俺に出来る限りを尽くす。そこも変えるつもりは毛頭無い
結局、俺がユグ村に戻れたのはちょうど昼飯時。自称見張り番の坊主に頼みごとをし、宿に着いたのはさらに少し過ぎてからのことだった。
「女将、飯を頼む」
「あいよ。すぐに用意するから適当に座って待ってな」
この村での寝床に使っている宿の入り口は併設の食堂兼酒場にある。ドアを開けるのと同時で注文を出し、女将がすぐに応える。
「ジェナイン」
そして、遅れること一瞬。透き通った声が耳に届いた。目をやれば、布巾でテーブルを拭くお嬢ちゃんの姿。女将の手伝いと言ったところだろうか。楽し気な様子と、俺が知る限りの印象からして――自分から手伝いを申し出たのだろう。
「……うん?」
それはいいのだが、お嬢ちゃんの格好が気になった。出会った時から今朝までの見慣れない服装ではなく、女将のソレと似たような毛色の――荒事とは無縁の女が着るような、ごく普通の格好になっていた。村娘風、とでも言えばいいのか。
長袖に足首あたりまでのズボン。露出は最低限、丈夫で動きやすいということを重視して仕立てられたような格好に、これまた丈夫そうな前掛け。比較的整った顔立ちも含めて、宿の看板娘、なんて言い回しが頭に浮かぶような姿だ。
「女将。お嬢ちゃんが着ているのは?」
「ああ、あの格好じゃいろいろとやりにくいだろうと思ってね。なかなか似合ってるだろ?若い頃のあたしみたいだよ」
「……そうかい」
「なんだい、気のない返事だねぇ」
それはそうだ。女将の若い頃なぞ、毛頭程にも興味はない。俺が気にしているのは――
「着替えはどうした?」
その点。外からはわからぬが、お嬢ちゃんのぬ懐には隠れている連中がいたわけで……
「そこはあたしも気になったんだけどね。膝上が見えるようなスカート履いてた割には、肌を見せるのが恥ずかしいらしくてね。部屋に閉じこもって着替えてたのさ」
「そうかい」
着替えるところを見せなかった理由は間違いなく仔蛇共だろうが、そこは黙っておく。そして、今も懐には仔蛇共が隠れていることだろうが、当然ながらそれも黙っておく。知らない方が幸せなこと、というやつだ。
「ケイコちゃん」
そんな話をするうち、飯が出来たらしい。女将がお嬢ちゃんを呼び、
「ほら、あそこのテーブルに届けておくれ」
俺を指差す。
「ラぺ……ハい!」
そして、盆を受け取ったお嬢ちゃんが俺のところに運んでくる。教えたばかりのアネイカ言語も、さっそく使っているらしかった。
「ワールト」
「ありがとうよ」
さて、食うとするか。
皿に盛られた料理にフォークを伸ばす。そこにあるのは、ジャガイモとキノコを細切りにして炒めたらしきもの。湯気を立てるそれらを頬張り噛み締めてやれば、硬さを残したイモの食感とキノコの弾力ある歯ごたえがなかなかに面白く、ところどころに顔を見せるピリッとしたハーブの辛さが心地いい。
これは……こっちにも合いそうだ。
隣に置いてあったパンを手で裂き、その間に挟んでかじってみれば、ますますの相乗効果を発揮し、さらに食が進む。
結局、皿にあったものをすべて腹に詰め込み、締めに温かい茶を流し込むまでに大して時間はかからなかった。
「ふぅ」
すっかりと膨れた腹をさすり、息を吐き出す。実にいい気分だ。
日持ち重視の素っ気ない食い物だけで過ごすことにも慣れてはいるが、温かい飯は格別だ。個人の好みはあるだろうが、美味い飯を食っていい気分にならない奴は存在しないと俺は思っている。
「……ウース」
空になった皿を下げに来たらしきお嬢ちゃんが発したのは、どこか唖然とした声。どこにそんな要素があったのかはわからぬが。とりあえず、“ウース”は唖然として言うような単語とだけ覚えておくか。
さて、腹がこなれるまでの間、言葉を教えるとするか。どの道、今の客は俺だけだ。女将も文句は言うまい。
「女将よ、少しばかりお嬢ちゃんと話をしたいのだが、いいか?」
一応断りは入れておく。
「ああ、構わないよ」
「ケイコ、ちょいと来てくれ」
盆を女将のところに運んだお嬢ちゃんを手招きし、向かいに座らせる。
「クゥレフィト」
「さっそくだが、昨夜と今朝の続きをするぞ」
さて、読み取った謎言語は今朝のうちに教えたから今度は……………………うん?
