんとどう接するのか、考え直すべきなのだろうかな。過保護が後々の足枷になるというのも、たまに聞く話だ。
「……何て言ってるの?」
「そうさな……」
助けを求めるような坊主の問いかけが意識を現実に引き戻す。あれやこれやを考えるのは、夜の番をする時でもいいだろう。
“ラメレク”は初めて聞く。当然ながら俺が知らぬ単語で、前後の流れからも絞り切れない。
「わからぬな」
ゆえに、問いかけへの答えはそうなるのが道理。
「そんなぁ……」
「“ラメレク”の意味はわからぬが……」
「クゥレフィト……」
だからといって、不安げにしているお嬢ちゃんも、そんなお嬢ちゃんを見て困り顔をしている坊主も、放っておくことは出来ようはずもない。
「自己紹介でもしてみたらどうだ?」
だから、坊主に無難な提案をしてやる。
「でも……言葉が通じないんでしょ……」
「ならば、それでも出来る方法を教えてやる。坊主。お嬢ちゃんと向き合って、自分の顔を指で指してみろ」
「え……?こうかな?」
「ああ。それでいい」
「……クゥレ」
どうやらお嬢ちゃんの方は、俺が何をさせようとしているのか、理解したらしい。
「そうしたら、自分の名前を言うんだ。前置きも何も無しでいい。ただ名前だけをな」
「あ……そっか」
坊主の方も理解してくれた。大きく頷き、軽く息を吸い込む。
「キード」
「キードフィト?」
お嬢ちゃんが確かめるように繰り返し、
「キード」
坊主……もとい、キードが頷いてさらに繰り返す。
「……ケイコ」
今度はお嬢ちゃんが同じことをやり、
「ケイコ」
キードがそれに応える。そこまでやってしまえば、お嬢ちゃんからは怖がるような雰囲気は完全に消え去っていた。
俺や女将に対してそうであったように、一度気を許した相手には必要以上の警戒無しで接することが出来るらしい。
本当に、素直で気の良いお嬢ちゃんだ。
そう思うと腹も立って来る。こんなお嬢ちゃんが他者全てに警戒を持って接しなければならぬようにさせやがった連中。どこの誰かは知らぬが、機会があれば報いのひとつも受けさせてやろうか、と。