マズいな。これは予想外だった。これは……あまりにも間抜けすぎやしないか?
「ティークフィト」
お嬢ちゃんが不思議そうに俺を見る。
冷たいものが背中を流れる。
俺が固まった理由。それは――どうやって教えればいいのかわからぬ、ということだ。
イスやテーブルであれば、指差して何度か繰り返せば理解してくれるとは知っている。
ラペット、キーシュ、サブートゥあたりは話の流れから推測できた。
だが、それら以外はどう示せばいいのか、とんと見当がつかぬ。
例えば、現在進行で俺は困っているわけだが、“困る”というのがどういうことなのか、言葉が通じない相手に伝えるにはどうしたらいいのか?
「……ティーク、ダいじょうブフィト」
しまいには、当のお嬢ちゃんに心配そうな声までかけられる始末。
「どうかしたのかい?」
そんな雰囲気に気付いてか、女将もやって来る。
「いや、言葉を教えようと思ったのだが……」
「だが?」
「どうしたらいいのかわからなくて困っている。“困る”という単語をお嬢ちゃんが理解出来るように示すにはどうしたらいい?」
虚勢を張っても仕方がない。だから正直に話してみるわけだが、
「……やれやれだねぇ」
返って来たのは肩をすくめての呆れ声。
「いや、俺は真面目に聞いてるのだが」
「そりゃわかってるけどさ、あんたは難しく考えすぎじゃないのかい?」
「……というと?」
「昨日あたしに聞いただろ?赤ん坊はどうやって言葉を覚えてるんだ?って」
「ああ。使えそうなことを知っている奴でもいたのか?」
そういえば、村の連中にも聞いてみると言っていたか。
「いいや、さっぱりだったね」
「……だろうな」
まあ、それは予想していた。
「けどね、思うんだよ」
「何をだ?」
「言葉を覚えるってのは、赤ん坊でもできるってことだろう?」
「ああ」
それは否定しない。多分だが、俺もそうだったはず。
「だったら、ケイコちゃんにできないはずがない。違うかい?」
「それはそうかもしれぬが……下手をすれば年単位の時間がかかる。その間、お嬢ちゃんは不便な思いをし続けるわけだぞ」
「ま、そうだろうけどさ……その間はあんたが面倒見てやればいいじゃないのさ。どうせ、そのつもりなんだろう?」
見事に正鵠を射抜いてくれやがる。長年客商売をやっているのは伊達ではないということか。その慧眼には恐れ入る。
「もちろん、あたしも協力するよ。さしあたっては、通じなくてもいいから、少しでも言葉をやり取りするつもりさね。きっと赤ん坊もそうやって言葉を覚えて来たんだよ。それに……」
「それに?」
「そのことであんたが悩んでケイコちゃんに心配かけるってのは、本末転倒じゃないのかい?」
やれやれ……
あまりにも楽観的すぎるとは思う。だが、正論であることも否定は出来ぬか。
「ケイコ」
「クゥレフィト」
当のお嬢ちゃんに目をやる。言葉が通じないことを何とも思っていない、ということはないだろう。それでも、焦燥のようなものは読み取れない。
なら、今はそれでいいのか。気になるところは山積みで、早いところそのあたりを聞きたいとも思うが。
もっとも、俺なりに考え続けることを止めるつもりもない。
言葉を覚えるのが早いほど、お嬢ちゃんの負担も減る。それも事実だろう。
なんだかんだ言っても、アイツを思い出させるお嬢ちゃんだ。ならば、俺に出来る限りを尽くす。そこも変えるつもりは毛頭無い。
考えてもみれば、俺がやろうとしているのは、アネイカでもコーニスでも初の試みかもしれぬことだ。
それならば、少しは気長に構えた方がいいのだろうかな。